7-3

 トヨサン精機のロビーで、カウンターの向こうでかしこまる受付嬢が言った。

 「増田は先月より、技術開発本部の本部長となっております」

 「えぇ、増田さん、ご出世されたんですか!? それはおめでとうございます!」

 言ってしまってから宗男は気が付いた。受付嬢に「おめでとう」ってことは無いだろう。だが受付嬢も心得たもので、ニコリと微笑みながら「有難うございます。増田に伝えておきます。それでは、あちらのウェイティング・スペースで暫くお待ち頂けますか?」と的外れな宗男をそつなくあしらった。

 いかにトヨサン自動車の子会社だとは言え、トヨサン精機と言えばそれなりに知名度も有る一流企業だ。受付嬢の教育にも隙が無い。「仕事が引けるのは何時ですか?」などと不埒な考えを起こす来客も、立て板に水の様に洗練された物腰で受け流すのだろう。それと同時に、恭子の口を突いて出た「一流企業の一流って何なのさっ?」という言葉が思い出された。その記憶によって、莫大な資本を背景にした大企業の巨大な力に思いが至り、自分が取るに足らないちっぽけな存在であることを改めて感じた。

 宗男は受付嬢に礼を言って、ウェイティング・スペースに向かった。その時、受付嬢は着座したままながら、マニュアル通りの正確な角度でお辞儀をしていた。両手はテーブルの上に添えられ、彼女の胸の前で正しく重ねらられている。その計算し尽くされた美しさは、きっと上っ面だけを装ったものなのだろうと宗男は思った。こんなに大きな会社は、自分の身の丈に合わない。それが正直な感想だった。


 ロビーの横に掲げられた、社品の紹介パネルなどを眺めながら時間を潰していると、奥から増田が現れた。いつもはスラックスにワイシャツ、その上に羽織った作業着というスタイルだったのだが、今日はパリッと決めたスーツ姿だ。それを見た宗男は、受付嬢が言っていた言葉を思い出した。右手を掲げながら近づく増田に、宗男から声を掛けた。

 「ご無沙汰しております、増田さん」

 「こちらこそご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」

 「有難うございます。先ほどお聞きしたのですが、本部長にご出世なさったとか?」

 「えぇ、お陰様で。まっ、お掛け下さい」

 増田は宗男に椅子を奨め、その向かいの席に自分も座った。そして座るや否や、身体を乗り出しながら喋り始めた。

 「いやー、宮川さんには、いつかご挨拶に伺わねばならないと思っていたところなんですよ。なのに、わざわざお越し頂いて、本当に申し訳なく思っています」

 「私共に挨拶? まさか、トヨサン精機様にその様なことをして頂くわけにはいきません」

 「いやいや、個人的なご挨拶です」

 「個人的・・・ ですか?」

 「はい。実は、先の人事で私が昇格できたのは、全て宮川さんのお陰なんですよ」

 「はっ? まさか、ご冗談を」

 「冗談なんか言うもんですか。真面目も真面目。大真面目ですよ」

 「いったい、どういうことでしょうか?」

 「ほら、たまに宮川さんが『こんなの作れないですか?』ってご相談にいらしたじゃないですか。実を言いますと、その度に新商品に関するアイデアを頂いていいたのですよ」

 「アイデアですか・・・」

 「そう。我々が気付かないような市場ニーズを、宮川さんのご相談から汲み取って、それを商品化する。言ってみれば、その商品のプロトタイプを、宮川さんに市場評価して貰っていた様なものです。そうして上市された新商品が売り上げを伸ばし、会社の業績も上向き。そして開発者である私の評価もうなぎ登り・・・ とまで言うと言い過ぎかもしれませんが」

 増田は可笑しそうに笑った。なるほどと宗男は思った。宗男が持ち込む、時には無理難題にも増田が無償で快く引き受けてくれた理由の一旦は、そういった所にも有ったのか。いずれにせよ宗男は、一方的な好意に甘えている構造ではなかったことを知り、すこし気が休まったのである。

 「そうでしたか。私共の無茶の注文が、増田さんのプラスに働いていたのであれば、それは何よりでした」

 「いや、改めてお礼申し上げます。有難うございました」

 増田はテーブルに両手を付いて、深々と頭を下げた。それを見た宗男も、同じように頭を下げた。

 「いえいえ、こちらこそ、有難うございました」

 そして下げていた頭を上げた時、二人は図らずも見つめ合うような形になった。そしてどちらともなくクスクスと笑い出し、終いには二人して大笑いした。その高らかな笑い声は会社のロビーに響き渡り、他の来客や、その相手をする社員、或いは先ほどの受付嬢までもが「何事か?」と覗き込んだ。

 ひとしきり笑った二人は、呼吸が落ち着くのを待ってから本題に入った。と言っても、まだ少し笑いが残っているのだが。

 「で、今日はどのようなネタを、クックック・・・ お持ちいただけたのでしょうか? わっはっは」

 「はい。今日は音です・・・ ガハハハッ」

 「音?」増田が笑い顔のままキョトンとした。

 「えぇ、ドローンで音を拾いたいのです」宗男も笑い顔で答えた。


 「なるほど。簡単に言うとドローンにマイクを仕込んで、音を集録したいということですね?」

 「はい、その通りなんですが・・・」

 「うぅ~ん・・・ 多分、宮川さんもお気付きだと思いますが、ドローンにマイクを付けても、ローターの音や振動で、まともに音は拾えないでしょうね」

 「そうなんですよ。単一指向性のマイクを使っても限界が有りそうですし」

 「では、こういうのはどうでしょう?」

 増田は何か閃いたようで、テーブルの脇に追いやっていたB5サイズの手帳を手に取った。その表紙には、『TOYOSAN SEIKI 2018 DIALY』と記されている。その手帳をパラパラとめくり、何も書き込まれていないページを開くと、内ポケットかっら取り出した万年筆で何かを描き始める。それはドローンの簡単な模式図であった。

