2-3

 宗男は心の中で呟いた。

 「恭子ちゃん、早く来てくれ。じゃないと、ホントに巣を壊さなきゃいけなくなるよ・・・」

 宗男が操縦するドローンは、着々とオオタカへの巣へと近付いていた。今日は宗男だけでなく、平田もVRゴーグルを掛けている。ゴーグルを掛けた二人が武蔵野の森の脇に立ち、ドローンから送られてくる画像を食い入るように見ているのはなんとも滑稽な様子だ。今回のドローンには、小さな熊手状の物を取り付けてあり、それで巣を引っ掻いて壊そうという算段である。ひょっとしたら、それを巣に引っ掛けて引っ張るだけで、あの可愛らしい雛もろとも巣が30メートル下に落下するかもしれない。宗男にしてみれば、そんなことをする気は全く無く、恭子が労した策 ──それがどんな手段なのか、いまだに宗男は知らされていない── が実行に移されるのを今か今かと待っている状況だ。

 巣の上にまで到達したドローンのカメラは、例の純真無垢な雛の姿を映し出した。雛は「オジサン、また来たの?」みたいなあどけない視線でこちらを見上げている。宗男の胸が締め付けられる。だが平田が憎々し気に声を上げた。

 「コイツだ。コイツのお陰で、アウトレット誘致が失敗しそうなんだ! チョンチョロリンの頭しやがって!」

 仕方なく、ゆっくりとドローンを近付ける宗男。そして、ドローンに取り付けた熊手が、まさに巣の縁に届こうとした瞬間、二人の観ている映像がグラリと揺れた。

 「何だ?」

 状況を飲み込めずにいると、またしても映像が揺れ、一瞬だけ青黒いものがゴーグル内の映像の隅を横切った。宗男は直ぐにVRゴーグルを外し、ドローンが浮遊する上空を見上げた。すると、先ほど一瞬だけ映った青黒い物がドローンに体当たりを喰らわしているではないか。親鳥だ! オオタカの親鳥が、雛を守ろうとドローンに攻撃を仕掛けていたのだ。

 「おぉっ! そこだ! やれっ!」

 宗男は、つい嬉しそうな声を上げてしまった。それを聞いた平田はゴーグルを掛けたまま宗男の方を向いたが、勿論、ドローンから送られてくる映像しか見えない。「クソッ」と言いながらゴーグルを外した平田の疑うような視線に射抜かれ、宗男は慌てて言葉を繋いだ。

 「が、頑張れドローン! 鳥なんかに負けるな!」

 しかし、親鳥の執拗な攻撃は続いた。宗男は大袈裟にダメージを受ける振りをして「わぁ」とか言いながら時間を稼いだ。親鳥がドローンのローターに巻き込まれないよう細心の注意を払って、その攻撃をあえて・・・受け続けた。

 恭子ちゃん、早く!

 その時、遠くから黄色い声が響いてきた。そちらを見ると、先生に引率された、小学一年生くらいの団体が、こちらに向かって近づいてくるではないか。その総数は30人ほどであろうか。先生と生徒たちを先導しているのは60歳くらいの老人であったが、彼こそが最初に市役所に連絡してきた人物である。

 老人は森の上の方を指差しながら言った。

 「ほーら、あそこに居るのがオオタカだよー」

 子供たちは「わぁー」などと無邪気な声を上げた。すると先生が言った。

 「それじゃぁみんなで、オオタカさんに挨拶しましょーね! はい、せーの!」

 「オオタカさん、こんにちわー!」

 「オオタカさん、こんにちわー!」

 「オオタカさん、こんにちわー!」

 子供たちは有らん限りの声を上げてオオタカに挨拶をした。引率していた老人も、ニコニコと嬉しそうだ。

 「あのオオタカさんを見つけたのは、このおじいちゃんなんだぞー」

 「へぇー! おじいちゃんすごーい!」

 「すごーい!」

 得意気な老人は宗男に向かって言った。

 「そこの若いの。今は何をしとるんじゃ?」

 若いのと言われる年齢でもなかったが、確かにその老人から見れば若造か。

 「えぇっと、今あのドローンでオオタカの巣を壊・・・」

 「オオタカの巣を調査しているんです!」

 いきなり割り込んできた平田が、必要以上に大きな声で被せてきた。そりゃそうだ。壊してるなどと言えるわけがない。平田は苦し紛れの虚言を重ねた。

 「い、今はオオタカの生態調査ということで、巣に雛が居るかどうかの確認作業中でして」

 「ほぉ、それで雛は居たのかね?」

 宗男は勢い込んで答えた。

 「そりゃぁもう、可愛いのが一羽・・・ 見ますか?」

 それからは、子供たちが入れ代わり立ち代わり6号機に入って、先ほど撮影された雛の上映会が繰り広げられた。ドローンを使った生映像を見せたいところだが、親鳥の攻撃が有るため、それを続けることは出来ない。その代わり、全然違う所を飛ばして、その映像を例のVRゴーグルで見せるという新たなアトラクションは、子供たちの心を鷲掴みにした。いや、オオタカに敬意を表して鷹掴みと言うべきか。終いには、あのジイさんも交じって、ドローンが送って来るダイナミックな画像を堪能する校外活動の花が咲いた。その賑やかな光景を平田は一人、困ったような笑顔を張り付けて見守っていた。


 京中電鉄、村山線の南村山駅に恭子が降り立ったのは、この日から遡ること五日前のことであった。宗男から入手した情報を元に、二瓶歳三なる人物を探し出す予定だ。おそらく駅前の交番にでも聞けば、親切に教えてくれるだろう。その前に、例のオオタカの居る森の位置を確認しようと、スマホの地図アプリを手に街の中をぬって進む。駅前は車の往来も多く、それなりに栄えた雰囲気を醸していたが、メインストリートから少し入るとそこは、新興住宅街と昔ながらの農家が混在する静かな街並みとなった。地図にしたがって更に進むと一気に視界が開け、緩やかな起伏を覆いつくすかの様な、長閑な耕作地帯が恭子の目に飛び込んできた。緑色をモチーフにしたパッチワークを、すっぽりと被せた様な武蔵野の風景がそこには有った。そして、取り残されたようなコンモリとした森が、そのあちこちに点在しているのである。その中の一つに、例のオオタカが棲み付いているのだ。地図が指し示す目的の森に向かって、恭子は更に進んだ。

 その森へと続く農道を歩いていると、一人の老人が森の手前で空を見上げて立っていた。年の頃なら60くらいか。手を庇のように額に添えて、先ほどからしきりに森のてっぺん付近を見上げている。恭子は確信した。あの老人が二瓶歳三に違いない。老人に近付きつつ、その背後からそっと声を掛けた。

 「どうかされましたか?」

 老人は振り向いた。その視線は、恭子の姿を上から下へと嘗め回す。

 この日に備え、金髪に近かった髪は大人しめのブラウンに染めた。それを見た宗男の目が、思わずパチクリしてしまったほどの変身だ。服も普段のチャラチャラした格好ではなく、紳士服の赤山で購入したクソまじめなスーツで、バッグに至ってはユニシロで見つけた色気もクソも無いやつだ。どこからどう見ても、真面目なOLにしか見えないはずだが、それでも、その老人のお眼鏡には適わなかったらしい。

 「ふん。アンタみたいな若いもんに話してもしょうがないことだ」

 このクソじじぃ、一筋縄では行かなそうだ。こんなのと一緒に暮らしているお嫁さんが不憫でならなかったが、それでも笑顔は絶やさず話を続けた。

 「あの木の上に何か有るんですか?」

 「有るから見とるんじゃ」

 恭子はむかっ腹が立ちそうになるのを、笑顔で無理やり抑え込む。つい、普段のが出てしまいそうだ。「偉そうな口利いてんじゃねぇぞ、クソジジィ!」と。

 「いったい、何が有るんでしょう?」

 「アンタが知っとるはずも無いがの。あそこにはオオタカが巣を構えとるんじゃ」

 食った! 餌に食い付いた! やっぱりこのジサマ、二瓶歳三に違いない!

