第二章:それって種の保存法違反?

2-1

 名前は直ぐに教えてくれた。例の紅白巨大水玉のスエット姿で。

 「私、時田恭子。恭子って呼んでいいよ」

 女性を呼び捨てにするなんてとんでもない。仕方なく宗男は、彼女を「恭子ちゃん」と呼ぶことにした。それに関して恭子は、特に何も言わなかったし、それ以上のことは何も語ろうとはしなかった。年齢も出身も家族構成も。何故、あのマンションに監禁されていたのか? あの男は誰なのか? 勿論、宗男がその辺の突っ込んだ所をしつこく聞いたわけではないのだが。

 その代わりにベッドで胡坐をかき、昨日、宗男がコンビニで買ってきたタバコを吹かしながらこう言った。宗男は長い間使われることの無かった灰皿を部屋の隅から掘り出してきて、それを卓袱台の上に置く。そもそも、その灰皿は宗男のものではない。会社の慰労会だか何だかで行われたボーリング大会の商品だ。当然ながら宗男がボーリングに長けていたはずは無く、つまらない商品を貰った同僚にゴミ・・を押し付けられたのだ。従って、部屋のどこかを探せば、同じ灰皿があと4個は出てくるはずである。 

 「ふぅ~ん、宗男っていうんだ・・・ じゃぁ、宗男って呼ぶよ。いいよね?」

 嫌だなんて宗男が言う訳が無い。そもそも宗男のことを名前で呼ぶ女性など、母親以外には居なかった。宗男はなんだかくすぐったい様な気分になった。

 「でさ、これからどうすんの宗男?」

 どうすんの、と言われても何も考えていないし、彼女が自分の周囲に居座るという事態すら想定してはいなかった。宗男は返答に困った。

 「えぇっとぉ・・・ どうしますかねぇ?」

 それを聞いた恭子は、ニヤニヤしながら言ったのだ。

 「へっへぇ~。私、いい考えが有るんだ」

 「いい考え?」宗男は嫌な予感がした。

 「だからさぁ、あれを仕事にすればいいじゃん」

 「あれ?」

 恭子は宗男の顔を見ながらタバコを持った右手を掲げ、それを空中でフワフワさせた。

 「いや、でも、恭子ちゃん。あ、あれは・・・」

 「いいアイデアだと思わない?」

 「いや、だから、今はそういう会社はいっぱい有るんですよ。空撮代行とか農薬散布とか、あとイベント対応みたいなのも有って、言うほど儲かる業界でもないっていうか・・・」

 恭子はチョッと膨れっ面になった。その顔が意外にも可愛くて、宗男はドキッとした。

 「じゃぁ、何? 今の会社の方がいいって言ってんの?」

 「別にそ、そういうわけじゃぁ・・・」宗男はモジモジした。

 「あぁぁぁもぉぉぉ! はっきりしなよ!」

 恭子が大きなジェスチャーで話すたび、ブラジャーも着けていない胸がユサユサと揺れて、宗男は目のやり場に困るのであった。

 「そんなこと言われてもですね、いきなり辞めたら今の会社にも迷惑がかかるだろうし」

 またしても、チラッと胸を見てしまう。話をする時は相手の目を見て話しなさい、と子供の頃に教わったものだが、宗男はどうしても女性の胸を見てしまう癖があった。そのことを自分でも認識している宗男は、女性の前に出ると必要以上にドギマギしてしまい、かえって胸を意識してしまうのだ。

 「本気で言ってんの? 宗男が辞めたって、その会社は痛くも痒くも無いんじゃないの? 違う?」

 それと同じ原理・・で、剥げオヤジの前に出ると、どうしてもその頭に視線が行ってしまい、目を離すことが出来なくなってしまう。薄くなった頭に視線を注ぎながら会話をされれば、当然、相手は不愉快な思いをするわけで、過去に会社の役員とかを怒らせてしまったことは一度や二度ではない。

