第15話 心が童貞なんですよ
辿り着いてしまったのだから仕方がない。今から町に戻って宿探しも面倒だし、王家とリヒテンゼー伯爵家が微妙な間柄だと思われたら困る。さすがのアルヴィンもここで飛び出せるほど子供ではなかった。
結局、アルヴィンたち一行は予定どおり城に宿泊することにした。もしかしたら明日以降南方師団の施設に泊めてもらえるかもしれないという一抹の期待を抱きつつ、まずは今夜の宿だ。
四人はユディトと女中頭の老女に城の中を案内してもらった。
「便所は廊下の一番奥だ」
そんな感じで説明するユディトに、「便所って何だ、お手洗いとか言えよ」と突っ込むと、「そんな言葉尻をあげつらうのか」と言われてしまった。隣でロタールが笑った。
「で、最後に。主賓の部屋はここだ」
階段の踊り場からすぐの部屋の扉を開ける。
今までに見てきたロタール以下従者たち用の客室に比べると、ひと回り広い部屋だ。壁にはドラゴンに槍を突き立てる甲冑姿の青年――聖ゲオルギウス、なんだかシュテルンバッハ家の人間が好きそうな題材――の織り込まれたタペストリーが掛けられ、床にはまだ新しそうな絨毯が敷かれている。暖炉はきれいに掃除されていて中に何もない。
アルヴィンはベッドに向かって適当に荷物を放り投げた。
「ついでに――」
ユディトが踵を返す。
彼女の視線の先を辿る。
廊下に扉が三つ並んでいる。
「あの、三つ目のドア――一番奥の部屋が私の部屋だ。夜は常にいるようにするから、何かあったらお声掛けいただければ対応する」
同じ棟の同じ階か、と思うと少し気が重い。ロタールたちも同じ棟だが階はひとつ下だ。
そんなアルヴィンの胸中を読んだかのように、女中頭の老婆が「ひひひ」と笑う。
「間の二部屋は空き部屋にございまする。夜になると、この階はお嬢様だけになりまするなぁ」
夜這いしたい放題である。
「リヒテンゼーは治安がいいことでも評判だが、万が一夜盗が入っても私一人で撃退できると思う」
そういう問題ではない。
もはや突っ込むのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
女二人から離れたくなったアルヴィンは、「じゃ、俺は部屋で少し休む」と告げた。
ユディトも女中頭も何とも思わなかったらしく、「承知した」「かしこまりました」としか言わなかった。
二人が階段を下り始める。
「僕も失礼しま――」
ロタールの服の襟をつかんで後ろに引っ張った。ロタールが「ぐえっ」とうめいた。
「お前はちょっと来い」
「なんでですか。僕も荷ほどきしたいんですけど」
「いいから来い」
侍従官が「僕らは?」と問い掛けてくる。アルヴィンはロタールをつかんでいるのとは反対の手で追い払う仕草をした。アルヴィンの挙動不審に慣れている彼らは特に何も言わずユディトたちに続いて去っていった。
階下に行く人々の姿が完全に見えなくなってから、ロタールを引きずって部屋に入った。周囲に人がいなくなったのを確認してドアを閉める。
「何なんですかいったい」
「お前知ってたのか」
「何をです?」
「ユディトのこと」
ロタールは襟を直しながら「知ってるわけないじゃないですか」と主張した。
「知ってたらついてきませんよ! アルヴィン様、僕がいたら僕べったりになっちゃうんですもん! 結婚賛成派としての僕を貫くなら何らかの理由をこじつけて今回の旅そのものを辞退しました」
「何だそれ、その、結婚賛成派って。反対派がいるのか?」
「アルヴィン様ご本人お一人です、他に知りません」
「俺一人で籠城戦か」
「援軍は来ないのでさっさと降伏してください。今ならまだ間に合う! 今ならまだ死者は出ていない!」
「俺一人だから死者が出た場合それは俺だな」
強気な態度で「何がそんなにご不満なんですか」と問うてくる。
「据え膳食ったらいいじゃないですか。誰もとがめませんよ。ご覧くださいこの親たちによる立派な据え膳、三食フルコースで宮廷のディナーが出るみたいな状況!」
「胃もたれ確定だろ、それを喜んで食えるほど若くないぞ俺は」
「いいや若いんですよ。女性と二人きりになるのを恥ずかしがったり自分の気持ちを言語化して相手に伝えることができなかったりするからそういう態度なんです。少年なんですよ。心が童貞なんです」
アルヴィンは黙った。ロタールが核心をついてきたからだ。この男は本当にアルヴィンのことなら何でも知っているのだ。
そういうアルヴィンの内心を見透かしているのか、ロタールはさらに踏み込んできた。
「どうしても、どうしてもどうしてもどうしてもお嫌なら、二人で示し合って何らかの手段で陛下に諦めていただくよう仕向ければいいと思います。二人で打ち合わせて、協力して、一致団結して。さすがの陛下もそこまでされたら引くでしょう、ルパート殿下の件で懲りてるんですから」
