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 最初の客は、意外にも南村山市役所からであった。あの辺り一帯は、今でも武蔵野の面影を残す一角となっており、所々に鬱蒼と茂る森が残っている。「みなみむらやぁまぁ~」という、人気コメディアン市村けんの歌『南村山音頭』でお馴染みの人も多いだろう。そんな武蔵野の森の中に、市が管理しているものが幾つか有って、そのうちの一つに希少種のオオタカが営巣しているのではないかという情報が住民よりもたらされたのが話の発端らしい。その住人はバードウォッチングを趣味とする60歳台の老人で、視力の低下に伴い双眼鏡を使っても鳥の種別を判断することが難しくなっていた。しかしながら、オオタカ特有のピッチの速い羽ばたきやシルエットから間違い無いと判断し、市役所に電話をしてきたと言う。

 この情報を受けた市役所の反応は素早かった。国内希少野生動植物種に指定されているオオタカは絶滅危惧種という扱いで、行政側がその生息域を保護する義務を負わないが、民間の環境保護団体などとの間に悶着が起こった土地開発事案は枚挙にいとまがない。そもそも絶滅危惧種から絶滅危惧種にグレードダウンされた経緯に関しても保護団体は疑問を呈しており、開発したい側の国交省の思惑に環境省が迎合した結果であると反発していた。市としては、スムース・・・・な地方行政の運営に支障を来たす可能性の有るオオタカを見過ごすわけにはいかず、問題の芽は早いうちに摘み取ろうという算段であった。

 市は、種の特定を日本野鳥の会などの民間団体ではなく、獣医学部を併設する都内某大学の教授に依頼した。その理由はいたって簡単である。つまり、野鳥の会がその作業を行い、万が一それがオオタカであることが確認された場合、その情報はたちどころに新聞社などに伝わってしまう。だが、金の匂いに敏感な・・・大学教授などであれば、情報の隠蔽を確実に行えるわけだ。発展の度合いで近隣市に水を開けられている南村山市としては、生産性の無い森など消えてなくなって欲しいわけで、オオタカの存在などは邪魔でしかないということだ。

 果たして、大学教授の判定は黒。つまりそれはオオタカであった。更に悪い知らせとして、高さ30メートルに届こうかという大樹の突端付近に巣を構え、足繁く餌を運んでいるところから、その巣には既に雛が居る可能性が高いとまで教授は言った。繁殖の時期を考えても、まず間違いは無いと。市にとっては万事休すである。そこで、先ずは雛の存在を確認しようということで、MKエアサービスに依頼が舞い込んだ。ツイッターでたまたまMKエアサービスを知った、平田という市職員が、ダイレクトメールを送ってきたわけだ。


 我らがMKエアサービスにとってみれば、依頼内容は造作も無いことであった。樹の上までドローンを飛ばし、カメラで巣の中を確認するだけでよい。そんなことは以前からやっている、と威張れた話ではないが。そこで市役所職員立会いの下、現地調査に赴いた。無論、例の6号機の出動だ。

 青梅街道を西へ向かい、スマホのカーナビが示す交差点で右折した。ここから北上だが、相変わらず交通量は多い。その片側一車線の道路は両脇を住宅やら商業ビルやらに覆いつくされ、そこから見える空は決して広くはない。そんな道をひたすら北上してゆくと周りの建物の高さが次第に低くなり始め、車窓から垣間見れる空が幾分広くなってきた。と同時に、時折、何らかの農作物を栽培する畑が道路脇に見え始め、幾分長閑な空気が漂い始めた。確かに、道路沿いは賑やかな雰囲気が続いてはいるが、その奥に一歩入れば、むしろ宗男にとっては馴染み深い緑のエリアが広がっていそうだ。

 遂にカーナビは、信号すら無い交差点を右折しろと指示を出し、その途端に、「運転、お疲れさまでした」と言って己の職務を放棄してしまった。仕方なく宗男は徐行スピードでその路地を入って行く。引き返すわけにもいかず、そのまま住宅街を進むと、いきなり視界が開けた。そこは緩やかな曲線を描く起伏に満ちた長閑な耕作地帯で、その奥に夏の空にモコモコと盛り上がる積乱雲のような森が鎮座していた。あれが例の森に違いない。


