5-2
宗男がトヨサン精機に出掛けたので、部屋には恭子と崇の姉弟が残されていた。恭子はスマホでゲームをして遊んでいたが、崇はパソコンに噛り付いて、ドローンに実装するプログラムを眺めている。二人とも無言で、静かな午後が訪れていた。聞こえる音といえば、スマホから漏れるゲームの効果音と、「よっ、ほっ」などと時折発っせれる恭子の声だけだった。
「なぁ、姉ちゃん・・・」
「んん? 何?」恭子はスマホから目を離さず返事をした。
その時、操作を誤った恭子のキャラクターは、ゲームの中でHPが無くなり、「ピロロロロ~ン」と、情けない音と共に沈黙した。それを機に恭子は顔を上げ、崇に向かって再び言った。
「何? どうしたの?」
「あのさぁ、姉ちゃんさぁ・・・ 最近、兄さんと上手くいってるの?」
「はっ? 何それ?」
「だからさ、俺のせいで何かギクシャクしてたりしない? って意味さ」
「って意味さ、っていっても、何言ってるか判らないんだけど」
「つまり、俺がこの部屋に転がり込んできたせいで、
思わず恭子の顔が赤らんだ。
「ちょっとアンタ、何言ってんのよ!」
実の弟と、この手の話をするのは初めてだ。それだけ二人も大人になったということなのだが、何とも言えず気恥ずかしい。
「そのせいで姉ちゃんが欲求不満になって、それでカリカリしたりしてんじゃん?」
「カリカリなんてしてないわよ! それにアンタ、何か勘違いしてるようだけど・・・」
恭子にとって崇は、いつまで経っても弟なのだ。いつも泣きながら恭子の後ろを、泣きべそをかきながら付いてきたあの姿こそが、恭子にとっての崇なのだ。
「いいんだよ、姉ちゃんだって女なんだから。
「アンタねぇ、私と宗男はそういうんじゃないんだって」
そんな可愛かった崇が、今、目の前で私の夜の性生活について語っている。姉としてどんな顔で、その話に付き合えば良いというのだろう?
「だって俺が外出から帰って来ると、たいがい姉ちゃんが素っ裸でベッドに寝てるじゃん。でも兄さんだけはいつも服着たままで、いっつも済まないことしたなと思うんだ。『しまった、帰って来るのが早過ぎたか』ってね」
「そ、それは違うんだって」
あれは単にマッサージしてもらってるだけだと言おうとしたが、そんな白々しいことを言っても信じては貰えないだろう。たとえそれが真実であったとしても、信じて貰えないのであれば、その言葉に力は宿らない。
「違うって何が? 兄さんが
「バカっ! 引っ叩くよっ!」
「だから、
「アンタは余計なこと気にしなくていいのっ! バカなこと言ってないで、宗男が持ってきた件の何か良いアイデアでも考えなさいよ!」
「でもさぁ・・・」
「おぉっと! それは厄介ですねぇ。いや、暗視の望遠に関しては問題無いです、ハッキリ言って。既存の望遠システムと既存の暗視システムを組み合わせるだけですから、直ぐに出来ますよ。市場ニーズが無いから、そういったラインナップを揃えていないだけです。それよりも、明視野望遠と暗視野望遠、更に通常画角の暗視カメラを小さなドローンに乗せるってのは、かなり難題ですね。いやはや難題と言うより、不可能と言うべきかな」
「やっぱりそうですか・・・」
肩を落とす宗男を増田が元気づけた。
「まっ、何か思いついたらご連絡差し上げますよ。暗視望遠に関しては、少し時間を下さい。完成次第、送付しますので」
「有難うございます。ところで、いつも無償で提供頂いて感謝しているのですが、あまりにご厚意に甘え過ぎるのもどうかと思いまして・・・ できれば、諸経費などを請求頂ければ・・・」
一応、対価を払う意思が有るという態度を示しておくことは、こういった関係性を健全に保つには必要なことだろう。彼の好意のお陰で宗男たちが高額を稼いでいると知ったら、増田としても複雑な思いをする可能性は有る。その場合、増田が見返りの要求を言い出しにくい状況では、貴重な戦力を失う事態も有り得るからだ。
