第14話 親の策謀によりリヒテンゼーにて再会

 リヒテンゼー地方はその名のとおり光り輝く湖のあるところだ。中心の町は湖のほとりにあり、水運や淡水魚を獲る漁業、そして何より観光で栄えている。郊外には万年雪を冠した美しい山々があり、山、森、湖の揃った景色はホーエンバーデンらしいとされて外国人からも人気が高い。町から少し山の方へ足を伸ばすと温泉もあるので、湯治の客も絶えないのだそうだ。


 馬上からのどかな景色を眺めて、アルヴィンはほっと息を吐いた。


 王都からリヒテンゼーの中心の町までは馬で二日半の道のりであった。街道沿いの宿場町をひやかしながらの行程で、仕事だと認識してまともに走ればひと晩でも行けそうだったが、ヘルミーネも軍の高官ものんびりのスケジュールでいいと言うので、お言葉に甘えてちんたら移動した。


 アルヴィンも一応王族だ。幼少期に乳母からどんなことでも自分でやるようにしつけられたし軍学校の寄宿舎での生活も長いので、生活上できないことはないが――むしろ野戦になった時に飯盒炊飯をするくらいの知識と技術もあってロタールが「王子様なのに僕より料理うまい」と言うくらいだが――ロタール、護衛官と侍従官が一人ずつ、合計三人のお供を連れての旅路になった。

 このメンバーは気の置けない間柄だ。

 観光客向けの酒場で郷土料理の肉を喰らったり、夜更けまで酒を飲みながらカードゲームに興じたり――完全に四人で遊び呆けている。


「アルヴィン様ー! 湖めっちゃ透けてます! 魚獲りませんか!?」


 お供の者たちが童心に帰っている。全員二十代半ばの立派な成人男性だったが、心が十歳以上若返ってしまった。


「城に荷物を置いたらな!」


 ロタールと護衛官が、アルヴィンの許可を待たず、馬から降り、靴を脱ぎ、裸足で湖に突っ込んでいった。「ひゃっほう!」「冷てぇ!」と叫び声が上がる。


「まったく、子供ですね」


 一人大人ぶった侍従官が呆れた声を出した。

 彼は遊びは遊びでも大人の遊びをしたがっていて、宿泊した町でも艶かしい酌婦のいるいかがわしい茶店に行こうとしていた。金の管理をしているロタールが「最終的に経費の精算をする時に女王陛下がチェックするっていうのに女性のいる店に行ったってバレたらまずいでしょ」と言って止めたが、「そこは王子様のポケットマネーでどうにかしてくださってもいいんじゃないですか」と駄々をこねていた。最終的には護衛官が「婚約したばかりの身で女性と遊ぶのはヤバすぎでは」と言ったことで収まったが――さて、大人の遊びとは何だろう。


 アルヴィンはそもそも女性があまり好きではない。瞳が紫でも王族は王族と割り切って誘ってくる女性は多かったし、そういう女性たちと何もなかったと言うと嘘になるが、いずれにしても、構ってあげるのが面倒臭くなる。髪形を褒め、化粧を褒め、ドレスを褒め、と考えているうちに疲れて離れてきた。

 可愛い、美しい、綺麗、可憐――それは素晴らしいことだと思う。けれど、ふわふわしすぎていて、少し気を抜いたら質が良く粘り気が強い石鹸の泡のようにぼこぼこ噴き上がりそうで嫌だ。


 ふと、ユディトの顔を思い出す。


 男に対して媚を売るということを知らない。譲れないことが出てくればきちんと線を引いて自己主張をする。どこか不器用だが、まったく気を遣えないわけでもない。

 嘘をつかなさそうな娘だった。甘い言葉に誘惑されないし誘惑しようともしない。ただ、自分の信じた道を――王家への忠誠だけをまっすぐ貫く。


 ちょっとぶっきらぼうなところも軍隊育ちのアルヴィンからすれば愛嬌の範疇だ。男友達のように多少つついても平気な気がする。妻や恋人というより士官学校の後輩が増えた気分だ。そして、そう思うと逆に可愛い気がしてくるから、不思議だ。


 婚約パーティの夜のことが浮かんだ。

 月光に照らされた端正な横顔は美しかったが、その視線はまっすぐで、可憐さより、頼もしさや力強さがあった。まっすぐの背筋、上半身の動かない歩き方、いずれも鍛えられた人間のもので、軸がしっかりとしている。

 触れたら硬そうなのがいい。

 しかしそれは女性に対する褒め言葉かと思うと疑問なので口には出せない。


 ロタールと護衛官が水を掛け合って遊んでいる。

 付き合い切れなくなって、アルヴィンは馬を歩ませ始めた。

 その後ろを、侍従官がついてくる。


「――俺、たまに自分は男色家なのかと思ったりなんかもする」


 言ってから突然すぎる呟きだったかと後悔したが、侍従官は真面目に応じてくれた。


「あなた様の場合は、幼年学校で少年愛が流行るのと同じ理屈では? 周りにいる都合のいい人間が男ばかりなのです。いろいろなパターンでいろいろなタイプの女性と出会えば好みの女性が現れるかもしれません」

