第17話 新しいこわい爆弾を落とさないで
月曜日はメイさんと会える日だ。
以前メイさんに、何で月曜日なのか尋ねたことがある。
彼女はふふんと胸を張って、「メイの国、月曜日はのんびりする日よ」と教えてもらった。
お散歩したり、お花の水遣りしたり、指折り話す彼女は楽しそうで、微笑ましく思った。
和やかな気持ちでギルドを目指すと、煤けた階段にひとりの女の子がいることに気がついた。
青色の長い髪に、白い花をあしらった髪飾り。昨日、物凄い剣幕であさひなさんと口論していた女の子じゃないかな!?
内心どっきりしながら、こそりと物陰に隠れる。
数度扉をノックした彼女は、困惑したように上げた手をさ迷わせていた。
……現在の時間から察するに、多分ギルドの室内には誰もいない。俺が一番乗りだ。
哀愁の感じられる女の子の背中に、堪らなく良心が責め立てられる。
あさひなさんには申し訳ないけれど、事情だけでも聞こうと階段に足を乗せた。
「何かご用ですか?」
「っ!!」
びくりと肩を跳ねさせた彼女が、瞬時に振り返る。
驚愕に見開かれた髪と同色の瞳が、急速にうるうると潤み出した。思わずぎょっと身を引いてしまう。
「えっ、だ、大丈夫ですか!?」
「よ、よかった、ひと、人がいた……ッ」
顔を覆って本格的に泣き出してしまった彼女に、あわあわと周囲に目を走らせる。
さすが路地裏とログインの疎らな時間帯! 通行人は目的を持って表通りを過ぎ行くから、誰もこちらには気付かない!!
ごめんね! 女の子と接点の薄い人生を歩んでいるんだ!!
「あっと、その、中! 中入ろう! あったかいの飲もう!!」
「すん……っ」
女の子越しに扉を開き、中へ入るよう促す。
ぐすぐす涙を流す彼女をソファに座らせ、ふかふかのタオルを手渡した。
その足で大急ぎでお茶を作りに行き、温かいそれを女の子の前に差し出す。
震えていた彼女の身体は、幾分か落ち着きを取り戻したのか、戻った頃には涙も引いていた。内心、それに深く安堵する。
「……ごめんなさい。昨日のことも、突然、こんなことして」
ぽつり、女の子が話し出す。
憔悴している様子は痛々しく、昨日の憤懣たる仕草とは正反対の態度だった。
「えっと……、何かあったんですか……?」
「……頭がおかしいって、思われるかも知れないけど」
女の子がそこまで口を開いたところで、蝶番の音が響いた。
「ごきげんよー」顔を覗かせたのはメイさんで、彼女の赤い目が真ん丸になった。
瞬間、その瞳が煌びやかに輝く。散らばる星屑のエフェクトが見えた気がした。
「女の子だー!!」
「なに!? 誰!?」
ぴょんと弾んだメイさんが、女の子の隣に座る。
ぎょっと身を引いた青髪の彼女が慌てるも、メイさんはにこにこ笑っている。
……お茶、もう一客だそう。静かに席を立った。
「私、sheepNuit。メイって呼んでね! あなたのお名前は?」
「さ、朔月……」
「んー? さ、く、げ、……つ? リュヌ、涙なんて似合わないよ。悩み事? お話聞かせてほしいな」
「だっ、誰がリュヌよ……!!」
「メイさんの対人スキル、すごいね」
朔月さんの顔を覗き込み、口説いているかのような優しい声音で彼女の手を握っている。
真っ赤になっている朔月さんは距離を取ろうと必死で、メイさん、やっぱり中身は若い男の人なのかなあ……? 首を傾げた。
「……メイ、またナンパしてるの?」
「シエ、今日も可愛いね! 天使の悪戯がきみを生み出したのなら、きみが星空の向こうへ連れて行かれないよう、ぼくはきみを守り続けるよ!」
「はいはい。よくわかんないけど、ありがとう」
扉を閉めたシエルドくんが、呆れたような顔で俺の傍に寄る。軽い目配せに、こくりと頷いた。
彼も朔月さんが昨日の女性だとわかったらしい。知らないのは、昨日ログインしていなかったメイさんだけだ。
改めて全員分のお茶を淹れ、ソファに座る。
朔月さんは隣のメイさんとの間にクッションを挟んでおり、警戒しているらしかった。
メイさんは変わらずにこにこしている。
俺の淹れた紅茶にも、「ユウの紅茶おいしいね! 麗らかな午後にユウにお茶を振舞ってもらえるメイ、最高に幸せもの!」など褒めちぎってくれるので、一々恥ずかしい。
頬の熱さを無視して、話を戻した。
「えっと、朔月さん。何かあったんですか?」
「……すっごく話しにくいんだけど」
「あと一時間くらいしたら、マスターたちが来るから、もっと話しにくくなるよ?」
「…………」
シエルドくんの示した制限時間に、朔月さんが俯く。
紅茶の水面を見詰めながら、彼女が小さく唇を開いた。
「……自分でも、頭がおかしいと思ってるの。でも、……今日、頼りにしてる人が来ない日だから、……誰にも話せなくて……」
一息区切った彼女が顔を上げる。思い詰めたそれは、切実だった。
「ねえ、このゲームのオカルト話、聞いたことある?」
「橙色の画面?」
「シエルドくん……? 直球で俺に突き刺さるんだけど、その案件……」
胸を押さえて苦しむ俺を不思議そうに見詰め、朔月さんが「違うわよ」否定する。
オカルトの単語に、俄然メイさんの瞳が輝いた。続きを聞きたそうにうずうずしている。
「『誰もいないマップ』っていうやつなんだけど、……あんなの作り話だって、馬鹿にしてたのに……っ」
再び朔月さんの目が潤み出す。隣のメイさんが彼女の背中を撫でた。
『誰もいないマップ』……? 最近聞いたことのある言葉だ。どこで聞いたっけ……?
