6-3

 あれから既に二ヶ月過ぎようとしていた。石巻で一皮剥けた崇は、以前よりも明るく、かつ積極的に仕事に打ち込むようになっていて、もうあの依頼のことなど忘れてしまっているかのようだ。それならそれでいいと宗男は思っていた。いつまでも父親のことを引き摺っていても仕方が無いではないか。崇が前向きに物事に取り組むようになったのであれば、それが何よりだと感じていた。その後、あの事件がどう決着をみたかなど、崇には関係の無いことなのだし、あの事件は、少なくともMKエアサービスの中では終わった案件である。今更それを蒸し返すことで、得るものは何も無いはずだ。

 だが宗男には、どうしても気になっていることが有る。それを二人の前で口にすることはないが、気になって仕方が無いのだ。それは、あれから二ヶ月以上経つのに、警察が波多野を送検していないことだ。そんなことは宗男たちが関知すべき事項ではないのだが、崇の思い入れが実は何も無い空虚を引っ掻いただけの無意味な行動に終わることだけは避けたい。崇の思い描いた意義有る行為が何の波紋を残すことも無く、誰かの意図によって握りつぶされるような事態にはなって欲しくない。宗男たちが解き明かした真相に、大きな見落としでも有ったのだろうか? その後、警視庁の西村からは仕事の依頼は無い。いったいどうなっているのだろう? 出過ぎたことだと判ってはいたが、宗男は再度、西村に接見を求めるメールを送った。


 二ヶ月ぶりに会う西村は相変わらずシュッとしたいで立ちで、爽やかな風を纏って現れた。会うたびに宗男は思う。彼が見ている風景とは、いったいどのような物なのだろうか? それは宗男が生涯見ることの無い、光輝いた世界なのかもしれない。あるいは・・・

 「お久し振りです、宮川さん」

 「ご無沙汰しております。その節はお世話になりました」

 そこは副都心にある、いつもの喫茶店、いつものテーブルであった。客が居ないので、いつ来ても同じ席に座ることが可能だ。

 「いえいえ、こちらこそ大変お世話になりました」

 当たり障りの無い大人の挨拶を交わすと、西村は直ぐに本題に切れ込んできた。こういった姿勢こそが、出来る・・・男の、あるべき姿なのかもしれない。

 「で、どういったご用件でしょうか? ひょっとして依頼料の方が振り込まれていないとか・・・」

 「いえいえ、そんなことはございません。目黒、石巻、建設現場、三件分の金額を確かに頂戴しております」

 他に客が居ないと言っても、実在する個人名や会社名を口にすることははばかれて、宗男はオブラートに包んだ表現を用いた。

 「それなら良かった・・・ では、いったい・・・」

 「はい。私どもがお聞き出来る筋合いではないことは、重々承知いたしておりますが・・・」

 そこまで聞いて、西村にはピンと来たようだ。その順風満帆を絵に描いたような笑顔に、少しだけ影が差したのを宗男は見逃さなかった。

 「例の政治家が送検されていないのは、どういった理由なのからなのでしょうか? もちろん、捜査内容についてお聞きしているわけではありませんし、警察のやり方に文句を付けるつもりも御座いません。ただ、我々が危険を犯して得た情報が、如何様に使われたのか、それを知りたくてご迷惑とは思いましたがお声を掛けさせて頂いたという次第です」

 西村は宗男の言葉の途中から腕組みをし、視線を落としながら聞いていた。いやおそらくは、全てを聞かずとも宗男の言わんとするところを汲み取った西村が、どう答えてよいものか、思案を巡らせていたのかもしれない。暫くその姿勢を維持していたが、腕組みを解いて宗男を見た。

 「全国の交通事故の死亡者数が、年々減少しているとこはご存知ですか?」

 「は? 交通事故ですか?」

 「はい。昨年度に比べ微減ながら、交通事故による死亡者数は、減少の一途を辿っています。しかし、この数字には裏が有るのですよ」

 「裏・・・ ですか?」

 「ねつ造と言ってもいいかもしれません」

 「まさか警察が死亡者数をねつ造するなど、ちょっと我々には考えられませんが」

 「6年前、安藤政権が発足した当時、首相は『リーンな社会』をキャッチフレーズに行政改革と称する変革を始めたことはご存知ですよね?」

 「確か、各省庁への予算も、だいぶ削減されたと記憶しておりますが・・・」

 「その通りです。しかしあれは、全ての省庁が一律削減されたわけではなかったのです。外務省や国交省などは、むしろ前年度よりも分厚い予算が割り当てられています」

 「そうだったんですか? あまり印象に有りませんが・・・」

 「そうでしょう。圧倒的な議席数を背景にした強気な政府からの圧力によって各マスメディアは沈黙し、国民にとって耳障りの良い話だけが流布された結果です」

 「それが交通事故者数と、どういう関係に・・・ あっ、警察庁!」

 「ご明察です。治安大国日本の警察が、毎年多額の予算を計上しているのでは、諸外国に対して面子メンツが立たないという理論でした。結果、削減された警察予算の煽りを受けて現場はあたふた。その因果関係を明確に提示するのは難しいのですが、結局、当時の交通事故死亡者数は一気に増加へと転じたのです」