 そこには平田に加え、サラリーマン風の男たちが三名、先に到着して待っていた。宗男には彼らが誰なのか判らなかったが、立場上聞くわけにもいかず、黙って市職員の言う通りにドローンを操作した。

 男たちはドローンに装着されたGoProが送って来る映像を、明るい屋外で見るのに四苦八苦していた。屋外という光量豊かな環境下ではLEDディスプレイは光の反射で画面が白く潰れてしまい、それを見ることが難しい。手で影を作ったりして苦労している彼らを見た宗男は、一旦、ドローンを6号機に帰還させ、彼らをその荷室内に招き入れた。そこなら暗い室内でモニターを見ることが出来る。中でも年長者と思しき男には、例のVRゴーグルを差し出した。そのオヤジは目を輝かせた。これがテレビでしか見たことが無い、バーチャル・リアリティー・ゴーグルか!?

 そして再びドローンが離陸した。宗男は思わず「タッタララ~ン」と口ずさんでしまったが、映像に見入る男たちの「おぉ~」という歓声に紛れて、その歌はかき消された。特にゴーグルを着けている男にとっては衝撃的な経験だったらしく、「ひぇー」とか「ほぉー」などと奇声を上げていた。それを見ていた他の男たちも、「次は俺だ」と騒ぎ出し、妙な順番待ちの様な状況に陥った。

 そんなアトラクションの様な経験に年甲斐も無くはしゃぐ男たちは、ついつい口も軽くなり ──別に隠していたわけではないだろうが── 自分らの素性を明かした。彼らは、この地にアウトレット建設を予定している、四井不動産の社員なのだという。周辺の田畑に関しては、現在、土地の買収に向けた交渉が進んでいるとのことだが、その中心部分に位置するこの森に希少種のオオタカが居るとなれば、その計画そのものを根底から見直す必要が有る。最悪の場合、全ての計画が白紙に戻る可能性だって捨て切れない。当然、アウトレットを誘致したい南村山市としては、今回の調査は最大関心事の一つであると言えた。埼玉県の入間よりも都心に近く、交通の便も良いこの地に巨大なアウトレットが誘致されれば、南村山市のブランドが一気に上昇する。呪いのように降りかかる『南村山音頭』の呪縛から逃れ ──曲の発売当時は、そのコメディアンのお陰で知名度が上がったという恩も忘れ── 市の新たな時代を築くには、どうしても今回の誘致を成功させる必要が有る。

 こうして、市および四井不動産が見守るモニターに可愛らしい雛が映し出されたのは、ドローンを飛ばして5分後のことであった。まだ疑うことを知らない純真無垢なオオタカの雛は、突然現れた得体の知れないドローンにさえその愛くるしい瞳を投げかけ、6号機内で見守るオヤジたちの心を洗った。都会で荒んだサラリーマン生活を送る男たちに、ホッコリとするようなひと時を分け与えてくれたのだ。ただし、平田だけは苦虫を噛み潰したような顔で、その雛を睨みつけていた。


 こうして目出度く、最初の仕事を成し遂げたMKエアサービスは、その後も細々した依頼を受け、ある意味順調に営業を続けていた。意外にもその依頼は農業関係ではなく、企業による点検、検査や測量といったニーズが大部分を占めている。高所や危険箇所での設備点検作業は、ドローン業界にとって最も重要な収入源だ。電気設備であったり、あるいは橋の橋脚など、ドローンを使わねばコストも危険度も飛躍的に上がってしまう要所を遠隔でチェックできるのは、企業にとって大きなメリットと言えた。また、建設業界での測量業務も、今後の需要が有望な市場である。航空機を飛ばすことに比べれば、圧倒的な低コストで同じ効果を得られるのだから、ドローンは今後も拡張してゆく市場と言えた。

