第一章:それって軽犯罪法違反?

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 この世に、ここまで使えない男が実在するのか? と思えるくらいのダメ社員を地で行く宗男だが、そんな彼にも生き生きとする瞬間が有る。それは、趣味のドローンを操っている時だ。ドローンのプロポを手にしている時の宗男は、まるで別人の様に自信に満ち溢れている。無論、会社の同僚たちは、宗男のそのような側面を知らない。知るつもりも無いし、興味も無い。だがそれは、単なる趣味の範疇を超えた、決して人には言えない側面を隠し持っているので、周囲の人間に知られていないことは宗男にとって好都合なのであった。その人には言えない側面とは一体何か?


 それはドローンを用いた覗き・・だ。


 夜に飛ばしてマンションなどの窓を外から覗き、ドローンに搭載されたカメラで撮影した画像をリアルタイムで視聴・・するのだ。そのGoProが捕らえた画像はMPEG-4にエンコードされた後、専用のトランスミッターを通じて送信され、宗男がしつらえたワンボックスの軽自動車 ──宗男はその違法(?)改造車を、6号機と呼んでいた── の荷室で受信される。レシーバーが取得した画像は荷室内のモニターに映し出すことも可能だが、宗男のお気に入りはそれをVRゴーグルに映し出すことだ。そうすることによって覗いている感・・・・・・が増し、より深い背徳感に包まれた宗男は異様な興奮を覚えるのであった。

 もちろん6号機の荷室には窓は無く、それは宅配便などの用途に使われる、あまり一般的ではない車両モデルがベースとなっている。これによって、荷室内でVRゴーグルを着けた宗男があられもない醜態を晒していたとしても、それを通行人に咎められることは無いし、警邏中の警察官によって職務質問を受けるリスクも減らせるわけだ。更に手が混んでいることには、6号機の荷室上部にドローンの発着ポートが装備されていることであった。その発着ポートは手動ながら左右に開くことによって荷室内から現れ、そこから飛び立つドローンはあたかも秘密基地から発進する国際救助隊の様な雰囲気だ。そのため宗男は、発着ポートを開くたびに「タッタララ~ン」と、サンダーバードのテーマを口ずさんでしまうのであった。この改造によって、ドローンの発進から回収に至るまで全ての作業を車内から行うことが可能となり、宗男は一歩も車外に踏み出すことなく、その趣味・・を満喫できるのだ。

 ちなみに宗男がこの車を6号機と名付けたのは、サンダーバードには5号機までしか無いからで、決してこの手の車を6台もあつらえたわけではない。


 そもそも高層マンションの住人は、自分たちが外から覗かれているなどとは、夢にも思っていないものなのだ。むしろ彼らは高い所から他者 ──例えば二階建ての一戸建て住宅など── を見下ろすことに慣れ切っていて、覗いているのは自分たちであるなどと誤解している場合が多い。普通に考えれば、背の高い建物の方が人の目に触れる確率が高いことは、子供にだって理解できる原理原則だ。にもかかわらず高低という物理的な位置関係が、あたかも社会的な、ないしは人間的な高低を反映したものであるかのような根拠の無い勘違いを呼び起こし、自分たちが「見下ろす存在」であるとの優越感が根底に横たわっている。従って、高層マンションの住人たちの多くは、プライバシーに関する警戒心が予想以上に低く、カーテンなどは開けっ放しで生活している者が多いということを、宗男は覗きを通して学んだ。こういった物理的な位置関係と社会的な位置関係を混同する、人間特有の行動原理というか習性を研究すれば、ひょっとしたら何らかの学位が取得出来るのではあるまいかと思えたが、宗男には学問の発展に寄与する意思は希薄であった。


 そんな宗男も昔から覗きに手を染めていたわけではない。運動神経が悪い上に、身体だけは大きかったのでクラスでは目立つ存在だった。もちろんイジメられる側である。図体だけはジャイアンなのに中身はノビ太ということで、友達からはジャビ太と呼ばれていたことは、今でも宗男の心に深い傷を残している。お昼に弁当を食べようとしたら、中身が全部食べられていたことは数知れず。後ろからいきなりズボンをずり降ろされて、チンチンが丸出しになるなど日常茶飯事だ。「みんなで海に行ってカレーを作るから、お前は家から大きな鍋を持ってこい」と言われ、約束の日に大鍋を持ってバス停に居るところをクラスメイトが陰から覗き見て大笑いしていたことには、最後まで気付かなかった。宗男がそのまま海まで行って、誰も居ない砂浜に降り立った頃には、クラスメイト達は公園で野球をしていて、そんな悪戯をしたことすら忘れていた。

