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 大暮の自宅は田舎の大邸宅といった様子で、波多野ほどではないが相当な資産家と思えた。その豪奢な日本家屋は城のようにそびえ、最上階の屋根の上には金色に輝くシャチホコの様なものが光り輝いている。敷地も無駄に広く、波多野邸の手付かずの森とは異なり、庭師が細かく剪定して形を整えた植木が所狭しと立ち並んでいる様子が、背の高い塀の上から覗く枝葉によって類推できた。家を取り巻く塀も、人の背丈ほども有る石積みの上にそびえる真っ白な漆喰塗りで、金の使い道を知らない人種の無駄遣いにしか見えない。確かに豪邸ではあるが、それを見た崇は決して住みたいとは思えないのであった。

 崇が単身、石巻に乗り込み一週間が経過していたが、その仕事内容は波多野邸で行っていたものと、何ら変わりはなかった。馬鹿みたいに広い庭と、外部からの干渉を防止するための城壁が、かえってその作業を容易にしてくれていたことは言うまでもないであろう。これがもし、一般的な民家であったならば ──その場合は、ドローンを使うニーズがそもそも無いのだが── 逆に不審者として見咎められてしまうに違いない。

 そして、連泊している駅前のビジネスホテルに戻った崇が、の宗男に教わった通りに、ドローンが収集したタイムラプスから来客の画像を抽出している時に、妙なことに気が付いた。高級な仕立てのスーツに身を包んだ一人の品の良さそうな男が大暮邸を訪れた際、その部下と思しき同行者が、何処かで見たことが有るような作業着の上だけを着ていたのだ。例えば、現場作業者ではない総務課の課長が、上着だけは工場作業者と同じものをワイシャツの上に羽織っているような感じか。その作業着の下には、当然のようにネクタイが結ばれていた。

 崇は抽出した画像ファイルを宗男に送信すると、再び作業着の男が映る写真を

ディスプレイに拡大表示し、微かな記憶のひだを掘り起こそうと凝視した。どこで見たのだろう? いつ見たのだろう? 実際に見たのか、写真で見たのか・・・ ひょっとしてテレビで見たのか? 掴めそうで掴めない心の中の霞を集めるように、微かな記憶の断片を掻き集める。そしてそれは、少しずつ実体を伴った記憶の輪郭を取り戻し始めた。

 「テレビだな・・・ ニュース番組だ」

 水中で目を開けた時のように、ボンヤリした映像が蘇ってきた。目をしばたいても、その映像が鮮明になることは無かったが、それと共に流れていたニュースの内容を思い出せそうな気がした。映像は視覚情報の記憶に頼らざるを得ないが、ニュースの内容であれば、耳から入る音の記憶であったり、あるいは知識としての情報からも絞り込むことが可能だ。崇はその不明瞭な記憶が、自分の脳の何処に格納されているのか、他のどんな記憶とリンクして保存されているのかに集中して、脳の中をかき回し始めた。

 そして遂に、その手が何かに触れた。崇はかき回す手を止め、それをゆっくりと掴む。まだ、それが何かは判らない。それが手の中から滑り落ちないように、記憶が沈殿する深淵から、その手をゆっくりと引き上げる。そして、その手を自分の目の前に掲げると、それを見た崇の目がカッと開かれた。その時、既に崇の左手はスマホを掴み上げ、電話帳から宗男のナンバーを選び出していた。


 当然ながら西村は、全ての捜査をMKエアサービスに丸投げしていたわけではない。宮城県警の協力の元、独自に捜査を進めていて、当面のターゲットは東巻工業だ。大暮が大臣のおひざ元にある会社の役員であるところまでは判っているが、それ以上の情報がどうしても掴めなかった。その会社は何処に有るのか? 大暮以外に、誰が働いているのか? さらに言えば、東巻工業が何をする会社なのかすら判ってはいない。結局、西村の推理の行きつく先は一つしかない。東巻工業はダミー会社であるということだ。

 本来ならば、石巻のとある公共事業 ──それは、過疎の進む限界集落に、新たなごみ焼却施設を誘致しようというものであった── を落札したのがダミー会社であったとしても、それは大問題ではあるが、西村の関知するところではない。何故ならば、西村の捜査対象はあくまでも波多野なのだから、遠い石巻で巻き起こった入札問題に首を突っ込む理由も権限も無い。しかし、そのダミー会社役員が波多野邸に足繁く通っているとしたら話は変わって来る。ダミー会社は誰の差し金で設立されたのか? 公共事業を落札した経緯は? そしてその裏に隠れた金の流れは? 判りやすいと言えば、あまりにも判り易い構図だ。強大な権力を持つ現役大臣が、地元である石巻の公共事業に「口利き」し、東巻工業が落札できるように計らったという、おそらく平城京や平安京の時代から存在したであろう、古典的な公務員職権濫用の犯罪である。ただ解せないのが、そのような犯罪をダミー会社を介して行ったことだ。何故、そこに実在の会社ではなく、架空の会社を持って来る必要が有ったのか?

