第10話 ここにいないはず
周回を幾度か繰り返し、星屑の森の地形が頭に入る。
シエルドくんが集めている素材は要求数が多いらしく、今ようやく半分まで集まったそうだ。
「ユウ、大丈夫?」
「大丈夫……!」
へばった俺を頭上から覗き込んだシエルドくんへ、苦笑を向ける。
このゲームの体力は、時間経過とともにじわじわ回復する。
シエルドくんが初心者向けの場所を選んでくれたお陰で、前線職での即死は免れた。
この周回だけで俺のレベルがぽんぽん上がるのだから、シエルドくんには頭が上がらない。
心配そうなシエルドくんの傍らで、唐突に青い画面が開く。
『calling』の文字の回るそれを、黒手袋に包まれた指先が叩いた。
「あさひな、こんばんは」
『こんばんは、シエルドくん。今日はどちらにいらっしゃいますか?』
「星屑の森」
「あさひなさん?」
画面から聞こえた声と、逆さ文字に透けた音声ログから、小声で尋ねる。
うん、頷いた彼の通話口が、音とともに文字を並べた。
『ユウさんもご一緒でしたか』
「うん。一緒に素材集めてる」
『……わたしも、ご一緒してもよろしいでしょうか?』
「うん。ユウもいい?」
「勿論。あさひなさんいると、心強いし」
「あさひな、聞こえた?」
『ありがとうございます』
耳に柔らかい声音が照れ笑いのような音を滲ませる。
あさひなさんほどの技量があれば、もっとぐいぐい行っても歓迎されるだろうに、彼はとても腰が低い。
待ってる。笑み混じりにシエルドくんが通話を切ろうとしたところで、橙色の画面がけたたましい音を立てた。
同時に硝子の森が天藍石の色から紅蓮へ染まり、蛍火を掻き消した火の粉が熱気を伝える。
パキパキ硬質な何かが砕ける音と、揺らめく硝子に浮かび上がる巨大な影。
咄嗟に振り返ったシエルドくんが、緋色に照らされた顔を愕然とさせた。
「……あさひな、ごめん、すぐに来て」
『シエルドくん? どうしましたか!?』
「星屑の森、6部。……なんで、ぼくまだ、イフリート倒せない」
シエルドくん! 呼びかけるあさひなさんの声を無視して、強張った顔で影を睨み据えたシエルドくんが通信を切る。
噎せ返る熱気がパキパキ枝を落とし、咆哮を上げたそれが炎を纏って木々を薙ぎ払った。
鐘を打ち鳴らすような竦む音を立て、砕けた硝子が跳ね飛ぶ。散らばった破片が紅蓮に照らされた。
熱風とともにのそりと現れたのは、二本の角を生やした赤黒い巨体で、歪な牙の覗く大口を開けたそれは、地を震わせる濁った怒号を上げていた。
理解の追いつかない現状に固まる俺を置き、シエルドくんが前に立つ。
そこにいるだけで蒸発してしまいそうな熱気が見せる陽炎か、剣を構えるシエルドくんの身体は震えていた。
「……ユウ、……逃げて」
「シエルドくん!?」
「ごめんね。ここ、本当はこんなの、出ないはずなんだ」
緋色と紅蓮に染まった世界の中振り返ったシエルドくんは、それでも顔色悪く微笑んだ。
即座に前を向いた彼が身軽に跳躍し、振り下ろされた拳を避ける。
弾けた地面が砕けた鏡面を飛ばし、炎が乱反射する。喉を焼く光景は鮮烈だった。
「ッ、シエルドくん! 下がって!!」
「ユウ! 逃げてってば!!」
「俺、お守り持ってるから! 早く弱体かけて!!」
「っ、」
振るった剣戟が容易く弾かれ、シエルドくんが悔しそうに俺の後ろへ降り立つ。
即座に防御の手順を整え、壁を張った。
瞬間、一面に豪炎が吹き荒れる。こんなの、当たったら一瞬で炭化してしまう!
「……ッ、弱体入った。でもちょっとしか効いてない」
「充分すごいよ!」
「……麻痺狙ってみる。ごめん、もうちょっと耐えて」
シエルドくんの詠唱を守るため、弱った防御を張り直す。
手順の印を結んでいると、身を乗り出したイフリートが緩慢な動作で翳した拳を振り下ろした。
その場から一歩も動かずに事を済ませる巨体って、純粋に怖くない?
