第26話 あの雲なにに見える?
運営の硝子張りの建物は、いつもそこまで人がいるわけではない。
特に第1都市ユークレースは初心者の人が多くいる街なので、彼等が運営まで足を運ぶことはそこまでない。
俺もエラーが起きて、初めて訪れたくらいだ。
見渡した受付の広間は人の姿も疎らで、NPCのお姉さんに一瀬さんの名前を告げる。
人がいないからこそ、こんなにも容易く運営の職員である彼と話が出来るのだろう。
案内された立ち入り禁止区域で、タイピングの手を止めない後姿へ声を掛ける。
「一瀬さん、今俺の相手して、本当に大丈夫ですか?」
「あー、内容による。適当に茶でも飲んでくれ」
「セキュリティ!!」
モニタから顔を上げない一瀬さんが、気安い仕草で手を払う。
多分、そちらに給湯室があるのだろう。
一瀬さん、こんなに軽率に部外者を支部に入れて大丈夫なのかな? 情報流出とか漏洩とか、こわいよ?
「一瀬さん、上の人から怒られたりしません?」
「そのときは然るべきところに訴えて、法的に俺も怒る」
「企業戦士こわい……」
垣間見た社会の暗部に震え上がる。
恐る恐る給湯室へ忍び込んだ。
NPCのお姉さんたちはここまで関与していないらしい。
ユークレース支部にどれだけの職員が配置されているのかは知らない。
けれど、流しに置かれた紙コップの山や、茶色の粉末を入れた状態で放置されているマグカップ、無造作に転がる紙コップに、一瀬さんと平野さんの一端を垣間見た。
未使用の紙コップが袋に入れられているのだけど、紙コップって重なるとこんなに長くなるんだね。
業務用かな? 何だかウナギ見てる気分になる。
紙コップをふたつ引っ張り出し、粉末のお茶を入れる。
湯沸しポットからお湯を注いで、一瀬さんのところまで戻った。
片方を彼の机に置いて、隣の椅子に腰を下ろす。はたと一瀬さんが顔を上げた。
「……悪いな」
「いえ、お疲れさまです。平野さんは、今日おやすみですか?」
「いや。あいつはここ暫く外勤務だ」
「外?」
「こっちの仮想じゃなくて、現実の方」
こっち、で床を指差し、あっちと頭上を指差す一瀬さんに、業界用語難しい……と感想を抱く。
再びカタカタとモニタへ戻った企業戦士が、「で?」話を促した。
「……その、おかしな話だとは思うんですけど」
濁りそうな言葉を正して、俺の身に起きた『知らない場所』の話をする。
学校の図書室へ向かうため、階段を下りている最中に、知らない学校に到着したこと。
その学校がシエルドくんの通っている学校だったこと。
助けてくれた生徒がシエルドくんで、彼のスキルにあった『ちゅうせん』が消えたこと。
そしてネットに流れていた『知らない場所』の噂が消されたこと。
カタカタとタイピングを続けていた一瀬さんが、難しい顔で手を止める。
こちらを向いた目つきの悪い顔が、ぎしりと回転椅子を鳴らした。
「……難しい話だな」
背凭れに身を預け、一瀬さんが腕を組む。
考え込むように顎へ手を添えた彼が、徐に俺の置いたお茶を手を伸ばした。
「仮想空間で起こった事象は、バグとして対処出来る。設計されたものだからな。時間はかかるが、修復することが可能だ」
「はい」
「だが、仮想から現実への物理的な干渉となると、立証が難しい。再現性のない、記録もないものは、殊更検証も難航する」
湯気の立つカップに息を吹きかけ、一瀬さんが一口お茶を飲む。
机に紙コップを戻し、彼がマウスのクリック音を立てた。
「悪いが、お前に起きた怪現象に対して、こちらから干渉することは出来ない」
「怪現象……いえ、俺もあの件がゲームが原因だとは思っていないので、大丈夫です」
それより、こんな荒唐無稽な話を真剣に聞いてくれるなんて、ありがたい話だ。
苦笑いを浮かべる俺から身体を背け、彼がモニタへ戻る。
再開されたタイピングの音を聞きながら、俺も手にしたお茶に口をつけた。
「……一瀬さん、人とデータのちがいって、何処だと思いますか?」
「死んでも復活出来ない方が人間」
「シンプルにこわい」
運営の即答に、心情が怯える。
確かにそうだけど……! データだとペナルティだけで済むけど……!!
