第12話 一番自分らしいと思う姿

 主役はユディトとアルヴィンのはずだったが、ホストはヘルミーネで、パーティを取り仕切っていたのは終始彼女であった。

 ユディトは、なんだかんだ言って、このパーティを開いてもらってよかった、と思った。

 ヘルミーネが楽しそうで、元気そうだった。ルパートを失ってから初めて見せる笑顔だった。

 それだけで、充分だ。

 招待客も若い二人の婚約より女王の復活を祝っている節があった。彼女はこの国の母であり、土台であり、太陽だ。優雅で落ち着いた彼女の姿に皆ホーエンバーデン王国の栄華を感じている。


 水晶の間のバルコニーで、一人夜風に吹かれる。

 背後の室内では下男下女たちがパーティ会場の後片付けをしているが、窓から少し離れたここには声も音も聞こえてこない。

 季節は夏へ移り変わろうとしていた。空に浮かぶ半月は大きく明るく、夜だからといって恐れるものなど何もないように思えた。

 ワインで火照った頬に風が心地よい。


「ここにいたのか」


 声に反応して振り向いた。

 アルヴィンだった。

 彼は先ほどと変わらぬ軍の礼装だったが、時間が経って髪形が少し崩れてきているのがおかしかった。


「何かおありか?」


 問い掛けると、彼は溜息をついた。


「俺は用事がなければお前に話し掛けちゃいけないのか」


 ユディトは慌てて「そのようなつもりではない」と答えた。


「ただ、私はもともと雑談のようなことが苦手で。普段はエルマとヒルダ様が喋っているのを黙って脇でお聞きしているのだ」


 そう言うと、彼は少し間を置いてから、頷いた。


「そういうことは、先に言ってくれ」

「そういう、とは、どういう?」

「お前は俺とは喋りたくないのかと思っていた」


 体を完全にアルヴィンの方へ向けてから、「とんでもない!」と少し大きな声を出した。


「申し訳ない。私が、口がうまくないばかりに」


 アルヴィンがユディトの隣に立つ。月を見上げる。

 アルヴィンの紫色の瞳に月光が差し入って怪しく輝いている。

 それを見て、ユディトは、うつむいた。

 パーティの間、招待客がアルヴィンに話し掛けるのを避けているように感じていた。ユディトからすると、何となくそんな感じがした、という程度の小さな違和感だったが、当人はもっとはっきりとそう感じていたかもしれない。

 年配の客ほどそういう態度だったことから察するに、もしその違和感が本当のものであれば――彼らは混血のアルヴィンを避けている。


 少数民族ヴァンデルン。

 その名称はこちら側の人間がつけたものだ。流浪の民、放浪する者、を意味する言葉で、彼らが自分たちを何と呼んでいるかは分からない。

 こちら側の人間は、彼らのことをよく知らない。ただ、ホーエンバーデン王国から見ると南東の山々を越えてやってきた人々で、定住せず、占いや曲芸を生業として暮らしている、ということだけは知っている。

 住所もなく定職もない彼らを、こちら側の人間は長い間忌避してきた。もっといえば、邪教の魔法使いとして蔑んできた。高貴なホーエンバーデン王国にふさわしくない汚れた存在とみなして、王都に入ってくれば追い出すようにしていた。

 黒い髪に紫の瞳をした彼らは、王国を食い潰す悪魔の遣いだったのだ。


 それが二十五年前、王国を揺るがす大スキャンダルを巻き起こした。

 時の第一王女――当時まだ第二王女であったヘルミーネの姉――が、未婚の身で黒髪に紫の瞳の男児を出産したのだ。

 怒り狂った先代の国王夫妻は彼女から王位継承権を剥奪した。そして第二王女であったヘルミーネが女王として立つことになる。


 第一王女は昔から放埓な人であったと聞く。堅実であることをモットーとする妹のヘルミーネとは正反対で、華やかな場を好み、両親にねだって煌びやかなドレスを纏って暮らしていたのだそうだ。

 交友関係も賑やかだった。しかし若い貴族が遊び回ることなどどこの国でもある話だったし、女王になれば落ち着くだろうと考えた国王夫妻は、特にたしなめなかったらしい。


 それがどこで何を間違ったのかヴァンデルンの男の子供を孕んだ。


 ユディトが生まれる前の話だ。

 しかもユディトがまだ物心がつく前に王国南東部にヴァンデルン自治区が成立して彼らの移住生活もその中だけのことになったので、ユディトは彼らと直接話をしたことがない。

 女王ヘルミーネはヴァンデルンを共存すべき友として見るよう説いている。同じ国に住む他者であり、異文化の人間として尊重すべき存在だ。そう言い聞かせられて育った若い世代はヴァンデルンを呪いのかたまりだとは思っていない。ユディトも大して深くは考えていなかった。