 「しかしデータ上は増加していないと」

 「はい、むしろ減少しています。そのからくりはいたって簡単です。その当時の警察庁は、交通事故死亡者の定義・・を変えたのです」

 「定義?」

 「はい。あれ以降の警察では、事故発生から24時間以内に亡くなった場合にのみ、交通事故死亡者数にカウントするというルールを作ったわけです」

 「そ、そんな・・・ 今の医療水準なら即死でない限り、24時間くらいは生命を維持することが可能じゃないですか? 何故そこまでして?」

 「それも面子です。当時の警察庁長官が在任中に、交通事故死者数が増加したなどという不名誉な記録を残すわけにはいかなかったのです」

 「長官の面子の為に死亡者の定義を変えて、それが減少しているように見せかけたんですか? バカげてる!」

 「私も同感です。バカげています。ただ、もっとバカげているのが、第三次政権に突入した安藤総理が、更なる予算削減の方針を打ち出していることです」

 「確かに、ニュースでそのような報道を見ました」

 「今の内閣は、子育て給付金を削減し、高額医療費を引き上げ、医療負担、介護負担は増加。生活保護への充当すら減らして、給付金を削減しまくっています。トータルで社会保障費の削減額は1300億円にもなると言われています。それだけでなく、働き方改革とやらで年金受給を遅らせ、増税も控えている状況です」

 「・・・・・・」

 「その一方で、国会議員報酬を月額26万円、年間421万円引き上げているんです。今、男女併せた日本のサラリーマンの平均年収が412.6万円と言われている、このご時世にですよ。そのくせ、頼まれもしない外遊先では、数百億円規模の協力金をポンポンポンポンばら撒いて、それで自分を『外交の安藤』などと自画自賛しているんですから、国民は堪ったもんではありません」

 「・・・・・・」

 「すみません、つい熱くなってしまいました」

 いや、何処からどう見ても西村が熱く・・なっているようには見えなかった。むしろ、動かし様の無い事実を淡々と、冷徹な意志を持って羅列しているようにしか聞こえない。だが本人にとっては、これが熱く・・なった時の話し方なのかもしれない。

 「西村さん。仰ることは判りますが、それらの話と、今回の波多野の案件とが、まだ私の中で繋がらないのですが・・・」

 「宮川さん。波多野が何大臣かお忘れですか?」

 「えぇっと・・・ 確か内閣府特命担当大臣とか・・・」

 「そうです。その大臣が任命されることが多い、あるポストをご存知でしょうか?」  「いえ。お恥ずかしながら・・・」宗男は素直に答えた。

 西村はフッと笑った。だがそれは、無知な男に対する侮蔑の笑いではなく、「普通、そんなことを知ってる人は居ませんよね」という、自分の質問の愚かさに対する嘲笑のように見えた。

 「ここ数年の例ですが、内閣府特命担当大臣が就任するのは、国家公安委員会の長です」

 「国家公安委員会? それって・・・ !!!」

 「ご推察の通り。国家公安委員会とは、我々のトップである警察庁長官すらも任命する権限を持つ、総理大臣直属の機関です。当然、その予算編成に関しても大きな影響力を持ちます」

 「つ、つまり、波多野のスキャンダルを抑え、その立件を見送りにする対価として、予算額の確保を迫るおつもりですか?」

 「無論、大臣の意向がそのまま予算額に反映されるわけではありませんがね。おおかた警察庁のトップが考えたシナリオは、今ご説明したような線で間違いないと思いますよ」

 宗男は言葉を失った。地方の公共事業に関わる、セコイ収賄事件の裏側に潜む巨悪をあぶり出したなどと悦に入っていたが、とんでもない話だ。そんな茶番は、警察と言う伏魔殿の前庭で演じられた寸劇に過ぎなかった。いや、ひょっとしたら、その警察すら足元をすわれかねない、更にに大きな古狸がこの日本の何処かに生息している可能性だって有る。宗男はその途方も無い欺瞞の深淵を前にして、足がすくむ思いであった。それは宗男のような人間が、覗き込むことを許される世界ではないし、理解を超えている。

 「あっ、私は上の指示通り、波多野の罪状を暴いただけですので ──いや、本当に暴いたのは宮川さんたちですが・・・── 実際のところまでは私には判らないんですけどね」

