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「阿久津さん、チョッとご相談が有るのですが・・・」
二人は例の公園で、あの時と同じベンチに腰かけていた。今日もメロンパンを千切っては投げ千切っては投げしている阿久津に、池の方を見ながら話しかけた。
「GoogleMapで確認したんですが、テストコースってかなり広いんですね?」
「そうですね。高速走行試験では時速200km以上の速度を出しますから、かなり長い直線が必要です。他にも、ハンドリングコースや特殊路面のコースなども必要ですので、かなりの広さになりますね」
そんなに詳しいのは、阿久津が自動車関連の人間であることを暴露しているようなものなのに、得意気に話すその姿は嬉々としていた。素人相手に業界のコアな話を垂れる時は、誰もが口が軽くなるというものだ。
「となると、かなり遠距離で撮影することになるのですが、ウチの機材ではそこまで遠くの物を捉えることは出来そうにありません。かといってニッタの敷地上空まで侵入することは出来ませんし」
「はい。おっしゃることは判ります」
「そこでご相談なのですが、阿久津さんのお知り合いに、小型カメラ関係に強い会社などはございませんでしょうか? もし、ドローンに搭載可能な、高性能な望遠機能付きカメラが有れば、ご依頼をお受けすることが可能だと思うのですが・・・」
阿久津は遠くを見る様な顔をした。宗男が事前に調査したところでは、トヨサンのメカトロ系子会社にトヨサン精機という会社が有り、そこがかなり高性能な小型カメラを上市している。もし阿久津がトヨサン関連の人間であれば、トヨサン精機にも顔が利く可能性が有る。
かといって、そういった系列会社を宗男に紹介してしまっては、阿久津本人がトヨサンの関係者であることが明白となってしまうので、迂闊には対応できないという意味の躊躇であろう。遠くを見る目の阿久津が、珍しく宗男に視線を向けた。
「判りました。チョッとした心当たりがあるので、知り合いの人間に相談してみましょう。そこで向こうがOKと言えば、宮川さんに小型カメラをご提供できるかもしれません。それで宜しいでしょうか?」
「はい、承知いたしました。よろしくお願いいたします」
数日後、宗男のアパートに・・・ いや、MKエアサービスの事務所に宅配便が届いた。比較的小さな段ボール箱であったが、開けて中を見てみるとそれは、小型の望遠カメラであった。そのメーカーはトヨサン精機。宗男の読み通りである。しかもそれは工場から直接、送付されたらしく、ご丁寧に担当者からのメッセージを封入した茶封筒が同封されていた。
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MKエアサービス、宮川様
阿久津様より依頼のありました、ご要望の小
型望遠カメラ一式を送付いたします。
弊社は阿久津様がトヨサン自動車様に在籍中
から、格別のご好意を賜りました関係上、今
回は無償にて提供させて頂きます。
弊社が開発した、世界最小の最高機種となっ
ており、トヨサン自動車様の最新車種レクリ
エRSにも、歩行者検出用カメラとして採用
されるなど、弊社が自信を持って提供させて
頂けるものと自負しております。
一般ユーザー向けの製品ではございませんの
で、取扱説明書などの準備はございません。
代わりに、入出力端子の配線図を同封いたし
ますので、ご参照下さい。
取扱方法など、不明な点がございましたら、
増田までお問い合わせ下さい。
今後とも弊社の製品に変わり無いご愛顧を賜
りますよう、よろしくお願いいたします。
つきましては、弊社のメカトロ関係のカタロ
グを同封いたしますので、ご笑納頂ければ幸
いです。
トヨサン精機 増田