 一方で西村は、波多野と東巻工業を繋ぐもう一つのルートを突き止めていた。それは、東巻工業への落札に積極的であった宮城県議の河合が、赤坂の料亭で波多野と接触していたという事実だ。石巻を支持基盤とする大臣と地元県議が会食することは何ら不思議ではないが、状況証拠的には益々怪しいと言える。こういった謎を解き明かすための情報が欲しくて、MKエアサービスには大暮の監視も依頼したわけだが、そんな西村に宗男の方から面会の要望が来たのは、崇が石巻入りして一週間が過ぎた頃のことであった。

 「西村さん、大暮のところに意外な連中が出入りしています」

 そう言って宗男は、崇から送られてきた画像のカラーコピーを差し出した。新宿にあるオフィスビルの地下一階で営業する、小さな喫茶店の隅のテーブルだ。こんな一等地では、その家賃だけでも膨大な額になりそうなのだが、その客足も疎らな喫茶店が営業を続けているのは、そのビルのオーナーが税金対策か何かの為に出している店なのかも知れない。宗男は、この新都心の風景に不似合いな喫茶店で、西村とテーブルを挟んで座っていた。そのコピーには、大暮宅に今まさに入らんとする男が映り込んでいる。それを見た西村は、誰か有名な政治家だろうかと記憶をまさぐったが、ピンとくる人物は浮かび上がらなかった。

 「これは誰です? この男がどうかしましたか?」

 「見て頂きたいのは、そのスーツの男ではなく、後ろの車の横に立っている作業着の男です」

 そう言われてもう一度コピーを見詰める西村であったが、その作業着の男にも見覚えは無かった。作業着を着るような人物など、そもそも知っているはずも無い。

 「???」

 西村は黙って宗男の顔を見た。宗男はことさらに声を潜めた。

 「西村さん、それは東日本電力の作業着です」

 「東日本電力!?」

 普段は沈着冷静を絵に描いたような西村が、その顔で両目を大きく見開いた。宗男は続けた。

 「石巻のごみ焼却施設に関する収賄に現役の大臣が絡んでいる。確かにそれだけでも、政界を揺るがすようなスキャンダルだと思います。ですがそこに、東日本電力が絡んでいるとしたら、どうでしょうか? これは政界どころではなく、日本を揺るがす大事件に発展しそうな予感がします」

 西村は先ほどから険しい顔で、コピーに映る作業着の男を睨みつけていたが、その耳は宗男の語る言葉に傾けられているようだ。

 「私どもは調査依頼を受けただけで、これ以上深く首を突っ込むつもりは有りません。ここから先は西村さんの守備範囲で・・・ いや、ひょっとしたらこれは公安警察が扱うべき案件かもしれませんね」

 そこまで言った宗男は自分でも少し白々しいと思いながらも、テーブルからコーヒーカップを取り上げ、既に冷めてしまったブレンドコーヒーをブラックで一口すすった。

 「西村さん。波多野と大暮の監視作業、まだ続けますか? 私共としては、監視を続けることはやぶさかではないのですが、そろそろ潮時ではないのかと・・・」

 西村は夢想の中から現実に引き戻されたかのように顔を上げた。

 「はい。宮川さんの、おっしゃる通りですね。そちらの監視は終了しましょう」

 「承知いたしました。それでは契約の報酬を、弊社の銀行口座の方に入金願います。お約束通り、入手した全ての証拠書類は警察に提示した後、責任を持って弊社の方で処分いたします。また今後、本件に関する・・・」

 「宮川さん!」宗男を遮るように、西村は声を上げた。

 「はい、何でしょうか?」宗男はポカンとした顔を西村に向けた。

 「判っていらっしゃいますよね?」西村が詰め寄る。

 「何のことでしょう?」宗男がとぼける。

 「判りましたよ、負けました。追加の依頼です。先の件と同額をお支払いいたします」

 西村は両手を上げる芝居じみた仕草で、降参の姿勢を取った。宗男は心の中で『毎度ありっ!』と叫んだ。我ながら、自分が商売人のようになっていることが、何だかくすぐったい様な気がした。このやり取りを恭子に話したら、きっと褒めてくれるに違いない。

 「かしこまりました。どういったご依頼でしょうか?」

 ただ表面上はクールさを保たねばならない。その件に関しては、目の前の西村に学ぶべきところが多いようだ。

 「例のごみ焼却施設の建設が、先々月から始まっています。そこに張り付いて、東日本電力に繋がる何か・・を探って下さい」

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