第7話 どうやら彼女は心臓がふさふさらしい
メインストーリーから戻ってきた室内に、しばらく呆然とする。
見慣れない天井をぼんやり眺めていると、視界の端で薄紫が跳ねていることに気づいた。
「うわあっ!?」
「こんにちは! あなた新人さん?」
ぴょこぴょこしていたのは、藤色の髪に赤い目をした女の子で、くるんとした羊の角を生やしていた。
俺と目が合ったことで、女の子の表情がぱっと明るくなる。
「私、sheepNuit。メイって呼ばれてるよ」
大きく手を振り上げた女の子の、チャイナドレスを模した長い袖が空を切る。
七部丈のパンツは身軽そうで、スレンダーな見た目をしていた。
「あっと、俺はユウといいます。メイさんは、ここのギルドの人ですか?」
「メイでいいよー。メイ、こたつむりの一員ね。ユウよろしくねー!」
ぴょんぴょん跳ねるメイさんが、「マスターまた改装したねー」「とっても可愛い! ひつじいる!」部屋のあちこちを見回しながら、何処か拙い感想を述べていく。
当惑する俺に気づいたのか、振り返ったメイさんがにっこり笑った。
「私、翻訳使ってる。便利。でも時々変」
「翻訳か! なるほどー」
「時差も寂しい。みんなといっぱい遊べない。早くマスターとあさひなに会いたい」
照れたように微笑んだ女の子が、ぴょんとソファに座る。
抱き締められたひつじのぬいぐるみが苦しそうに上を向いた。
……こういうとき、女の子と交流経験の浅い自分の技量に泣きたくなる。ぎこちなく笑みを浮かべた。
「時差って、どのくらい?」
「8時間」
「遠いなー」
「もっとお話しよう! 座って!」
「うわあっはい!」
瞳を輝かせたメイさんが座面をぱんぱん叩き、慌てて対面に腰を落ち着ける。
身を乗り出した彼女が「ご趣味は?」尋ねた。
「げ、ゲームですぅ……」
「どれ好き? 私牧場育てるの得意よ!」
「あー、俺、ゲーセンかなー」
「ぬいぐるみ!!」
「あははっ、音ゲーかな。何かあの、音楽に合わせてボタン押すやつ」
「むう、メイcinqならできる」
「待って、今変換されなかった」
意外に話に食いつくメイさんが、てのひらを広げて指し示す。
5、かな? さっきの何処の国の言葉だろ。5ボタンなら出来るってことかな?
楽しくなってきた会話に、笑い声が混じる。ふと、蝶番が軋む音がした。
「おう、楽しそうじゃねぇか」
「マスター!!」
どっこいしょと玄関を潜った金髪ツーテイルが、意味深な笑みを見せる。
この見た目幼女、中身詐欺にも程があるだろ……!
ぴょんと立ち上がったメイさんが、マスターの周りをくるくる回った。
「マスター久しぶり! 会えて嬉しいよー!」
「おう。俺も嬉しいぜ」
花畑を振り撒くひつじ娘へ、幼女が男前に笑う。
……おかしいな、微笑ましい光景のはずなのに、聴覚の暴力が混じっている。
懸命に目を擦る俺をマスターが笑った。
「メイは時差の都合で、この曜日にしか合えないんだぜ」
「こっち夜。メイのとこ良い午後」
「なるほどなー」
時差8時間って、大変だな。
「みんなすやすや、メイ留学したい」膨れっ面のひつじ娘の頬を、笑いながらマスターがつつく。
再び蝶番が鳴り、穏やかな声が響く。目いっぱい喜びを体現したメイさんが駆け出した。
「あさひな! 御機嫌よう!!」
「お久しぶりです、メイさん」
あさひなさんの両手を掴んだメイさんが、ぐいぐいと部屋の中へ青年を引き摺り込む。
にこにこ笑うあさひなさんはメイさんに合わせているようで、翻訳の間に合っていない早口に相槌を打っていた。
「何て言ってるんですか?」
「さあな。今日も綺麗だねとか、その辺じゃねえか?」
「ナルホドナー」
ナチュラルに口説いている様子に、よもやこのひつじ娘、中身お兄さんではないのか? 推測が生まれる。
まあ確かにあさひなさんの造形は美しいけれども。
こちらを向いた彼が、ふんわり微笑んだ。
「良かった。ユウさんとお会い出来て、安心しました」
「そんなに心配しないでくださいよー」
へらりと笑って片手を振る。どうやら相当な心労を与えてしまったらしい。
確かにあんなことはあったが、ゲーム代だって本機合わせてタダではないのだし、第一物凄く楽しみにしていた。
初日のバグ如きに邪魔されたくない。せめて元を取るまでは遊びたい。
事情を知らないメイさんがきょとんと瞬く。
彼女を置いて、あさひなさんがマスターへ顔を向けた。
「先ほど確認したのですが、広告塔に運営からのお知らせが上がっていました。8章攻略まで、NPCがつくとのことです」
「思ってたより対応早ぇな」
ごそごそと戸棚を漁った幼女がスルメを取り出し、どっかりとソファへ腰を下ろしながら相槌を打つ。
印象の懸隔によろめいたのは俺だけだったようで、ひつじ娘が「メイも~」スルメを齧り出した。
これって、感性と柔軟性の問題かな?
僅かに痛んだ米神を擦り、今日あったことを報告する。
真剣な表情のあさひなさんに対して、瞳を輝かせたメイさんがぴょんと立ち上がった。
「ジャパニーズホラー!!」
「バグです。ホラーにしないで」
「Oui!! 楽しみです!!」
「翻訳ちょっとおかしい!? 楽しまないで!?」
ぴょんぴょん飛び跳ねるひつじ娘が、感極まったように俺の手を握る。
矢継ぎ早に何かを喋っているが、翻訳が追いついていない。
最後に「私、ホラー大好き!!」だけが訳され、なんとなく全てを察した。
「またホラー聞かせてね!!」
「ホラーじゃないってば……!!」
チャオ! 元気に手を振ったひつじ娘が扉の向こうへ消える。
取り残された心地で唖然と見送る俺へ、スルメをくわえたマスターが音もなく忍び寄った。
「ユウ、お前、ホラーダメなタイプか?」
「そ、そんなんじゃありません!!」
「おーし、そんなら、おっさんのとっておきの怪談をしてやろ~」
「あさひなさん、助けて!!」
がしりと掴まれた右腕を、引き抜こうと懸命にもがく。
しかしびくともしないそれに、まさかレベル差? 反映された力量差に愕然とした。
頼りの綱のあさひなさんはおかしそうに笑っているところで、陽だまりの中、はしゃぐ仔犬を見つめるような慈愛に満ちた微笑みに、温度差を感じて!!!! 涙目になった。
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