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 後日、宗男と恭子は近所のスーパーに買い出しに来ていた。崇がメンバーに加わって作るべき食事の量も増えたため、荷物持ちとして宗男か崇のどちらかが恭子の買い物に付き合うのがルール化している。肉やら野菜を満載したカートを押しながら、駐車場に停めた6号機 ──この車は、普段の足にも用いられているのであった── の後まで来ると、二人は買い込んだ荷物を荷室の中に移動させ始めた。スーパーのレジ袋からはネギなどの香味野菜が顔を覗かせている。最後に宗男が重いビールのパックを運び入れている間に、恭子が空になったカートをカート置き場に向かって押してゆく。

 荷物が転がらないように、しっかりと置かれていることを確認した宗男は、バタンと荷室のドアを閉めた。そして振り返った時に、直ぐ背後に例の凸凹三人組が立っていることに気付いた。

 「わぁっ! ビックリしたぁ・・・ く、熊林さん・・・」

 「元気そうじゃの、宮川さん」

 「は、はい・・・ お陰様で・・・」

 別に熊林のお陰で元気なわけではないが、ついそう応えてしまった。あの夜、先にトンズラしてしまったことが、彼の気に障ってしまったのだろうか? 少なくとも、熊林がここにこうして居るということは、警察にも捕まらずに逃げおおせたということだろう。宗男としては最大限に、熊林たちに貢献したつもりだ。決して彼の逆鱗に触れるはずは無いという確信は有ったが、実際にこうして目の前に迫られると、その真意が汲み取れず、宗男は緊張で足がすくむ思いであった。

 熊林が例のしわがれた声で言った。

 「アンタのお陰で・・・」

 「はい・・・」

 「危うくマズい状況になるところを回避することができた。礼を言う」

 「そ、それは何よりでした」

 その言葉は、宗男の本心であった。相手はヤクザだが、どうしても宗男は熊林を嫌いになることは出来なかったのだ。

 「確かにブツの取引は上手くいかなかったが・・・ そもそも奴らは、我々とまともに取引するつもりは無かったようじゃから、それはアンタの責任ではない」

 「はぁ・・・」

 「やはり香港系マフィアなど、信用するべきではなかったということじゃな。アンタの忠告によって、わしらはまんまと逃げおおせたが、奴らは一網打尽でしょっ引かれてしまったわい」

 「香港系ですか・・・」

 「おぉっと、こりゃ失礼。余計な情報は教えない方がお互いの為だと言ったのは、わしの方じゃったな」

 「はい」

 「わしらが何を取引しようとしていたか、知りたいか?」

 「いえ、結構です。組長の・・・ いや会長のおっしゃる通り、知らない方が良いことは有るものです」

 「うむ。確かにそうじゃ。アンタも判ってきたようじゃな」

 その時、恭子がカートを片付けて戻ってきた。

 「誰なの、このおっさん?」

 恭子は、熊林の後ろに立つ二人のMIBを胡散臭そうに見上げ、次いで真ん中の老人を睨みつけた。宗男は慌てて答える。

 「あ、あの・・・ こちら熊林さん。この前の仕事の・・・」

 「いったい何の用なのさ?」

 明らかに警戒する恭子にも顔色一つ変えず、熊林は言った。

 「先日の仕事の依頼料を払おうと思っての」

 「要らない」

 恭子の言葉に、宗男は耳を疑った。

 「へっ? き、恭子ちゃん?」

 「そんな薄汚れた金、受け取るつもりは無いよ!」

 「ち、ち、ちょっと待って、恭子ちゃん。何言ってるの・・・?」

 恭子は宗男に向き直った。

 「だってコイツら、ヤクザなんでしょ? 私たちに払う金だって、不法に儲けた金なんでしょ?」

 「い、いや・・・ それは・・・」

 「こいつらが持ち込む麻薬とかで、私たち一般市民がどれだけ傷付くと思ってるの?」

 熊林は何も言わず、ジロリと恭子を見据えた。宗男は慌てて取り繕う。

 「い、いや、でも、仕事を引き受けたのはこっちだから・・・」

 「それだって殆ど無理やりじゃないっ!」恭子は徐々に熱くなり始めた。

 「一般市民を組事務所に引きずり込んで、宗男みたいなヘタレがその依頼を断れるわけ無いでしょっ! 断れないのを判ってて宗男に依頼したんじゃないのっ!? それは違うって言える!? ねぇ、おっさんっ!?」

 恭子が自分よりも背の低い熊林に詰め寄った。宗男はどうしていいか判らず、ただオロオロするだけだ。MIBは事の成り行きを黙って見守るつもりのようで、真っ黒なサングラスの下に隠された目は、何処を見ているのかすら判らなかった。

 「お嬢さんの言う通りじゃな。これは失礼した」

 そう言うと熊林はMIBに目配せを送り、駐車場の奥に向かって歩き出した。MIBはそれに黙って付き従った。しかし、数歩進んだ所で熊林は立ち止まり、そして後ろを振り返った。

