第33話 ありのままの自分を愛してくれるひとと永遠を誓う

 ホーエンバーデンでは、結婚式の朝、花嫁は住み慣れた生家で支度をする。実家を出て教会に向かい、教会からは花婿と暮らす新居に行くので、実家には、もう、戻らない。今までの家族と、そして少女時代と別れを告げ、父親に連れられて花婿が待つ教会へ赴く。


 ユディトも例外ではなく、この日の朝は王都の郊外にある実家にいた。


 母親や侍女たちに手伝われて着替えをし、化粧を施された。ヘリオトロープの甘い香りのする香水を降りかけられ、ヘリオトロープの花を模した造花を髪に飾った。

 最後に母が持たせてくれたブーケは、白いバラとピンクのカーネーションを紫のヘリオトロープが囲む、清楚だが可愛らしい花束だった。


「本当にこれでいいのですか」


 家を出る直前、母がそう問い掛けた。


「お前のためならば、私たちは何でも用意しましたよ。一生で一番華やかな日です。誰もがお前を祝福する日です。お前が主役の日です。それでも、お前は本当にこれでいいと思っているのですね」


 ユディトは笑って「ああ」と即答した。


「アルヴィン様は、一番自分らしいと思う姿で来るようにとおっしゃってくださった」


 そう言うと、母は笑みを作った。


「そうですね。ありのままのお前を愛していただきなさい」


 彼女はそれ以上何も言わなかった。


「では、参るか、ユディトよ」


 父がそう言ってユディトを導いた。ユディトは今日まで慈しんでくれた屋敷に軽く会釈をしてから馬車に乗り込んだ。






「ああ、わたくしが緊張してまいりました」


 長いバターブロンドの髪を結い上げ、とびきりお気に入りのドレスを着たヒルダが、自らの胸を押さえながら言う。

 今日の彼女は、胸元を隠す襟、袖はなく二の腕まで隠すロンググローブをはめ、バッスルスタイルのドレスを着ていた。ピンクを基調として白とクリーム色を用いた少女らしい色合いだ。髪からは腰に届くほど長いピンク色のリボンが垂れており、彼女の可憐さを際立たせていた。


「あたしもですよ。あいつはここぞという時にヘマをやらかす人間ですからね。何事もなく終わりゃあいいけど」


 ヒルダの隣に座るエルマは真っ赤なドレスを纏っていた。胸元の大きく開いたデザインで、豊満な胸の谷間が覗いている。一応上に白い毛皮のショールを羽織っているが、大胆な色香をすべて覆い隠すつもりはないらしい。

 先ほどから新郎側の席にいる若い将校たちが「エルマちゃーん」と手を振るのに愛想よく手を振り返していた。


「別に構わないではありませんか。何せ今日は彼女の日なのですから。これが他の者の式でしたら問題ですが、自分の式で恥をかくならそれはそれで彼女らしいということです」


 ヒルダの、エルマとは反対の隣で、クリスが淡々とそう言う。

 彼女のドレスはエルマとは真逆で、深い紺色を基調としていて、襟が高く首元まで隠れていた。銀の髪はひとつにまとめ、白い羽根のついた紺色の帽子をかぶっている。清楚で凛としており、落ち着いていて実年齢より少し年上に見える。


 クリスが王都に帰ってきたのは数日前のことだ。事件の直後から二ヶ月ほどはリヒテンゼーで療養生活をしていたが、持ち前の根性と体力で調子を整え、当たり前のような顔をして騎士団に戻ってきた。

 ヒルダは事件前と変わらぬ様子のクリスを見てわんわん声を上げて泣いた。だが、クリスはまったく動じない。にこりとも笑わずに泣き喚くヒルダを見つめていた。それでこそ氷の女王クリスティーネ・フォン・ローテンフェルトだと、誰もが感心した。

 ただ、彼女がこのタイミングを選んだのは親友の結婚式に間に合わせるためだ、という話が出て、一同は彼女にも温かな情があることを感じて微笑ましく思うのだった。


 新婦側の席では、ヘリオトロープ騎士団の女たちがいつになく着飾って談笑している。新郎側の席には士官学校出の若い将校たちが詰めていて、「あんな美人いたっけ!?」「誰が誰かぜんぜん分からん!」と騒いでいた。