 そんなある日、先日のオオタカの件で依頼してきた平田が、再びMKエアサービスにコンタクトを取ってきた。セキュリティ対策に不安の残るSNSのダイレクトメールには書けない内容だと言て、市役所の直ぐ近くにあるファミレスに呼び出されたのである。「電話でいいのに」と宗男は思ったが、考えてみれば日中はヤマブチモーターで働いているので、そんな電話に対応している暇は無い。私用電話をしているところを森課長に見付かった日には、何を言われるか判ったものではない。かといって相手は公務員だ。土日は勿論、平日でも残業してまで働くわけが無いので、仕方なく残り少ない有給休暇を取得し、わざわざ南村山市までやって来たのであった。平日の日中は恭子に電話対応してもらう必要が有るな、などと思いながら宗男が店内に足を踏み入れると、通りに面した窓際の席でコーヒーを飲んでいる男が片手を挙げた。

 「やぁ、宮川さん。お久し振りです! こっちこっち」

 「ど、どうも、平田さん。ご無沙汰しております。その節はお世話になりました」

 日本人らしく当たり障りの無い世間話から始まった打ち合わせは、いつしか声を潜めた不穏な雰囲気に包まれ始めた。平田につられて、宗男も声を潜める。平田の話はこうであった。市から非公式・・・な依頼として、オオタカの巣を破壊して欲しいと言うのだ。料金は前回の倍払うと気前の良い提案だが、その金額の中には、勿論、これまでの調査結果や今回の依頼内容を外部に漏洩させる事の無い様に、との守秘義務が盛り込まれていることを平田は言外に伝えてきた。それはアウトレット誘致の支障を排除するという意味に他ならなかった。宗男は「考えてみます」とだけ答え、その依頼を保留のまま持ち帰った。


 「ねぇ宗男。例の依頼、受けるの?」

 茶碗に盛ったご飯を手渡しながら恭子が聞いた。宗男は恭子が買ってきて食卓に並べたコロッケを、箸で小さく切り分けながら言った。先日、コロッケに醤油をかけたらこっ酷く叱られたので、今日はウスターソースをかけてある。

 「断ろうと思ってるんです」

 一口食べて、やっぱり醤油だな、と思う。

 「それじゃお金が入らないじゃない。毎日コロッケじゃ飽きるでしょ?」

 恭子は皿に盛られた小判型のコロッケの中から、一つだけ真ん丸い形状の物を箸でつまんで、自分の茶碗に乗せた。一個だけメンチカツが紛れ込ませてあったのだが、宗男がそんな不正に気付くはずは無い。

 「でも、弱い者イジメみたいなことはしたくないんですよ。俺、自分がイジメられてたから・・・」

 ご近所の『和気田精肉店』のメンチは、味付けも完璧でジューシーな絶品である。恭子はほくそ笑んだ。

 「じゃぁ、その依頼を受けてお金も貰って、同時に鳥さんの巣も守る様な作戦を考えればいいんでしょ?」

 鳥さんという言い方が、妙に可愛らしいと思った。

 「そんな上手い手が・・・ 恭子ちゃん、何かアイデアが有るんですか?」

 恭子がニンマリと笑った。

 「その、最初に市役所に連絡してきたジサマのこと、それとなく聞き出して貰えないかな?」

 メンチカツの肉々しい香りが、食卓を包んでいた。


 よく週末、宗男と恭子は連れ立って「紳士服の赤山」に来ていた。恭子曰く、真面目なスーツが必要だと言う。それを着て何をするのか宗男には判らなかったが、とにかくオオタカの一件を都合良く運ぶためにも、それが必須らしい。当然ながら、恭子には金が無いので宗男の支払いだ。恭子に言われるままに購入したのは、大卒新人の女子が会社訪問時に着るような黒のリクルートスーツ。併せて、その下に着るブラウスや靴なども買い揃えた。その帰りに寄ったユニシロでは、男物と言っても通じそうな、ファスナーの付いたショルダーバッグも購入。それらのどれもが、およそ恭子のキャラではない。何かの冗談だろうか? それを身に着けた恭子を想像できなくて、宗男は目をシロクロさせた。

