第29話 猛将とお姫様 ~解き放たれるバーサーカー~

 ユディト、エルマ、ロタール、そして四人の兵士たちは青いユリの家の裏にいた。


 エルマが勝手口の戸をノックする。


「すみませーん!」


 返事はない。それもそのはず、相手はこの家の本来の所有主ではないのだ。不法占拠した人間が普通に来客応対するわけがない。


 次に、エルマは戸に耳をつけた。


「物音はする。人がいる気配はするね」


 ちらりとユディトの方を見る。


「どうする?」


 ユディトは即答した。


「ぶち破る」


 エルマが親指を立てて「了解!」と笑った。


「ちょっと退いて」


 兵士たちにジェスチャーで下がるよう指示した。

 兵士たちが困惑した表情を浮かべた。ロタールも戸惑った顔で「そういう荒事は僕らがやりましょうか」と言ってきた。

 ユディトもエルマも聞かなかった。三歩下がり、息を合わせ、「せーのっ」で駆け出した。

 二人並んで戸板に勢いよく肩をぶつける。

 金具が外れる音がした。

 戸が内側に向かって倒れた。


 入ってすぐのスペースは、元はおそらく何らかの作業場だったのだろう、床のない、地面の土が剥き出しの部屋だった。


 部屋の奥にヴァンデルンの男が二人立っていた。二人とも剣を構えている。どうやら戸の外に人がいることは分かっていたらしい。


「お前ら、何者だ」


 ユディトは間髪入れずに答えた。


「ヘリオトロープ騎士団の者だ」


 片方が「女王の親衛隊だ!」と叫んだ。


「敵だ! 殺せ!」


 二人が向かってくる。

 ユディトとエルマも腰のレイピアを抜いた。

 刃と刃が重なる。金属音が響く。


 素人の剣技など大したものではない。

 アルヴィンはもっとずっと強かった。


 払い除けた。

 相手がバランスを崩した。

 踏み込んだ。

 顔面、右の眼球に向かって切っ先を突き立てた。


「雑魚が」


 男の骸を投げ捨てた。壁に叩きつける。床に崩れ落ちる。


 同時にエルマも相手を串刺しにしていた。彼女のレイピアが男の胸から背中に突き抜けている。彼女は可愛らしく「よいせ」と掛け声をしながら男の腹を踏むように蹴ってレイピアを抜いた。


 奥の戸が開いた。また新たに二人のヴァンデルンの男が出てきた。

 二人が何かを叫んだ。ヴァンデルンの言葉のようで意味は分からない。だが言葉が通じなくても伝わってくるものはある。

 害意、敵意、そして殺意だ。


 ユディトはレイピアを構えた。

 一歩を大きく踏み込んだ。

 最初に出てきた男の喉を突き破った。


「よくもヒルダ様を」


 二人目の男の胸を裂く。宙に赤い血の花が咲く。


「よくも私の仲間たちを!!」


 奥の戸を抜けるとそこは中庭だった。庭と言ってもやはり作業場のようで、植物も置き物もない。もしかしたらかつては家畜をつないでいたのかもしれない。

 向かって右側に階段がある。そこを焦った顔をした男たちが駆け下りてくる。

 彼らは銃を携えていた。

 ユディトは顔をしかめた。

 銃には確かに上半身がドラゴンで下半身が魚の怪物が彫り込まれていた。


 ホーエンバーデン王国を脅かす者は許さない。


 男たちが銃を構えようとした。

 だが銃は正しく扱わなければ暴発する危険性がある。弾の装填にも時間がかかる。短時間に何発も撃てるものではない。

 男が引き金を引くよりユディトの剣の切っ先が男の体に届く方が速い。

 剣を横に薙ぐと、男の腕が肘の辺りで斬れて飛んだ。赤い噴水が噴き上がった。

 慌てた別の男が発砲したが、相手はまだ銃の扱いに慣れていないと見える。弾はあらぬ方向に飛んでいってユディトにかすりもしなかった。

 切っ先で胸を突いた。


 階段の上から声がした。


「ユディト!!」


 聞き慣れた声だった。何よりも愛しく尊い声だった。美しい天上の調べだった。


「ヒルダ様!!」


 返事が返ってきた。


「わたくしは上です、ここにいま――」


 言葉が途中で切れた。

 ヒルダの身に危険が迫っている。

 ユディトは階段を駆け上がった。


 二階に上がると廊下が前後に伸びていた。戸の数から察するに、前方、おそらく玄関ホールの上に当たる部分に一部屋、後方、先ほどの裏口の作業場の上に当たる部分に二部屋ある。

