第21話 『知らない場所』

 案内してもらった職員室で、現地の先生にそれはそれは驚かれた。

 なにぶん、俺の持ちものは二冊の文庫本と、内ポケットの生徒手帳だけ。足許も上履きのままだ。

 俺の生徒手帳をまじまじと見詰めた男の先生が、大変困った顔を見せる。


「……秋月あきづきゆうくん」

「……はい」

「西高校……」

「あの、……電話、貸してもらえませんか……?」


 驚いた顔の先生に、再度お願い事を募らせる。


「担任の先生に……、その、電話……」

「そうだな……。おーい、西高校の番号わかるかー?」

「生徒手帳に書いてませんかね?」

「ああっ、そうだな!」


 パソコンを打っていた眼鏡の先生が顔を上げ、男の先生が電話の子機を取る。

 生徒手帳とともに手渡されたそれを受け取り、震える手で学校の番号を調べた。


 時間帯から考慮するに、ここも向こうも職員会議を行う時刻だろう。

 見慣れない教師が各自席についている中、居た堪れなくて壁を向いた。ちらちらと向けられる視線がつらい。


 数コールのあとに事務員の女の人の声がし、「西高校」と名乗る。

 自分の名前と担任の名前を伝え、繋いで欲しいことを訴えた。

 保留を知らせる優雅なカノンの音楽が、やけに長く聞こえる。


『はい、関口』

「セッキー、どうしよう、階段下りたら違う学校についちゃった! ねえ、常盤学園ってどこ? 何県? 財布教室にあるの、どうしよう、どうやって帰ろう……!!」

『は……? いや、は? 秋月? 落ち着け……っ』


 電話越しの男性の声に、堪えていた混乱を吐き出す。

 支離滅裂な俺の言葉に、普段クールな担任も動転したらしい。俺を落ち着けようと、彼が低い声を響かせた。


『秋月、落ち着け。まず、そこは何処だ?』

常盤ときわ学園……の、職員室……」

『そうか。じゃあ次、どうやってそこに行ったんだ?』

「図書室、本、返却期限が……、階段下りたら、渡り廊下がなくって……」

『……そうか』


 担任の声に混じって、何やら筆記する音が聞こえる。

 ボールペンが紙を滑るようなそれに、担任はクールなだけあって、冷静なのだと悟った。

 すん、呼吸が喉で引っ掛かる。


「セッキーの声聞いたら、涙出てきた……」

『泣くな男の子。次、荷物。今、何持っている?』

「生徒手帳と、エリちゃん先生に返す本……」

『他は教室か?』

「うん……。リョースケと和泉いずみが残ってる」

『……わかった。あと、お前、今日親御さんは?』

「遅番だから、もう仕事行ってる……」

『そうか……。自分で伝えられるか? 後日改めて、先生の方からも挨拶に向かう』

「うん……」


 てきぱきとした担任の先生の聞き取りのお陰で、泣きそうなくらい混乱していた胸中が落ち着いてくる。

 ボールペンの走る音を背景に、電話口がため息をついた。


『所在地を聞きたい。誰か先生にかわれるか?』

「うん、」


 子機を離して通話口を手で押さえ、始めに電話を貸してくれた男性教員を探した。

 彼は俺を案内してくれた生徒と何か話しているようで、困惑に辺りを見回す。

 代わりに眼鏡の先生が出てくれた。にっこりと、穏やかな笑みを見せてくれる。


 電話口に短い応酬を繰り返した彼女が、常盤学園の所在地を告げる。

 彼女もまたメモを取っており、西高校と下線の引かれたそれは、幸いにも同県に存在していた。


「はい、代わってって」


 こちらを安心させるように、優しく微笑んだ教師が子機を差し出す。

 耳を当てると、再び担任の声が聞こえた。


『これから迎えに行く。しばらくの間、そこで待たせてもらえ』

「でも、セッキー、職員会議……」

『子どもはそんなこと気にせんでよろしい。鞄、帰宅準備は整っているか?』

「うん、教室戻ったら、帰るだけだった」

『なら荷物は鞄ひとつで良いな』

「ありがとうございます……。俺、生まれ変わったら、セッキーの子どもになる……」

『それよりテストを頑張ってくれ。他、伝えることはあるか?』

「和泉とリョースケに、絶交期間60日にするって。あと、エリちゃん先生にごめんなさいって」

『どっちも自分で伝えろ。エリちゃん先生ほど怒らない先生はいない』

「はい……」

『一時間くらいかかる。すぐに向かうから、待っていろ』


 通話終了の無機質な音が響き、子機を耳から離す。

 最初の男性職員は話が終わったようで、子機は彼が受け取ってくれた。


「担任の先生が、迎えに来てくれるみたいです。……すみませんが、一時間ほど待たせてもらっても、いいでしょうか……?」

「ああ、災難だったね……。こちらの部屋で待ってもらっても構わないかな?」


 通された部屋は職員室の隣の個室で、窓から見える景色はすっかり夜色に染まっていた。

 頷いた俺をソファへ誘導し、女性の先生が温かな緑茶をふたつ置いていく。


「星野! しばらく一緒にいてあげてくれ」

「わかりました」


 星野と呼ばれた最初に出会った少年が、個室に入る。

 男の先生が、「担任の先生が着いたら知らせるよ」と残して扉を閉めた。……多分、会議があるのだろう。

