第五章:それって違法捜査?

5-1

 宗男が恭子と街を歩いている時であった。突然、何者かが宗男の右肩を叩いた。

 「よっ、宮川じゃないか? 久し振り!」

 宗男が振り返ると、そこにはかつての上司、課長の森の顔が有った。以前の様にニヤニヤしながら、宗男をバカにするような表情だった。

 「あ、森さん・・・ お久し振りです・・・」

 森は隣を歩く恭子を、宗男の連れだとは思っていないようだ。そりゃそうだろう。こんなイケてない宗男が、恭子の様な上玉を連れて歩いているはずなど無い。誰が見たって、二人の間に何らかの繋がりが有るとは思わないだろう。

 「今、何やってんの? 会社辞めちゃって、どうしてるかなぁなんて、課の皆と話してたんだぜ」

 そんな筈は無い。あの営業課の連中が、自分のことなど気にするわけが無い。猫がネズミをいたぶる様に、森はネチネチと宗男に絡み付いて来た。その、明らかに宗男を小馬鹿にした態度を見た恭子はカチンと来て、二人の会話に割って入る。いきなり宗男の左腕に抱き付いて、しだれかかる様に体重を寄せて反対側の森を見ながら言った。

 「宗男ぉ~、誰なのこのオヤジぃ?」

 「あっ、この人は前の会社の課長さんで、森さんていうんだ」

 恭子は自分の豊かな胸を、宗男の左腕にグイグイと押し付けた。その様子を見た森は言葉を失った。

 「ふぅ~ん、宗男より年下っぽいけど、なんでタメ口なの~?」

 「そ、それは一応、上司だったから・・・」

 「だって今は上司じゃないんでしょ~。てか、こんな冴えないオヤジが上司だったなんて、宗男苦労したんじゃないの~?」

 その辛辣な言葉にドギマギする宗男を無視して、恭子は甘えるような声で続けた。

 「そんなオヤジ放っといて、早く行こうよぉ。今夜もスッゴイのってくれるんでしょう? 私、もう我慢できないよぅ」

 そう言って宗男の腕を引っ張った。

 「は? スッゴイの?」

 恭子は構わず、ズンズンと宗男を引っ張って行った。宗男は慌てて森に挨拶する。

 「じゃ、じゃぁ森さん。失礼します・・・ お、おぃ、恭子ちゃん。そんなに引っ張らないで・・・」

 森はポカンと口を開け、金魚の様にパクパクさせていた。


 「どうしたんですか、恭子ちゃん?」

 「だってアイツ、ムカつくんだもん! 宗男、あんな奴に使われてたの?」

 「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないですか。自分で上司を選べるわけじゃないんだし・・・」

 「そりゃまぁ、そうだけど・・・ あんまり腹が立ったから」

 「サラリーマンなんて、そんなもんですよ。今更気付いたのかって感じですけど、今みたいな個人営業の仕事の方が自分には合ってますね」

 サバサバした後腐れのない様子の宗男を見て、恭子は何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。

 「まっ、いいや。行こ。スッゴイのってくれるんでしょ?」

 「だから、さっきから言ってる、その『スッゴイの』って・・・」

 「あははは」

 宗男の質問には答えず、恭子は楽しそうに笑いながら、先に立って歩き出した。「ふぅ」とため息をついた宗男も、少し楽し気にその後を追った。


 「ってことは、暴力団関係じゃないんだね?」

 宗男の話を聞いた崇は、安心した様子で言った。熊林事務所での崇の不甲斐なさと言ったら、宗男がスーパーヒーローに思えるくらいの情けなさであったことを思い出した。ヤクザとかチンピラとかには極端に弱く、ひょっとしたら高校生くらいの頃は、きっと不良生徒なんかにもビビりまくっていたに違いない。

