8-2

 事務所に崇が飛び込んできた。その勢いに驚いた宗男は、飲んでいたコーヒーを鼻と口から噴き出した。ぶぼぼぼぼーーっ! それを顔で、まともに受け止めてしまった恭子が宗男に飛びかかると、うつ伏せになった宗男の上に馬乗りになって、その腕を捩じ上げた。

 「何してくれてんのよ、宗男っ! おニューの服が台無しじゃないっ!」

 「イテテテテ・・・ ごめんなさい、恭子ちゃん。許して下さい」

 「許すかぁーーーっ!」

 恭子が更に体重をかけて捩じくれた腕を、宗男がタップした。

 「ギブギブ! ギブです恭子ちゃん!」

 そのじゃれ合いのせいで勢いを削がれた崇は、「ふぅ~」とため息をつくと、キッチンに行って自分のカップにコーヒーを注いだ。ギブアップの態勢のまま宗男が聞いた。

 「どうでしたか、崇くん?」

 「うん、調べて来たよ。結論から言うと、アイツまともな奴じゃないね」

 「まともじゃないって、どういう意味よ?」恭子の腕に思わず力が入り、宗男は悲鳴を上げた。

 「イタイ、いたい、痛い・・・」

 苦悶する宗男を無視し、崇は報告を始めた。

 「名前は南川道夫、早教大学の3回生」

 「へぇ~、早教かぁ。頭いいんだね」恭子はやっと宗男の腕を開放し、その背中から降りた。

 「まあね。でもアイツの問題は、そのサークルに有るんだ」

 「サークルですか?」宗男はビリビリと痺れる腕を、グルグルと回しながら聞いた。

 「そう。早教の学生の振りして入り込んで、キャンパス内で色々聞きまわったんだけど・・・ アイツが所属してるのは『ウルトラ・フリーダム』ってサークルらしいんだ」

 「ウルトラ・フリーダム? 随分とベタな名前だね。幼稚な感じ」

 「うん。でも、慶政大とか上治大の連中も参加してる大規模なサークルなんだよ。表向きは楽しく愉快な学園生活をエンジョイしましょってノリで、色んなアクティビティやらコンパやらを企画してるんだ」

 「へぇ~、楽しそうじゃん。私も学生時代に戻りたいわ~」

 呑気に言う恭子をよそに、宗男が疑問を投げかけた。

 「今、表向きは・・・・と言いましたよね?」

 「そう、表向きは。奴らの本当の狙いは女子大生で、コンパで泥酔させてっちまおうって腹なんだ。その為だけに、あんなに大規模なサークルを運営してるのさ、あの男は」

 「何よ、それ? 強姦サークルってこと?」

 「簡単に言うとその通り。構内の学生に聞いたところ、まぁ良い話は出て来ないね。酷い時には複数の女の子を、何十人もの男たちで輪姦することも有るらしいよ」

 「酷い話ですねぇ」さすがの宗男も眉間に皺が寄る。

 「酷いってレベルじゃないでしょ! ただの犯罪じゃん! どうして警察沙汰にならないのさ!?」

 「しっかりと写真とか撮って、それをネタに被害者を泣き寝入りに追い込むんだ。『お前の大股おっ開いた写真、ばら撒いてもいいのか?』って。だからあれだけ派手に活動してても、被害者が誰も名乗り出ないって寸法さ。でもその実態は皆が知ってるから、チョッと突けばボロボロと話が出てくる。話を聞いた男子学生の一人なんか、自分の彼女が避妊用具も使わず輪姦されて、それでも彼女の要望で口をつぐんでるんだって怒りに震えてたよ」

 いつの間にか、その震えは恭子にも伝染していた。そして吐き捨てるように言った。

 「早教とか、エリートとかいう前に、人間の屑だよっ。みんな知ってるなら、なんでそんな罠にはまるのよ?」

 「その為の複数大学共同サークルなんですかね。他校の学生なら面は割れてないし、新入生もいいカモってことでしょうか」

 その宗男の言葉を最後に、三人は黙りこくってしまった。そんな奴が『楽しく愉快な学園生活をエンジョイ』してるなんて許されることではないが、MKエアサービスは正義の味方ではない。宗男たちに求められているのは、悪党に鉄槌を下すことではなく、結花を守ることなのだ。宗男は努めて明るく言った。