 テーブルの上に文庫本を置き、しょんぼりと項垂れる。隣に座った星野くんが、お茶を手に取った。


「ぼくは星野奏立ほしのそうた。きみは?」

「秋月悠……」


 名乗った俺に、お茶を置いた星野くんが、小さく「ユウか……」と呟く。

 不思議に思って顔を上げると、微笑みとともに首を横に振られた。


「最近、縁のある名前なんだ」

「そうなんだ……あ、星野くん、」

「なあに?」


 星野くんは色素の薄い人らしい。

 サラサラの茶色の髪に、色の白い肌。長い睫毛は少し眠たそうで、女の子にもてそうな顔をしていた。

 たまたま俺と遭遇してしまったばかりに、ここまで付き合わせてしまって、罪悪感を抱く。


「その、ごめんね? 外暗いし、帰った方がいいよ……?」


 何より星野くん、美少年だから、変質者に目をつけられたら心苦しい。


 俺の心配を他所に、首を傾げた星野くんがブレザーのポケットをごそごそ漁る。

 手、出して。素っ気なく告げられた指示に従い、利き手を差し出した。

 ころん、銀色に包まれた飴を落とされる。


「元気の出るおまじない。まだあるから、悲しくなったら教えてね」

「!!」


 とても既視感のある台詞に、驚いて彼の顔を見詰める。

 きょとんと瞬いた星野くんの、何処となく眠たそうな顔に、まさかと思った。

 無意識に俺の口は「シエルドくん?」と呟いていて、途端、星野くんが激しく咳払いする。


「なんでその名前、知ってるの……!?」

「えっ、本当にシエルドくん!? う、うそだ! 天使が現存している!?」

「も、もうちょっと声落として! 聞こえるから……!」

「ご、ごめん!!」


 真っ赤になった頬を、星野くんが両手で扇ぎ、俺も俺で口を塞いで動揺に耐える。

 文庫本に描かれた夜汽車の絵だけが平和で、現実感が伴わなかった。

 意を決して、口を開く。


「その、俺、……ユウ、なんだ、けど……」

「……共通の知り合いに、ギャップの激しい幼女とあさひなって人、いる?」

「いるいる。今日、別件であさひなさんに慰めてもらうつもり満々だった」

「はーーー……、ユウって、本名なんだ……そのまんまだったんだね……」

「大して……考えてなくて……」


 微妙な沈黙に包まれる。お互いが明後日の方向を向き、火照った顔を冷ましている。

 シエルドくんが高校生だろうとは推測していたけれど、まさか本人とこんな形で出会うなんて思いもしなかった。


 ちらりと隣の少年を見遣り、再度意を決して口を開く。

 度重なる動揺で、頭の中がしっちゃかめっちゃかだ。


「シエルドくん、」

「せめてっ、下の名前で……!」

「ご、ごめん! ……そうたくん……?」


 両手で顔を覆ったそうたくんが、あああああ、と声を漏らす。

 思わず肩が跳ねた。驚いたしびっくりした。

 嫌だった!? 尋ねると、真っ赤な耳を残した彼が、静かに首を横に振った。


「だってまさか、本名呼ばれる日がくるなんて、思わないじゃん……」

「確かに……」

「……はあああ、あさひなに自慢しよう……」

「自慢になるのかな!?」

「それで、なあに? ユウ」


 未だ頬の赤い美少年に名前を呼ばれ、悶えそうになる。

 これこそ、あさひなさんに自慢するべき案件だと思う……!

 胸の中で固く決意し、そうたくんへ向き直った。


「その、暗くなっちゃったし、早く帰らないと危ないよ?」

「大丈夫だよ、このくらい」

「ダメだよ! 天使が誘拐されちゃう……!!」

「……異次元に誘拐されたユウが、誰よりも言っちゃいけない台詞だと思う」

「異次元とかこわいこといわないで……!!」


 耳を押さえて頭を振る俺を見下ろし、そうたくんが思案気に口許に指を乗せる。

 何気ない仕草はシエルドくんそのもので、やっぱりそうたくんはシエルドくんなのだと感慨深くなった。


 そうたくんが生徒手帳と端末を開き、何やら筆記する。

 びりりと裂いたメモ欄をこちらへ差し出し、彼が目元を緩めた。


「ぼくの連絡先。もしまた何処かに飛ばされたら、助けに行くから」

「二回目とかやだな……!」

「端末は持ってる? 持ってたら、今度からは常に携帯するように。ぼくの番号は生徒手帳とかに挟んでて」

「そうたくんが冷静すぎる……!」

「ぼくがこわい目に遭ってる訳じゃないから」


 小さく微笑んだそうたくんに、そうだね……肩を落とす。

 くすくす笑った彼が、もうひとつ飴を取り出した。


「だから手伝えると思う。困ったことがあったら、連絡して?」

「天使は男前だった……」


 涙を呑んで拝む。

 シエルドくんはそうたくんでも、天使で美少年で清らかで男前だった。

 こんな心優しい人に助けてもらえる自分が自分で羨ましい……!


 お礼を伝えると、そうたくんがふんわり微笑んだ。

 シエルドくんのときよりも表情豊かな頬はほんのり赤くて、絶対にあさひなさんに自慢しようと誓った。

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