頭上へ落とされた鉄槌に、一瞬意識がくらりと揺れる。
蜘蛛の巣のように罅割れた防御壁が脆い音を立てた。シエルドくんの詠唱が完了する。
『生体反応が弱まっています。至急治療、または撤退を行ってください。生体反応が弱まっています。至急治療、または撤退を行ってください。生体反応が弱まっています。至急治療、または撤退を行ってくだ』
「ユウ!! しっかりして!!」
橙色の空を裂いた雷撃が、電流を纏ってイフリートを直撃する。呻き声を上げたそれの動きが鈍った。
ふらつく意識で見上げた巨体は放電し、昔の、……そう、ブラウン管テレビの映像のようにぶれていた。
『体反応が弱まっています。至急治療、または』
「早く撤退――ッ!!?」
シエルドくんが俺の身体を支え、身を翻そうとする。
けれども影を作った頭上が、両の拳を絡めて振り被られている。
シエルドくんが俺を庇うように腕を回した。
ぎゅっと抱き寄せられたそれが、拍数の速い心音を伝える。
「はあッ!!」
風切り音の直後、地鳴りのような絶叫が空気を震わせた。
熱波が頭上へ放たれ、シエルドくんが小さく呻き声を漏らす。顔を上げた彼が焼けるような空気の中叫んだ。
「あさひな!!」
「シエルド! ユウ! 大丈夫か!?」
「マスター!?」
濁流を敵へ叩き付け、錫杖を肩に担いだマスターが傍らに屈み込む。
熱された空気に咳き込んだ俺の背を撫で、幼女が快活な笑みを見せた。
「おう、マスターだ。よく頑張ったな」
「ッ、ユウ、回復する。もうちょっと耐えて」
シエルドくんが詠唱した治癒術により、喧しかった橙色の画面が静かになる。
お礼を述べると、泣きそうな顔をされた。
イフリートの肩へ着地したあさひなさんが、目視の難しい速度で斬りかかる。
眼球から溶岩のような飛沫を上げた敵が轟音を上げた。
マスターが放った氷剣が立て続けに巨体へ突き刺さり、動きを封じる。
随所から赤く燃える液体を流す炎の悪魔が、豪腕を持ち上げた。
「あさひな!」
マスターの掛け声に合わせ、あさひなさんがイフリートの額を蹴って跳躍する。
反転する細身が紅蓮と天藍石色に照らされた。
「くらえ! 洗濯機!!」
「マスター、メイルストローム」
シエルドくんの突っ込みを受けた渦潮が、怒涛の勢いでイフリートを飲み込む。
長く尾を引く絶叫が轟き、燃え盛る緋色が天藍石に侵食された。
弾けた水流の後残った巨体へ、軽やかに着地したあさひなさんが踏み込んだ。
額の宝玉が砕け、断末魔とともに悪魔が無へ還る。舞い上がる塵が銀の星に溶けた。
「お二人とも、無事ですか!?」
普通の人間の速度で走ってきたあさひなさんが、汗ひとつ掻いていない顔で傍らに膝をつく。
……この人、コスモとかの次元にいない人じゃないかな?
「うん、大丈夫。来てくれてありがとう。あさひな、マスター」
「ありがとうございます、その……すみません」
「気にすんな。今、こういうバグ流行ってるみてーだぜ?」
「バグって流行なんだ!?」
にっかり笑ったマスターが、「おう! 流行に乗れて良かったな!!」豪胆なことを言い出す。
呆れた顔をしてしまった俺とシエルドくんの怪我を、心配そうに確認したあさひなさんが、心痛そうなため息をついた。
「やっぱり広告塔を見てませんでしたか……」
「なにかあったの?」
「運営から、今回のように、本来出現しない敵が現れるバグの注意喚起がされています」
「…………」
「あと二時間したら大型メンテナンスが入りますので、そのお知らせとお迎えに、ご連絡差し上げました」
「……知らなかったね」
「……うん」
シエルドくんと二人、顔を見合わせ頷き合う。
短く嘆息したあさひなさんが、俺たちへ手を差し出した。
「さ、治療も兼ねて運営へ報告へ行きましょう」
「……任意報告なら、無視しちゃダメ?」
「星屑の森を復元してもらわなければならないので」
渋々立ち上がったシエルドくんが、辺りを見回し落ち込んだ顔をする。
すっかり崩壊してしまった幻想的な風景に、絶対に復元してもらわなければ。決意に似た心情を抱いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます