第16話 あさひなの悩みごと

 煤けた階段を上っている段階で、聞き慣れない声がした。

 不思議に思い、扉を開ける。そこには見慣れない女の子がいた。


 喧騒ともいえる声量で捲くし立て、凄まじい剣幕であさひなさんへ掴みかかっている彼女。

 マスターが仲裁するかのように間に入っている。

 対するあさひなさんは冷ややかな顔をしているものだから、驚いた。

 困惑しているシエルドくんの隣へ行き、こそこそと事情を尋ねる。


「……どうしたの?」

「あ、ユウ……。うん、何だろう、あさひなの元いたギルドの話かなあ……?」


 眉尻を下げたシエルドくんが、再び視線を戻す。

 女の人は興奮しているようで、長い青色の髪が衝動のまま揺れていた。


「何度も言っているでしょう!? あなたにこんなギルドは相応しくない! いい加減戻って来なさいよ!」

「お引取りください。こうも騒がれては迷惑です。怒鳴ることをやめていただけませんか」

「迷惑って……! こんな弱小ギルド、どうなったっていいでしょう!? あなたが必要なの!」

「一々愚弄しなければ話も出来ないのでしょうか。しつこく付き纏われて、迷惑です。いい加減やめてください」

「どうして!? 何が不満なの!?」

「まあまあ、嬢ちゃん。落ち着きな」

「うるさいわね! 見た目詐欺!!」


 激情のまま吐き捨てられたマスターが、苦笑いを浮かべている。

 頬を掻く幼女から目線を滑らせた女性が、鋭い眼差しでこちらを睨み据えた。ひえっ。


「あなたたちが誑かしたのね!?」

「ええええっ!?」


 女性の腰に提げられた剣が鞘から覗いたところで、風切り音を立てて彼女の首筋に長剣が添えられた。

 あさひなさんの冴え冴えとした顔なんて、戦闘時以外見たことがない。

 凍て付きそうなほどの殺気に、女性はおろか、離れた俺たちまで身体が硬直してしまった。ひえっ。


「彼等に危害を加えるようでしたら、運営に報告いたします」

「……何よ、……こんな奴等の何処がいいっていうのよ……ッ」

「お引き取りください。これが最後通告です」

「横暴だわ! 私はただ、あなたに……っ!」

「あなたにわたしの行動を指図される謂れはありません。これ以上騒ぐようでしたら、通報します」

「ッ!!」


 悔しそうに奥歯を噛んだ女性が、剣から手を離す。

 遠ざけられた長剣を見ることなく、憤懣を乗せて彼女が靴音を響かせた。

 開かれた扉が、激しい物音を立てて閉められる。飾られた硝子瓶がいくつか倒れた。


「……厄介事を持ち込んでしまい、大変ご迷惑をおかけしました」

「まあ、室内抜刀禁止な」

「……すみません」


 落ち込んだ様子でため息をついたあさひなさんに、マスターがけらりと笑う。

 低い身長で背伸びをした幼女が、倒れた植物の瓶を立たせた。


「あさひな」


 剣を収めたあさひなさんへ近付いたシエルドくんが、背の高い彼の服を引く。

 屈められた前身に、取り出された飴が口内へ押し込まれた。

 驚いた様子のあさひなさんへ、シエルドくんがやんわりと笑みを浮かべる。


「元気の出るおまじない。足りなくなったら教えて? またあげるから」

「……ありがとう、ございます」

「みんな紅茶でいいですかー?」

「おう、ユウ! 気が利くじゃねぇか!」


 ぱっと顔を上げたマスターが笑みを返す。

 シエルドくんが頷き、あさひなさんが泣きそうな顔で微笑みを浮かべた。

 落ち込んだときは温かいものを飲むといいって、母さんが言ってた!



 電気ポットに水を汲んで、こぽこぽ鳴らす。

 ひょっこり顔を出したマスターが、「今日の茶っ葉はこれな!」と横文字の缶を差し出してきた。

 ……本格派だね? よく見たら、棚に似たような缶がずらっと並んである。

 ……見た目だけ似合う詐欺だあ……!!