 「ここにマイクを仕込んで・・・」

 「あっ、そうか。ここをこうするんですね?」

 その模式図を挟んで、二人は頭を突き合わせるように覗き込み、お互いに指や万年筆で手帳を突き始めた。

 「そうです。ドローンが現場に着いたら・・・ こんな風にして」と、増田が更に図を書き込む。

 今度は宗男が増田の万年筆を受け取り、新たな図を書き込む。

 「じゃぁ、こういう・・・ 使い方も可能ですね」

 「おぉ、そうですね。その方が良さそうですね。これなら問題無く造れそうですよ」

 二人の楽し気な機械系オヤジによる悪だくみ(?)は、いつまでも続いた。もし子供の頃にこんな友達が居たとしたら、自分はもっと違った人間になっていたのかもしれないと、熱心に語る増田を見ながら宗男は思った。でも、その「もっと違った人間」になりたかったのかと問われると、確かにそう望んだ時期も有ったが・・・ と宗男は思う。少なくとも今の自分は、自信を持って「いいえ」と答えるような気がした。


 大まかな構想がまとまり、宗男がそろそろ帰り支度を始めようとした時、増田が右手を上げてそれを制した。

 「宮川さん。実は今日、私の方からも一点ご相談したい件が有るのですよ」

 宗男は袖を通しつつあったコートをもう一度脱ぎ、椅子の背もたれに掛けた。増田からの相談? いったい何だろう。

 「はい・・・」

 「実はですね・・・」

 増田は前かがみになって声を落とした。宗男も同じように顔を寄せて、増田の言葉に聞き入った。

 「現在、トヨサングループではドローンの製造を開始するべく、社内調整が行われています」

 「ほー、トヨサンがドローン産業に参入ですか?」

 「はい、その通りです。それは、新たな子会社を設立する方向で進めらられてはいるのですが、その業務内容をどこまで拡張するかで意見が分かれているのですよ」

 「・・・と言いますと?」

 「その会社を、ドローンの製造販売に特化したハードウェアの企業とするのか、或いは、ドローンを使ったサービス、つまりソフトウェアまで提供する総合企業とするのか・・・ お判り頂けますか?」

 「つまり、その会社がソフトの領域まで手を広げると、私共MKエアサービスの競合他社となる可能性が有る、ということでしょうか?」

 「それも有りますが、私のご相談はもう少し違った視点からなのです」

 「???」

 「私が宮川さんにご相談したいのは・・・ もし新会社がサービス面も視野に入れることを決定した場合、そこに何らかの形で参画頂けないか、ということです」

 「三角・・・ △・・・ 参画? !!! 参画ですかっ!?」

 「その通りです」

 「ちょっと待って下さい! 参画って・・・ その場合、MKエアサービスはどうなるんですか?」

 「その辺の具体的な形態に関しては、これから詰めて行く必要が有るのですが・・・ 例えば、宮川さんだけが新会社に出向して、兼任するという手は有るでしょう。その場合は、正社員、嘱託、外部相談役、コンサルなどなど、様々な形態が有り得ます。あるいは宮川さんの会社、つまりMKエアサービスを吸収合併するという線も有りです」

 「吸収合併するような規模の会社ではありませんが・・・」

 さらに言えば、会社という法人形態すら整ってはいない。

 「あるいは ──これは可能性が薄いと思いますが── トヨサンからMKエアサービスに資本注入、つまり子会社化して、その経営規模を拡大増強するという形も考えられます」

 とんでもない話になって来た。こんな大きな話を、宗男一人の意見で決めることなど出来はしない。

 「もちろん、どの様な形態を取ったとしても、宮川さんにはそれなりの地位に就いて頂く事になると思いますし、失礼ですが報酬の方も、現状よりは大幅に向上することは保証いたします」

 さすがに本部長ともなれば、そういった経営判断にまで首を突っ込むことになるのか。そういう大きな・・・仕事に意欲が湧くタイプなら出世も悪くないが、機械をいじっていた方が幸せという増田の様なタイプには、それも善し悪しなのかもしれない。

 宗男は頭を整理し切れず目を瞑った。その瞼に浮かぶのは、当然のことながら恭子や崇の顔だ。恭子はどう言うだろう。収入が安定することは喜ぶであろうが、大企業の「犬」になる事をよしとするだろうか? するわけが無い。聞くまでもないことの様に思う。崇はどうだ? 「トヨサン? ひぇ~、かっちょいい~」と能天気に喜びそうだ。いずれにせよ、この話は皆で相談せねばなるまい。

 「お話は判りました。ですが私の一存では決めかねますので、一旦、持ち帰って検討させて下さい」

 「もちろんです。ご返事をお待ちしております。それから、マイク搭載ドローンの件はお任せ下さい。直ぐに試作品の製作に取り掛かりますので」

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