第18話 ツンデレは架空の生き物

 何とか朔月さくげつさんを言いくるめて、運営の窓口にやってきた。

 朔月さんは、ギルドの人たちに見つかると厄介だからと、フードを目深に被っている。

 ……運営と対立でもしてるのかな?


 受付のNPCのお姉さんと話してしばらく、奥の扉が動いた。


「赤毛くんだったんだ~。久しぶりー」


 見た目は妖艶な女性なのに、のんびりとした仕草が雰囲気を打ち消している。

 独特な呼び方で俺を呼んだ平野さんが、ひらひらと手を振った。カツカツ、華奢なヒールが音を立てる。


 ……俺の配色は、折角のファンタジーなんだからと、赤色の髪に青目でモデリングしている。

 実際の年齢よりも幼く設定したのは、何か隙間とかに入りやすそうとか、そういう理由からだ。

 結構気に入っているのだけど、そういうあだ名になるんだ……。そっか……。しみじみしてしまう。


「平野さん、こんばんは」

「エスメラルダ~。まあ、いいんだけど。そっちの子たちはお友達?」


 にこにこ、微笑む平野さんが膝に手をつく。際どい胸元から意識的に視線を逸らせた。

 マスターよりかは良心的と言っても、彼の中身は22歳の男性だ。視覚トリックに騙されないぞ。


 事前に事情を教えてもらった俺とは違い、平野さんを知らない面々が視覚情報を鵜呑みにしている。

 何だか酸っぱい気持ちになってしまう。


 特に顕著だったのが、意外にも朔月さんだった。

 彼の豊満ボディと、自身の身体つきとを真剣に見比べている。……繊細な問題だもんね。うん。


「すみません、その、平野さんに相談があるんです」

「俺でいいの? 先輩、明日ならいるよ?」

「一瀬さんにも知ってもらいたいんですけど、緊急で……」

「そっか~。じゃあ、向こうで聞くねー」


 きょとんと瞬いた目許が、再びにこにこと崩される。

 しなやかな指先が示した部屋は、いつかのオルトロスの説明を受けたところだった。


 席に案内され、平野さんがこの場を離れる。途端、背後からフードの女の子に襟首を掴まれた。

 潜められた声量で、朔月さんに耳打ちされる。


「ちょっと、本当にあんなのほほん女で大丈夫なの?」

「のほほん……。大丈夫だと思うよ、多分」

「多分って……!」

「ユウって、意外と知り合い多いよね」

「そうかな?」

「メイ、運営初めてきたよー」


 シエルドくんとメイさんが興味深そうに辺りを見回す中、朔月さんのじと目に耐える。

 戻ってきた平野さんが、「赤毛くん、赤毛くん」俺のことを呼んだ。


「赤毛くん、俺、何で向こうに行ったのかな?」

「寝てください平野さん。多分お茶を淹れに行ったんだと思いますよ」

「そうだそうだ。さすが赤毛くん~!」


 にこにこ、微笑みを取り戻した平野さんが、再び廊下へ消えようとする。

 彼の白衣を引っ張って、座席へ押しやった。


「平野さんが前に教えてくれた、『誰もいないマップ』の話、覚えてますか?」


 お茶はなかったことにする。

 そうでもしなければ、平野さんはずっとこの部屋と廊下を往復し続けそうだ。

 それは困る。夜が明けてしまう。


 無理矢理話し始めた俺に、彼がきょとんと瞬く。ぽってりとした唇に指が添えられた。


「……? ……? …………、あ! 百物語のこと?」

「それです!」


 眠そうな顔を閃かせた平野さんが、一際輝く笑顔を見せる。

 見た目は艶やかな女性なのに、無邪気な仕草が平野さんの性格を如実に表明していた。


 朔月さんから聞いた話を平野さんにする。

 途中シエルドくんの補足があったり、朔月さんの訂正があったりしたが、伝え切ることは出来た。

 考え込むように唇に手を当てた彼が、文字列となった音声データを指先でなぞる。


「みんなのスキル画面を見せてもらってもいいかな?」


 やんわりとした指示に従い、俺とシエルドくんが画面を開く。

 朔月さんは渋るように、嫌々と画面を立ち上げていた。


「赤毛くんは『しゅくふく』で、……これは先輩が解析してるやつか。金髪くんが『ちゅうせん』……これはこれ以上の情報がないんだね。ひつじちゃんは特になし、で、きみのが……」


