第36話 水没都市コランダム

 残念なことに、俺は初心者プレイヤーだ。

 初回のジャンプで跳躍力が足りず、ざぶん! 水に浸かった時点で、猛烈に帰りたくなった。


「ユウさん、大丈夫ですか!?」

「大丈夫です……ッ」


 軽やかに飛び跳ねるあさひなさんが、時計塔の屋根でへたり込む俺の元まで戻ってくる。

 街中が水没しているため、水から顔を出している建物を足場にして、飛び石の要領で探索していた。


 さて、ここでひとつ問題がある。

 初回に俺は、ジャンプに失敗して水没したと言った。


 ……引き摺り込まれかけたんだ。軽率に絶望した。相手が水中にいるせいで、あさひなさんも攻撃を届けにくい。

 いや、実際にはあさひなさんの攻撃は通ったし、俺の真横にど派手な水柱が上がったんだけどね?

 水にじわじわとどす黒い靄が広がって、恐怖したんだよね。なにがいたの? 知りたくないけど、正体を教えて……。


 そんなこんなで怯えながら進んでいるので、俺の存在はお荷物以外のなにものでもない。


 悲しい。今、あさひなさんが周囲を確認して、俺を誘導してくれている。

 あさひなさんに担がれて進んだ方が、早いのはわかっている。

 でもやっぱり、年頃の男子高校生として、だっこはきついんだ。俺は自分の足で進みたい。


「あさひなさん、運営支部の場所はどこでしょう……?」

「向こうに見える高台です」

「遠路!!」


 あさひなさんの指先が示した、水没していない高台。

 直線で結ぶには足場の足りないそれに、力いっぱい嘆いた。

 移動距離が上がる、イコール、水の中のなにかに襲われる回数が上がってしまう……。


 これの何が不気味って、橙色の画面が一切反応しないことだ。

 あれは敵じゃないんだ? それじゃあ、純粋なあそびごころで引き摺り込もうとしているとか?

 なんだろう、ピュアな気持ちほど、すっごく恐怖心を抉りたててくる気がするなあ。


「回り道になりますが、こちらから参りましょう」

「はい。……あの、足手纏いですみません……」


 いくら囮役とはいえど、こんなにもお荷物では心が苦しい。

 おずおずと頭を下げると、あさひなさんが慌てた。


「ユウさんをこんなところまで連れ回しているのは、わたしです。わたしこそ危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありません」

「そんな、あさひなさんのせいでは……!」

「では、これでおあいこで」


 悪戯っぽく微笑んだあさひなさんが、俺の手を引き、「エスコートいたします」柔らかな声で囁く。

 俺が女の子なら、百万回目の恋に落ちていただろう、あさひなさんの可愛さと華麗さに胸を押さえる。

 罪深い……! 罪深いよ、あさひなさん……!!


「帰ったら、シエルドくんにいっぱい話す……」

「楽しそうですね」


 にこにこ微笑むあさひなさんの誘導に従い、慣れない動作を駆使して次の建物へ飛び移る。

 眼下に過ぎた水面が、不自然に光を反射した。……鱗でも光ってるのかな?

 不意に過ぎた思考に、ぎょっとしてしまう。

 鱗って誰の!? 魚の? 謎の存在のじゃありませんように……!


 何度か屋根を跳び越え、高台の階段までもう少しといったところで、視界の端に橙色が広がった。

 警告音が上がる。画面を見る。

 水面から手が伸びていた。

 何だか水の色が濃い。鱗が日差しを反射する。

 失敗した着地が、水際を蹴り上げた。あさひなさんに腕を掴まれる。


「掴まってください!」


 あさひなさんに抱き上げられた体勢で、高い飛距離から水面を見下ろす。


 ――ひらひら、たくさんの手が伸びていた。半透明に透けた白い手が、ぱしゃぱしゃ、波を立てている。

 水が黒い。底が見えない。


 階段に着地したあさひなさんが、俺を抱えたまま走り出す。

 普段なら悲鳴を引き攣らせるそれを、呆然と受け入れた。

 ばたん! 建物へ入ったためか、視界が暗くなる。


「ユウさん、お怪我は?」

「ない、です……」


 俺をソファへ座らせたあさひなさんが膝をつき、俺の様子を仰ぎ見る。

 掠れた声で返事するも、指先で前髪を払われ、口ごもってしまった。

 薄暗い部屋が、あさひなさんの心配そうな表情を見えにくくする。


「……あれ、手、いっぱい」

「今は何とも言えません。……先にシステムの復旧をさせましょう」

「はい……」


 あさひなさんの上着を握り、よろよろと立ち上がる。

 今になって心臓が動悸を訴えるのだから、胸を押さえて苦しんだ。こわい。震える。


 どうやらここは運営支部の建物らしい。明かりの全て消えた公共設備ほど、空恐ろしいものはない。

 職員用の通路を塞いでいる扉を、無言であさひなさんが切り開いたのだから、余計に心臓に圧が加わった。

 押しても引いても開かないからって、剣使うのオッケーなのかな? 一瀬さん、これセーフ?


 両脇に並んだ扉を無視して、直進した先に浮かび上がった部屋の前で、あさひなさんが立ち止まる。

『制御室』白いプレートのかかった扉のドアノブを掴み、彼の動作がぴたりと止まった。

 声をかけようとした俺へ、あさひなさんが真剣な顔で、自身の唇に人差し指を当てる。

『静かに』の指示に、嫌な予感を抱いた。


 ほとんどがスライド式の扉なのに対し、この扉だけ外開きだ。

 あさひなさんがドアノブを回す。暗闇が開いた。


「ようこそ第3都市都市コランダムへ! ただただただいまメンテナンス中です。もうしわけけけけけありませんが、またのご利用お待ちしております!」


 これまでの静けさを打ち破る大音量で、女性の声が響き渡った。まずここで俺の心が死んだ。

 雑音混じりのそれはNPCのお姉さんで、いつものにっこり笑顔を浮かべている。


 だというのに、背中を向けてこちらを見ているのだから、ここで再び俺の心が死んだ。

 どうしてそんなことするの? ちゃんと前向こう? そんな横着しないで。こっち見るなら、背を向けないで……。


「うるさいので、切りますね。ユウさん、目を閉じていてください」

「はい!?」

「よよよよようこそ第3都市都市コココランダムへ! たただただたただいまメン」


 無表情のあさひなさんが剣を構えた瞬間、慌てて目を閉じて耳を塞いだ。

 ビーッ、ばたん! 破壊音がくぐもって聞こえる。

 ……あさひなさん、音の切り方が直接的過ぎます……。


「ユウさん、大丈夫ですか?」

「一音だけスクラッチしないで……。『よ』を繰り返していいのは、ラップとDJだけなんだよ……」

「そう聞くと、ちょっとだけ陽気な気持ちになれますね」


 めそめそする俺の手を引き、あさひなさんがメインシステムを起動させる。

 ぱちり、明かりの灯った室内に、心細い気持ちが少しだけ解消された。


 ……見たくないNPCのお姉さんも、よく見えることになるんだけど……。

 これからどうやってあのお姉さんたちの前を通ればいいんだろう……。俺の心にトラウマが生まれた……。


「システム復旧は、これで達成ですかね」

「あ、みたいです! 一瀬さんから、まるって通知きてます!」

「では、あとは全体の調査ですが……気が進みませんね」


 嘆息したあさひなさんが、踵を返す。彼の背中にしがみついて、制御室を出た。

 軽く押した扉が、ゆっくりと閉まる。


「またのご利よよ用、お待ちししししししておりますま」

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