第27話 あなた様の子供を産みたい

 翌朝午前八時、旧市街の市場近くにある南方師団幹部の私宅の応接間に、合計十人の人間が集まっていた。家主である大佐とその息子で同じく軍人の青年、三人の将校、アルヴィン、ユディトとエルマ、ロタールである。隣の食堂には十数人の選び抜かれた精鋭の兵士が待機している。


 今日は日曜日だ。市場は休みだが、リヒテンゼー聖母教会には日曜礼拝で大勢の人が集まっていた。教会を襲撃されたら多数の死傷者が出るだろう。ヴァンデルン解放戦線が指定してきた青いユリの家は教会から五百メートルも離れていない。


「最低だな」


 ロタールが呟いた。


「ヴァンデルンはキリスト教徒に日曜礼拝もさせない野蛮人だと思われることになる」


 深刻な問題だった。ヴァンデルンには協調派と独立派がおり、独立派の中でも穏健派と過激派がいる。だが過激派の行動をヴァンデルン全体の意思だと思い込む人間が多数出るだろう。

 もし背後にオストキュステ王がいてヴァンデルン解放戦線に裏から指示を出しているなら、オストキュステ王がヴァンデルンの印象を悪くしようと目論んでいることになる。あまりにも性格が悪い。


「何としてでも青いユリの家の中で済ませないとな」


 アルヴィンが言った。全員が頷いた。


 ドアが開いて、一人の青年が入ってきた。私服だが兵士だ。

 兵士たちは、過激派組織を刺激しないよう、また一般民衆を不安にさせないよう、あえて私服を着ている。学生が着る夏服の白いシャツに薄手のジャケットだ。学生のふりをしていれば決闘のために帯剣していても違和感はない。

 将校たちも、ロタールとユディト、そしてエルマも私服だ。代表者として先頭に立つアルヴィンだけが軍服を着ている。エルマに至っては農民のようにディアンドルという民族衣装を着ていて、膝下丈のスカートは可愛らしくさえあった。


「教会の周辺、市場、市庁舎、大通りの交差点への人員の配置が終わりました。教会の中にも十二人礼拝参加者として兵士を潜り込ませています」


 ヴァンデルンの過激派は何人いるか分からない。町には正規の手段で役所から許可証を得て滞在しているヴァンデルンもいて、全員捕まえて尋問していたらきりがない。警備の強化で対応するしかない。

 さらに言うなら、敵はヴァンデルンだけではないだろう。この国の中にも協力者がいるかもしれないし、オストキュステ市民は言語も身体的特徴もホーエンバーデン市民と一緒だ。そうなると見た目では分からないのだ。


「確認する」


 将校のうちの一人が、テーブルの上に青いユリの家の見取り図を広げた。

 家の内部に入ったことのある人間はいなかったが、辺りは住宅密集地で、似た構造の家が並んでいる。南方師団は近所に住む同じ外観の家の人間に協力を仰いで推定の図を描いた。

 建物は三階建てだ。さほど広い家ではないのでワンフロアに十人以上の大人数が詰めているということはないだろう。少し幅のある明るい路地に面した部分が正面で、壁に青いユリの絵が描かれている。裏路地に面した部分に勝手口があるはずだ。


「アルヴィン殿下は正面からお一人で入られよ。我々は兵士を連れて玄関付近でいつでも突入できるように待機している。動きがあれば合図をしていただきたい」

「分かった」

「裏側からは、別動隊が入る」


 裏路地側、勝手口があるであろう辺りを指す。


「前後から挟み撃ちにする。勝手口から逃げ出せないようにするのだ。建物の中にいる過激派組織の人間を全員捕縛できたらヒルデガルト殿下の情報も得られるだろう」


 別の将校が言う。


「リヒテンゼーからヴァンデルン自治区に通じる街道を怪しい馬車が通過したという情報はない。ヒルデガルト殿下はまだリヒテンゼーを出ていない可能性が高い。もしかしたら、同じ建物の中にいらっしゃるかもしれない」


 拳を握り締めた。息を呑んだ。

 今だ。今こそ言わなければならない。


「私にも行かせてほしい」


 ユディトが言うと、その場にいた男たちがユディトに注目した。

 緊張で喉が渇く。

 理性と感情の狭間でユディトは揺れ動いていた。

 じっとしてはいられない。だが独断専行で動くのもよくない。

 折衷案はひとつだ。この場にいる人々に分かってもらった上で動くのだ。それがヘリオトロープ騎士団という組織で生きてきたユディトに導き出せる最適解だ。


「もしヒルダ様がいらっしゃった場合、私がお助けしたい」


 ある将校が「いや、ユディト様は」と言い掛けたが、アルヴィンが言った。


「行かせてやってくれ。ヘリオトロープの騎士は軍人並みの訓練を受けている。こいつの剣の腕は俺並みかもしかしたらそれ以上だ。それに――」


 彼が、ユディトの顔を見た。


「ヒルダは、ユディトの顔を見たら安心すると思う」


 ユディトは心の中に大きな感情が込み上げてくるのを感じた。けれどそれを的確に言い表す言葉が見つからない。喜び、感謝、そして今までに感じたもののない何かが混ざった気持ちだ。


