第7話 親が盛り上がっちゃってるよ……

 リヒテンゼー伯アーダルベルト・フォン・シュテルンバッハは愛妻アントニアとの間に四人の子宝を授かった。二十二歳の長女を筆頭に、十九歳の長男、十六歳の次男、そして十三歳の末娘の次女、という、男の子二人女の子二人の理想的な家族構成である。


 四人の子供はいずれも健康で大きな病気はすることなく育った。敬虔な夫婦は、四人が四人とも無事に成長したことを神に感謝し、教会にそこそこの額の献金を行なった。


 夫婦が熱心なのは信仰だけではない。

 シュテルンバッハ家は先祖代々武人の家系である。キリスト教がこの地に伝来した時代から馬上で戦ってきた。今の王家が興ってからも、かれこれ二百年ほど、王に軍人としてよく仕え重んじられている。

 その伝統を受け継がせるため、二人は子供たちにあらゆる武術を学ばせてきた。特に次期当主の長男とその補佐たる次男を厳しく教育したが、娘たちにも剣を持たせ、馬に乗らせ、夫が留守の時には家を守るため女だてらに戦いなさいと教え込んできた。


 夫婦の願ったとおり、長男は王国軍士官学校へ、次男も士官幼年学校へ上がった。

 そして幸か不幸か長女も、ヘリオトロープ騎士団に所属する第三王女護衛官筆頭として、弟たちより、下手したら父親よりも武の道で名を馳せてしまった。


 何せあのヘリオトロープ騎士団だ。王女を直接護衛するという名誉な務めではあるが、嫁には行けないだろう。

 そう思っていたところに、予期していなかった縁談が舞い込んできた。


「良き妻、良き母として、立派に励むのだぞ……っ」


 父の言葉が最後涙で滲んだ。年のわりには筋骨隆々としてなかなか衰えない体躯に整えられた立派な口髭の、武骨な大男の父が、である。戦場では軍神のごとく、東国の敵軍兵士や南方の蛮族をばったばったと薙ぎ倒し、国で一番と言っても過言ではないと謳われた軍人の、父が、である。


「あのユディトが嫁に行くとは……剣術の師の息子をぼこぼこに叩きのめし、弟たちや従兄弟たちを腕力で黙らせてきたあのユディトが……! この子はもともと男として生まれついたものと自分に言い聞かせて今日までやってきたが、わしの早とちりであったようだ……」


 その隣で、母は父より激しくむせび泣いていた。ユディトと同じ亜麻色の髪をきっちりとまとめ上げ、貴婦人らしく完璧な化粧を施していたというのに、もはや何もかもぐちゃぐちゃだ。


「騎士団に入ると決めた日、私たちが止めるのも聞かずに長く美しかった髪をばっさりと切り落とした時のことが、昨日のことのように思い出されますよ。あの時私たちはお前は僧兵に――いえ、修道女になったものと思っていろんなことを諦めました。それこそ、女として産んでしまったことを詫びねばならないと、男として産んであげられなかったことを申し訳ないと思っておりましたが、女の子で本当によかった……」


 酷い言われようだ。


 食卓を挟んで向かい側、両親を眺めているユディトは、複雑な心境だった。


「いえ、まだ嫁に行くことを正式に承諾したわけでは――」

「案ずるな、婚礼道具はすべてわしらで揃えようぞ。このリヒテンゼー伯爵家の威信をかけて、世界中から王家に見劣りせぬ品々を集めてやる」

「お前のためにウエディングドレスを発注する日が来ようとは……! 舞踏会用のドレスすら要らなかったお前のために、一足飛びでウエディングドレスを……!」

「だから、父上、母上。私の話を聞いていただきたい」

「初孫がお前の子供になろうとはな。洗礼は三度執り行なうぞ、大聖堂、王家の教会、リヒテンゼー聖母教会だ」

「お前たちが使っていた揺りかごはまだありますよ。息子の嫁にやろうと思っていましたが先に結婚するお前に授けます」


 両親にとって結婚は確定事項らしい。もう孫までできた気でいる。


 ユディトは溜息をついた。


 実のところ、ユディトは冷静になってしまっていた。あの時は勢いと忠誠心から子供を産むなどと豪語してしまったが、我に返って、撤回したくなったのである。

 ユディトは永遠に結婚する気などなかった。一生涯ヘリオトロープの騎士として戦う気でいた。お嫁さんになりお母さんになるという甘ちょろいことに興味はなかったし、もっと言えば恐怖さえ感じていた。自分が自分でなくなる感覚だ。


 ウエディングドレスを着るところを想像した。

 化粧をするのだろうか――顔に何か塗るというのが気持ち悪い。デコルテを出したドレスを身に纏うのだろうか――肩も腕も並みの男よりたくましい自分の体で、か。結い上げるために髪を伸ばすのだろうか――鬱陶しいことこの上ない。

