第29話 あの子どこの子
あれから何ごともなく、幾日が過ぎた。
怒涛の日々が嘘だったかのような、あっさりとした日常に気が抜ける。
朔月さんも元気そうで、俺とシエルドくんと三人で平和な話をしている。
メインストーリーを8章で止めている俺に呆れ、「50章くらいやったら、自動的にレベルも上がるわよ」と俺のひ弱なレベルを指して言った。ううっ、そうですね……!
シエルドくんと朔月さんは中堅プレイヤーといった雰囲気で、ゲーム用語をばんばん出して会話することがよくある。
楽しそうなふたりは見ていて微笑ましいけど、俺も参加したいからがんばる……!
俺もどこどこのクエストが効率的とか言えるようになる……!
第1都市ユークレースの広場に降り立ち、ログイン直後の浮遊感に身を委ねる。
瞬いた視界が青空を映し、現実では夜である時間感覚を狂わせた。
癖のまま画面を開き、誰か来ていないか確認する。
滑らせた指先は『オフライン』の文字を並べ、俺が一番乗りなのだと知らせた。
今の内にメインストーリー、やっとこうかな……。
ふと考え込んだ視界の端に、見慣れた横顔が映る。
長い青色の髪と、白い花の髪飾り。
ブーツの踵をこつこつ鳴らせて歩く朔月さんが、路地の方へと歩いて行く。はたと瞬いた。
「朔月さん!」
画面を消して駆け出し、路地へ身を滑らせた彼女の後ろを追いかける。
程なくして追いついたはずなのに、覗き込んだ薄暗い通路には誰の姿もない。
あれ? 朔月さん、どこに行ったんだろう?
「あんた、何してるの?」
「ひっ」
きょろきょろしていた背後から突然話しかけられ、大袈裟なくらい身体がびくつく。
勢い良く振り返った先にいたのは、捜索真っ最中の朔月さんだった。
不審そうに目を細められ、唖然とする。
あ、あれえ? どういうこと?
「あ、あれ? 朔月さん? 何で、だってこっちに……」
「何言ってんのよ、あんた。私、今来たところよ?」
「えええ?」
もう一度路地を見遣る。
真っ直ぐに伸びるそこは途中入り組んでいるが、あんな短時間で俺の後ろへ回り込めるような近道は見当たらない。
不意に、直前まで見ていた画面を思い出した。フレンドの一覧はログイン状況を点灯させ、俺が一番乗りだと知らせていた。
……朔月さんを見かけたあのとき、朔月さんはログインしていなかったはずだ。
すっと体温が下がる。涙が込み上げてきた。朔月さんがぎょっとする。
「なっ、何泣きそうになってんのよ!?」
「すんっ」
「ちょっと! 私が泣かしたみたいになってるじゃない! こ、こら、泣くなー!!」
両手で顔を覆って俯く俺の頭を、朔月さんが乱雑に撫でる。
必死の朔月さんは大慌てで、後から来たシエルドくんが「……朔月、またユウのことからかったの?」呆れた半眼をしていた。
ち、違うよシエルドくん、誤解だよ……!
「つまり、朔月のそっくりさんがいたと」
「あんた、その澄ました顔に落書きするわよ」
集会場所となっている二階の喫茶店で、先ほどの出来事を打ち明けた。
シエルドくんの簡潔な答えが俺の心を抉っていく。
心底嫌そうな朔月さんが、固形のミルクセーキをしゃくしゃく掻き混ぜた。
「……そいつ、そんなに私とそっくりだったの?」
「うん。横顔だったけど、後姿も歩き方も朔月さんぽくて、普通に声かけちゃった」
「……そう」
顔色を悪くさせた朔月さんの、しゃくしゃく音が止まる。
柚茶に息を吹きかけていたシエルドくんが、口をつけずに茶器を戻した。
「動作に違和感はなかったんだ?」
「なかった。本当に朔月さんだと思って……」
「……前に朔月が会ったドッペルゲンガーのこと、覚えてる?」
こくり、頷く。
上目で朔月さんを窺うと、彼女は自棄とばかりにミルクセーキを掻き込んでいた。つ、冷たくないのかな……?
朔月さんがしていた話を思い出す。
彼女とそっくりな見た目で現れ、けれども左に大きく傾いた歪な体勢。
転んだあと起き上がることの出来ないそれが暴れている隙に、朔月さんは逃げ出した、と。
あたたかな柚茶を両手で収め、シエルドくんが口を開く。
「あのときは動作が不完全だったけど、それが補完されたのかな。朔月のそっくりさんといえば、それしか心当たりがないから。新しい何かがいない限りは、それが成長したことになるのかな?」
「あんた、本ッ当そのサイコパス思考どうにかしなさいよ!」
「ひどいな……。起こったことをそのまま繋いだだけだって」
凍えて若干呂律の回っていない朔月さんが、眼光鋭くシエルドくんを睨みつける。
肩を竦めた彼が、柚茶を啜った。熱くなった両手を膝に置き、冷ましている。
……つくづく思うけれど、このふたりって正反対だなあ……。
「でもそうなると、朔月さんがふたりいるってことになるよね?」
自分で言ってこわくなった。自滅した。テーブルに額を乗せ、ずんと落ち込む。
隣にいるシエルドくんが、宥めるように俺の頭をぽすぽす叩いた。
「朔月。提案なんだけど、見た目変えない?」
「言われなくてもそうするわ。……無課金の範囲でだけど」
「ああ、お金かかるもんね」
「そうなんだ?」
きょとんと顔を上げると、彼等が頷いた。
歩く辞書のシエルドくんが、優しく解説してくれる。
「服とかは自由に変更出来るんだけど、見た目の基盤の変更には、お金がかかるんだ。
性別とか、身長、体型、声、顔の造形だったかな。色って課金から外れたっけ?」
「課金よ。値引きされてるだけ。……良心価格だけど、私、課金は絶対に駄目って約束させられてるの……」
「ああ……、うちも似たようなものだよ」
「な、なるほど……」
俺たちに高校生の現実が降りかかった。このゲーム、ただでさえ初期費用が高い。
だからこそ俺はバイトを頑張ったし、朔月さんは当分誕生日もクリスマスもプレゼントがない。
シエルドくんは、テスト期間になるとゲームにこられなくなる。
……課金なんて、したくても出来ないんだ……。
「髪型と服装を変えるだけで、結構印象変わるし」
「この見た目、気に入ってたんだけどね……仕方ないわ」
ため息をついた朔月さんが立ち上がる。
いつの間にか彼女のミルクセーキは空になっており、時計を確認すればいつもの時間だった。
ひらりと手を振り、彼女が立ち去る。
「先行くわ。イメチェン楽しみにしてなさいよ」
「うん。ばいばい、朔月」
「また明日。気をつけてね」
俺たちも飲みものを空にする。
温くなった柚茶を飲み終えたシエルドくんが、カップを見詰めながら、ぽつりと呟いた。
「……ねえ、ユウ。データって、成長するのかな?」
「え?」
「自動学習とかがあるか。……データに出来ないことって、なんだろ。
……ごめん、もう少し考えてから話すね。ぼくにもっと知識があればな……」
既に名探偵な彼は、どこを目指しているのだろう……?
神妙な顔で考え事をする美少年の姿があまりに整い過ぎていて、知らぬ間に拝んでいた。
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