 恭子の作戦は次のステージへと進んだ。

 「オオタカ? あぁ、あの希少種の鳥ですね? たしか数年前に絶滅危惧種から絶滅危惧種に再指定された・・・」

 歳三は目を丸くした。それと同時に、急激に態度が軟化した。意外にこのジサマ、偏屈なだけではないのかもしれない。

 「ほぅ。アンタお若いのに詳しいのぅ。その通り。あそこにいる鳥は非常に貴重な種なんじゃよ」

 よしよし。ここまで引き摺り出せば、あとは何とかなりそうだ。餌に喰い付いた魚の口に、針がしっかりと食い込んだのを感じた恭子は、更に歳三を導いた。

 「それで最近、市役所が調査していたんですね?」

 「左様。その情報を市役所に教えたのもわしじゃ」

 「そんなに貴重な鳥なら、近くの子供たちにも見せてあげたいですね。私たちだけが見ているのでは勿体ない気がします」

 「うむ。子どもの頃から野生動物に親しむのは、何物にも代え難い経験になるだろうな。わしらが子供の頃は野原で遊んだものじゃが、最近の子ときたらテレビゲームばっかりで・・・」

 よし! 一気に畳み込むぞっ!

 「来週火曜日の10時に、市役所が再調査するそうですよ。その時に子供達にも見せてあげられたら良いんですけどねぇ」

 恭子は少し上目遣いで歳三の表情を探った。さぁ、どうするジサマ? もうひと押し必要か? その干乾びたケツを上げさせるには、あと何が必要だ?

 「おじいさんみたいな動物愛護の心を持った優しい子供たちが増えれば、きっとこれからの日本も安泰なんですけどねぇ」

 日本の未来は言い過ぎか? でも、こういう戦争経験の有るジイさんは、そういった話に弱いはずだ。さぁ、どうだっ!

 「ふぅ~む、子供達か・・・ 孫の担任にでも話してみるか。折角の機会だしの」

 よっしゃぁ! 恭子は心の中でガッツポーズを決めた。

 「それは良いアイデアですわ。来週火曜日の10時。子供たちもきっと、優しい大人になれるでしょう。来週火曜日の10時ですからね」

 年寄りの記憶ほど当てにならない物は無い。恭子はジサマの硬くなった脳に刻み付けるように、不自然なくらいに「来週火曜日の10時」を擦り込んだ。

 「うむ。来週10時の子供たちに火曜日じゃな」

 「違いますよおじいさん。しっかりして下さい。来週火曜日の10時ですよ」

 「さっきからそう言っておる」


 こういった恭子の裏工作・・・により、火曜日の10時に子供たちが大挙して押し寄せてきたのであった。この流れであれば、話の発起人はジサマということになり、そこに正体不明の女が暗躍していたという事実は、闇に葬られてしまうだろう。これにより、MKエアサービスには契約通りの依頼料が入り、なおかつオオタカの森も守られることになる。恭子の作戦勝ちであった。


*****


 例によって食卓にはコロッケが並んでいた。その一つを自分の皿に取り分けながら宗男が聞いた。

 「ねぇ、恭子ちゃん。あの子供たち、どうやって仕込んだんですか?」

 「んん~、別に特別なことはしてないよ。変なジサマが居たから、そうすればって言っただけ」

 「言っただけって・・・」

 「何だかよく覚えてないよ。忘れちゃった」

 恭子はテレビを見るのにご執心で、宗男の話には適当に受け流していた。その時、宗男はふと思い出したことを恭子に告げた。

 「あっ、そうそう! 結局、あのアウトレット計画は実行されるそうですよ」

 「えぇっ! なんでよっ! どういうことよっ!? オオタカはどうすんのさ!?」

 それまで、大した興味も無さそうだったのに、いきなり喰い付いてきた恭子にビビりながら宗男は答えた。

 「い、いや・・・ アウトレット内の憩いの場として、あの森はそのまま残すらしいです。ちょっとしたお散歩コースとか、そういう感じなんじゃないでしょうか・・・」

 「ふぅ~ん」

 「森の直ぐ周りは、オオタカに配慮して背の低い建屋にして、『自然と共生するアウトレット』みたいなコンセプトで・・・ 恭子ちゃん?」

 その時、恭子は既に興味を失って、テレビに見入っているようであった。「ふぅ」とため息をついた宗男が皿のコロッケを箸で切り分けると、そこからジューシーな肉汁が溢れ出た。メンチカツであった。宗男はびっくりして恭子の顔を見た。

 「恭子ちゃん・・・ こ、これ・・・」

 恭子はテレビに映る市村けんのギャグを見て大笑いしていた。

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