 「それを黙って見過ごすつもりですか?」と問おうかとも思ったが、それこそ愚問である。西村がそのような卑劣な連中のことを、心の底から正そうなどと考えるとは思えなかった。ただ、西村を見ていて、なんとなく腑に落ちない思いが沸き上がるのだ。どうしても、根っからの悪人には見えないし、公務員の思考パターンに染まり切っているとも思えない。かと言って政治家や上層部の不正に憤りを感じている様子も見受けられない。この、熱いような冷たいような、目を見開いているような閉じているような感じは何なのだろう? 宗男は思い切って聞いてみた。

 「そこまで判ってて・・・」

 「?」

 「そこまで判ってるのに、どうして西村さんは違う道を行こうとはなさらないのですか?」

 「ふっ・・・」

 西村は微かに笑った。

 「宮川さんは私を買いかぶり過ぎなんじゃないですか? 私など、ただの地方公務員です。そんな大志を抱くタイプの人間は、公務員などにはなりませんよ」

 警察組織という機械の中で、何も考えずに動き回る部品になり切ること。それは彼にとって、生活の糧を得るための手段であり、それ以上の何物でもない。そこに、理想や信念を持ち込むことに、何の価値も見いだしてはいない・・・ という人間の演じている・・・・・をしているだけなのではなかろうか。その心の内を、愚直なまでにストレートに表現する崇と、内に溜め込み鬱積した物を違った形で消化する西村。ひょとしたら、この二人は凄く似ているのかもしれない。宗男にはそう思えてならなかった。

 「じゃぁ、私はこの辺で失礼させて頂きます。の案件が忙しくなって来ましたので」と西村はテーブル脇のレシートを掴むと、サッと立ち上がった。

 「はい、お忙しいところ、お呼びだて致しまして申し訳ありませんでした」

 本来であれば「ここは私が・・・」などという押し問答をするのが、一般的な社会人の常識だ。だが宗男は、あえて西村のさせたいようにさせた。

 「いえいえ、とんでもありません。あっ、そうそう! そういえば例のごみ焼却施設。来月には稼働開始らしいですよ」と、さも興味など無さそうに付け加えると、宗男に背中を向けて歩き出した。

 大きな権力の前では、個々人の理想など何の力も持てないのか。我々がどう足掻いても、動き出すものは動き出すのかもしれない。あえて宗男は、職業的な別れの挨拶をした。

 「それでは、またのお引き合いをお待ち申し上げております」

 深々と頭を下げる宗男。西村は立ち止まって振り返り、その姿を見下ろした。そしてその表情に、僅かに悲し気な色を滲ませた。

 「宮川さん・・・ 私は貴方が羨ましい」

 そして再び歩き出し、地上へと続く階段を颯爽と登って行った。宗男は黙って、その背中にエールを送った。


*****


 MKエアサービスの事務所(?)の戻ってきた宗男が「ただいまー」と玄関ドアを開けると、パソコンに張り付いていた崇がディスプレイから目を話さず左手だけを上げた。スマホのゲームに熱中する恭子は、少し身体の姿勢を変えて振り向きそうな素振りを見せただけで、やっぱり宗男を見ることは無かった。いつも通りだ。これが慣れ親しんだ、いつものMKエアサービスだ。宗男はなんだか嬉しくなって、楽し居気分が湧き上がるのを感じた。

 「ジャジャーン! 今から国民投票を行いまーすっ!」

 玄関から部屋に上がるや否や、賑やかに言う宗男。普段とは違う彼の様子に、崇が「何事か?」と視線を上げた。

 「今から二つの選択肢を提示します。どちらがいいか、挙手をお願いしまーす」

 「何何? 何が始まるの?」

 何か楽しそうなことが起きる予感がして、恭子はスマホを伏せて宗男を見た。その目は期待に輝いている。崇はまだ胡散臭そうな目で、宗男を見ている。宗男は胸を張った。

 「選択1! 6号機に続き、7号機をあつらえまーす!」

 「おぉーーっ!」崇と恭子は、感嘆の声と共に拍手を送った。パチパチパチ・・・

 「選択2・・・」

 宗男は自分の言葉にドラマチックな重みを付け加えたくて、あえて言い淀んだ。

 「この部屋を引き払い、もっと広いマンションに引っ越します!」

 「うぉーーーっ!」崇はガッツポーズをした。

 「えぇーーー、どっちだろう・・・ どうしよう・・・」恭子は決めかねているようだ。

 「明日の朝に決を採ります。それまでにじっくり考えておいて下さいね」

 途端に部屋中が賑やかになった。恭子と崇が、ああでもないこうでもないと、いつ果てるとも判らぬ議論を始めた。でもみんな楽しそうだ。そのウキウキした気分に、部屋の空気も弾んでいるようだ。それを見た宗男は嬉しくなって、いつまでも二人の会話を聞いていた。

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