6-2

 宗男たちは、その日の午前中に街の外れにあるドン・ジョバンニに行って、必要となりそうなものを細々と購入した。このドン・ジョバンニという圧縮陳列で有名なチェーン店は、あらゆる物を取り扱う大型店舗で、宗男たちにとっては何かと都合の良い店である。崇の言を借りれば、トヨサン精機の増田に次ぐ、5人目のレギュラーという扱いだ。

 宗男たちが購入した物品の中には、三人分の迷彩服も含まれている。今回の現場では、ドローンだけでなく自分たちも森に溶け込む必要が有るからだ。陸上自衛隊のような迷彩服を着こんだ三人が軽自動車に乗って街中を走っていたら、それはそれで目立つのだが、一歩郊外に出ればそこは緑豊かな東北の山間部。三人の身を包む迷彩パターンが、その緑の海に彼らを溶け込ませてくれるだろう。


 例のごみ焼却施設の建設が進行中である工事現場から、尾根一本を挟んだ反対側に6号機を停め、そこから急峻な斜面を登る。そこには道などは有るはずも無いので、下草をかき分けながら、時にはその下草を掴んで身体を持ち上げるように、その尾根を上へ上へと目指す。直線距離にすれば大した行程ではないのだが、道無き斜面を延々と上り続けるのは、素人には想像も出来ない苦行であった。崇が背負うザックには、ドローンやプロポなどの商売道具・・・・が、宗男が背負うザックには、食料や簡易テントなどのキャンプ道具が仕舞い込まれている。何も背負っていない恭子ですら、「なんで私まで」と文句タラタラであるが、宗男も彼女のことをとやかく言えるほどの走破性は持ち合わせていない。時折、崇に腕を引っ張り上げられながら、ほうほうの体で這いずっていると言ってよい状況だ。

 そんな苦闘の末、やっと尾根筋にまで上り詰めたのは、車止めから登り始めて3時間後のことであった。その頃には、既に宗男は半分死にかけているような様子で、目を回しながらドサリと草の上に倒れ込んだ。恭子も荒い息を整えるために、赤松の根が盛り上がった場所に腰を下ろし、ひっくり返っている宗男のザックから取り出した水を美味そうに飲んでいる。しかし崇はそんな二人を置いて、今まで登ってきた斜面とは反対側の、工事現場の有る方の斜面を一人で降りて行った。

 「じゃぁ俺、監視しやすい場所を探してくるから! 二人はチョッとここで休んでて!」

 その疲れを知らない躍動的な背中を見送り、宗男は再び空を見上げるように仰向けで伸びた。

 「恭子ちゃん・・・ もう、ダメです・・・ 死にます・・・」

 しかし恭子は、そんな宗男の様子を気に留める様子も無く、弟の背中が見えなくなったことを確認してから重い口を開いた。

 「私たちの父親って・・・ 旭川工業大学の教授なんだよ」

 「へっ?」

 突然始まった恭子の話に宗男は戸惑いを覚えたが、直ぐにピンときた。今朝のホテルでの会話だ。あの続きを今、恭子が打ち明けようとしている。

 「父親は工学部、物理工学科の教授で・・・」

 「ちょっと待って下さい、恭子ちゃん。旭工大きょっこうだいの時田教授ですか? あの、原子物理学の?」

 「う~ん、父親の専門は詳しくは知らないけど、確かそんな感じの分野だったと思う」

 時田教授であれば、宗男でも知っている。でもそれは、学問分野の権威とかそういったことで知っているわけではない。そもそも宗男は機械工学科の学生だったので、いくら理系だからといっても原子物理学などに触れる機会は無い。時田教授は一時期、頻繁にテレビに出演していた為に門外漢の宗男でも、その存在を知っているのだ。と同時に、崇が今回の件にのめり込む理由が判ってきたような気がした。

 「私は、厳格な父に反発して家を出たんだけど、崇は違った。アイツは父親の言いつけを守って、しっかり勉強して、私と違って自慢の息子だったんだ」

 時田教授がテレビ出演を繰り返していたのは、忘れもしない、あの『東日本大震災』の直後だ。あの頃、福島第一原発がメルトダウンし、日本中がパニックに陥りつつあった。そんな中、原子力の専門家として各局の特番に呼び出されては、原発の安全性を高らかに謳い続けていた時田教授は、原発推進に固執する政府や、事態の鎮静化を図りたい東日本電力の息のかかった、そう御用学者・・・・なのであった。

