第27話 またのご利用お待ちし

 今日も大丈夫だと願う心地と、もしかすると今日は駄目かも知れないと怯える心地。


 ログイン時特有の浮遊感に身を委ね、瞼を持ち上げる前に嗅覚が先に異常を感知した。

 アスファルトの焦げ付くような、夏場の駐車場のような、何処かで嗅いだにおい。


 瞬時に視界を広げ、飛び込んできた光景に喉が引き攣った悲鳴を漏らした。


 赤いフィルム越しの世界の中に、片側に重心の傾いた人がいた。

 変色した色調を脳内が勝手に補正し、その人の髪が青いことを理解した。

 振り乱された長いそれに、辛うじてくっついた白い花の髪飾り。

 短めのフレアスカートも白い上着も、馴染み深い。

 長さのあるブーツは太腿にまで届き、覚束ない足許が高いヒールで支えられている。


 ずるり、その人が動いた。

 左に曲がった体躯が益々傾ぎ、青の毛先が地面につく。

 斜めを向いた虚ろな顔が、露になった。


 ――私だ。私とそっくり同じ姿かたちをしたものが、そこにいる。

 引き攣った喉と同じくらい強張った身体を、懸命に後ろへずり下げた。

 後ろへ踏み出した踵が、砂を踏む音を立てる。


「――――、」


 うっすら、そいつの口が開かれた。

 暗い口内が見えた。ゆっくりと、徐々に開かれていく。暗い穴が広がっていく。

 にったり、私が浮かべたこともない笑顔が、突然眼前へと突き出された。


 喉を劈いた絶叫。頬に触れた青い髪。


 予備動作も距離感も全て無視した急激な接近が、私の腕を締め上げた。

 真冬の手ですらもっと温度があるだろう、凍てつく感触に即座にそいつを突き飛ばす。


 ずるりと解けたそれが、不恰好に転倒した。

 仰向けにひっくり返った私と同じ顔が、起き上がろうとぐるぐるもがく。

 じたばたとのたうつそれが人間らしくない動きをするものだから、益々異様に思えて気持ちが悪い。

 気付けば泣きながらえづいた私は、感覚の足りない脚を叱咤して逃げ出していた。




「――ひっ、ひぐっ、うえぇ……っ」

「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」


 どれだけ走っただろう?