 朔月さんのスキル画面に浮かんだ文字化けを、平野さんが指先でフレームを作って覗き込む。彼がルージュの唇を開いた。


「『招待券』、かな。内容は……『ようこそ!』って書いてあるね」

「書いてあるね、じゃないわよ! どうにかしなさいよ、これ!!」

「ご不便をおかけし、大変申し訳ございません」

「謝罪が欲しいんじゃないわ!」

「朔月さん……!」


 掴みかからんばかりの朔月さんを押し留め、平野さんとの間に入る。

 唇を噛んだ彼女がそっぽを向いた。固く握られた手が震えている。

 メイさんがその手を取って、ぽんぽん叩いた。


「不思議な話なんだけどねー、こんなにエラーが起こってるの、このサーバーだけなんだぁ」


 平野さんの言葉に顔を上げる。

 困ったように眉尻を下げる彼が、見た目だけは艶めかしいため息をついた。


「サーバー?」

「えっとねー。多分みんな、ゲームしてて、そこまで言葉の壁を感じていないはずなんだけど……」


 ふいと揺れた平野さんの視線が、メイさんに留まる。

 紫色の目を緩めた彼が、柔らかそうな唇を開いた。


「そこのひつじちゃんは、翻訳機を使ってるんだね~」

「そうだよー。メイ、言語選択、日本にしたよー。日本のお友達欲しいなー」

「……もしかして、言語ごとにサーバーが分かれてるの?」

「大体そんな感じ。ここはねー、第5サーバーって呼ばれてるんだよ~」


 指先で画面を広げた平野さんが、俺たちに見えるように画面を立てる。

 スクリーンのように映し出された映像には、中心の円柱と、それを囲む8個の箱の絵が描かれていた。


「真ん中の丸いのが、マザープログラムだよー。俺たち下っ端にはアクセス権がなくて、このゲームの中枢を担ってるところ」

「……今更だけど、これって、機密情報とかじゃないの? 教えて大丈夫?」

「心配してくれてありがと~。でも、これを説明しないと、多分訳がわからないと思うんだー」


 にこにこ、笑みを浮かべる平野さんが、画面をこつりと叩く。

 浮かび上がった文字は『Mother』と、数字の振られた『server』だった。


「まず第1サーバーなんだけどー、これがプロトサーバーを機軸に組んだものでー。他の7つのサーバーは、みんな第1サーバーのコピーなんだ」


 平野さんの人差し指が画面を叩き、『Proto Server』と書かれた水色の箱が生まれる。

 プロトサーバーから第1サーバーへ矢印が向き、更にそこから第1サーバーを軸に、円を描いた矢印が他の箱の周りを回った。

 ついで、先ほど話題に上った第5サーバーが、赤色で表示される。


「確かにその文化圏に合わせた調整は、各サーバーによって施されてる。けど、基本的にどのサーバーも起点のコピーなのだから、第5だけがエラーを吐くなんておかしいんだ」

「よくわからないけど、何となくおかしいことはわかりました」

「あははー、ごめんね~。上手く説明出来なくて~」

「……他のサーバーには、何も問題がないの? 例えばマザーの方にエラーが出てたりとか」


 思案気なシエルドくんが、顎に手を添え小首を傾げる。平野さんが緩く首を横に振った。


「マザーに異変があったら、そもそもゲームが起動しないんだ~」

「じゃあ何で、このサーバーだけおかしいのよ……」

「何でだろうねー。みんなネットで楽しそうだし、嘘から出たまこと、とかだったら面白いね~」

「面白くないわよ!! 今危機に瀕している私が特に!!」


 朔月さんがテーブルを叩くが、平野さんは相変わらずのほほんとしている。

 ため息をついたシエルドくんが、朔月さんへ視線を向けた。


「騒ぎが治まるまで、ログインを控えるとかは?」

「駄目よ! そんなことしたら、団長に何て言われるか……!」

「……なんか、規律の厳しそうなギルドだね」

「なんだっけ~、みたいな名前だったよね~?」

「れ、い、め、い! の騎士団!!」

「それだそれだ」


 妖艶な見た目に似合わない、古典的な仕草で平野さんが手を叩く。ぽんって、そんな……。