たたん! エンターキーを叩いた一瀬さんが、顔だけをこちらへ向ける。
彼の目の下の隈が取れる日は来るのだろうか? ぼそりとした低音が吐き出された。
「ゲーム内において、人間とデータの境界は曖昧だ。最近のNPCも発達してきてるからな。知識量なんて、俺たち人間を遥かにしのいでるだろ」
一瀬さんの目が、受付のある方角へと向けられる。
彼の指摘通り、受付にいるNPCのお姉さんたちは、こちらの質問に対して淀みなく答える。
マニュアルなどの検索も瞬時に終わらせるため、的確な受け答えや、こちらの知らない情報を教えてくれたりもする。
人の曖昧な情報よりも、遥かに正確だ。
「だが、データはデータだ。自動学習型もあるが、基本、データはプログラムの通りにしか動かない。
もしも人間かデータか判別に悩むんなら、相手に冗談言わせて、雲の形を例えさせて、犬の名前をつけさせろ」
「何ですか、それ!?」
「人と人工知能の永遠のテーマだ」
端的に言ってのけた彼が、キーボードに指先を沿わせる。
カタカタ音を立てる小さなボタンは、思えば意外なことに電子構成されていなかった。
じっと見詰めた、従来通りの黒いキーボード。たくさんの英数字に白衣の袖がかかる。
「一瀬さん、携帯端末はハイテクですけど、据え置きの方は普通にパソコンなんですね」
「あるにはあるぜ、ハイテクお洒落な世界観に合ったやつ」
「へー」
「俺は苦手だけどな。押してる感触がないから、タイプミスが激しくて仕事にならねえ」
「なるほど」
使ってる人間がアナログだからな。
続けて呟いた一瀬さんが、モニタから目を逸らすことなくタイプを続ける。
ふと手を止めた彼が、疲れたように目頭を揉んだ。
「平野から聞いたあかい町、『誰もいないマップ』だったか? についてだが、現段階でそういうマップは存在していないし、作成もされていない」
「朔月さんは、何処に招かれてるの……?」
「さあな。他に報告事例が挙がれば調べやすいんだが、今のとこ話が出てるのは、その嬢ちゃんだけだ」
「選ばれし朔月さん……」
一気にぞっとした。朔月さんが嘘をついているようには見えない。
彼女はこのゲーム内で、そのマップに行っているはずなのに、製作側はそのマップを認知していない。
どういうことなんだ? 感じた寒気に身を縮める。
やめよう? 急にこわい話盛り込むの、やめよう? 想像力の翼が羽ばたいて、深淵に突っ込んじゃうから……!
温くなったお茶を飲み干し、一瀬さんが紙コップをテーブルに置く。
かたんと立てられた音に、俺の肩が過剰なまでに跳ねた。
「あと、お前のスキル画面の文字化け。変換させたら大体文字が拾えたわ」
「本当ですか!?」
ぱっと顔を上げた俺は、何てことない声で頷いた一瀬さんの、強靭な精神力のことを忘れていた。
彼が滑らせた透明色をした硝子の板が、無機質な文字を並べる。
一文目から俺の心は暗黒に染め上げられた。
『
未成年者に限りプロテクト機能を無料配布しました。
プレイ中、決して死ぬことはありません。
また、本サービスは期間限定の配布とさせていただきます。
お使いになられましたら、そのまま継続して使用することが可能です。
本サービスは削除出来ません。
■プロテクト機能について
敵の接近をプレイヤーに知らせます。
戦闘マニュアル、他マニュアルの検索が出来ます。
プレイヤーの体力が25%以下になった場合、注意喚起します。
プレイヤーの体力が10%以下になった段階で、ダメージを無効化します。
警告音の音量は変更出来ません。
あなたをずっと見詰めています。
ずっと見てるよ
みてるよ
みてる
こっちみて
※本機能は試験中のものです
』
「良かったな。絶対的な加護を得てんぞ」
「良かったですか? これ、良かったですか!? ずっと見てると宣告されて、こっち見てと要望されてますよ!? 何処を見ろと!!」
「橙色の画面だろ」
「『本サービスは削除出来ません』の圧迫感!!」
「決して死なないとか、事実上無敵だな」
「ダメージは通るんですよ!? 痛いものは痛いです!!」
「はっはっは」
無表情で笑った一瀬さんが、硝子面の文字を消す。
橙色の画面が害意あるものでなくて良かったけれども、何だろう、この粘着されてる気持ち……!
こわい、忍び寄る恐怖に震えてしまう。一瀬さんの白衣の裾を掴んだ。
キーボードから離れた手が、ぽすりと俺の頭に乗る。
「これはゲームなんだ。やめても文句言われねーよ」
呆れたように苦笑を浮かべ、運営の彼がプレイヤーにゲームの放棄を勧める。
思わず目を瞠った俺の頭を撫で、一瀬さんが困ったように笑った。
握った白衣に力を込め、それでも彼の顔を見上げる。
「……このゲームで仲良くなれた人とは、ここでしか会えないので」
「物好きだな」
「顔も名前も知らない皆だけど、一緒にいるのは、やっぱり楽しいんです」
「わかったわかった」
俺の頭をぽすぽす叩いた一瀬さんが、モニタへと身体を戻す。
画面をスクロールさせながら、彼が口を開いた。
「サーバー移転の話が出てんだ。平野は、新設の方にかかり切りになってる」
「そうなんですか?」
「ああ。さすがにこんだけエラー吐いてんだ。俺たちだって、何もしてない訳じゃないからな」
マウスから手を離した一瀬さんが、ぐっと大きく伸びをする。関節の軋む音がした。
……一瀬さん、お疲れさまです。
「これで解決すりゃあいいんだけどな。最も、削除出来ないお前のプロテクト機能、どうなるかわかんねえし」
「……びっくりして読み飛ばしたんですけど、あれ、プロテクト機能なんですね」
硝子が映した文字を思い起こされ、気分が滅入る。
プロテクト機能かー。守られてるというより、呪われてる感覚に近いなー。
他にも俺みたいに呪われてる未成年者、いないのかなー。
どんより落ち込んだ俺を笑い、一瀬さんが頬杖をついた。
「昔、試験的にそういう機能が作成されたんだ。実装には至らず、廃棄されたんだがな」
「復活してません?」
「この山越えたら、バグ根絶するわ」
他に話はあるか尋ねられ、首を横に振る。
気安い追い払う仕草に、手許の冷めたお茶を飲み干した。
彼の紙コップと合わせて席を立ち、お礼を告げる。
こちらを振り向かない一瀬さんが、ひらひらと右手を振った。
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