 「増田さんから連絡が有りましてね、来週火曜には例のマイク付きドローンの試作機が出来上がるそうなんです。モノが来たら崇くんには早速、制御プログラムの実装と試運転をお願いして、週末にはもう一度、結花ちゃんの所に行きましょう」

 「ちょっと待ってよ、兄さん。俺が集めてきた情報だけで、もう十分なんじゃないの? それを熊林のオッサンに所に持って行けば、ミッション・コンプリートっしょ?」

 宗男と恭子は顔を見合わせた。今日、恭子が熊林事務所で交わした会話の内容は、まだ宗男にしか伝わっていない。崇が承知している熊林からの依頼内容とは、結花の周辺を洗い、あの男の素性を明らかにするために必要な情報を集めればよい、という内容だったはずだ。それなら、崇の調査結果だけでも充分である。

 恭子は少し姿勢を正すと崇に正対して、熊林との会話をかいつまみ始めた。孫娘との間に横たわる残酷なまでに深い亀裂を前に、成す術の無い祖父の想いを知った崇は、「それはMKエアサービスの業務範疇を逸脱してると思うけど・・・」と言った。

 「まっ、いいっか。姉ちゃんも世話になったことだし」


 試作品のドローンが届くまでの間に、崇は音声データ取得プログラムの開発を急いだ。その一方で、宗男は警視庁の西村の元へと足を向ける。あの南川という男を何とかせねばならないわけだが、そこまでの実力行使となると、警察か反社会的組織、つまりヤクザに頼むしかない。だが、結花の素性を考えれば自ずと選択肢は限られてしまうだろう。

 例によって夏の高原から連れてきたかのような、湿度の低い乾いた涼風を纏って西村が現れた。相変わらずのスマート刑事・・・・・・振りである。その姿に惚れ惚れする宗男であったが、あまり時間が無いことを思い出し、礼儀的な挨拶抜きで切り出した。

 「西村さんっ! 折り入ってお願いが有るのですが!」

 その切羽詰まった様子を見た西村も、余計な挨拶を省いた。そういった臨機応変さこそが、優秀な人間の証なのかもしれない。

 「ほぅ、宮川さんからのお願いとあれば、聞かないわけにはいきませんね。いったいどういったお話いでしょうか?」

 「はい。私の知り合いの女性が、タチの悪い男に騙されておりまして」

 「その女性を保護しろと?」

 「いえ」

 「では、男の方を何とかして欲しいと?」

 「はい。そういうことになります」

 西村は無表情に宗男を見ている。その頭の中では、「このオッサン、また変なことに首突っ込んでるな」という思いが渦巻いているのかもしれなかったが、宗男はそんなことに構っている暇は無い。何とかして西村に動いて貰う必要が有るのだから。宗男が次の言葉を続けようとした時、西村が先に口を開いた。

 「その被害女性というのは・・・」

 今のところ西村は、好意的に話を聞いてくれているようだ。宗男は胸を撫で下ろした。

 「はい、横浜の女子大に通う熊林結花という女の子です」

 「熊林・・・ 男の方の素性は判っているのですか?」

 「はい、南川道夫、早教大の3回生です。ウルトラ・フリーダムという怪しいサークルに所属しています」

 「怪しいサークル? その男は犯罪者なのですか? そのサークルが犯罪に関与していると?」

 「いえ、少なくとも私共は犯罪を目にしたわけではありませんが・・・ 周辺の聞き込みからは、サークルで組織ぐるみの犯罪が行われていて、その男の関与は確定的だと思われます。要はその知人女性が、男の毒牙にかかる前に救い出したいということなんです」

 西村は腕組みをした。しかしその姿すらシュッとしたもので、鬱陶しいオヤジがウンウン唸りながらする腕組みとは、根本的に何かが違っている。宗男のつたない説明の裏に埋もれているであろう、様々な真実やら可能性やらをピースとした、難解極まりないジグソーパズルを猛スピードで組み上げているに違いない。宗男は西村の脳内CPUが演算を終えるのを待つより他に無かった。