 もう走れないところまで走り続け、蹲って泣いていた。

 頭上から降ってきた肉声にびくりと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げる。


 ……知らない人だった。口髭を生やしたおじさんで、困惑したように私のことを見下ろしている。


 ふと気付けば周囲の音が聞こえ、ここが本来のログイン場所である、第1都市ユークレースの路地裏なのだと察した。

 おじさんの背後に見える大通りは、人通りも多く賑やかで、他人の気配に安堵した瞬間益々涙が溢れた。

 嗚咽を漏らしてわあわあ泣き出す私を、狼狽した顔でおじさんが慰めてくれる。


「おじさんはここで喫茶店をやってるんだけど、少し、休んでいくかい?」


 彼の纏うエプロンに印字された店名は、私が先輩から教えてもらった喫茶店のものだった。

 明るい日差しの中、無理矢理名前を登録した彼等と食べた、先輩おすすめの氷菓を思い出す。


 困り果てた顔のおじさんが、おずおずと建物を指差した。

 ――二階にある大きな窓。

 ぐすん、泣きじゃくりながら頷く。

 差し出されたハンカチに顔を埋め、おじさんに支えられながら、かつて上った階段に足を掛けた。




 *


 朔月さんから通信が入った。

 彼女の声は嗚咽に歪んでいて、その言葉からでは内容を察することは出来なかった。

 慌てる俺へ、通話越しに知らない声が場所を教えてくれる。

 弱り切ったその人が告げた喫茶店は、以前朔月さんとシエルドくんと一緒に入った、ミルクセーキが固形だったあの喫茶店だった。


 運営を後にしたその足で階段を上り、『closed』と看板の下げられた扉を開ける。

 明るい店内にいた店主のおじさんが、こちらを向いた瞬間、ほっとしたように表情を緩ませた。


「きみが通話相手の子かな?」

「はい。あの、朔月さん……青い髪の女の子は、何処にいますか?」


 カウンターの中にいる店主が、奥のテーブルへ視線を促す。

 そちらへ覗き込むと、両手で支えたタオルに顔を埋める、女の子の姿を見つけた。

 気の強い朔月さんらしくない憔悴し切った様子に、慌てて駆け寄る。


「朔月さん、」呼びかけた声に、彼女が顔を上げた。

 潤んでいた青い目が、ぼろぼろ涙を零す。

 立ち上がる動作に合わせて椅子が床を鳴らし、ぎょっとした俺の背に彼女の腕が回された。


「っあ、あんた! 私よりッ、ぐすっ、ちいさ、いって、ひっ、……何なのよ、ばかあ!!!!」

「突然の罵倒!? どうしたの、朔月さん!?」

「うっさ、……うっさいわね!! わた、うっ、私だって、ひっく、わかんないわよ! 慰めなさいよ!! 全力で!!」

「た、大変だったね……?」

「足んないわよ、ばか!! わあああああんっ!!」


 肩口に頭を埋められ、ぎゅうぎゅう抱き締められた状態での罵倒。新感覚だね……?


 把握出来ない状況と、ついていけない展開に、唖然と着地点を失った両手をさ迷わせる。

 店主のおじさんは苦笑いを浮かべて、こちらに背を向けたので恥ずかしい。

 おずおず朔月さんの白い上着に手を添え、しゃくり上げる背中を宥めるように叩いた。



 ある程度落ち着いた朔月さんが俺から離れ、店主に入れてもらったあたたかなココアに手を添える。

 いつもより開店時間の遅れた店内は人も疎らで、迷惑をかけてしまったことをお詫びした。

 店主のおじさんは「困ったときはお互い様」と笑い、テーブルにクッキーの載ったお皿までおまけしてくれる。店主さん、俺ここの常連になります。


「……また、あのあかい町に行ったの」

「待って、シエルドくん呼ぶから……!」


 ぽつりと零された朔月さんの言葉に、慌ててシエルドくんへメッセージを送る。

 多分きっと、これで来てくれるはず!

 青褪めた俺をじとりと見詰め、朔月さんがため息とともに両手で顔を覆った。


「あんた、そのヘタレなところがマイナスポイントなのよ……」

「いやだって、朔月さんがあんなに取り乱してたんだよ? 確実にこわいことが起こってるよね?」

「目の前に、私と同じ形の人がいた」

「ドッペルゲンガー……!?」

「勝手に殺さないでよ」


 力なく悪態をついた彼女が、ココアに口をつける。

 ため息とともに息を吐き出し、手許の水面へ視線を落とした。


「……あんた、あの澄ました方に、さっきのこと言うんじゃないわよ」

「澄ました方って……シエルドくん?」


 こくん、頷いた顔がそっぽを向く。

 ぞんざいな覚え方に苦笑いを浮かべると、「あんたは抜けてる方」益々そっぽを向いた彼女がつっけんどんに言い放った。

 そんな覚え方……!


