第5話 理性的で、道徳的で、常識的な、あるべき形の、祝福された


「どういうことでございますか!?」


 母ヘルミーネの寝室に押し入ってまず、ヒルダはそう怒鳴るように問い掛けた。


 ヘルミーネは窓辺の椅子に座っていた。喪服の黒いドレスだが寝間着ではない。侍女が彼女の髪を整えようとしている。とりあえず最低限のことをして人前に出る気にはなったようだ。


 ユディトの胸は痛んだ。

 ヘルミーネの肌はくすんでくたびれていた。口元にはくっきりと法令線が刻まれている。目元には濃い隈と小じわがある。

 彼女ももう四十を過ぎた中年の女性だ。しかも日夜の政務と十回の出産で疲れ果てている。先日までの気丈で美しく若々しい彼女はたゆまぬ努力で作り上げてきたものであって当然のものではない。しかも、ルパートという杭を抜かれてバランスを崩してしまった。

 痛々しい。


 しかし娘のヒルダはまったくひるまなかった。淑女らしからぬ大股で母に歩み寄り、「とんでもないことを」と怒鳴った。


 ユディトとアルヴィンはヒルダの後ろを黙ってついてきていた。一応当事者なのでヒルダについてくるようにと言われていたのもある。同時に、ヒルダのあまりの怒りように何かあったら彼女を止めねばならないと思っているからでもある。

 野次馬たちは解散した。ユディト側はエルマとクリス、アルヴィン側も二人の近侍がついてきたが、その四人は外野として扉の外で待機だ。


「ヒルダ? どうしたのですか」

「とぼけないでください! お母様ったら、なんと惨いことを!」


 ヘルミーネが力なく視線を動かした。ヒルダの後ろにユディトとアルヴィンが立っている。その二人を順番に見た。そして、「ああ」と息を吐き、自分の額を押さえた。


「あなたたち、ヒルダに事情を話したのですか」


 クリス経由でヒルダに伝わったのち詳細を白状させられたのだが、そういう言い訳を女王の前でするのは見苦しい。ユディトはあえて説明を省いて「はい、申し訳ございません」と答えた。


「いいえ、謝る必要はありません。遠からず知られることではありましたし、もともと口止めをする気はありませんでしたよ」


 言われてみればそうだ。ヘルミーネはひとに話すなと言ったわけではなかった。ユディトが勝手に密命を帯びた気になっていただけだ。

 なぜそんな勘違いをしたのだろう。

 やはり、子供を産むということが、王家にとんでもない動乱をもたらす、という認識があったからではないか。密かに産んで、黙って子供を献上する、と思っていたからではないか。


「どう説明したのですか。この子は何をこんなに怒り狂っているのです」


 冷静に問われて、ユディトとアルヴィンが顔を見合わせてしまった。


「それが……、陛下が、子供を産むようにおっしゃられた、と。王家のために――アルヴィン様の御子を産めば陛下が孫として引き取って王位継承者としてお育てになる、と」

「それだけですか」


 するとアルヴィンが口を開いた。


「あんたが俺を種馬にしてこいつを子を産む道具にしようとしたから問題になったんじゃないか」


 あまりの物言いにユディトは頭が沸騰しそうになったが、ヘルミーネがなおも冷静だったので堪えた。


「まあ。それはそれは、大問題ですね。そういう解釈をしていたなら、私はさぞかし冷酷な暗愚の王に思われたことでしょう」


 何か思い違いがあったのだ。


「あなたという子は、ひとの話を聞かない、お馬鹿さん」


 ユディトはおそるおそる問い掛けた。


「では、陛下はどのようなおつもりで? やはりお戯れだったのですか?」

「いえ、私は真剣でしたよ。でなければこのように、あなたたちの人生を変えてしまうような命令など、下しますか。あなたたちにとっても良い話だと思ったからこそ言いました。それがそう受け取られたということは、私は私があなたたちにとって恐ろしい女王であったと思わねばなりませんね」


 彼女を傷つけてしまっただろうか。ユディトは慌てて「さようなこと!」と否定しようとしたが、口下手なユディトでは次の言葉が出てこない。


「あら。ではお母様はどのようなおつもりでしたの?」


 ヒルダはあっと言う間に本来の落ち着いた顔を取り戻して母に問い掛けた。

 ヘルミーネが答えた。


「アルヴィンとユディトに子供を作らせようとしたのは本当です」


 女王もあくまで冷静だ。


「王家のために男児が必要であることには間違いありません。しかし私はもう四十、夫も亡くなって、今から再婚というわけにはいきませんから、次の世代のことと考えて若者に未来を託そうと思ったのです」