 後方にある部屋のうち、向かって左の方から激しい物音がした。

 そちらの戸を開けた。


 五平米あるかどうかという狭い部屋に、四人もの人間が詰めていた。

 二人のヴァンデルンの男が、それぞれに人を抱えている。

 一人はヒルダだ。普段はふわふわとして柔らかい髪が乱れて毛先がもつれている。肌が荒れて頬が赤い。泣き腫らしたらしく目元も赤い。

 もう一人はクリスだ。彼女はこのような非常事態にもかかわらず目を閉じていた。ぴくりとも動かない。顔が蒼白く生気がない。


 男の手がヒルダの口をふさいでいる。

 ヒルダの唇に触れている。

 万死に値する。


「動くなよ」


 男が震える声で言う。

 男は左腕でヒルダを抱え、左手でヒルダの口を押さえながら、右手に持った短剣の切っ先をヒルダの喉に突きつけていた。


「動いたらこのガキを殺すからな」


 ヒルダを人質に取られている。

 ユディトはその場で立ち止まった。

 目で距離を測る。ユディトの一歩分よりも遠い。助走もつけられない状況で跳べるとは思えない。

 どうすればヒルダを傷つけずに済むか。最短距離で、最短時間で、最適解はどれか。どうするのが正解か。


 後ろから声が響いた。


「ユディト、伏せて!」


 エルマの声だ。

 すぐさま身を低くした。屈み込み、頭を下げた。

 銃声が響いた。

 弾丸がユディトの頭上を通ってヒルダを抱えている男の額に当たった。

 男が倒れた。


 振り向くと、ロタールが銃を構えていた。


 ロタールの後ろから別の兵士が顔を出した。流れるような動きでその場で膝をつき、正しい姿勢で銃を構えた。

 あっと言う間だった。

 銃弾がまたもやユディトの頭上を通り過ぎてクリスを抱えている男の眉間に当たった。脳髄を撒き散らしながら倒れていく。


 ヒルダとクリスが解放された。


「ユディト」


 ヒルダが両手を伸ばしてきた。

 ユディトは急いで駆け寄った。剣を投げ捨てて同じように両手を伸ばした。

 腕の中に跳び込んでくる。胸で受け止める。

 ヒルダが突然膝を折った。崩れ落ちそうになってしまった。安心して力が抜けたのだろうか。ヒルダの背中を支えて後ろに倒れてしまわないよう気をつけつつ、ユディトもその場に膝をついた。

 大きな泣き声が上がった。


「ユディト! ユディト、ユディト」

「ヒルダ様……!」


 ユディトの背中をつかむヒルダの手が震えている。


「あ、会いたか――怖かっ、怖かったです。会いたかったです……っ」

「申し訳ございません、たいへん遅くなりました。申し訳ございませんでした」

「ユディト、ああ、ユディト……私のユディト……!」


 強く、強く、抱き締める。小さな頭に手を回して、押さえ込むように包み込む。

 柔らかい。温かい。

 生きている。


「絶対、絶対来てくれるって、思っていましたの」


 しゃくりあげつつ、合間合間に吐き出すように言う。


「ユディトが来てくれるって。ユディトが助けに来てくれるって……!」


 ユディトの肩に顔をこすりつける。その動作でさえ愛しくて、ユディトも泣きそうになった。

 自分がヒルダの希望になれたのだと思うと嬉しくて、幸せで、生きていてよかったと思えるほどで、


「ありがとうございます」


 その言葉しか出てこなかった。


「ありがとうございます……」


 そんなユディトの頭を、エルマが後ろから押さえた。


「ちょいとごめんよ」


 邪魔をされた気分になって、少しむっとしながら「何だ」と応じた。

 エルマはそんなユディトに構わず前に進んでいった。


 ユディトは蒼ざめた。

 床にクリスが転がっている。


「クリスを回収してやらなきゃあ」


 この騒ぎの中でも彼女は一回も目覚めなかった。普段は誰よりも気丈で冷静で職務に忠実な彼女が、と思うと胸の奥が冷えた。


「よっこらせ」


 エルマがクリスを抱え起こした。


「お疲れ様。もう大丈夫だよ。向こうでゆっくり休んでね」


 間に合わなかったか。


 そう思ったが――


「……まるで私が死んだかのような言い方をしないでください……」


 ゆっくりまぶたが持ち上がり、アイスブルーの瞳が覗いた。

 ほっと胸を撫で下ろした。

 エルマが「なーんだ、まだ生きてたの!」とすっとんきょうな声を上げた。クリスが今にも消え入りそうなかすれ声で「不服ですか」と呟く。


「エルマ、あなたに、言わなければならないことが……」

「何さ」

「ヘリオトロープの騎士は、死んではいけませんよ」


 胸の奥がぎゅっとつかまれた。


「絶対に。絶対に、生きて、ヒルダ様を安心させなければならないので。生きることが、第一の職務ですよ。ヒルダ様の許しなしに、命を振り絞ってはいけません」


 エルマがクリスを抱き締めて「ごめんごめん」と笑った。


 突如銃声が響いた。一発や二発ではなかった。音の発信源は中庭の向こう側一階、玄関ホールの辺りだ。


「向こうも盛り上がっているようですね」


 言いつつ、ロタールも部屋に入ってくる。


「南方師団の兵士たちが踏み込んだんでしょう。もうすぐ片がつきますよ」


 ヒルダが体を起こした。


「そうだ、アルヴィン兄様が――!」


 兵士たちも入ってきた。彼らはまっすぐクリスの方に向かった。「師団の軍医を呼んでありますので」と言いながら二人がかりでクリスの体を抱え上げた。


 銃を携えたままロタールが言う。


「僕はアルヴィン様の様子を見に行きます。皆さんはどうします?」


 ヒルダが「行きます!」と即答した。ユディトは胸を撫で下ろした。ユディトもアルヴィンの様子を見に行きたかったが、最優先にすべきは弱っている主君の手当てだ。その主君本人が行くと言ってくれたことに助けられる。彼女を守るというていで一緒にアルヴィンのもとへ駆けつけられる。


「では、みんなで参りましょうか」


 ロタールが部屋を出た。ユディトとヒルダはその後に続いた。




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