 ステンドグラスの嵌った入り口が、静かに開閉する。入店したのは金髪の美少年で、きょろきょろと俺たちを探していた。

 腰を浮かせ、軽く手を振る。

 こちらに気付いたシエルドくんが安堵の表情を浮かべ、俺の隣の椅子を引いた。


「シエルドくん、急に呼び出してごめんね」

「構わないけど……朔月どうしたの? 飴いる?」

「なっ、ななななななにが!?」

「ぼくもココア頼もうかな」

「ほんっといけ好かない、その澄ました感じ!」

「はいはい。ちょっとは元気出た?」


 しれっとココアを注文するシエルドくんのスマートさに、朔月さんの顔が真っ赤に染まる。

 タオルに顔を埋めた彼女が、声なき悲鳴を上げた。


「シエルドくん、絶対女の子にもてる……」

「そんなことないよ。それより、どうしたの?」

「……あかい町に行ったの」


 タオルから目許だけを覗かせた朔月さんが、眼力を強めながらくぐもった声を発する。

 睨みつけているといっても過言ではない眼光に、ココアのカップを退避させながら、俺の方が怯えた。


「あかい町で、自分と見た目も服装も同じやつが現れたの」

「ドッペルゲンガー?」

「同じこと言わないでよ。……それが、すごく、動きが気持ち悪くて。……さすがにちょっと、ショックだったって言うか……」


 ふいと視線を逸らせ、朔月さんがタオルの中でもごもご呟く。

 曖昧に誤魔化されたけれど、合流直後の彼女は相当取り乱していた。何かあったんじゃないかと、心配してしまう。

 シエルドくんの元にココアが運ばれ、目礼した彼が静かな顔で瞬く。

 俺たちの間に下りた沈黙を、静かな声が破った。


「確か前回は、肩まで出てたんだよね?」

「……ええ」

「大きさは? 空にあったのは、異様に大きかったんでしょう?」


 シエルドくんの記憶力の良さもそうだけど、こわいことを平然と確かめられちゃうその精神力がすごい。


 一度聞いた話のはずなのに、空に浮かぶ異様に巨大な自分の顔とか、正気を疑うくらい無理でこわい。

 一瀬さんの発したぞっとする話を引き摺った状態での相乗効果で、もっと無理だ。


 タオルに埋まりながら、暫し考え込んだ朔月さんが、小さく首を横に振る。

 ぽつり、覇気のない声が落とされた。


「大きさは、私の身長と同じくらいだったと思う。……地面に髪がつくくらい左に傾いてたから、ちょっとわからないけど」

「え、こわい」

「スキルに変化は?」

「見てないわ」


 質問を重ねるシエルドくんは落ち着いていて、とても頼りになる。

 朔月さんが、震える指先で画面を立ち上げた。開かれたスキルの項目が、最後尾まで滑る。


「……あれ? ない……?」

「朔月のはなんだったっけ。……招待状?」

「『招待券』よ。『ようこそ!』って内容の」

「なんだろう。完成したから、用がなくなったとか?」


 顎に手を添えたシエルドくんの呟きに、心底ぞっとしてしまう。

 完成したって、何が? 朔月さんのそっくりさんが? そのための招待? えええええ……。


「仮説なんだけど、朔月は『招待券』があったから、赤い町に招待されていた。そこで朔月とそっくりななにかが作られて、完成したから、朔月を招待する必要がなくなった」

「シエルドくんが、的確に俺の恐怖心を抉っていく……」

「あんたのそのおぞましい想像力、どうやったら醸造できるの?」

「なんだろ? でも『招待券』がなくなったのなら、もうその町には行かなくて済むんじゃないかな」


 両手でココアのカップを手にしたシエルドくんが、息を吹きかけて口をつける。

 俺も温くなったそれを飲み干した。クッキーに手をつけ、無心でさくさく口に詰める。


 考えないようにしているのに、その『朔月さんのそっくり』な『なにか』が恐ろし過ぎて、おいしいはずのクッキーの味がわからない。

 朔月さんの顔色も悪い。

 困ったように眉尻を下げたシエルドくんが、陶器から口を離した。


「事象を勝手に結び付けただけの仮説だって。ただの憶測。全く関係ないかも知れないんだから。とにかく『招待券』がなくなったことは、いいことなんだろうし」

「……わかってるわよ」


 朔月さんが残ったココアを一気にあおる。

 クッキーをもすもす口へ突っ込み、彼女が席を立った。


「むぐっ、……ほら、さっさと行くわよ。いつまで女子力高い飲み方してんのよ」

「そのいわれ、不本意なんだけど……。行くって、どこに?」

「ルベライト」

「第5都市? なんでわざわざ」

「せんせー、ルベライトって、なんですかー?」


 玄人の会話について行けず、心細さから手を挙げる。

 得意気に笑った朔月さんが、親指で店の入り口を指し示した。


「今から案内してあげるわ。ついてきなさい」

「……まあ、いっか。行こう? ユウ」


 ココアを空にしたシエルドくんが席を立ち、慌てて彼等を追いかける。

 店主のおじさんにたくさんお礼を伝え、暗がりの階段を下りた。

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