「それまで総当たり戦をやるのかと思うといろんな意味でキツいものがある」

「まあ、もしそうであったとしても我々があなた様にお仕えすることには何も変わらないので、親しくなった女性にも特別な愛情は感じないとおっしゃるなら別途対応できますよ。ただ、こちらとしては、本当にまったく受け付けないのか見極めるチャンスが欲しかったのです。女王陛下のご英断に感謝しています」

「苦労をかけているな……」

「いまさらです」


 ロタールと護衛官が置いていかれたことに気づいたらしく「待ってください!」と言いながら追い掛けてきた。


 いずれにせよ、結婚する覚悟が決まる前に一度離れられたのはありがたい。リヒテンゼーの視察はいい気分転換になりそうだ。



 この時までは、そう思っていた。



 湖のほとり、町の端から二、三キロの辺りに、中世さながらの古城が建っている。重々しい灰色の石を積み上げた壁に、小さな赤い石を重ねて作った屋根の、こじんまりとした城だ。

 落成から数百年が経過しており、大砲への備えがないので、近代戦の城塞としては役に立たない。だが、門から玄関までの間が湖の上で、橋を渡らなければ中に入れない仕組みになっている。いざとなったら橋を落として籠城できる。

 見た目がなんとなくロマンチックだった。おとぎ話の海の上のお城のようだ。女性ウケがよさそうである。事実観光名所でもあるらしい。

 城の名前はシュピーゲル城だそうだ。シュピーゲル、とは、この辺りの言葉で鏡を意味する。晴れた日に湖面にその姿が映ることからそう名付けられたらしい。ロマンチックである。やはり女性向けだ。


「森の中の湖畔に建つ中世のお城とか、メルヘンすぎる……」


 ロタールが呟いた。同じことを考えていたようだ。


 門の両脇に武装した青年が二人門番として立っている。二人ともこちらには気づいているようで、爽やかな笑みを見せていた。まさしく観光地だ。

 ロタールが近づいていって、「すみません」と話し掛けた。


「我々は女王陛下の遣いでやって来た者です。あちらがアルヴィン殿下。女王陛下からシュテルンバッハ卿のご厚意でシュピーゲル城に滞在させていただけることになっているとお聞きしたのですが」


 二人はすぐに頷いて「聞き及んでおります」と答えた。


「どうぞこちらへ」


 橋を渡る。橋の下二メートルほどのところに湖面があり、城の優美な姿が反射してゆらゆらと波に揺れていた。


 門番の指示どおり馬小屋に馬をつないで、玄関へ向かった。


 門番はすぐ両開きの扉を左右から押し開けてくれた。


 中は玄関ホールにしては狭かった。窓が小さく自然光が少ないので薄暗い。壁は剥き出しの石壁だ。

 真正面の壁に主イエスが磔刑になっている十字架が掲げられていて、敬虔な一族が住んできたのだろうと思わせられた。

 十字架の下に穴が開いており、そこから、右に上へあがる階段、左に下へおりる階段が伸びている。

 典型的な中世の城だ。住み心地はあまりよくないかもしれない。


「お客様がお見えです!」


 門番が声を張り上げると、下の階段から中高年の女性たちがわらわらと湧いてきた。どうやらこの城の女中たちのようだ。玄関ホールの左右の壁の前に分かれ、アルヴィンたち四人に向かって「ようこそお越しくださいました」と頭を下げた。


「今しばらくお待ちください、すぐご当主様のご名代が下りてこられますので」


 一番手前にいた、真っ白な髪の老女が言う。声も背筋もぴんとしていて芯があるが、年齢はおそらく七十歳くらいだろう。女中頭かもしれない。


 女王が、シュテルンバッハ卿は王都で外せない仕事があるから同行できず、代わりの家の者が対応すると言っていた、という話をしていた気がする。シュテルンバッハ卿の親族だろう。息子か、弟か、その辺に違いない。


 そう思っていた。


 ややして、階段を下りてくる青年の姿が見えた。


 アルヴィンは目を丸くした。


 短く切られたさらさらの亜麻色の髪、滑らかな白い肌、まっすぐ伸ばされた背筋――長い睫毛に守られた亜麻色の瞳の彼、いや、彼女は――


「ユディト!?」


 名を呼ぶと、彼女も驚いた顔をして「は?」と呟いた。


「アルヴィン様が父上のおっしゃっていたお客人なのか?」


 女中頭が超然とした態度で「さようでございます」と言った。


「なん、どういうことだ」


 動揺のあまり変な声が出てしまった。けれど空気の読める同行者たちはそれを指摘しなかった。ユディトもだ。というより彼女の方がずっと混乱しているように見える。


「だが――え? 父上の仕事の大事な仲間だというから、私はてっきり、父上と同世代の人が来るものとばかり――え? ちょ、えっ? 何だ貴様は」

「何だ貴様は、じゃない。お前俺に対してかなり失礼だな」

「つまりアルヴィン様がうちに一ヶ月滞在なさるということか」


 言われて、目を丸くした。


「父上は……私に……アルヴィン様を一ヶ月もてなせと……そうおっしゃったということか……」


 手に持っていた荷物が、どさり、と床に落ちた。


「なぜここにいる? もしかしてお前も一ヶ月ここに住むのか?」

「父に、結婚する前に先祖代々の墓廟に挨拶に行け、と言われて。ついでにお客様が来るからしばらくお世話をしろ、と――」


 ユディトはそこで一回言葉を切った。


「――父上にはめられたのだろうか」


 二人ともしばらくの間無言だった。



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