「いやいや、それには及びません。試験室で試作品のガラクタを寄せ集めてつくってるだけですしね。それに、ウチの販売なんか通したら、品質保証部やら規格管理部らが絡んできて面倒なことになりますから、お気になさらないで下さい」
宗男としては、増田が放つ言葉の端々にも聞き耳を立て、そういった不満や要望の破片が紛れ込んでいないか、細心の注意を注ぐ必要が有る。
「そ、そうですか・・・ それではお言葉に甘えてそうさせて頂きますが、もし今後、有償化の必要性が出てきた場合は、ご遠慮なくお申しつけ下さい」
それだけ増田の存在はMKエアサービスにとって重要で、ある時は
「それじゃ、玄関までお送りしましょう」
「はい、有難うございます。貴重なご意見、有難うございました。今後とも宜しくお願い致します」
増田に連れられて会社のロビーを抜けた時、玄関前のロータリーを4台のトヨサン車が連なり、ゆっくりと横切っていった。なんだかカルガモの親子を連想させるような整然とした隊列が、むしろ違和感を与えた。
「あれは何ですか?」
「あぁ、あれは自動運転装置の試験です。今、ウチでは、前を走る車を一定間隔で追尾するシステムを開発中なんですよ。今後、車はどんどん自動運転に移行してゆくことに・・・ 宮川さん?」
「有難うございますっ! ご相談した件、何とかなりそうですっ!」
「自動追尾システム?」
「そうです! 敷地内への出入りは先頭機に案内させます。ですから、通常画角の暗視カメラは先頭の親ガモだけに搭載して、子ガモはそれに着いてゆくだけです!」
「ふむふむ」
「子ガモは二羽いて、一羽が昼間用、つまり明視野の望遠カメラを。もう一羽が夜間用の暗視望遠カメラを搭載しています」
「凄い! それなら各ドローンが、カメラ一台だけを背負えばいいわけね?」
「その通り! これなら軽く出来て、小型ドローンを採用できるでしょう」
「おぉーっ! さすが宗男兄さん! あったまいいっ!」
「撮影も動画ではなく、タイムラプスにすれば消費電力がグッと抑えられるはずで、こちらから撮影のキューを送らなくても済みます・・・ あっ、これは増田さんのアイデアですけどね」
「そりゃぁいい! 24時間張り付いて、車の出入りを監視しなくてもいいわけだ!」
「イメージとしては、こんな感じかしら? 例えば、夜暗くなったら親ガモの先導で夜ガモを送り届け、親ガモだけが返って来る。それを回収したら現場を撤収し、後は夜ガモが勝手にタイムラプス撮影を続ける」
ワクワクした様子の崇が、以降の説明を恭子から奪い取った。
「んで、翌日の夜明け前に現場に戻り、親ガモの先導で昼ガモを送り届け、夜ガモを連れて返る。昼ガモが撮影をしている間、回収した夜ガモからデータを吸い出して充電を行う。後はこのサイクルを繰り返すだけ」
「お二人とも飲み込みが早くて助かりますよ」
恭子と崇は鼻高々な様子だ。
「問題は、子ガモを何処に定位させるかですね。今夜あたり現場視察に行って、丁度いい枝ぶりの樹とかを見つけておかなきゃ。親ガモに先導させて定位させるなら、地べたの方が安定して良いかもしれません」
「いずれにせよ俺は、その追尾システム用のプログラムを書けばいいんだね?」
「そうです。追尾用のセンサー、おそらく赤外線を使った奴になると思いますが、それも増田さんにお世話になる予定です」
やっと光明が見えた三人は、既に依頼を成功させたかのような気分に浸っていた。
プログラミングを開始した崇を部屋に残し、宗男と恭子は目黒にある波多野邸にやって来た。子ガモを定位させるのに適した場所を、予め探しておくためだ。同時に、森の中を抜ける際の通り道も目星を付けておきたい。波多野邸をぐるりと囲む壁沿いは見通しが良くて目立つので、1ブロック離れた児童公園脇に6号機を停めた。「タッタララ~ン」と開かれた発着ポートから漆黒の大空に飛び立ったのは、真っ黒に塗装が施されたドローンである。恭子が監禁されていたマンションを覗いていた頃の機体より、さらに小型化し航続距離も伸びている。ここ数年で、ドローンも着々と進化をしているようだ。