 マスターの博識な手順の通りに紅茶を淹れ、テーブルに並べる。

 お菓子の缶を開けたシエルドくんが、いそいそとクッキーを並べた。……シエルドくん、クッキーすきなのかな?

 申し訳なさそうにお礼を述べたあさひなさんが、憂いある顔でカップを手に取る。


「……余りお話したくなかったのですが、身の上話を聞いていただけないでしょうか?」

「あさひな、無理しなくていいんだよ?」

「いえ、……弁明とも言えます。……隠し立てしても、いいものではありませんし」


 睫毛を伏せたあさひなさんが、ひとつ息をつく。シエルドくんと顔を見合わせ、こくりと頷いた。

 マスターは知っている調子で、クッキーをもさもさ食べている。

 ……それでも普段のおっさんくさい仕草が少ないことが、マスターなりの気遣いらしかった。


「お二人は、個人ランキングとギルドランキングをご存知でしょうか?」

「初耳です」


 あさひなさんの問い掛けに対し、残念な返答しか出来ない。

 ごめんなさいな顔をした俺へ、シエルドくんがクッキーを差し出した。クッキーおいしい……。


「日間、週間、月間で張り出される、戦力上位者のことでしょう? あさひな、載ったの?」

「……ギルドの方針として」

「すごいね。信者とかいそう」

「…………」

「あっ、ごめん」


 一層重たい空気を背負ったあさひなさんに、シエルドくんが慌てて自分の口を塞ぐ。


 つまりあさひなさんは、以前所属していたギルドの方針で、ランキング上位者になっていたと。

 ……何というか、遥か高みにいるギルドだなあ……。


「わたしはそこそこ初期の頃からこのゲームをやっているのですが、入った当初は、そのようなギルドではなかったんです」

「古くからあるギルドなら、加入者も多そうだし、全体のレベルも高そうだね」

「大所帯でした。……名前なら、シエルドくんも聞いたことがあると思います」

「あっ。想像ついた」


 げんなりと顔を顰めたシエルドくんが、カップに口をつける。

 伝統あるギルドなのだろうか? 何となく置いてけぼりの心地で、あさひなさんの顔を見詰める。彼がやんわりと苦笑を浮かべた。


「結成も古く、継続してランキングに名前を残すギルドは、憧れになりやすかったんです。加入希望者が続々と集まり、ある種の騎士団や軍隊のようになってしまいました」

「な、なるほど……?」

「古参であるわたしはレベルも高かったので、特に戦績上位にいることを求められました。

 ……疲れてしまったんです。帰ってきてまで、ノルマを課せられることが」


 当時を思い出しているのか、哀愁の感じられる微笑であさひなさんが嘆息する。


 ……あさひなさんは美人だ。儚い見た目に、上品で穏やかな物腰。何度写真集を作ろうと思ったか知れない。

 それでいて技量もあって強いのだから、当時から相当な人気を博していたのだろう。

 ……信者の意味がわかった気がする。


 けれども、これまで接してきたあさひなさんの様子を思うと、求められている象徴とあさひなさんの気質がそぐわないように思う。

 本人も、楽しむはずのゲームで疲れてしまったようだし、そもそも俺はおっとりと笑うあさひなさんがすきだ。


「ギルドを脱退するにも、激しく止められ……かなり揉めました」

「信者こわ……」

「あん時のあさひな、今にも死にそうな顔してたぜ~」

「そこでマスターに会ったの?」

「おう。駆け落ち」

「妙な言い方しないでください」


 ぴしゃりと言い放ったあさひなさんがため息をつき、カップを傾げる。

 対照的に軽快な笑みを浮かべたマスターが、にっかりと口を開いた。


「不定期で、ギルド対抗の祭りがあるんだがよ。そこで死んだ顔したこいつを見つけてな」

「お祭りとかあるんですか?」

「ヒント、戦力対抗」

「シエルドくん、それ答えじゃないかな……?」


 シエルドくんの回答に、お祭りへの淡い期待を捨て去る。

 バリトンボイスを笑わせた幼女が、あさひなさんへ一瞥をくれた。


「辞めるとか何だとか言ってたからな。じゃあ俺と独立するかって話になって」

「マスターのノリが、居酒屋で隣になった人と意気投合してるそれ」

「あー、そんな感じそんな感じ!」


 素面が酔っ払いなのかな?

 明るく弾けるマスターの隣で、ため息をついたあさひなさんが額を押さえる。ゆるゆる頭を振った彼が、口を開いた。


「……その日の内にギルマスへ辞任の旨を叩き付け、とっとと脱退しました」

「改めて……よくやめれたね?」

「あなた方がわたしの今後の心身を保証してくれるのですか、と問い掛けたら、言葉に窮しましたので」

「……なんだろう、大人になりたくない」

「全くだぜ」

「マスター、永遠の幼女とか言わないでね?」


 けたけた笑うマスターが、愛らしい見た目を駆使して片目を閉じる。

 ……聴覚と視覚の不一致に、瞼を擦った。


「ってことは、あの嬢ちゃん、ランカーか?」

「知りません。戦績に興味ありませんので」


 つんと顔を背けたあさひなさんが、ため息とともに言葉を吐き出す。

 ……よっぽど当時がしんどかったのだろう。

 寧ろ、よくゲームを続けようと思ったものだ。

 ……俺はそのお陰であさひなさんと会えたし、とても助かっているのだけれど。


 クッキーに手を伸ばしたマスターが、もそもそと頬を動かす。


「あさひな、わざとレベルが上がらないように、フェイク入れてんだぜ」

「何で言ってしまうんですか……!」

「フェイクとか入れれるの?」


 きょとんと瞬いたシエルドくんに、慌てた様子のあさひなさんが、諦めたように肩を落とす。

 簡単です、囁いた彼の声は沈んでいた。


「表向きの剣士を普段のジョブにして、戦闘時はレベルのカンストしているジョブに切り替えるだけです」

「あー……なるほど……」


 確かに、それならレベルも上がらない。上がるレベルがない。経験値が無駄に漏れるだけだ。

 レベルが上がらなければ、戦力に変化はない。

 当然ランキングには入らないし、迂闊に目立つこともない。……そっかー、カンストかー……。


 ふと、シエルドくんが考え込むような仕草をしていることに気がついた。


「……教えてくれてありがとう、あさひな。今度いじめられてたら、ぼくも助けるからね」

「いえそんな! シエルドくんを危険に晒すわけには……!」

「俺が壁で、シエルドくんが目晦ましで、あさひなさんをマスターが引っ張っていけば、ばっちりだね!」

「うん、ばっちり」

「率先して危ない役につかないでください!!」


 慌てるあさひなさんをけらりと笑い、シエルドくんがティーカップを回収する。

「洗うね」端的に述べた彼が、アリスブルーの扉を潜った。


 ……シエルドくんの心配事が、わかった気がする。

 彼は今、あさひなさんへお礼をするために、武器を育てている。

 けれども、当の本人は戦力を欲していない。

 コスモシリーズは現段階で発表されている中でも、屈指の強さを誇っている。

 当然、所有者の戦力を上げてしまう。


 アリスブルーの扉を開けると、ぱしゃぱしゃ水を流してカップをすすぐシエルドくんがいた。振り返った彼が微苦笑を浮かべる。

 乾いた布巾を取って、彼の横に並んだ。水滴の滑るカップを持ち上げる。


「……あさひなのお礼、振り出しに戻っちゃった」

「……うん」


 四客目の濡れた白磁のティーカップが伏せられ、シエルドくんがため息をつく。

 大丈夫だよ、安直に囁いた気休めの言葉に、ありがとう。笑みを返した彼が、気落ちを誤魔化すように指先の水を弾いた。

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