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ちとせ

てしまめじは うよはお

第1話 はじめましてと踵が鳴る

 閉じた瞼を持ち上げる。

 ざわめきと靴底の擦れる音と、知らない街のにおい。広がった視界が雑踏を映した。


 違和感なく上を向いたそれは晴れた空と時計塔を映し、今日が日曜日のお昼時であることを示していた。

 現実より低い視点で周囲を見渡し、様々な人が行き交う光景を眺める。

 不意に雲の切れ間が日差しを射した。眩しさに手を翳す。


 はー、すごい。VRすごい。

 雑踏のにおいとかどうやって表現しているんだろう?

 今、身の丈二メートルはありそうな牛の角生やしてる人いた。すごい。

 あの人背中から羽生えてる。すごい。

 リアル感がすごい。VRすごい。


 語彙力が完全に死滅した上、目につくものへころころと支離滅裂な感嘆を送る。

 この現象を俺は知っている。所謂「おのぼりさん」だ。

 恥ずかしい。けれどもはしゃぎたいじゃないか。

 念願のVRの世界にいるんだよ?

 俺、このゲームのために貯金頑張ったんだよ?

 同級生の自慢話に耐えて、CMの誘惑を乗り越えて、ようやくこの地を踏めたんだよ?


 視線を落とし、手のひらをぐっぱと握って開く。現実と遜色ない動きに再び感動した。

 身体を捻って自身の姿を見下ろす。初期服のちょっと残念なデザインの裾が、ひらりと揺れた。


 一通り感動を終えてから、モデリングのときに教わったメニュー画面を開く。

 軽やかに自分を囲むように展開した青い画面に、何度目かわからない感動に震えた。

 多分実際に変な声が出たと思う。咳払いして、一番大きな画面の文字を追った。


「……ふ、ふーん、さっぱりわかんない……。えーっと、ステータスがこれで? これが……?」

「お困りですか?」

「うえやっはッ!!」


 突然頭上からかかった声に、過剰なまでに肩が跳ねる。

 勢い良く振り仰いだ俺を見下ろしていたのは、細身で綺麗な顔のお兄さんだった。

 白い髪を片側で纏めた彼は、驚いたように青色の目を丸くしている。

 あわあわと胸の前で両手を振り、お兄さんへ頭を下げた。


「す、すみませんっ。驚いてしまって」

「いえ、こちらこそ急に声をかけてしまい、失礼しました」


 やんわり、微笑んだお兄さんの声が耳に心地好い。

 何だこの素敵な人は。こんなキャラデザインも出来たんだ? すごいなVR。

 お兄さんが着ている、黒を基調とした軍服のような衣装もまたかっこいい。

 将来、俺もこのくらいかっこよくなりたい。脱初期服したいからがんばる。


 目許を和らげたお兄さんが、ことりと小首を傾げた。


「何やらお困りのようでしたので」

「あっ、あー! そうなんです! 今日始めたばっかりで!」

「新人さんでしたか。よろしければお手伝いしましょうか?」

「いいんですか!?」


 何だこのお兄さん、ものすごく親切だ……!!

 期待に食らいついた俺を見下ろし、お兄さんが人の良さそうな顔で微笑む。


 そっと身を屈めた彼が、指先で俺の広げた画面に触れた。

 波が立ったように波紋が滲み、新たな画面が広がる。


「ここに触れると、あなたの現在のステータス値を見ることが出来ます」

「ふあああっ、すごい……!!」

「凄いですよねー」


 にこにこ、お兄さんが笑う。俺の残念な初期値ですらかっこよく見せてくれるこのエフェクト、すごい。

 それにしても、さっきからすごいしか言ってない。感動しすぎだろう、俺。ちょっと正気に戻ったよ。


「画面を閉じるときは、横にスライドさせてください」

「映画で見たやつ!!」

「懐かしいですね。わたしもあの映画すきです」


 横に滑らせた画面が閉じられる。

 お兄さんの穏やかな声に合わせて画面を触り、基礎的な構造を教えてもらった。

 色々あってややこしい。恐らく当分は、メニュー画面で迷子になると思う。


 いつの間にか時計の針はぐるりと回っていて、大変な時間泥棒をしていることに気が付いた。慌ててお兄さんを見上げる。


「す、すみません! お時間取ってしまって!」

「構いません。わたしも楽しかったので」

「天使かよ……」


 心の声がそのまま漏れる。

 両手を合わせて拝む俺を見下ろし、お兄さんがおかしそうに笑った。ふんわり、表情が緩められる。


「よろしければ、フレンドさんになってもらえませんか?」

「いいんですか!?」

「ここでお会い出来たのも、何かの縁ですし」


 是非とも! 声を弾ませた俺に、笑うお兄さんが画面を開いて何かを操作する。

 軽快な音を立てて、俺の画面のひとつが色を変えた。


「今、色が変わった画面が、お知らせ枠です。フレンド申請の承認を押せば登録され、拒否を押せば削除出来ます」

「登録します!」


 触れた選択肢が波紋を立て、目の前を『あさひなさんをフレンド登録しました』との文字が流れる。

 お兄さんを見遣ると、慣れた仕草で画面を消しているところだった。彼が嬉しそうに頬を緩める。


「ありがとうございます、『ユウさん』」

「あさひなさんって、名前からして優しそうですね」

「照れますね。何かご用がありましたら、お呼びください。お手伝いしますので」

「菩薩かよ……」


 再度あさひなさんを拝む。

 いきなり美人で優しいお兄さんに助けてもらえるとか、俺すごくついてる。

 上品な仕草で微笑んだあさひなさんが、周囲を見回してから再び俺へ顔を向けた。


「わたしはこれから所属しているギルドへ顔を出そうと思うのですが、ユウさんはどうされますか?」

「あー……、とりあえず、歩き回ってみたい、です……」


 観光客みたいな希望しか出せない自分が、何とも情けない。

 羞恥心に耐える俺に、「では、」腕を広げたあさひなさんが一歩踏み出した。

 くるりとこちらを向いた彼が、日差しを背負って笑みを浮かべる。


「よろしければ、ご案内いたします」

「美人なガイドさん侍らす自分が羨ましい」

「ユウさん、何処視点ですか、それ」


 くすくす、笑うあさひなさんの隣を目指し、一歩踏み出す。

 靴底から伝わる石畳の感触。振れた腕が切った空気。肌に感じた風。

 ここが仮想世界だと忘れてしまいそうなほど精巧な感覚に、VRすごい……!! 何度とわからない感動に震えた。

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