 「そうみたいなんですよ。話しかけてきたのはマル暴の刑事さんなんですけどね」

 「警察組織って縦割り社会なんでしょ? マル暴が他の課に便宜を図るって、あんまりイメージが湧かないなぁ・・・」

 そんな会話に、一人だけ取り残されている恭子が不満げに割り込む。

 「ねぇ、その丸棒って何なのよ? アンタらだけで話進めないでよ」

 「マル暴ってのは、暴力団専門の捜査課のことだよ。普通の所轄だと、だいたい捜査第四課がマル暴なんだけど、東京の所轄、つまり警視庁はチョッと違う組織形態らしいよ」

 崇の説明だけでは、まだピンと来ない。

 「ふぅ~ん、それで?」

 代わって宗男が受け継いだ。

 「今回の依頼は、どうやら政治家の汚職に関する捜査協力依頼なんですけど、そういった政治がらみの捜査は、普通、捜査第二課がやるものなんですよ。それぞれの捜査課は手柄を奪い合っていがみ合うことすら有れ、協力して捜査に当たることは普通は無いって言われてるんですけどねぇ・・・ しかも、最初に声を掛けてきたのは神奈川県警の刑事さんなんですよ」

 「ってことは、警察組織のもっと上の方の意向が働いてるってこと?」崇は思い付いたように言ったが、宗男は既にその可能性を考えれいたようだ。

 「そうかもしれませんね。ひょっとしたら警察庁とか・・・」

 「どうでもいいけど、何でアンタらがその辺に詳しいのさ? 専門家でもあるまいし」

 「誉田哲也の小説に書いてありましたね」

 「俺の知識はウロボロスからだよ。知ってる? 『警察ヲ裁クハ我ニアリ』っつって・・・」

 「それを知識とは言わないよ」と恭子がピシャリと言う。

 「で、具体的にはどんな依頼なのよ、宗男」

 「それが・・・」


 その前日、宗男は警視庁新宿署に呼び出されていた。てっきり倉庫街で声を掛けてきた神奈川県警に出頭(?)させられ、あのマル暴刑事に会うものと思っていた宗男であったが、呼び出されたのは警視庁で、しかも対応に出てきたのは西村と名乗る品の良さそうな刑事である。マル暴特有の暴力的で骨太な厳つさは全く無く、むしろスマートさを漂わせるインテリタイプの好青年だ。そのスラリとした立ち姿と精悍な顔つきから、知能の高さが滲み出ているようなタイプと言ってよい。足を使った地道な捜査というよりは、ITを駆使した近代的な捜査を得意としていそうな印象を受けたが、人を外見で判断しては痛い目に遭う。こんな風に見えてもヤクザ者と対峙した際には、鬼のように豹変するタイプかもしれないではないか。宗男は気を引き締めた。

 「宮川さんですね? 神川県警の鬼頭よりご紹介頂きました、私、警視庁の西村と申します」

 それは、思ったよりも若々しく、それでいて自信に満ち溢れているような声だった。きっとエリートと呼ばれる人生を歩んできたのであろうが、その物腰には己の過去をひけらかすような醜悪さは、まるで感じられなかった。やはりどう考えても、マル暴とは思えない。

 「はい。MKエアサービスの宮川と申します」と言って、先日刷り上がったばかりの名刺を差し出した。

 西村はそれを両手で丁寧に受け取ると、自らも胸ポケットから名刺を取り出した。かしこまってそれを受け取った宗男が、そこに書かれている所属を見て目を見開く。

 「捜査第二課? あのぉ、マル暴の・・・ いや、暴力団関係の刑事さんではないんですか?」

 「あっはっは、よくご存じですね。そうです。私はマル暴ではありません。捜査第二課、つまり詐欺や脱税などの金銭犯罪を扱う刑事です」

 なるほどと合点がいった。だからこのようなエリートサラリーマンのような風情なのか。それにしても、神奈川マル暴の紹介で警視庁二課が出てくるのは違和感だ。宗男は注意深く尋ねた。

 「それで、どういったご依頼でしょうか?」

 すると西村は、にこやかな笑顔はそのままで、若干、声を潜めた。

 「宮川さん、自明党の波多野亮介をご存知ですか?」

 「自明党のはたの・・・ ハタノ・・・ !!! 波多野亮介っ!?」

 思わず大声を上げてしまった宗男は慌てて口をつぐむと、キョロキョロと辺りを見回した。宗男の声は、新宿署の広いロビーに響き渡っていたが、幸運なことに、誰もその声には反応していないようだ。再び声を落とす宗男。