「ふむ。まあ、ヘリオトロープの騎士なら信頼してもいいでしょう。あの女王の親衛隊ですからな、腕は立つに違いあるまい」


 ほっと胸を撫で下ろした。


「それにヒルダ様をご安心させる仕事は重要ですぞ。ヒルダ様がご混乱のあまりしてはいけないことをなさるようではよろしくない」


 エルマが「あたしも行かせてください」と言った。大佐が「よろしい、ディアンドルを着た一般女性だと思えば向こうは油断するであろう」と答えた。ユディトもエルマの気持ちを汲むことにした。彼女はヒルダを置き去りにしてきている。ヘリオトロープの騎士として悔しいだろう。手の傷は心配だったがここで挽回させてやりたい。


「ロタール、お前もユディトとエルマと行け。基本的には二人のフォローをして、どうにもならないと思ったら二人を置いて南方師団に合流して助けを求めろ。お前なら冷静にそういう判断ができるだろうからな」


 アルヴィンが言った。ロタールがVサインを作って「了解でーす」と言った。


「ま、アルヴィン様は僕がついていなくても何とかなるって信じてますからね」


 ロタールの言葉にアルヴィンは少しだけ笑った。


「さて。――では、そろそろ行きますか」


 将校がそう言った。その場にいた全員が頷いて、それぞれ「はい」「おう」と返事をした。


 応接間を出る。隣の食堂に声を掛け、待機していた兵士たちとも合流する。


 階段を下りながら、ユディトは緊張がさらに高まっていくのを感じた。


 突入が恐ろしいのではない。むしろユディトは体を動かせるのが嬉しかった。乱闘騒ぎは大得意だったし、剣の腕では誰にも負けない自信がある。何より、ヒルダのために剣を振るえるのは騎士であるユディトにとって喜ばしいことだ。

 うまくいけばヒルダに会えるかもしれない。自分の頑張り次第ではヒルダと再会できるまでの時間が縮まる。


 恐ろしいのは、アルヴィンのことだった。


 彼は一人で交渉の場に赴く。兵士たちとは扉一枚隔てることになる。相手は中に何人いてどんな武装をしているか分からない。そんな中に彼は単身で乗り込んでいく。

 アルヴィンも腕の立つ男だ。加えて、この二、三日の冷静な態度を考えると、ユディトよりよほどしっかりしていて頼もしい。

 それでも危ないところに行かされることには違いない。


 無事で帰ってきてほしい。

 でも、もしかしたら、次に会う時には――

 考えたくないのに考えてしまう。

 どんな状況でも最悪の事態は想定しておかないといけない。

 悔いのないようにしたい。


 玄関に辿り着いた時、ユディトは前を歩くアルヴィンの軍服の背中をつまんだ。アルヴィンはすぐに気づいて立ち止まり、振り返った。


 言わなければならない。今言わないともう二度と会って直接伝えられないかもしれない。

 後悔しないように。すべてを振り切って。呑み込まず。一生懸命考えて。


「アルヴィン様」

「何だ」


 ユディトが緊張しているのを見て取ったのか、アルヴィンは苦笑して「大丈夫だ」と言った。


「まあ、なんとかなる」


 彼がそう言うとなんとかなる気がしてくる。

 なんとかしよう。

 でも、その前に、今を全力で生きる。今、すべてを言う。


「あなた様の子供を産みたい」


 アルヴィンが目を真ん丸にした。


「私には愛だとか恋だとかがまだよく分からないのだが、私は今、そういう気持ちで、あなた様の無事を祈っている。あなた様の血筋を後世に残したいし、そこに加わりたい。そういうわけで、無事に終わったら、子供を作りたい」


 その場にいる全員が聞いていたが、ユディトの目にはアルヴィンしか映らなかった。


「家族として。一緒に生きていきたいから。生きて戻ってほしい」


 次の時だ。


 アルヴィンの腕が伸びた。

 ユディトの二の腕をつかんだ。

 強い力で引っ張られた。


 顔と顔とが近づいた。

 唇に、唇が、触れた。

 柔らかかった。


 ただその一瞬の触れ合いだったけれど、


「絶対孕ませてやるからな」

「……よ、よろしくお頼み申す」


 兵士の一人が指笛を吹いた。それを聞いてようやくユディトは周りに人がいるのを思い出した。自分はまたとんちんかんな場でとんちんかんなことを言わなかっただろうか。恥ずかしくなってきて頬が熱くなるのを感じたがいまさら撤回はできない。


 ユディトがうつむくと、アルヴィンは体を離して前を向いた。


「めちゃくちゃやる気が出た。行くぞ」


 ロタールとエルマがからっとした声で笑った。




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