 「アンタらはお似合いのカップルじゃの」

 熊林が日に焼けた顔を歪め、そしてまた歩き出した。その後姿を宗男と恭子は見送った。その熊林の顔の変化が「笑って」いたことに宗男が気付いたのは、暫く経って二人が6号機に乗り込んだ後のことであった。


 更に数日が過ぎた頃、MKエアサービスの事務所にA4版ほどの封筒が届けられた。送り主の名には『熊林 良三』の文字が。ただし、その宛名は『宮川宗男』ではなく『時田恭子』となっていた。郵便局員から封筒を受け取った宗男は訳が判らず、それを恭子に手渡す。恭子も心当たりが無いといった様子だ。

 卓袱台を挟んで向かい合う二人の間に、その封筒が置かれている。中には何も入ってはいないのではないかと思わせるくらいに薄っぺらだ。宗男は黙って恭子の顔を見たが、恭子はそれを手に取ろうとはしない。そのまま暫く時間が経ち、痺れを切らした宗男が言った。

 「開けないの、恭子ちゃん?」

 恭子は躊躇いがちに言った。

 「私、何だか怖い・・・ 宗男が開けてよ」

 「でも、恭子ちゃん宛だよ」

 「お願い」

 仕方なく宗男は、それを手に取った。やはり封筒以外の重さは感じられない。宗男はゆっくりと封を切り始める。恭子は息を飲むようにその、その仕草を見守った。

 封を開き切ると、宗男は中を覗き込んだ。中には二つ折りにされたA3版ほどの紙が入っていた。その紙をそっと取り出す。コピー用紙よりもさらに薄い、ペラペラの紙だ。二つ折りのそれをゆっくりと開くと、そこには緑色の細かな文字が印刷されていた。どうやら市役所などに提出する公式書類のようだ。宗男がその文字を黙読すると、そこには『離婚届』の文字が。その書類の下の方に視線を移すと、そこには「夫」の欄に直筆で「松平洋一」との記入がなされ、その横には押印もされている。「妻」の欄は空白のままだ。宗男はそれを恭子の方に向け、卓袱台の上に置いた。

 宗男は全てを理解した。この松平という男は以前、ユニシロの前で宗男を殴り付けた男だ。確かあの時、恭子は「洋一!」と叫んでいた気がする。あの松平が恭子の夫だったのだろう。つまり恭子は、自分の夫に監禁されていたということになる。どうして恭子が松平を夫として迎えたのか、どうして恭子があのような非人道的な扱いを受けねばならなかったのか。宗男がそれらを知る由も無いが、一つだけハッキリしていることが有る。おそらく監禁の件までは知らなかったのであろうが、MKエアサービスの周辺を洗っている熊林は、恭子を探し出そうと躍起になっている松平の存在に気付いたのだ。どうやらタチの悪い亭主に付きまとわれているらしいことを突き止めた熊林は、松平を呼び出して強烈なお灸・・を据えたに違いない。加えて離婚届にも署名させたという流れであろう。先日の仕事のギャラを断った気丈な恭子に対し、心ばかりの「依頼料」を支払ったということか。

 それを見た恭子は最初、目を見開いて驚いたような表情をしたが、次第に顔が歪み、自分の右手を口元に持って行った。その目からは止めどなく涙が流れ落ち、口元を押さえる手の隙間から嗚咽が漏れた。我慢しきれず声を上げ、しゃくり上げるのに合わせて肩が大きく上下した。恭子は泣きながら横にズレて、宗男の方ににじり寄った。その恭子の行動にちょっとだけ驚いた宗男であったが、自分からも恭子の方ににじり寄って、その肩を抱き寄せた。

 「宗男・・・」

 恭子は宗男の肩に顔を埋めて号泣した。もう、涙も泣き声も、全く堪えてはいない。全てを開け広げて宗男にぶつけている。これでやっと、彼女が舐めさせられてきた辛酸な過去に、本当の意味で決別出来るのだ。恭子はいつまでも泣き続け、宗男はいつまでもそれを優しく受け止め続けた。


*****


 無線の通信可能距離の関係上どうしても必要となった中継局が、ブツの受け渡し現場となった倉庫街のほぼ中央に位置する建物の上に置きっ放しだった。当日、回収できれば良かったのだが、あのドタバタ騒ぎのお陰で「後日回収」するしかないとの判断を下した結果だ。あの日から一か月が経ち、そろそろほとぼり・・・・も冷めただろう。宗男は中継局回収用のフックを取り付けたドローンを携えて、その現場に舞い戻っていた。そのフック付きドローンとは、かつて恭子がマンションの鍵を引っ掛けたあの機体だ。