「ネットとかでたまに見るよね。色々と怖がらせるような内容の書き込みだったり」
「思い出した! 平野さんが言ってたやつだ!」
「だれ? 平野さん」
「運営の人! 外の人が百物語作ってるって」
シエルドくんが納得したように頷く。再び俯いた朔月さんが、膝のタオルを握り締めた。
「……赤い町だった。どこもかしこも寂れてて、誰もいなくて、音もなくて」
「……行ったの?」
「行きたくて行ったんじゃないわ! ログインしたら勝手にそこに飛ばされたのよ!!」
目尻に涙を溜めた朔月さんが、怒声を上げる。
しおらしい今日の姿より、初回の剣幕の方が印象が強かったため、思わず「あ、昨日の人だ」と再認識してしまった。朔月さんが俯く。
「ちゃんとログアウトした場所も控えてたし、ログイン前にリスポン地点も確認した! なのに今日もそこに連れて行かれた!」
「2回目なの……? 常連さんになっちゃったの……?」
「なりたくないわよ!!」
あああっやだやだ! この先を聞きたくない!
だけど話を促したの俺だしなあ……! 耳塞ぎたいなあ……!
「粘っこい風が吹いていて、何処を向いてもフィルム越しみたいに赤いの。
でも今回は場所の確認をした。そしたら文字化けしてて読めないの。
このままだとまたあれが来ると思って、今日はその場を離れたわ。
一本道の両側に木造家屋が並んでいるのに、どの家も窓硝子が割れてて、損傷が激しいの。
木が腐ってたり、傾いてたり、帆とか暗幕が裂けてたり。なのに風が吹いてもなにひとつ音がしない。
真っ直ぐ真っ直ぐ、砂埃の先にずっと同じような光景が続いているの。
どれだけ歩いても景色が変わらない。後ろを振り返っても、私が始めに降り立った広場すら見えない。
ただただ木造家屋に挟まれた一本道だけが続いている」
「何でそこで振り返れるの? 勇者なの?」
「だって、ずっと、ずっと歩いたのよ!? おかしいじゃない! 進んでるのか戻ってるのかわからなくなるの!」
「……時計は? 止まってた? 進んでた?」
シエルドくんの質問に、はたと彼を見遣る。
なにそれこわい。
新しいこわい爆弾を落とさないで。
朔月さんが、小さく首を横に振った。
「……見てない」
「そっか。もしも止まってたり、あり得ない時間の流れ方とかしてたら、すごくこわいね」
「どうしてそんな追い討ちかけるの? 豊かな想像力が暴走しちゃうでしょ?」
「ごめんね」
苦笑を浮かべたシエルドくんが、普通の仕草で紅茶を飲む。……彼の心臓は鋼で出来てるのかな?
メイさんは除外する。彼女は堪らなくうきうきした顔で、それでそれで? と続きをねだる顔をしている。
俺と朔月さんの顔色だけが悪い。……何でかな……?
「……昨日は、『あーーーーー』って声が聞こえて、空に自分の頭があったの。入道雲くらいばかでかいの」
「あーーーーーーーーーーむりむりむり自然が規定した大きさ守ろう?????」
「今日は、肩まで出てた」
「あーあーあー! 肩までちゃんと浸かりなさいって、お兄ちゃん言ったでしょ!」
「ユウ、空はお風呂じゃないよ」
「あれが全部出てくるまで、私はあそこに飛ばされるの? あれが出たらどうなるの? そのときの私はどうなっちゃうの?」
次第に涙を帯びる問い掛けに、答えを返すことが出来ない。
メイさんが再び朔月さんの背を撫でた。
「……ねえ、スキル画面開いてみて」
「な、何でよ!?」
「ぼくとユウに、覚えのないスキルが追加されてるから。もしかしたら、きみにもあるかも知れない」
渋い顔をした朔月さんが、スキル画面を立ち上げる。
剣職の並ぶ彼女の履歴の最後に、読めない文字が浮かんでいた。
「……なに、……これ」
「いっ、一瀬さんに連絡するね……! ちょっと待ってて!」
朔月さんの震える指先を、メイさんが握って宥める。
慌てて立ち上がり、広げた青い画面の中の、一瀬さんの名前を叩いた。動悸がうるさい。
オフライン、その文字を視認した瞬間、平野さんの顔が思い浮かんだ。
「運営に行ってくる。一瀬さん、オフみたい」
「やめて! 運営と関わったなんて、団長に知られたら……ッ」
泣きそうな顔を作った彼女の手前で、逆さに透けた画面が読解不能の文字を掲げる。
彼女が語った内容と相俟って、込み上げてくる震えを現実的な言葉で切り捨ててもらいたかった。
『 諡帛セ?虻 』
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