 こういう、どうしようもない子供時代のジャビ太・・・ いや、宗男にとっての友達と言えば、近所の野良猫とオモチャくらいのものだ。そう、オモチャ。宗男にとって、このオモチャに没頭する時間が唯一の救いとなってゆき、次第にのめり込むようになっていった。最初はみんなと同じようなオモチャで遊んでいたが、徐々に工夫を凝らし、宗男のオモチャは独自の進化を遂げた。そしてそれは、場合によってはクラスメイトが羨ましがるような素敵なオモチャに変貌していったが、当然、それを妬ましく思う輩が出てくるわけで、宗男が丹精込めて作り上げたモノは無残にも叩き壊されたり、あるいは無理やり強奪されたりして、本人の手元には残らないのであった。

 そんなことが続くうち、宗男は自分のオモチャを決して人には見せないようになり、それが今の隠れた趣味に繋がる布石となったことは想像に難くない。従って、小学校を卒業する頃の宗男がどんなオモチャで遊んでいたのかは、実は誰も知らなかったのであるが、その頃、既に宗男はラジコンで遊んでいたのだった。

 とは言え、そこまでラジコンに傾倒していたわけではない宗男は、その恵まれた体格を活かしてプロレスラーになるのが中学時代の夢であった。今はイジメられているが、いつの日かあの四角いリングに立って悪い奴らをコテンパンにやっつける自分を想像するのが好きだった。勿論それは夢以外の何物でもなく、ヘタレな宗男にプロレスラーなど務まるはずもない。従って、テレビでプロレス中継を見ては、果てしの無い夢想にふけるのが関の山だ。いつかなど、ジャイアント馬場の32文キックに感動し、「馬場が飛んだ!馬場が飛んだ!」と母親に報告しに行ったら、「クララが立った、みたいに言ってんじゃないよっ!」と、思い切り頭をどやし付けられたものだ。


 地元のさして頭も良くない普通の進学校に進んだ宗男は、そこから人生の逆転劇が始まるという都合の良い高校生活を思い描いたものだが、現実がそんなに甘いものではないことを知るのに、一学期の全てを費やす必要は無かった。同じ中学から進学して来た奴が、ご丁寧に「ジャビ太」の語源から触れ回り、宗男は早々に慣れ親しんだ立ち位置に返り咲くこととなった。無論、弁当を食べてしまうような幼稚なイジメは無くなったが、代わりに手の込んだ悪だくみが宗男を襲った。プールの時間には、「ムネオ」と油性マジックで書かれたブリーフが、何処からともなく流れ着いた。クラスの女子の教科書には、「好きです・・・ 君のことを想っています・・・ 宗男」みたいな、背筋も凍る様な告白が書き込まれた。通学で使う宗男の自転車のスポークには何故だかアイスクリームの包装紙がきつく結ばれていて、どうしても取り切れずに仕方なくそのまま走ると、「ブババババッ!」っと間抜けな音が響いた。ただし、この自転車の場合に限って言えば、道行く小学生男子から尊敬の眼差しで見詰められて、決して悪い気はしなかった宗男なのであった。

 この頃から宗男のラジコン熱は再び過熱してゆき、それによって機械やら電気回路やらに興味を抱き、将来の方向性が固まったのは幸運だったと言えよう。こんな男が大学受験という選択をするに至ったのは、全てイジメを起因とするラジコンへの逃避のお陰である。


 法澤大学工学部の機械工学科に入学した宗男が充実したキャンパスライフを送るはずも無く、その容姿に淀んだ空気の様な陰気さを纏い始めたのはこの頃だ。救いと言えば一学部だけ離れたキャンパスで、工学部の学生のみが通う構内には華やかな女子大生の姿は少なく、むしろ宗男と同じ匂いのする連中がそこら中に居たことであろうか。彼らの身の上話を聞いたことは無いが、宗男は自分の過去を彼らに投影し、よくもまぁこれだけ悲惨な人生を送ってきた奴らが集まったもんだと、他人事のように感心したものである。その急先鋒に立つ悲惨系男子の代表が自分自身であることには、全く気付くことも無くだ。