 「だけどあの震災当時、テレビ出演している父親を見る崇の目が変わったの。それまでの尊敬すべき父親は、もうそこには居なかった。私には判らなかったけど、崇には父親が何か・・に擦り寄って、嘘をついていることが判っていたのね。それ以来崇は、政府や電力会社、あるいは父親の垂れ流す言葉に疑問を感じ、それら全てを毛嫌いするようになったんだ」

 「・・・・・・」

 恭子は脇に落ちていた枝を摘まみ上げ、地面に意味のない模様を描きながら告白を続けた。宗男は黙ってそれを見詰めた。恭子が地面に描く幾何学模様が、そのうちに何らかの意味を持ち始めるのではないかと信じているかのように。

 「事態が鎮静化した後も、崇の父親に対する嫌悪感は消えることは無かったわ。もちろん表面上は平静を装って、これまで通りの息子を演じてはいたけれど、父親の悪徳に幻滅し切っていた崇は反抗心から北海道の大学には進学せず、東京の大学を選んだのよ。つまり、私の後を追うように家を出たの」

 ポキッという音と共に恭子の持つ枝が折れて、それは近くの草むらの中に消えてしまった。その行く先を目で追った恭子は、手に残った枝の半分を飛んで行った枝が消えた辺りに向かって放り投げた。

 「そういうことでしたか。つまり、今回の波多野の汚職事件に関し、裏で東日本電力が暗躍していることを嗅ぎつけた崇くんは、お父さんへの・・・ 復讐心? そんな気持ちから、必要以上に取りつかれている・・・ ということですね?」

 恭子は黙って頷いた。


 そこへ崇が戻ってきた。ゼィゼィと息を切らしながらも、その表情は生き生きとしているように見えた。

 「この下に、上手く身を隠せる場所が有るよ。そこからなら見つからずに、工事現場を監視できそうだ」

 「本当かい、崇くん。じゃぁ、恭子ちゃん。もうひと踏ん張りして、そこに行ってみよう」

 「オッケー、判った。足滑らせて、下まで落ちないでよ、宗男」

 二人は目配せをすると、少し明るめの声を上げた。崇が得意気に言った。

 「じゃぁ、付いてきて。足元が滑りやすいから気を付けて」


 崇が見つけたポイントは、土手から顔を出す大岩と、直径40センチはありそうなミズナラの大木の影だ。その背後は、丁度、工事現場からは大岩を挟んだ反対側になり、大木との隙間からじっくりと建設現場を監視できる。ドローンを飛ばすにもカメラを使わず、殆ど肉眼で位置を確認できるので、スピーディな移動が可能だ。と言っても、真昼間に現場に侵入させるわけにはいかないので、結局は暗視カメラの映像を頼りにするしかないのだが。むしろ昼間はドローンなどは使わず、例の大岩の影から双眼鏡で監視するべきだろう。

 見たところ、敷地内の基礎工事は完了しており、大振りな建屋が完成しつつあるようだ。メインの建屋と思われるものの奥では、煙突の建設も急ピッチで進められている。それらの建築と並行して、大小さまざまな設備や機器の搬入、据え付けが進行中のようで、土木、建築、電気、内装、外装、あらゆる会社の作業者が、忙しなく行き来している。

 そんな中で、現場の総指揮を執っていると思しき男の着る作業着は、先の東日本電力の作業着と非常によく似ており、その胸には『東日本プラントシステムズ』なる文字が見えた。現場の監視に張り付く宗男と崇の後ろで、恭子がスマホを使ってググってみると、東日本電力の建築部門が分離してできた100%子会社が、東日本プラントシステムズらしい。何か隠したい事が有るならば、全ての工事をグループ企業でまかなうのは当然であろう。もちろん、それらの情報はタイムラグ無しに、警視庁の西村へと伝えられた。


 そういった監視の日々が続いたが、暫くは西村に報告すべきものは何も無いという状況に陥っていた。監視開始当初は、それなりに報告ネタが有ったわけだが、最近では、この状況が無限に続くのではと思える程、昨日と全く同じ光景が繰り返されるという毎日が繰り返されていた。工期の遅れに苛立つ現場監督さながら、宗男たちは遅々として進まない工事を恨めし気に眺めていた。