「ですが、それではやはりユディトを産む道具にして――」

「そうなったらユディトは次期国王の母ですよ。国母です」


 言われてから気づいた。


「ユディトほど私やヒルダに尽くしてくれる女性はいません。その働きに報いるだけの地位を与えましょう。ユディトであれば政治的におかしな発言をして国内を混乱させるということもありません。私はユディトこそと思っているのです」


 ヒルダが押し黙った。


「アルヴィンも。あなたが王位継承権を放棄してしまったから。せめてあなたには次の王の父親として政治に携わってほしいと思ったのです。あなたの子が、私の跡を継ぐのですよ。それが母としてあなたに与えられる最高のプレゼントだと考えてのことです」


 少ししてから、アルヴィンが口を開いた。


「俺の子供が王位を継ぐなんて国の誰も認めないだろ。だって俺は――」

「何度言わせるのですか」


 ヘルミーネは毅然とした態度で言い切った。


「他の誰が何と言おうとも、あなたは私の子です。あなたは王家の一員、王家のために結婚し子を為す務めがあります。それが義務であり、権利です」


 アルヴィンもユディトも、押し黙った。


「確かに申し訳なさもあります。二人の寝室に踏み込んで、子を為せ、とは、少し失礼ですね。しかしそれが王族というもの」


 彼女は「それに」と続けた。


「結婚とは親が決めるものですよ。アルヴィンの母である私と、ユディトの父であるシュテルンバッハ卿が話し合って、決めたことです。これは理性的で、道徳的で、常識的な、あるべき形の、祝福された取り決めなのですよ」


 ユディトは驚愕した。いつの間に父まで根回しされていたのだろう。それでは本当に逃げられないではないか。

 そこまで思ってから、自分はどこかで逃げたいと思っていたのだろうか、と自問自答した。

 ヒルダの耳に入ったからには、ヒルダが止めてくれるかもしれない、と思っていたのかもしれない。

 本当は、本当のところは、本音は――自分で自分が分からなくなる。


「結婚?」


 アルヴィンが久しぶりに口を開いた。


「ちょっと待て、今、結婚って言ったか?」


 ヘルミーネが「はい」と答えた。


「俺……、結婚するのか?」


 今度こそヘルミーネが驚いた顔で「ええ」と言った。


「何を言っているのですか! すべて結婚した上での話です!」


 合点がいったらしく、ヒルダが「そうだったのですか!」と手を叩いた。


「そうならそうだと早くおおせになられませ! わたくし、てっきりユディトとアルヴィン兄様にからだの関係だけ持たせて庶子を作らせようとしているのだと思ってしまいましたわ!」

「なんて恐ろしいこと! そのような馬鹿げたことがありますか!」


 ヘルミーネが立ち上がった。


「あなたたちは婚約したのです」


 女王も女性のわりには背が高いとはいえ、ユディトとアルヴィンの方がずっと大柄のはずだ。だが、この時ばかりは、女王が自分たちの倍以上大きいように感じられた。すさまじい威圧感だ。


 ヒルダは納得したらしく、「それなら仕方がありませんわね」と頷いた。


「子を産むのは王族男性の妻の務めですよ。ユディト、励みなさい」


 ユディトの中で、雷鳴が轟いた。


 アルヴィンもついていけていないようだ。「おいおい」と意味もなく手を振りながらもう一歩分ヘルミーネに近づいた。


「どうしてそういうことを俺の意思を無視して勝手に決めるんだ」


 ヘルミーネが目を細めて、「そうでもしなければ結婚しないでしょうが」と口を尖らせる。


「そういうことをするからルパートは出ていったんだろう!?」

「ルパートは結婚に向いた性格ではないので無理強いして可哀想なことをしたと思います。私はもっと子の性格を考慮して話を進めねばならないと思いました。で、熟考した結果、あなたこそむりやりにでも結婚させるべき子だと判断したのです」


 唖然としているアルヴィンに、ヒルダが「そうですわね! お母様の言うとおり!」と手を叩く。


「私はアルヴィンにはユディトがもっともふさわしい花嫁であると思ったのですが、ヒルダ、どう思われますか?」


 ヒルダは明るい声で答えた。


「わたくしもそう思います!」


 ――こうして、アルヴィンとユディトの婚約はユディトの主君たちにより強引にまとめられたのであった。



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