暗視カメラの映像は波多野邸の壁を軽々と飛び越え、鬱蒼とした森の中へと進んで行った。その林立する樹木をかわしながらドローンを操る宗男は、直ぐに気が付いた。森の上層部は枝葉が茂り、そこにドローンを通すのは実質的に不可能だ。かと言って地面近くでは、下草や低木が生い茂り、そこもまた障壁が多い。結局、人の背丈ほどの高さが最も視界が開けていて、垂直に伸びる樹幹を避けて進むだけで良さそうだ。これくらいの開けた空間であれば、子ガモを引率した親ガモを飛ばすことも可能だろう。
問題は子ガモの定位場所である。夜ガモに関しては心配は無い。何故ならば、鬱蒼と茂る森が夜の暗闇を強調し、ドローンの存在そのものを包み隠してくれるからだ。ひょっとしたら、その辺の地べたに置いておいても、見つかる危険性は少ないだろう。だが昼ガモはそうはいかない。明るい時間帯に定位させるので、うっかり見つけられてしまう可能性が有るのだ。勿論、迷彩塗装などでカモフラージュは施すが、より見つけ難い場所が好ましい。かと言って、玄関から遠すぎるのも考え物だ。
そんなことを考えながら、モニターに映し出される映像を見ていると、横から恭子が話しかけた。
「ねぇ、宗男・・・」
「んん? 何、恭子ちゃん?」
「崇がさ、部屋を出るって言ってるんだけど」
宗男は一瞬だけモニターから目を離して恭子を見たが、直ぐに視線を戻して操縦を続けながら聞いた。
「えぇっ! なんで? この仕事が嫌になったとか?」
「ううん、そうじゃない・・・ みたいなんだけど・・・」と、恭子が言い淀む。
「じゃぁ、なんでだろう? 真面目に大学に通う気になったのかな? おっ、夜ガモにはここが良さそうだな」
宗男はその位置を記憶するように、ドローンを旋回させて周囲の景色を頭に焼き付けた。それは少し小ぶりの紅葉の樹の脇で、雑草の少ない平らな一角だ。夜の森の中で黒いドローンをそこに置いておいても、まず見つかることは無いだろう。むしろ、狸や猫にドローンを悪戯されないか、そんなことが心配になった。
「ん~・・・ それも違うみたい」
しかし恭子の心配は狸や猫ではなく、やはり崇のことのようだ。
「困ったなぁ・・・ 崇くんに抜けられたら、仕事の幅がグッと狭くなっちゃいますよ」
その言葉を聞いた恭子が、慌てて付け加える。
「あっ、仕事は続けるって。でも、
崇の
「そっかぁ・・・ まぁ、一人暮らしするのも悪くは無いですけどね。元々一人で住んでたんですよね? あっ、この庭石の上が良いかも。苔むしてて、カモフラージュが効きそうだ。昼ガモはここにしよう!」
そこは小さな池を取り囲む庭石の上だ。古びて一部が欠け落ちた石燈籠の脇に、頂上が平らなのが見つかった。暗視カメラの映像なので、その色合いまでは判らないが、どうやら全体が分厚い苔に覆われているので、カモフラージュには持ってこいだと思われた。夜ガモもそこを定位置としても良いのだが、一台分のスペースしか無さそうなので、離陸する子ガモと着陸する子ガモを同時に扱わなければならず、その交換作業が難しくなりそうだ。やはり昼位置と夜位置は分けた方が得策だろう。
「うん・・・」
モニターを見ながらも、心ここに在らずといった様子の恭子に、宗男が問うた。
「崇くんと離れたくないってことですか?」
「そういう訳じゃないんだけどなぁ・・・」
「じゃぁ、どうしたいんです? 言って貰えれば、そうなるように考えますけど」
先ほどから恭子の言っていることは、何だか的を得ていない。いつもの彼女らしくなく、なんだかモヤモヤした心の内がそのまま表に滲み出ているだけのようにも思える。
「うぅ~ん・・・」
恭子自身も、自分がどうしたいのかが良く判らなかった。宗男に「こうした方がいいよ」と言って欲しいのだろうか? それとも、どうしたいのかは実は自分でも判っていて、それを言葉にするのを躊躇っているのだろうか? そもそも自分はどうしたいのだ? やっぱりそこから判らなかった。
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