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おそらく阿久津も、全てには目を配ることが出来ないのであろう。系列会社とは言え、別会社の人間までコントロールすることは難しいようだ。所々にほころびが発生し、阿久津の人物像が徐々に明らかとなってしまうのは致し方ないと言える。もっとも宗男としては、阿久津にそれ程の興味が有るわけではないのだが。
その茶封筒に印刷されたダイレクトインの番号に電話をかけ、宗男は直ぐに増田なる人物に謝辞を伝えた。特に理由が有ったわけではないのだが、ヤマブチ時代の癖で、ついお礼の電話をかけてしまったのだ。ところが、その電話でのチョッとした雑談の際に、増田が同じ法澤大学工学部の同窓生 ──宗男は機械工学科、増田は電子工学科── であることが判明した。当然ながら、二人が意気投合したことは、阿久津には黙っておくべきであろう。
その後の数日間、宗男と恭子はトヨサンの依頼を完遂すべく奔走した。そんなある日の帰り道で、二人は電車を待ちながら話し込んでいた。
「大丈夫かなぁ・・・」と心配そうな宗男に、恭子が太鼓判を押す。
「大丈夫、心配ないって。きっと上手くやれるって」
それでも宗男の気は晴れなかった。
「でもぉ・・・」
その時、駅の階段を降りてくる人ごみの中に、見覚えの有る顔を見つけた。その男は、キョロキョロと辺りを見回しながら、タチの悪そうな視線を周囲に投げかけている。「誰だっけ?」宗男の頭にそんな疑問を浮かび上がると同時に、その答えが脳の別のとこから飛び出してきた。宗男は直ぐに恭子を抱き締め、ホームに設置されている自販機の影に連れ込んだ。驚いた恭子が言う。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ、宗男?」
宗男は「しっ!」と言って、さらに強く恭子を抱きすくめた。前の開いた宗男のコートに包み込まれるように、恭子の細い肩は宗男の腕の中に有る。恭子の身体は図体の大きな宗男の陰に隠れてしまい、一見すると宗男が一人で壁に向かって立っているようだ。その見覚えの有る顔が宗男の後ろを通り過ぎる際、宗男は恭子を抱く腕にギュゥゥっと力を込める。それに応じて恭子も「宗男・・・ 苦しいよ・・・」とつぶやくように言う。宗男はもう一度「しっ!」と低く言って、その頬を恭子の頭に押し付けた。
見覚えが有る男は、以前ユニシロの前で宗男を殴り付けた男だった。宗男にとっては忘れもしない顔と言えたが、向こうにとって宗男の顔など、記憶するに値しないのだろう。だが、あの様子からすると、ひょっとしたら恭子のことを探しているのかもしれない。たまたまユニシロで見かけて、この近辺に目星をつけて歩き回っている可能性は捨てきれない。宗男はそのままの姿勢で、自販機の影から男を目で追った。男は相変わらずキョロキョロしながら、埼京線への連絡通路へと続く階段を降りて行った。
「ふぅ~・・・」っと息を次いで腕の力を緩めると、宗男のコートにスッポリとくるまれて小さくなった恭子は、可愛らしい女の子のように少し赤らめた頬を宗男の胸に押し付けたまま、目を瞑って幸せそうな微笑みをその顔に張り付けていた。なんだか、とても素敵な夢でも見ているようだ。
「もういいよ、恭子ちゃん」
宗男がそう話しかけると恭子の両目が開き、険しい視線が覗いた。「カチン」という音が聞こえた様な気がした。
「えっ、何? これだけ?」恭子が至近距離から宗男を見上げる。
「え、えぇっと・・・」宗男は、恭子の豹変の意味が判らない。
「『もういい』って何よっ! 『もういい』って! バカ宗男っ!」
恭子は目の前の胸をドンと突き放すと、足で宗男の向う脛を思いっきり蹴り上げた。宗男は蹴られた脛を押さえてその場に崩れ落ち、「ほぉーーーっ!」っと言いながら悶絶する。そして恭子は、宗男の身体を押しのけるようにして、ホームの奥の方へとツカツカと歩いて行ってしまった。ちょちょ切れる涙で、その後姿が滲んで見えた。
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