第七章:それって人権侵害?
7-1
「MKエアサービスが引っ越しても、俺はこの部屋に残るよ」
「へっ!? どういうことですか、崇くん?」宗男は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔だ。
「そうよ、何言ってんのよ、崇」恭子も驚いた様子である。
「兄さんと姉ちゃんだけで行けばいいじゃん。俺が居たら邪魔だろ?」
「邪魔だなんて、とんでもない。ちゃんと皆の部屋を用意しますから」と、宗男が取り繕う。
「そうだよ。アンタ一人残して、私らだけで行けるわけないじゃん!」
恭子は宗男の発言に同意するが、崇はあっさりと切り返す。
「逆だろ? 二人にくっ付いて、俺が行けるわけないじゃん!」
「?」宗男が目をパチクリさせる。
「アンタ、馬鹿じゃないの? そんなの気にするなって言ってんじゃん」
「バカは姉ちゃんだろ! 俺の気持ちにもなってみろよっ!」
「???」宗男には二人の会話が意味するところが判らない。
「自分の身の回りの世話も出来ないくせに、生意気言うんじゃないわよ!」
「そうやっていつまでも子ども扱いするなよ! 自分だって本当は、その方が良いと思ってるんだろ!」
「思ってないって言ってんのが判んないのっ! アンタ、頭悪いんじゃないの!?」
「何をーーーっ!
「その腐った頭出しなっ! 張っ倒してやるからっ!」
さすがに宗男も割って入る。このままでは本当に取っ組み合いが始まりそうだ。
「まぁまぁまぁ、二人とも落ち着いて。姉弟喧嘩は良くないですよ」
話は平行線である。崇が気にしている
「もう俺、独り立ちできるから。兄さんに給料も貰ってるから、家賃だって払えるし」
「そりゃそうかもしれないけどさぁ・・・」
なおも納得のいかない顔の恭子に、宗男が言った。それも宗男の誤解からくる発言なのだが、崇にとっては自分の希望通りになるのであれば、誤解されたままでも構わないと思った。
「まぁ、まぁ、恭子ちゃん。崇くんももう21歳です。きっと、それなりに色々有るでしょうから、いつまでもお姉さんの監視下に居るわけにはいかないでしょ」
崇に彼女が出来たという話ではないのだが・・・ と恭子は思ったが、結局、何も言えなくなってしまい、複雑な想いを飲む下すのであった。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「ピンポ~ン」
思わず顔を見合わせた三人であったが、恭子が「もう・・・」と言って、玄関に向かった。その合間に宗男が、恭子に聞こえないように声を落として話しかける。
「恭子ちゃん、崇くんのことが心配なんですよ、きっと」
「そりゃぁ判ってるけどさぁ・・・」
自分が不在の隙を狙って、実の姉がその旦那に抱かれている現場で生活する身にもなってくれと言いたいところであったが、宗男の純朴そうな瞳に見つめられると、どうしてもそうは言えないのであった。何かを言おうと口を開きかけた崇が、結局、何も言えないことに気付いた瞬間、玄関の方から恭子の妙な声が聞こえた。二人は眉間にしわを寄せるような、不審な顔を見合わせる。宗男が立ち上がり、急いで玄関に向かうと、恭子の背中越しに人影が見えた。それは全身黒づくめの男二人に挟まれるように立つ、背の低い老人であった。
「久し振りじゃの、宮川さん」
「熊林組長・・・」
「なるほど、話は判りました」
足腰が悪くなって低い所に座れなくなっていた熊林は、いつもは恭子が眠るベッドに腰かけていた。座るところが無い恭子は、熊林に並んでその隣に座っている。あの変態亭主との離婚成立は熊林の協力があってこそだ。ある意味、今の熊林は、恭子から絶大な信頼を勝ち得ていると言ってよく、仲良く並んで座ることに関し、二人は何の違和感も感じていないようだ。その二人と相対するように、宗男が卓袱台を挟んで正座をして小さくなっている。なんだか宗男が熊林に叱責されているような感じになってしまった。しかもその不思議な光景を、更に異様なものにしているのは、宗男の両側に控えるMIBである。二人の黒ずくめが、宗男と同じように正座して卓袱台に向かっている姿は何とも言えずシュールで、悪い夢でも見ているかのようだ。MIBの目は相変わらず真っ黒なサングラスに遮られ、何処を見ているのかすら判らない。二人の位置関係からして、向き合ったMIB同士が見つめ合っている構図だが、そんなはずは有るまい。その直立不動のような ──いや、直座不動と言うべきか── 一部の隙も無い姿に、宗男はますます小さくなって縮こまった。
「つまり、熊林組長の・・・ いや会長の、お孫さんに当たるお嬢さんの身辺を監視すれば良いわけですね」
「うむ、左様じゃ。わしらが周りをうろつくのを、孫はいたく嫌っておっての。かと言って、極道の人間が警察に頼み込むわけにもいくまい」
宗男の頭には、ふと警視庁の西村の顔が浮かんだ。彼であれば、たとえ相手がヤクザ者であろうと、気にもかけずに「承知いたしました」と言ってくれそうな気がしたが、西村は知能犯罪、金銭犯罪の捜査第二課である。畑が違うだろう。
「で、そのお孫さんに付きまとっている男の素性を探れば・・・ いや、そういった調査は専門ではありませんから、男を特定する為の情報を集めればよい、というご依頼と考えて宜しいですか?」
「うむ・・・ まぁ・・・ そういうことになるかの」
何か奥歯に物が挟まったような言い方だ。竹を割ったような性格の熊林らしくないと言えた。同じことを感じた恭子が、隣から尋ねる。
「どうしたのよ、お爺ちゃん。言いたいことが有るなら言って。宗男が何とかしてくれるから」
おいおい、勝手なこと言うんじゃないと思ったが、宗男はそれを口にできる男ではない。しかもヤクザの組長に向かって「お爺ちゃん」とは何事か? その砕け過ぎた口調に、宗男はハラハラし通しだ。
「判りました。それでは、出来るだけ詳しい情報を教えて下さい」
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