 それは、女王にとっては、姉や甥に対する愛だったのだろうか。甥を偏見から守るために必要な措置だと考えて自治法の成立を急いだのかもしれない。


 先代の国王夫妻は、ヴァンデルンの特徴をはっきりと受け継いだアルヴィンが宮殿で育つことを嫌がって、ロタールの家に預けた。アルヴィンが宮殿に引き取られたのは、先王が亡くなった十五年前、アルヴィンが十歳の時だ。


「老人たちの態度を見て、何か、気づくことはあったか?」


 何のことについて聞きたいのか、ユディトにはすぐ予想がついた。

 だが、ユディトはあえて「いや」と答えた。


「何も。皆がアルヴィン様の前途を祝福しているのだな、と感じた」


 彼はただ、「そうか」と頷いた。


 女王の姉は今宮殿にいない。先代の国王夫妻が追放したからだ。

 だがユディトは彼女を悲劇のヒロインだとは思えなかった。

 彼女がアルヴィンを置いていったからだ。

 莫大な手切れ金とともに外国へ高飛びした母親を、アルヴィンはどう思っているのだろう。

 パーティに花嫁の親として参加して喜びのあまりずっと泣いていた自分の母親の姿を思い出す。アルヴィンを見せびらかして嬉しそうに笑っていたヘルミーネの姿も思い出す。

 アルヴィンを産んだ実の母親は、いったい、何を思ってアルヴィンを置いていったのだろう。


 重い、重い孤独が、そこにはある――のかもしれない。

 ユディトには、分かるだの理解するだの、そんな陳腐なことは言えなかった。

 真の意味で理解することは一生ないだろう。自分は幸福な少女時代を送ってきた。それは本来罪ではないと思うが、アルヴィンの孤独を分かち合うには難しい。

 ただ、黙って隣にいる。それで少しでも安らぐといい、とは、思う。


 しばらく、二人とも無言だった。アルヴィンは月を見上げていたし、ユディトもバルコニーの下の庭園を見下ろしていた。


「……何はともあれ、今日はよかった」


 ユディトが言うと、アルヴィンが「そうか?」と言った。


「慌ただしいし、俺は本当にこういうおおやけの場が大の苦手で、逃げ出したくてたまらなかったんだが」

「本音を言えば私もそうで、ヒルダ様のお供以外でパーティに参加したことはなかったのだが――」


 バルコニーの、手すり壁をなぞる。


「ヒルダ様や、陛下が、楽しそうだった。それが、本当に、よかった」


 少し間を置いてから、アルヴィンが言った。


「あくまで、ヒルダや陛下が、なんだな」

「ああ」

「自分が、主役になれてよかった、とか、着飾れてよかった、とか、大勢の人に祝いの言葉を貰ってよかった、とか。そういうことは考えないのか」

「考えない」


 即答だった。


「私はあくまで王家の女性たちのためにある存在だ。王家の皆様が喜んでくださるから私も喜べるのだ」


 そして、目を伏せる。


「せっかくアルヴィン様が用意してくださったドレスだが。本音を言えば、私には、少し、息苦しい。サイズが合わないのではなく……、心が」

「そうか」

「私も」


 声が、震える。


「私も。騎士としての制服こそ正装であってほしかった」


 また、しばらく間が開いた。


「今度こういう機会があったら、その恰好で来い」


 弾かれたように顔を上げた。目を丸くして、アルヴィンの方を見た。

 アルヴィンは相変わらず月を見ていて、ともすれば不機嫌そうにも見える無表情で、手すり壁に肘をのせ、頬杖をついていた。


「一番自分らしいと思う恰好で出ろ」


 その時、屋内から声を掛けられた。


「殿下、ユディト様」


 片づけをしていた下女が出てきたのだ。


「お部屋の片づけが終わりましたので、灯りを消して扉を閉めようかという話をしているのですが、お二人はまだこちらにいらっしゃいますか? 必要なら、私どもは部屋をこのままにして下がろうかと思います」


 アルヴィンが「いや」と答えた。


「俺ももうここを出て自分の部屋に戻る」


 ユディトも不満はなかったので、付け足すように「同じく」と言った。


「私も今日は一度騎士団の寄宿舎に戻ろうと思う」

「決まりだな」


 下女が深く頭を下げる。


「しかし、このドレス、いかが致せばいい? お返しすべきか?」

「俺が女物のドレスを持っていてどうする。何か不測の事態があった時にまた着ろ」

「かしこまった」

「あと、念のために言っておくが、ロタールだからな。手配したのは全部ロタールだからな」

「さようか。ロタール殿にも礼を言わねば」

「……お前、いきなり自分の体に合ったサイズのドレスが出てきても、何も疑問に思わないんだな……」


 ユディトは首を傾げた。アルヴィンが何を言いたいのか分からなかったのだ。そのまま流した。


 夜が平和に更けていく。



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