 「波多野って、あの波多野ですか? 国務大臣の?」

 西村はにこやかに言った。宗男が大声を上げたことも、気にはしていないようだ。

 「えぇ、あの波多野です。私どもの依頼は、彼の身辺を調査するお手伝いをして頂きたいというものです」

 波多野と言えば、第二次安藤内閣の組閣の際に初入閣を果たした、若手の国会議員であり、続投確実と噂される第三次内閣でも、そのまま大臣職を留任するとの見方が大勢を占めている。その若さから国民からの信頼も厚く、自明党を牽引する大物政治家の一人だ。その一方で、内閣府特命国務大臣などという意味不明な役職で、実際のところどのような仕事をしているのかを知る国民は少ない。そういう宗男も、波多野大臣の仕事内容には何の予備知識も無いと言ってよい。その波多野の身辺を警察が調査するとは、いったいどういうことだ? 捜査第二課が出てきているということは、波多野に脱税容疑でも掛かっているのか? しかし宗男は、熊林組の依頼を受けた際に、余計なことには首を突っ込まず、依頼されたことだけをこなしていた方が身のためであることを学んでいる。

 「判りました。では、依頼内容について、もう少し具体的に教えて頂けますか? 社に持ち帰って、スタッフと受託可否判断をする際の参考に致しますので」

 いつもの先送り作戦だ。おそらく西村は、MKエアサービスが会社と呼べるほどのモノではないことを知っているかもしれないが、この際そんなことに構っている暇は無い。

 「はい。父の波多野幸三の時代から、生粋の政治家一家のサラブレッドとして順調満帆な人生を歩んで来た波多野は、今も父の残した豪邸に住んでいます。その目黒にある邸宅に出入りする人間を監視して頂きたいのです」

 「豪邸と言うからには、敷地からしてかなりの広さを持つということでしょうか?」

 宗男はニッタ・テストコースでの経緯を思い出していた。広い敷地内を外から監視するのは、あの時の手法が使えると考えたからだ。

 「はい、仰る通りです。鬱蒼とした森に囲まれていましてね。それはGoogleMapで見ても、直ぐに判るくらいです」

 「も、森ですか?」

 それでは外部から監視することなど出来ないではないか。

 「その森に阻まれて、外から中を伺うことは出来ません。勿論、敷地内への車の出入りを監視することは可能ですが、窓ガラスに目張りをされていたら全くのお手上げです」

 「では、どうやってそれを・・・ まさか、敷地内にドローンを侵入させろと?」

 「それが必要とあれば、やらざるを得ないでしょうな」

 「でも、それって・・・」

 「違法捜査だと?」西村はあえて疑問文で答えた。

 「違うんですか?」

 「違いません。それは明らかな違法捜査です。従って、それによって得られたものが何であろうと、それには証拠能力は有りません。ただ、中で何が起こっているのかを我々が知るための材料にはなります」

 西村が声を潜めた理由が、やっと理解できたのであった。


 「えぇーーーっ! 警察って、そんなことを平気でするの? 信じられない」

 恭子がそう言うのも無理は無い。警察とは市民を守るために存在すると信じてきたのは、宗男だって同じだ。たとえ相手が政治家という「公人」であったとしても、法律の一線を超えた捜査が黙認されていいことにはならない。とは言え、これまで当たり障りの無い表稼業・・・の合間に、人には言えない裏稼業・・・で、随分と稼がせて貰っている。それを必要悪と開き直るつもりは無いが、依頼主の動機や依頼理由、あるいは得られた情報の使い道などに深入りすべきでないことは、、MKエアサービス歴の長い三人にとっては暗黙の了解以上のと言ってよかった。