 あの時と同じ場所に6号機を停め、宗男は回収用ドローンの準備を始めた。そして荷室上部の発着ポートを開く際には、「タッタラ~ラン」とサンダーバードのテーマが、いつもよりも上機嫌な様子で口元から漏れた。ドローンは一気に上空へと駆け上り、そして一回り旋回して辺りをグルっと視野に納めた。宗男のVRゴーグル内では、建物によって遮蔽されていた太平洋への展望が開けていた。倉庫街に隣接する埠頭では、大きなタンカーがコンテナの積み下ろしをしている姿が見える。それらのコンテナを次から次へと運び去るトレーラーが働き蟻のように小さく見え、時折、大きな音が潮風によって運ばれてくる。宗男は海の近くに住んだことは無いが、港町も良いものだと感じていた。

 ドローンが目的の建屋上空に来ると、搭載されたカメラが屋根の上に転がっている黒い箱の様なものを捕らえた。ソフトには強いがハードには滅法弱い崇と、ハード専門の宗男だが、この両者をつなぐエレクトロニクスの部分はトヨサン精機の増田に指導を仰ぎながら、二人で作った一品モノだ。またいつか、ドローンネットワークを用いた仕事が舞い込むかもしれないので、この装置は大事に取っておきたい。宗男は慎重にドローンを近付け、そのフックを中継局に取り付けてあるリングに引っ掛けた。直径3センチメートル程度のリングにドローンのフックを通すなど、神業と言っても過言ではないと宗男が自画自賛するのは、誰も褒めてくれないからだ。

 その神業で中継局を回収し、ドローンは無事に6号機の発着ポートに戻ってきた。全てが順調に見えたが、最後に宗男がゴーグルを外すと、目の前30センチメートルほどの所に見知らぬ男の顔が有った。あまりのことに驚いた宗男は、危うくプロポとゴーグルを後ろに放り投げるところであった。

 「うぁぁぁぁっ! ビ、ビックリしたぁ~」

 男は顔色も変えず、腰を抜かしそうな勢いで驚く宗男をジロリと睨みつけた。風体そのものはサラリーマンのようであったが、その凶悪そうな表情と滲み出る威圧感は、熊林組長とはまた一味違った凄味が有る。40台後半と思しき男は、世の中の裏事情に通じている海千山千の匂いをプンプンさえていた。ひょっとして、あの時の取引相手 ──熊林はそれを「香港系マフィア」と言っていた── だろうか? 嫌な汗が背中を伝う感触にゾクゾクしながら、宗男は口を開いた。

 「あの~・・・ 何か御用でしょうか?」

 「中継局の回収は済んだようだな?」

 「へっ???」

 「我々が、その装置の存在に気付かないとでも思ったか? いずれ回収に来ると踏んでいたら、案の定やって来やがった」

 「どどど、どちら様ですか?」

 その問いには答えず、上から下へと宗男を値踏みして独り言を漏らした。

 「熊林の者じゃないってのは本当みたいだな。報告書の通りだ」

 「あ・・・ あ・・・」

 「おそらく、ブツが何だったかは知らないんだろう。取引相手が誰だったかも。違うかい?」

 「いいいえ、ちちち違いませんんんん」

 熊林の犯罪行為 ──なのかどうかすら、宗男には判らないのだが── に加担したことを、既に白状してしまっていることに宗男は気付いてすらいなかった。こういった小悪党のような連中は、これまでにウンザリするくらい見てきたのであろう。男は宗男の自白・・にも何の反応も示さない。

 「お前さんをしょっ引いて吐かせたところで、我々には得るものは無いだろうな。熊林のオヤジは、その辺には抜かりが無い。まったくケッタクソの悪いジジィだぜ」

 「あああのぉぉぉぉ・・・ けけけ警察のかか方なんですねねね?」

 間違い無い。この男は刑事だ。その雰囲気から察するに、ヤクザ関係を専門に扱う、いわゆる「マル暴」の刑事に違いない。暴力団相手に丁々発止の攻防を繰り広げる刑事は、本物の極道以上にヤクザっぽいということを何処かで聞いたことが有る。

 「熊林のオヤジ側に付いて・・・公務執行の妨害をしたことは不問にしてやっても構わない」

 「へっ・・・? そんなことが出来るんですか?」男の意外な言葉に宗男の声がひっくり返った。

 「ただし条件が有る」

 交換条件を提示するような口ぶりだが、既に選択の余地は無いように見えた。こんなに恐ろしい・・・・男に提示された条件を蹴れる人間など、そう沢山は居ないだろう。ましてや自分に非が有る状況で、警察官が提示する条件だ。ある意味、ヤクザの組事務所に連行されて提示される交換条件よりも、タチが悪いではないか。

 「条件・・・」

 「我々としては、お前さんからクソの足しにも成らない供述を引き出すよりも、もっと有効な使い方をしたいってわけだよ。あの時は、お前さんたちの見事な手口に、まんまとやられてしまったしな」

 「それは・・・ つまり・・・」

 「そう。我々の捜査に協力して貰いたいのさ。MKエアサービスさん?」

 「今度は警察ですかぁ!?」

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