 そんなある日、いつもと違う出来事が起きた。それは、超大型の重機用トレーラーに乗せられた、とてつもなく大きな設備が建設現場に到着したのである。宗男たちには、それが何の設備かまでは判らなかったが、これまでに搬入された設備とは明らかに異なるスケール感で、この施設の最も重要な部位を占めることは間違いなさそうだ。その設備に張り付けられたプレートから装置の型番を読み取って、その用途を探ろうと双眼鏡に張り付いたが、どうしてもそれを判読することは叶わなかった。

 しかし、それだけ大きな設備を、そう易々と移設搬入出来るわけは無い。設備が到着した日は、同じようサイズの大型のクレーンを使って、それをトレーラーから降ろすだけで日没を迎えた。つまり、少なくとも一昼夜、その設備が屋外に仮置きされるわけである。そんな貴重な夜を逃す手は無い。暗視カメラを積んだドローンが飛び立ったのは、その日の夜10時を過ぎた辺りであった。

 暗視カメラが捉えた映像は、崇が操るタブレットに映し出された。それらの電子機器を稼働する電力も、毎日交代で山を下りてホテルで充電してくるという、地道な努力によって賄われているものだ。ホテルに戻った一人には、ついでにシャワーを浴びるという特典が付くわけで、当然ながらその役は恭子がかって出る場合が多かった。当初はヘトヘトになりながら山を上り下りしていた恭子も、今では鼻歌交じりでその行程を往復している。お陰で、元々スタイルの良い恭子の滑らかな肢体は、更に好ましく引き締まり、益々、宗男の股間をパキンパキンにするのであった。

 話を暗視カメラの映像に戻そう。ドローンは、今となっては慣れ親しんだ工事現場に侵入し、停めっ放しになっている大型車両やフォークリフトの上を越えて行く。そして暗闇に浮かび上がる灰色の巨体の前でその進行を止め、その場でホバリングを開始しした。今度は、その設備の表面を嘗め回すように、機体を設備に向けたままゆっくりと横移動だ。タブレットに映し出される映像に見入りながら、崇は周囲をくまなく観察した。そして声を上げた。

 「有った!」

 その時、タブレットに映し出されていたのは、その設備に貼り付けられているプレートで、メーカー名やモデル名のような文字が刻印されている。それによると、『ヒプコ・パワーインスツルメンツ(株)』というのが、その設備のメーカーだろう。『GB-U231-NCW』という刻印は型式と思われ、『JZ4204512』が製造番号だろうか? その設備が何のための物かは後で調べるとして、今は必要な情報を集めるだけだ。更にその周りを何周かして、これ以上は得るものが無いと判断した宗男たちはドローンを回収した。


 その後、早速得た情報をググってみたところ、ヒプコ・パワーインスツルメンツに関しては直ぐにヒットし、こちらも東日本プラントシステムズと同様、東日本電力と資本関係にあることが判った。しかし問題はGB-U231-NCWである。あらゆるサーチエンジンを使っても、その単語が検索に引っ掛かることは無く、唯一、ヒプコ・パワーインスツルメンツのWEBサイト内にGB-U231という焼却炉が掲示されている。おそらく、その焼却炉のバリエーションの一つと推察された。

 この情報は直ぐに警視庁に伝達され、西村が独自に調査を開始。一般人のWEB検索とは異なり、警察にしかできない伝手つてを使っての調査をもってしてもGB-U231-NCWの情報は得られなかったが、重要な周辺情報を入手した。それは、GB-U231というモデルは、非常に高出力の焼却炉であるということだ。一般家庭から出るごみの焼却にそのような高出力タイプを用いる例は殆ど無く ──その理由は設備の大型化だけに留まらず、初期投資の肥大化、ランニングコストの増大だと言われる── 例えば、鉄鋼産業などの特殊な分野にしか用いられていないという。その様に無駄に高性能な焼却炉を導入する理由とはいったい何であろうか? あえて高額な設備を導入し、その利ザヤに群がる害虫がより多額の金を手にするためか? 汚職に手を染めるような連中が、いかにも考えそうなことだ。しかし崇の読みは違った。後から判ったことだが、西村も崇と同様な推理を展開していた。