 やっぱり、といった顔をするシエルドくんとは違い、俺とメイさんは事情が飲み込めない。置いてけぼりな顔をしていた。


「前にあさひなが話してた、大型ギルドのこと。黎明の騎士団っていって、第5都市ルベライトに拠点を置いてるんだ」

「な、なるほど……?」

「……今度一緒に行ってみよう。大きな街で、周るだけでも楽しいよ」

「ぶー。メイもシエたちとデートしたい」

「時間が合ったらね」


 天使は現存していた。

 全くわかっていない俺を手助けしてくれるシエルドくんが、メイさんのラブアタックを軽く受け流す。

 さすが、日々あさひなさんを往なす達人なだけある。


 やんわりと微笑んだ平野さんが、画面を消す。

 にっこり、開かれたルージュの唇が、耳に心地好い音程で話し始めた。


「何にも解決出来なくてごめんねぇ。もし何か困ったことがあったら、またここにおいで~」

「……本当、なんにも解決してないじゃない……。どうしよう、明日も同じことがあったら……」

「ユウ、よかったね。バグ仲間が増えたよ」

「嬉しくないけど心強い……、いややっぱりこわいからやだ」


 俺とシエルドくんのやり取りに、頭を抱えていた朔月さんが、じっとりとした目を向ける。

 立ち上がった平野さんが時計を仰ぎ見て、「10時だよ~、良い子は寝なきゃ」のほほんと時刻を教えてくれた。メイさんが慌てたように立ち上がる。


「メイ、今日は帰るね。リュヌ、ひとりで泣かないで、メイに相談してね!」

「さ、く、げ、つ!! 何かちょっと美しい感じで呼ばないでよ!」

「Oui!! サク、チャオ!」


 光の粒子とともに、メイさんの姿が掻き消える。

『sheepNuit さんがログアウトしました』の文字に、この光はログアウトの光だったのかと、誰にも聞けずにいた疑問がひとつ解消した。平野さんが扉を開ける。


「それじゃあ、俺は仕事に戻るね~。みんな、あんまり無茶しちゃダメだよー」

「ちょっと! 詫び石くらい寄越しなさいよ!」

「それを決めるのも仕事だよ~」


 手招きする平野さんに従い、扉を潜る。

 バイバイと手を振る彼に、「ちゃんと寝てくださいね」と思考回路の処理速度が落ちてるっぽい様子を指摘する。

 苦笑いを浮かべた平野さんが、「ありがとう~」微笑んだ。


 運営を後にし、朔月さんがフードを被り直す。

 びしりと俺たちへ指を突きつけた彼女が、頬を膨らませて苦言を呈した。


「時間を浪費しただけじゃない!」

「その、ごめんね……?」

「罰として、あんたたちの連絡先寄越しなさいよ! ほら、さっさと画面出して!」

「ええええ!?」


 朔月さんに腕を引かれ、立ち上げた画面がひとつ色を変えた。

 すかさず横から伸びた手が、素早く画面を叩いて行く。

 目の前を、『朔月さんをフレンド登録しました』との文字が流れた。……早業だね?


「ほら、あんたも!」

「いいよ、自分でする。……通知いった?」

「えっ、ええ!」


 シエルドくんが涼しい顔で画面を操作し、朔月さんが鼻を鳴らす。

 画面を閉じた彼女の頬は若干赤味を帯びており、それでも不遜な態度でこちらに指を突きつけた。


「いい!? 拒否したり、削除したら許さないからね!?」

「構わないけど、ぼくたちのところで起こってるバグにも付き合ってくれる、って解釈でいい?」

「か、構わないわよ! 確実に私のよりこわくなんかないんだから!」

「やったね、ユウ。バグ仲間獲得だよ」

「更なるこわいを巻き込んで、シエルドくんは何を目指すの? こわリンピック?」

「と、とにかく! 私の連絡には必ず出なさいよ!?」


 ふん! と息巻き、青い髪を払った朔月さんが、青い光に包まれる。

 その場から掻き消えた彼女に、しばらく呆然とした。ぽつり、呟く。


「あれ、絶対フレンド増えて、喜んでたよね……」

「ツンデレって、架空の生き物じゃなかったんだね」


 シエルドくんも同じ感想を持ってくれていて、嬉しく思うよ。

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