 「ち、違いま・・・」宗男が言い淀む。

 「違いま?」恭子が高圧的に聞き返す。

 「・・・せん・・・」

 「何?」

 ハッキリと明言しないと許してくれないらしい。

 「違いません・・・」

 「ほ~ら見なさい」

 恭子が勝ち誇ったように、宗男をオデコを指で突いた。またしても胸が揺れた。

 「・・・」

 宗男は叱られるいたずら小僧のように、少し困ったような顔をしつつ唇を突き出したが、その時、下半身が硬くなり始めるのを感じていた。

 「もしやらないんだったら、私、警察に垂れ込むからね。宗男が覗きの常習犯で、毎晩、私の裸を見てましたって、言っちゃうもんね!」

 恭子の脅し文句を聞いて、宗男の硬くなり始めたそれ・・はシュワシュワと萎んでいった。本体と同様、そいつもなかなかの根性無しなのだ。

 「えぇっ、そ、そんなぁ・・・ ま、毎晩は見てませんよ。毎晩は」

 「でも見たよね? 私の裸、見たよね? 私が大股おっ広げてるところ見たよね?」

 「は、はい・・・ 見てしまいました・・・」

 「で? どうだったのよ?」

 「えっと・・・ 凄く、奇麗でした・・・」

 そう言いながら宗男は、あの時に見た映像を頭の中で再生した。情けないことに、またしても股間がパキンっと固くなった。恭子はニンマリと笑った。

 「それを警察に届ければ宗男はジ・エンドでしょ? この社会から抹殺よね? もう二度と浮かび上がれないわよね?」

 恭子の辛辣な言葉に反応し、また縮んだ。まったくもって忙しいである。

 「そんな怖いこと言わないで下さいよぉ」

 「そしたらドローンで稼ぐしかないってことよね。うん、それで行こう。決まり! 文句有る? 私のオマンコ見て、ただで済むと思ってるんじゃないでしょうね?」

 宗男は、自身の下半身と同様にショボクレて応えた。

 「やりますよ。やればいいんでしょ」

 上も下もトホホな感じだ。随分とおっかない女に引っ掛かったものである。

 「そうよ。最初っからそう言いなさいよ。面倒くさい男ね」

 恭子はタバコの煙を宗男の顔に向かって吹きかけた。宗男は「ゲホゲホ」とせき込みながら言う。

 「でも、ゲホッ、今の会社はそのままゲホッ、続けても良いでゲホッすか?」

 「なんで? そんなに愛着が有るの?」

 タバコを挟んだ右手を顔の横に添えたまま固まった恭子が、意外そうな顔で聞いた。宗男の真意を、本当にくみ取れない様子だ。

 「いや、もし儲からなかった場合の収入が・・・」

 「うぅ~ん、そっかぁ・・・ まっ、それは仕方ないか。路頭に迷うのも嫌だしね。仕事が軌道に乗るまではしっかり働いてもらわなきゃだし」

 恭子は一人で納得するような顔をして、またタバコをプカリと吹かした。

 いつの間にか運命共同体・・・・・みたいになっているのが何故なのか、宗男には判らなかったし、恭子が宗男の収入を何の躊躇も無く当てにしているのも解せなかったが、今までに経験したことのない形の人との関わり方に、宗男は少し楽し気な気分を感じていた。考えてみれば、こんなに面と向かって関わりを持ってくれる人など、宗男の周りには居なかったではないか。会社でも学校でも。そのささやかな喜びを知ったと同時に、他の人たちはみんな、このように話してくれる誰かが居るのが普通なのだと思うと、改めて自分の人生の希薄さを再認識させられたような寂しさも感じた。

 「社長は宗男でしょ? 社員は私しか居ないけど」

 「いや、でしょって言われても・・・」

 「会社名は・・・ MKエアサービスとかでいいじゃん? 宗男のMと恭子のK。何だか意味あり気だけど、実は大した意味は無いってヤツね。アハハ」

 「それはいいですけど、どうやって客を集めるんですか?」

 「そんなもん、ネットに流せば楽勝じゃん。殆ど金も掛からないし」

 「ま、まぁそうか・・・ でも具体的にはどんな業務をするつもりなんですか、恭子ちゃんは? さっきも言ったけど、今時そういう会社なんていっぱい有るんですよ。ありきたりの委託業務じゃ、競合他社と差別化出来ないというか・・・」