 「波多野が主犯なら、そういった利ザヤ狙いの高額設備導入かもしれない。でも俺は違うと思うな」

 「違う? じゃぁ主犯は誰なのさ?」恭子が聞いた。

 しかし、その質問に答えたのは宗男であった。

 「東日本電力・・・ だと思っているんですよね、崇くんは?」

 崇は黙って頷いた。

 「確かに主犯が東日本電力であれば、販売利益狙いで高額設備を導入するってのは無理がありますよね。無理というか・・・ 動機として弱いというか」

 「どういうことよ? 高い機械を売り付ければ、それだけ儲けも多くなるんじゃないの?」

 恭子の質問に、今度は崇が答えた。

 「確かにそうなんだけど、東日本電力ほどの大企業が焼却炉一個で、それほど目くじら立てて儲けを取りに来るとは思えないんだよなぁ。波多野個人にとっては巨額と言えても、企業にとってはそれほどの額とは思えない」

 「じゃぁやっぱり波多野が主犯で、利ザヤ目的の意向を汲んだ東日本電力が、高い設備を提示したってことじゃない?」

 恭子の言うことが最もしっくり来るというのは、宗男にも崇にも判っている。そういった「いかにも有りそうな」考え方が、一連の出来事をサラリと説明できるのだとは思う。だが理屈ではなく、勘というか匂いというか・・・ とにかく二人には、何かが匂うのであった。胡散臭いのであった。折角の発言にも同意すること無く、腕組みしながら「ウン、ウン」と唸りだした二人が気に入らない様子の恭子はプィとそっぽを向いた。

 「何だか知らないけど、アレで燃やした方が都合がいいんじゃないの? ほら、ダイオキシンが何とかって言うじゃん」

 それを聞いた宗男と崇が目を合わせた。そうである。焼却炉を使うのだ。これまで、その施設を建設することで得られる利益・・にばかり目が向いていたが、完成後に使うことで得られる利益・・が有るのではないか? 東日本電力が人目をはばかって燃やしたい物とは? それを燃やしているところを、誰かに見られたくない物とはいったい何だ? それを燃やす施設をコッソリと作らねばならないとしたら、それは・・・ 二人は同時に応えに辿り着いた。崇の顔がパッと明るくなった。宗男は崇を指差し、目を輝かせた。二人の発言も、ほぼ同時だった。

 「放射性廃棄物!」

 「除染残土!」


 宗男たちが掴んだ情報から、この事件のあらましが明らかとなった。宗男たちのドローンが捉えた映像から、本来であればごみ焼却くらいの用途には使われない、非常に高出力の焼却設備が搬入されていることが判明し、警視庁の西村は色めき立った。無論、捜査の進展を外部に漏らすようなことを西村がするはずは無かったが、彼とのコンタクトを重ねるうちに、事件の全貌が宗男にもボンヤリと描けるようになっていた。

 ことの次第はこうであった。例の福島第一原発のメルトダウンに伴い、各地から集められた放射性廃棄物、いわゆる除染残土の処理に困った東日本電力は、それを秘密裏に焼却処分したいと考えていた。その時、宮城県のとある村に、新たにごみ焼却施設の案件が浮上していることを掴んだ東日本電力は、地元出身代議士である波多野に口利きを依頼。東日本電力は東巻工業を設立し、大臣の意向を組んだ宮城県議の河合が、その東巻工業が落札できるように働きかけた。当然ながら、河合には東巻工業を通じて金銭が支払われ、波多野の元には、おそらく東日本電力から多額の報酬が支払われていることだろう。実体の無い東巻工業は、東日本電力が如何ようにでもできるダミー会社で、ごみ焼却という隠れ蓑の下で、放射性廃棄物の焼却施設を建設している・・・ といった具合だ。地方の公共事業に関する汚職事件を発端とし、その裏側に巣くう更なる巨悪に辿り着いたという図式だ。

 このカラクリを知った崇は、その悪だくみが自分の働きによって潰えることとなったことに、いつに無く興奮していた。それは、父親への復讐を果たしたような高揚感から来るものなのか、それとも自らが信じる正義を貫いた充足感から来るものなのかは、本人にしか判らない。いずれにせよ、父親の裏切り行為によって穿かれた心の空隙を、自らの行為によって充足できたのであれば、それはきっと崇にとって大きな一歩となるだろう。これまで、無気力の毒牙に苛まれて歩みを止めていた崇が、再び歩き始めるきっかけになるはずだ。東京に戻った宗男たちは、それぞれが達成感を胸に、再び慣れ親しんだ日常に戻り始めていた。

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