「あの陛下にたった二人で立ち向かえと?」
「手段は拙くてもいいんですよ。成功率の低そうな正面からの正攻法でもいいんです。陛下は喜んで他国を陥れるタイプの女王ですが息子のアルヴィン様もそれに倣う必要はありません。むしろ大事なのは誠意では?」
人差し指を立てて振る。
「現実に向き合ってください。現実に、というか、彼女に」
アルヴィンはうつむいた。
「そうかもな。お前の言うとおり、俺が逃げているのかもしれない」
さらにとどめを刺す気らしい。ロタールは「もっと言えばですよ」と続けた。
「アルヴィン様は女王の養子、実際の血縁関係も甥です。ご出生時のごたごたさえなかったら、甥であっても、王位継承権の順位は相当高かったはずなんです。伯爵からしたら娘を嫁がせて姻戚になりたいでしょうよ。まっとうな貴族で政治的野心のある男なら、喜んで娘を差し出すんです」
立派なひげの、騎士の血と心意気を継ぐ屈強な軍人の男の顔が浮かんだ。
あの男にそういう細かい戦略があるようには思っていなかったが、冷静に考えれば、ない方がおかしい。むしろ、ない、と言われたら、怪しい。ホーエンバーデンの王家と姻戚関係になりたいと思わないということは、他国の王家と結びつこうとしているかもしれないということだ。そっちの方が重大な裏切り行為である。
「そして伯爵令嬢に生まれついた以上ご本人もそれをご承知のはず」
父親によく似た娘の顔が浮かんだ。男だったらきっと屈強な軍人になっただろう。
「社会的には、いいですか、倫理道徳がどうとかロマンやらメルヘンやらがどうとかを抜きにすれば、両家ともハッピーな結婚なんです! それを覆したいなら、倫理道徳がどうとかロマンやらメルヘンやらがどうとかに訴え出るために、二人の間で合意を得てください!」
その時だ。
ドアをノックする音が聞こえてきた。
なぜかアルヴィンではなくロタールが「はーい」と返事をした。
「ロタール殿がいらっしゃるのか?」
ユディトの声だ。
「アルヴィン様は?」
「一緒にいますよ。どうかしましたか?」
「一部屋案内し忘れた部屋がある。早急にお伝えせねばならんと思い、声を掛けさせていただいた」
「ちょっと待ってくださいね」
ロタールはアルヴィンの返事を待たずにドアを開けた。
そこに立っていたのはユディト一人だけだった。
つい、ユディトを眺め回してしまった。
男物の服を着ているが、白いシャツの胸がふんわり膨らんでいるのが分かる。ヘリオトロープ騎士団の制服のデザインや生地が凝っていて体型が出ないようになっているので、男物でも布の薄い夏服の今の方が女性的で艶かしく感じるのだ。どこの仕立て屋でも作れそうなトラウザーズも倒錯的に思えてくる。
女王や王女の趣味できちんと手入れさせているらしく肌は綺麗で滑らかだ。化粧っ気がなく少し淡泊な顔立ちに見えるが、手間をかければ充分美しくなることは先日のパーティで立証済みだ。
そういう問題ではない。
では、どういう問題か。
「俺は何が気に入らないんだろうな」
口から出てしまった。
ユディトが顔をしかめた。
「私に何か気に入らないところが?」
察しがたいへんよろしい。
「案内し忘れた部屋というのは?」
ロタールが笑顔で割り込んできた。できる男である。
「西の棟の二階にピアノがある部屋があるので使われたらいかがかと」
「ピアノ?」
頬を引きつらせて「弾けってか?」と問い掛けると、彼女はこともなげに「ああ」と答えた。
「お前な、ひとにそういう一発芸みたいなことはさせるなと前に言わなかったか?」
「いや、別に、私がお聞きしたいとか、他のお客人に聞かせるとか、そういうのではなくて」
言われてから、目が覚めた。
「楽器をやる人は、皆、毎日練習しないと腕が鈍ると言うから。アルヴィン様も、毎日弾きたいのではないか、と思ったのだが――」
彼女なりの思いやりで、アルヴィンの個性に対する配慮なのだ。
「ご興味がないなら構わない」
「あ、いや……、」
部屋から一歩離れようとした彼女を引き留めるように、「弾く」と投げ掛けた。
彼女の表情が、ほんの少しだけ、緩んだ、気がした。
「アルヴィン様がピアノの部屋にいらっしゃる時は人を近づけさせないようにする」
そうまで言われてしまうと逆に悲しくて、でもここで聞いてほしいとも言えなくて、
「……まあ、とりあえず、どの部屋か教えてもらえるか?」
彼女は頷いて、「こちらへ」と言ってから歩き出した。
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