 それに覗き以外のスキルは無いし、と言おうと思ったがやめておいた。こっ酷く叱られそうな気がしたからだ。

 「何でも!」

 「何でも!?」

 「そう、ドローンを使った何でも屋さん!」

 「そんなニーズ、有るのかなぁ」

 「取り敢えずやってみようよっ! 何でも始めてみなきゃ判らないし、始めりゃ何とかなるかもしれないし」

 「でも、ネット広告とかって、どうやったら良いんですか? そういうのよく知らないです」

 「大丈夫、大丈夫。私の弟が、その辺詳しいから聞いてみるよ」

 あっ、弟さんが居るんだ、と思ったが、それも口には出さないでおいた。何だか身の上話はしたがらない雰囲気を纏っているからだ。宗男は代わりにこう言った。

 「じゃ、じゃぁ広告の方はお願いしてもいいですか?」

 「はぁーぃ!」

 その派手でスレた感じの外見に似合わず、返事だけが妙に良い子・・・っぽくて、宗男は笑ってしまった。そして恭子にはどういったバックグラウンドが潜んでいるのだろうという、漠然とした興味が湧いた。そのうち少しずつ教えて貰える機会も有るだろう。今日のところは深く追及するのはやめておこうと宗男は思った。だって、恭子と一緒にいると、すごく楽しい気分になれるから。恋人とか女友達というのとは、ちょっと違うような気がするが、彼女と一緒に居られる時間は大事にしたかった。彼女が話したがらないことを無理やり探って、居心地の悪い思いをさせたくはない。この不思議な関係がいつまでも続いて欲しくて、宗男は何よりも先ず恭子の気持ちを大切にした。考えてみれば、今まで誰も宗男のことなど気に掛けてはくれなかったが、同様に宗男も誰かのことを気に掛けたことなど無かったことに気付いたのだ。そんなだから友達も居ないのか、友達も居ないからそんななのかは判らないが、今の宗男には少なくとも恭子が居る。宗男には恭子以上に大切にすべきことなど無かった。


 こういった経緯でドローンの派遣屋を始めることになった二人の、奇妙な共同生活が始まった。大人の男女が二人っきりで、一つ屋根の下で生活すればそういった・・・・・関係に発展するのが普通であろうが、二人の場合は不思議とそういう感じにならないのであった。それはひとえに、宗男のヘタレた性格によるものだが、恭子はそんな事など気にも留めないような様子だ。眼中に無いと言うべきか、あるいは宗男を男として見ていないと言うべきかは判らなかったが、ひょっとすると恭子は、もっと異なる価値観で生きているのかもしれなかった。とにかく宗男には、女という生き物に関する知識も経験も圧倒的に不足していたのであった。

 恋人同士ならいざ知らず、狭い1LDKのアパートに二人では狭過ぎる。恭子用のタンスなども買い揃え、狭い部屋がますます狭くなった。食器や歯ブラシも二人分に増え、それまでのむさ苦しい空間が色を帯び始めた。宗男には特に異論が有るわけではないが、ベッドの所有権は当然ながら恭子に有った。とは言え、食事の世話や洗濯など、意外にも恭子が主婦的な役割を率先してやってくれるのは有難く、その甲斐甲斐しく立ち振る舞う姿は、宗男にとって馴染みの無い感情を沸き上がらせた。これではまるで同棲・・しているみたいではないか。

 「ど、ど、同棲っ!?」

 これまでの自分の辞書に無かった単語が、突如、頭の中に湧いてきて、宗男は恭子が作ったみそ汁を危うく吹き出しそうになってしまった。そんな心の動揺を知るはずも無い恭子は、突然咳き込む宗男を不思議そうに見た。その恭子と二人で、小さな卓袱台を挟んで食事をしている異常事態・・・・に、改めて気付いた宗男は更に咳き込んでしまい、今度はみそ汁が鼻に逆流した。

 「げほっ、ごほっ・・・ ぐふっ、ふごっ・・・」

 みそ汁のネギが、鼻の奥の変な所に絡んでしまい、宗男はもんどり打ちながら咳き込んだ。それを見た恭子が申し訳なさそうに言った。

 「ゴメン・・・ 味、口に合わなかった?」

 「へっ?」

 寂しそうな様子の恭子に、宗男は慌てて言う。

 「そ、そんなこと無いですよ! すっごい旨いですよ!」

 そう言って残りのみそ汁を無理やりかき込むと、その拍子に先ほどのネギが更に微妙な所に移動し、宗男はくしゃみをするように全てを吐き出してしまった。

 「ぶぅわっ、ぶしょーーっ!」

 一瞬の静寂の後、恭子が叫んだ。

 「宗男のバカッ! お前なんか死んじまえっ!」

 恭子は泣きながら部屋を飛び出していった。


 一度、機嫌を損ねた女は、簡単には許してくれないという事態に直面し、宗男はただオロオロするだけであった。あの後、暫くして戻ってきた恭子は、駅前のエブリディ・ドーナツで買い込んできたオールドファッションか何かを一人でムシャムシャと食べ、そして何も言わずに寝てしまった。宗男は自分に、女を扱うテクニックが皆無であることを痛感するのであった。