 新郎新婦の同僚たちだけではない。王家の親族、伯爵家の親族、軍の高官から宰相を筆頭とする官僚たち、両家の使用人まで、大勢の人が大聖堂の中を埋め尽くしている。端の方や大聖堂の外には一般市民も控えている。

 誰もがこのき日を祝福して明るく楽しく笑っている。


 大聖堂の鐘が鳴った。


 パイプオルガンの荘厳な音楽が流れてきた。階段を駆け上がり天上に昇るような美しい調べは、ヒルダが愛する伝統的な教会音楽だ。

 人々が静まり返った。

 神父が祭壇に上がった。


 大聖堂の扉が開けられた。


 まず、入ってきたのはアルヴィンだった。 

 彼は軍の礼装を身に纏っていた。黒を基調とする詰襟に金のサッシュと飾り緒、宝石で彩られた式典用のサーベル、白い手袋だ。黒い髪は撫でつけている。表情は穏やかで晴れやかだった。


 彼は中央に敷かれた赤いカーペットのヴァージンロードの上を歩いて祭壇正面に向かった。そして、新郎側の席の最前列に座る人間に軽く頭を下げた。女王ヘルミーネだ。

 女王はそれまでは凛々しい表情をしていた。ともすれば冷たいくらいの落ち着いた様子だった。だがそんなアルヴィンを見て、彼女は口元を押さえ、うつむいた。


 女王の後ろの列には乳母一家が座っている。アルヴィンの乳母でありロタールの母親であるふくよかな初老の女性がおいおいと泣いていた。その隣で、ロタールも珍しく唇を引き結んでアルヴィンを見つめていた。アルヴィンはちょっと笑って手を振った。


 祭壇の前に立つ。


 次は新婦の入場だ。


 大聖堂の出入り口に、二人分の人影が立った。


 一人はユディトの父親であるシュテルンバッハ卿だ。彼も軍の礼装を身につけており、将軍らしく胸にいくつもの勲章をつけていた。表情は戦争に赴く気なのではないかと思うほど硬い。我が子の結婚式は初めてなのだ、緊張しているに違いない。


 もう一人はユディトだ。


 大聖堂の中にざわめきが広がった。


 ユディトがウエディングドレスではなかったからだ。


 白い立て襟のシャツの下、同じく白いトラウザーズ。シャツの上に黒いベスト。濃い紫のジャケットを羽織って、金のボタンで前を留めている。最後に薄紫の裏地のついた白いマント。

 軍服――ヘリオトロープ騎士団の制服だ。




 今日、自分は嫁ぐ。

 騎士としてのありのままの自分を愛してくれるひとのもとに嫁ぐ。


 ふわふわしたドレスなんかいらない。

 一番自分らしいと思う自分のまま、自分は、結婚する。

 この身に纏うのは真実の愛と忠誠心だけでいい。


 恐れるものは何もない。




 祭壇に向かって歩いていく。赤いカーペットを踏み締めていく。

 高いステンドグラスから光が差し入っている。その光は美しく、神々しく、荘厳で、こここそが天国なのではないかと思わせられた。

 大勢の人たちに見守られている。思いのほか皆穏やかな表情だ。安心している様子さえ見受けられた。誰もがユディトにいつものユディトであることを望んでくれている――そう思うと、世界は優しくて、温かくて、心地よいところだった。


 父が立ち止まった。

 父から離れた。

 最後に、彼はユディトに向かって「幸せになるんだぞ」と囁いた。ユディトは「はい」と微笑んで返した。


 アルヴィンの隣に立つ。


 アルヴィンも穏やかに笑っていた。ユディトを見つめて、満足げに頷いていた。


「似合っている」


 そう言ってくれたのが何よりも嬉しかった。


 神父が「よろしいかな」と言った。彼もまた優しく微笑んでいて、ユディトは、祝福されているのを感じた。


 世界のすべてに感謝したい。



「新郎アルヴィン・フォン・フューレンホフ」

「はい」

「あなたは、ここにいるユディト・マリオン・フォン・シュテルンバッハを、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」


「新婦ユディト・マリオン・フォン・シュテルンバッハ」

「はい」

「あなたは、ここにいるアルヴィン・フォン・フューレンホフを、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」



 何もためらうことはなかった。



 誓いの口づけをする時だけはほんの少し恥ずかしかったが、ユディトはたまには頑張ろうと思い、自分から率先してアルヴィンに身を寄せて口づけをした。





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