 「まず、そのお話を受けるにあたって、三つの問題が有ります」

 「はい」宗男はゴクリと唾を飲み込んだ。

 「ご推察済みだとは思いますが・・・」という前置きから、西村の説明が始まった。

 「まず第一に、その男の犯罪が確認されているわけではないということ。警察は犯人逮捕には熱心ですが、防犯に対しては消極的です。それは事件捜査に携わる警官の人数と、防犯活動に携わる警官の数を比較すれば一目瞭然でしょう。勿論、建前は違いますけどね」

 「は、はい・・・」宗男の肩が落ちた。

 「次に、私は捜査第二課の刑事なので、そういった案件は担当していないということ。警察がセクショナリズムの強い組織だということは、以前にも話しましたよね? 畑違いの事件に首を突っ込むのは、警察内では侵さざるタブーなのです」

 「は・・・ い・・・」深くうなだれる。

 「第三に、場所が横浜となると警視庁の管轄ではありませんね。そこは神奈川県警の守備範囲です。担当が違う上に管轄まで違うとなると、かなり大きな壁と言わざるを得ません」

 「はい・・・ 重々承知しております・・・」

 西村の上げる理由が、第一、第二、第三と進むにつれ、宗男の大きな身体はどんどん小さくなっていった。そのまま小さなハムスター程になってしまうのではないかと思えるほどだ。しかし西村の表情は変わらない。

 「宮川さん。ぶっちゃけてお聞きしますが、警察という組織が、言うほど品行方正ではないことはご存知ですよね?」

 「はい・・・ とは言い難いですが・・・」もう、ハムスターサイズは目の前だ。

 「あっはっは。やっぱり宮川さんは面白い人だ」

 「はぁ・・・ スミマセン・・・」宗男ハムスターに元気は無い。

 「いえいえ、謝る必要なんてありませんよ、その通りなんですから。警察内部は、所轄や捜査課が変われば、手柄の奪い合いなども普通に行われている、縄張り意識ドロドロの組織です。ですから県警のシマに、警視庁の私がしゃしゃり出ることは出来ないんですが・・・」

 「ですが?」

 縮小仕切ったハムスターは、一旦、その動きを止めた。あれ? ひょっとしたら西村は、とんでもない逆転ホームランを用意しているのかもしれない。

 「逆に言えば、向こうに得る物が有れば、動いてくれるとも言えるわけです」

 「おっしゃっている意味がよく判りませんが」

 そう言いながらも、その身体は再び元の大きさに戻ろうと、ジワジワと拡大を始めた。もぅ西村さんてば、意地悪なんだからぁ~、と宗男は心の内で口を尖らせた。その裏技を早く聞かせてよ~。

 「その女性・・・ 優香ゆうかさんでしたっけ?」

 「ゆ、結花ゆいか・・・ ですが」

 「そう、その結花さんって・・・」

 西村の目がキラリと光ったように見えた。それはシースに隠された、鋭利なナイフを思わせた。その一端をチラリと見せ付けられた気分だ。

 「熊林組の関係者ですよね?」

 しまった! ついうっかり、結花の素性を明かしてしまった! 宗男の身体は、再びハムスターに逆戻りした。


 西村のアイデアを聞かされた宗男は、一縷の望みにすがるように聞き返した。

 「つまり、神奈川県警の手柄になるような何らかの情報を差し出せば、その引き換えにあちらの刑事を動かすことが出来るかもしれないと?」

 宗男はその提案に喰い付いていた。おそらく、それ以外に活路は無いのであろう。

 「あくまでも可能性ですがね。勿論、熊林組からの情報を喜ぶ捜査課と言えば・・・」

 「マル暴」

 「ご名答です。彼らなら、多少乱暴な手段も選択肢に入るでしょう。如何ですか? もしを提示して頂けるなら、横浜湾のを紹介して差し上げられるのですが」

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