 そんな宗男の人生を変える出会いが流体力学の講義中に起こった。教授がその学術分野の応用事例として挙げた、いくつかの実施例の中に聞き慣れない言葉が混じっていたのだ。それが「ドローン」である。その不思議な言葉は宗男の心を鷲掴みにした。何故かは判らなかった。それが何を意味するのかも、正確なところまでは理解できなかった。それでも「ドローン」は、アラビアのおとぎ話に出てくる魔法の言葉のように、あるいはヨーロッパの童話に不可欠な秘密の言葉のように、もしくは日本古来の伝承の中に眠る呪文のように、宗男の中に沁み込んだ。

 そもそもドローンとは『遠隔操作または自動制御によって飛行する無人の航空機』と定義 ──場合によっては、自律飛行できないものはドローンと呼ばないという説も有り── されていて、その点、宗男のラジコンとは何の相違も無いように思える。そう、それはラジコンと何ら変わるところは無いのだ。それなのに「ラジコン」と言うと、イケてない男子のつまらない趣味の様な印象を与えるのに、「ドローン」と言えば、あらゆる用途への応用の可能性を秘めた最先端の様な響きだ。しかもドローンを操作する人は「パイロット」などと呼ばれるなんて、ラジコン世代にとっては夢の様な話ではないか。ズルい。ズル過ぎる。宗男は思った。

 「よぉし、俺もドローンパイロットになってやる!」

 だが、誰も宗男のことを「パイロット」とは呼んではくれなかったのであった。何故か? それは中学・高校時代に培った、趣味を誰にも明かさないという自衛のための習性が、そうさせていたことは言うまでも無いだろう。


 こうして宗男は大学を卒業し、ヤマブチモーターに就職を果たした。しかし、技術系であるはずの宗男が配属されたのは営業部。自分で創意工夫をして、より良い物を創出するという部分において宗男は、他人よりも一歩抜きんでた才能を持ってはいたが、会社の人事部の連中にそこまでの洞察力は期待できないだろう。およそ人事と名の付く仕事をしている奴で、本当に人間を見ている者が一体何パーセント居るだろうか? 結局、法澤大学程度のブランド力では、技術系といえどもそういう・・・・扱いなのは、いまだに日本が学歴社会から脱していない証と言えたが、宗男にその逆境を跳ね返すだけのバイタリティーが備わっているはずも無く、ズルズルと営業職を続けていたのであった。

 第一営業課は玩具など、最終製品に用いられる「消費財モーター」を担当。一方第二営業課は、会社規模の拡大に伴い分離した新しい営業課で、工場などの生産設備に使われる「生産財モーター」を担当している。宗男はその第二営業課所属で、日本全国津々浦々の会社を回り、モーターを売り込むのが仕事だ。勿論、宗男にそんな仕事が要領よく出来るわけは無いのであって、ヤマブチモーターのジャビ太くんとしての地位は、既に揺るぎの無いものとなっていた。会社では、性格のねじくれた上司や意地の悪い同僚たち、あるいは宗男に浮かび上がる隙など全く与えるつもりの無い、完膚なきまでに見下したOLたち、そんな人間に囲まれて息つく暇も無いほどに押しやられて生きている。酷い時など、宗男の鼻息がうるさくて仕事に集中できないと同僚たちが騒ぎ出し、結局、宗男だけが社員食堂で仕事をさせられたことすら有ったのだ。そんな事情を知らない食堂のおばちゃんが、テーブルを拭きながら宗男の隣にやって来てこう言った。

 「あんたの鼻息、うるさいね」

 そんな宗男の精神的なバランスを保っていたのは、言うまでも無く例の・・趣味だったのだ。宗男の歩んできた歴史、それから今の彼を取り巻く状況、更にこれから宗男が歩んで行くであろう茨の道。それら全てを心に浮かべた時、これくらいの小さな趣味は大目に見てやってもいいのではないかと、誰もが思う・・・ わけではないのだろう。

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