 自分は戦うことに最適化された人間だ。

 絶望的なくらい、花嫁が向いていない。


 挙句の果てに――子供を作るということは、男と同衾する、ということである。

 どんなふうに触れられるのだろう。

 鳥肌が立つ。


「この縁談、すぐにお受けになられたのか」


 問い掛けると、父は「もちろんだ」と即答した。


「心配は無用だ」

「父上と母上こそ心配なさらなかったのか」

「何をだ」

「私がちゃんと妻として母として振る舞えるか、とか……」


 両親とも一瞬黙った。その沈黙が何よりもの肯定だ。


「女は健康が一番だ。ばんばん子を産まねばならないからな。お国のためだ、産めよ殖やせよ」

「私には健康であることしか取り柄がないかのようなおっしゃりようだな」

「これからいくらでも勉強できますよ、お前は素直な子ですから、努力すれば何とか取り繕えましょう」

「取り繕うという言い方がまた胸にくるものがある……」


 母が少し不安げな顔をして、「お前は自信がないのですか」と問うてくる。


「アルヴィン殿下がお前をと望まれたのでしょう。胸を張ってお受けしなさい」


 想像以上に話がねじ曲がっていた。


「お決めになったのは女王陛下だ。私もアルヴィン様もまったく考えていなかった。まったく、微塵も、これっぽちも」


 両親が揃って目を丸くして「なんと!」と声を漏らした。


「では、なぜお前が? わしらはすっかりアルヴィン殿下に見初められたものとばかり思っておった、何かすごい、気まぐれか、あやまちがあったのだと。ヘリオトロープの騎士には美しくて気立てのいいおなごはいないのか?」

「父上、それはありとあらゆる方向に失礼だぞ」


 溜息をついて「私が聞きたい」と呟く。


「知らないのですか」

「そう。私は、知らない」

「おお……なんということ……」


 母がまた目元の涙を拭った。今度の涙は先ほどの嬉し涙とは違う種類のもののようだ。


「はっきり言って、父上から陛下に申し上げていただきたいのだ。この縁談をなかったものにしてほしい、と」


 父も悲しそうな顔をした。そんな表情を見てしまうと胸が痛む。しかしここでひるんでは今日実家に帰ってきた意味がない。


「私は生涯ヒルダ様をお守りするために生きる、嫁に行って家庭に入って子育てに追われる人生は送りたくない。だが陛下にそう奏上しても縁談とは親がまとめるものとおっしゃって頑としてお譲りいただけない。そこで父上に頼みにまいったのだ」


 両親が顔を見合わせた。母は力なくはらはらと涙を流している。父は眉間にしわを寄せて渋い顔をしている。


 ユディトも悲しかった。


 両親とも、ユディトがヘリオトロープの騎士として活躍していることを誇りに思ってくれていると思っていた。ヒルダに一身に仕え、彼女を守り、戦う自分を、由緒正しい騎士の家系の娘としてふさわしい姿である、と認めてくれているものだと思っていたのだ。だから、いまさら、実は結婚してほしかった、と言われるのがつらい。騎士として生きてきた自分の数年間が否定されたように感じてしまう。


 同時に、自分が真の意味では両親を満足させられない娘であると思わせられる。自分は両親に大事にされて育った。武術の稽古や礼儀作法には厳しいところもあったが、二人が愛情深く接してくれていることは分かっていた。その両親の望みである、結婚して孫を見せる、という行動を取れない自分が悔しい。


 ややして、父が、厳格で勇壮な騎士らしい、引き締まった表情に低い声で言った。


「お受けしろ、ユディト」


 真剣で重々しい話になったことを察して、背筋を正した。


「家臣の身で女王陛下のご真意を測るようなことがあってはならん。陛下がそうお決めになられたのであれば黙ってお受けするのだ。ましてお前はヘリオトロープ騎士団に加入する際心身を王家に捧げると誓った身。つべこべ言わずに剣を捨てて赤子の肌着を縫え、お仕えする形式が少し変わっただけのことと思え」


 軽く首を垂れ、黙って父の言葉を聞く。


「我が家にとっても良い話ぞ。シュテルンバッハ家から王族を輩出する。万が一のことがあれば次の王の母になるやもしれぬ。武功ではないがそれもまた家を盛り立てるひとつの道。むしろ我が家の格を上げることにつながるのだ」


 今度こそ、逆らうようなことは言えなかった。


「まこと、父上のおっしゃるとおり……」


「――厳しいことを言ったが」


 父の声が少し柔らかくなったので、顔を上げる。


「それがおなごの幸せぞ、ユディト。温かい家庭こそ何よりだ」

「父上……」

「アルヴィン殿下は真面目で責任感の強いお方だ。何より剣の腕が立つ。武人たるものああであってほしいと思うような、息子たちにも見習ってほしいと思うような男だ。これ以上の贅沢はあるまい」


 それは、ユディトも知っている。口は悪いしどこか斜に構えたところはあるが、悪い奴ではないだろう。それに実際に剣を合わせて彼の強さを実感した。あの男の腕は本物だ。力だけだったら押し負けていたかもしれない。

 自分より強い男なら屈して抱かれるのか、と思うと色気がないが、他に何の基準があるかと問われると思いつかないのがユディトだ。


「とにかく、どう転んでもいいように支度しましょう」


 母がわざと明るい声を出す。


「社交の場に主役として出ても恥ずかしくない淑女として鍛え直さねば。この母が妻とは何たるものかお前に教えます。たとえ今回の件が破談になっても無駄なことではないと思いますよ。ヒルダ姫にしばらく里下がりさせていただくよう願い出なさい」


 ユディトは力なく頷いた。


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