 翌朝の朝飯はドーナツの残りが一個、皿の上に乗せられているだけで、恭子は背を向けたまま無言で朝のニュースショーを見ていた。仕方なく宗男はそのドーナツを持ってヤマブチモーターに出社したわけだが、仕事が終わってビクビクしながら帰宅すると、今朝の不機嫌など「どこ吹く風」といった様子の普段通りの恭子が居た。女の機嫌など、何かの弾みでコロッと直ってしまうものだという摩訶不思議な生態に触れ、宗男はまたしても混乱するのであった。自分が女を理解することなど、決して無いであろうという確証を得たのはこの時だ。

 恭子のご機嫌が直ったのは、弟とやらに聞いてきた情報によるもののようだ。他にやる事が有れば、いつまでも怒りを引き摺らないのは有難いが、逆に言うとその程度のことで怒っていたのか、という気持ちも沸き上がる宗男であった。

 その弟によると、手っ取り早いのはSNSを活用することだという。更に、人目を引く動画を作成し、YouTubeに上げるのも効果的だとアドバイスされたらしい。どちらも費用が殆ど掛からない上に、うまくゆけば膨大な数の視聴者に観て貰える。下手な広告を打つよりよっぽど効果的で、リスクの無い手法と言えた。それを聞いた恭子は ──YouTubeは動画が必要なので、とりあえず置いておくとして── 新たにツイッターとインスタグラムのアカウントを取得し、早速、MKエアサービスの客寄せを開始する準備を整えていた。

 その広告内容は以下の通りだ。業務内容に関しては、宗男の十八番である「映像系」をメインとして空撮サービスを謳った。当然、イベント対応や農薬散布などの文字も踊り、変わったところでは、スズメバチの巣への薬剤散布や、野生動物に関する調査協力なども書き加えられた。そして、恭子の強い(強引な?)主張による、『何でもやります』という一文が忘れられること無く付け加えられた。自分が打ち込んだ投稿案をスマホに表示し、帰宅した宗男に得意気に見せつけた。

 「どう? 悪くないでしょ?」

 「あ、あぁ、そうですね。凄く良いと思います」

 本当に機嫌が直っている。宗男はいまだに信じられない思いだ。

 「文字ばっかりじゃインパクト無いからさ、何かカッコイイ写真とか動画は無い?」

 そう言われて思い浮かんだのは、当然、恭子の裸体であったが、アレが録画されていたなどとは口が裂けても言えない。宗男は試し撮りした昔の動画が残っているはずだと思い、「探してみるから、チョッと待ってて下さい」と言って、帰宅早々にパソコンを立ち上げた。

 「これに色んな写真とか動画を付けて、定期的に発信すれば良いんだよ。ハッシュタグで検索し易くすれば、そういったサービスを求めてる人の目に触れるってわけ」

 そう言いながら恭子は宗男の後ろに立ち、パソコンのディスプレイを右肩越しに覗き込んだ。その際、恭子の豊かな胸が背中に触れて、否が応でもあの裸体が思い起こされた。近いうちにHDDにストックされている過去の画像データを消去せねばならないだろう。宗男の心は、恭子とは対照的に落ち込んでいった。そんな思いで宗男が視線を落としていると、左肩に置いた恭子の手に力が籠った。

 「ふぅ~ん、そうなんだ?」

 宗男が「へっ?」と言って右後ろを見上げると、恭子はジッとディスプレイを覗き込んでいる。慌てて視線を前に戻すと、恭子の顔のドアップ写真が映し出されていた。先日の動画から静止画を抜き出して、不快な男の姿が映り込まないように肩から上の部分だけを拡大したものだ。それをWindowsの壁紙にしていたことを失念し、まんまと恭子の前でパソコンを立ち上げてしまったわけだ。

 恭子はもう一度言った。

 「ふぅ~ん」

 宗男はアタフタ。

 「あっ、えっ、これは・・・」

 恭子は「あぁ、そう?」と言いながらその場を離れた。宗男はキョトンとした。

 「晩御飯の用意するから、適当な画像を何枚か探しておいてね」

 そう言ってキッチンに行き、途中で投げ出していた料理の続きを再開した。宗男は目を丸くしてその姿を追った。どん叱られると思って首をすくめていたのに、なんだかとても機嫌が良さそうだ。やっぱり女って判らない。 

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