 「とにかくですね、ドローンを大臣宅の敷地内に、どうやって入れるかを考えなきゃいけないんですよ」

 「見付かり難い方法は考えなきゃならないけど、入れるだけなら簡単だよね。でも人の出入りを監視するとしたら、そこに居続けなきゃならない」

 「その通りなんですよ、崇くん。家の出入り口は決まっているから、一旦入り込んだらそこを重点的に監視すればいい。つまり、中であちこちに飛び回る必要は無いんです」

 そこから先は恭子が引き継いだ。

 「つまり、発見されずに長期間そこに留まって、映像を送り続ける必要が有るってわけね」

 「そりゃぁ、厄介だね。飛ばなくていいからバッテリーは節約できるけど、それでもカメラを使い続けたら1日で終わっちゃうよ」

 しかし、何日も録画しようと思ったら大きなバッテリーが必要で、当然、ドローンも大型にならざるを得ない。そんな大きなものを見付からずに侵入させるのは至難の業であろうし、どうやって隠すかも問題だ。頭を抱える宗男に恭子が言った。

 「じゃぁ、逆にさ、小さくしたらどうかな? 見つかり難いように」

 「小さくですか?」

 「そう。バッテリーは一日しか持たないから、毎晩、夜中に交代させるの。熊林組の一件で暗視カメラの経験は有るから、暗闇でドローンを入れ替えるくらいでもないでしょ?」

 飛び切りのアイデアを思い付いたかのような表情の姉に、崇が賛同する。

 「確かに。ニッタ・テストコースで、迷彩塗装のカモフラージュと望遠撮影も経験してるから、不可能ではない気はするね」

 「ち、ちょっと待って下さい、そんなに簡単じゃないと思いますよ」

 調子良く盛り上がる二人に、宗男が釘を刺した。

 「夜中に交代するのはいいとして、まず、来客が昼に来るか夜に来るか判らないから、暗視野用と明視野用の望遠カメラが必要です。それに暗視カメラの望遠バージョンは有りませんし、ドローンを飛ばす際は望遠画像ではコントロール出来ません。最悪、3台のカメラが必要になりますが、そんなの全部背負わせたら大型犬くらいのサイズになっちゃいますよ」

 口を尖らせた崇が不満げに言う。

 「暗視の望遠カメラなんか、またトヨサン精機の増田さんに頼めばいいじゃん」

 「そんなに簡単に言わないで下さいよぉ。頼む方の身にもなって」

 「いっそのこと、その増田っち・・・・を、ウチに引き込んだらどうかな? もうレギュラーみたいなもんじゃん?」

 話が関係無い方向に流れ始めたので、宗男が修正した。

 「いや、それは別の話ですから。それは後で考えるとして、今はこの件に集中してくださいよ」

 そういえば日本の会社の会議って、流れが直ぐに脇道に逸れ、それでいて時間だけ掛かって結局何も決まらない。それって、日本人の特徴なのだろうかと、それこそ関係無いことが頭に浮かび、宗男は慌ててそれを頭から振り払った。

 「じゃぁさぁ・・・ 分けよう! うん、それが良い!」

 恭子のアイデアは尽きることは無いようだ。素人考えの、素朴でいて強力な打開策が窮地を救うことはよくある話だ。

 「分けるとは?」

 「昼用ドローンと夜用ドローンの二直態勢」

 しかし、さすがの恭子でも、今回のMKエアサービスが直面する困難を乗り越えることは難しいらしい。

 「それもダメですよ。ドローンの入れ替えは見付からないように、夜にしかできないでしょ? つまり夜間飛行用に通常画角の暗視カメラは絶対必要です」

 「じゃぁどうすればいいのさっ! さっきから人の言うことにケチばっかり付けてっ!」

 「べ、別にケチ付けてるわけじゃ・・・」

 遂に恭子が癇癪を起こし、それを機に三人が押し黙る。

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 クリアせねばならない課題が多過ぎて、「これぞ」という手が思い浮かばない。今回の依頼は、断らざるを得ないのだろうか。宗男は煮詰まった場の雰囲気を変えるため、外出の準備を始めた。

 「取りあえず、暗視の望遠カメラの件を増田さんに相談してきますよ」

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