 「これ、本当に恭子ちゃんが着るんですか?」

 「当たり前じゃん。他に誰が着るって言うのさ?」

 「も、もちろん他には居ないんですけど」

 「私がこんな真面目な恰好しちゃイケナイとでも?」

 「い、いえ、別にそういう訳ではありませんが・・・」

 そんな会話をしながら駐車場を歩いていると、いきなり後ろから男が現れ、恭子の腕を掴んだ。

 「恭子! てめぇ!」

 驚いた恭子が振り返ると、その顔に恐怖にも似た表情が張り付いた。しかし、直ぐに勇気を振り絞るかのように腕を振り払うと、己を鼓舞するかのように声を上げた。

 「洋一! 触るんじゃねぇよ!」

 「何だと、この野郎! ふざけてんじゃねぇぞ!」

 「ふざけてんのはテメェだろ!」

 いきなり始まった口論に、宗男がアタフタしながら割って入る。

 「あのぅ・・・ ど、どうされました? 恭子ちゃん、この方は・・・」

 すると男が宗男に向き直り、その胸ぐらを掴んだ。

 「何だぁテメェは? 関係無ぇことに口出してんじゃねぇぞ!」

 「あ、あの・・・ ちょっと・・・ 暴力は・・・」

 宗男が最後まで言い終わる前に、男の拳が宗男の顔面に食い込んだ。

 「うげぇっ・・・」

 宗男は吹き飛ばされ、地面にひれ伏した。その鼻からボタボタと鮮血が流れ落ち、慌てて駆け寄った恭子がその肩を抱いた。

 「宗男っ! 大丈夫っ!?」

 そして直ぐさま男に向き直り、その顔を睨みつけながら声を荒げた。

 「テメェ、何すんだ!? 宗男は関係無ぇだろっ!」

 「関係無ぇから口出すなって言ってんだろっ! そんなオヤジにくっ付いて、テメェこそ何考えてんだ!?」

 すると、その騒ぎを聞きつけた通行人が足を止めた。そして三人を取り巻くようにして、少し離れた所に人垣を作り始めた。恭子は宗男を抱きかかえながら、群衆に向かって声を上げた。

 「誰か、警察を呼んでっ! お願いっ!」

 恭子の必死の懇願を聞いた見物人の何人かが懐からスマホを取り出すと、それを見た男は「クソッ」と漏らし、踵を返して駆け出した。その際、「どけっ! 邪魔だっ!」と見物人の何人かを弾き飛ばして、後ろを振り返りもせずに走り去っていった。「うぅ」と唸り、鼻の下を真っ赤にした宗男を恭子が介抱し始める。もうこれ以上、ドラマチックな展開は無さそうだ。一瞬でクライマックスが終わってしまい、見物人たちは潮を引くように興味を失って、また自分たちの目的地に向かって歩き出した。後には宗男と恭子だけが残された。

 「ゴメンね・・・ 宗男・・・ ゴメンね・・・」

 宗男のポケットから取り出したハンカチは既に真っ赤に染まり、きつく絞れば血液が雫となって落ちそうなくらいにヒタヒタになっている。それでも、そのハンカチを持って宗男の顔を押さえる恭子は謝り続けた。その目からは涙が溢れ、恭子の頬に幾筋もの線を残した。

 「ゴメンよ宗男・・・ ゴメン・・・ 本当にゴメン・・・」

 宗男は気付いていた。先ほどの男は、恭子をマンションに監禁していた奴だ。いきなり姿を消した恭子を探していたのかもしれない。奴が誰なのか? 恭子とどういう関係に有るのか? 宗男には判らなかったが、それを改めて問い質すつもりも無かった。宗男は、恭子の頬を伝う涙を見て、かつてこれ以上に美しいものを見たことが有るだろうかと思った。

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