第15話 あかい街
全体的に赤茶けた色彩が広がる。
色のついたフィルム越しに眺めるようなそれは、街がおかしいのか自分の視界がおかしいのか、判別に困る。
生温い風が無音を響かせ、粘度の高い空気が纏わり付いた。
心臓がぞくりと粟立つ。見渡す限り周囲に人の姿はなく、気配すらなかった。
通常ログインは、最後にログアウトした場所より、最も近いリスポーン地点から開始となる。
ならば何故私は、こんな場所にいるのだろう?
寂れたトタン屋根の倉庫と、崩れた煉瓦。
雑草が石畳の間を割って増殖し、苔の這う井戸に引っ掛かった桶が割れている。
窓硝子の破損した木造住宅はどれもこれも不気味なほど静まり返り、引き裂かれた帆が風に弄ばれていた。
――こんな町、知らない。
堪らず生唾を飲み込む。喉が干上がり、たったそれだけの動作ですら苦痛に震える。
絶え間なく辺りを見回し、緊張に強張る呼吸を落ち着けた。
大丈夫だ。私なら大丈夫だ。何が来ようと、私なら対処出来る。
いつでも放てるよう、腰の剣に手を添えた。
『 あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 』
異音を聞いた。同時にぱさり、乾いた音が真上でした。
心音が速まる。冷や汗が止まらない。歯の根が合わない。上を見てはいけない。
……本能が警告するのに、私の首はゆっくりと上を向いていた。
それが現れたのは頭上だった。
入道雲を連想するほどの大きな顔が、逆さを向いて赤い雲の間から垂れている。
それが自分の顔だと認識するのに、少しの時間がかかった。
虚ろな目は何処も向いておらず、開きっ放しの口が無意味な音を立てている。
私の喉の奥で悲鳴が強張る。思わず下がった足が、砂を踏む音を立てた。
ぎゅるん、回転した目玉が私に焦点を合わせた。堪らず喉が絶叫を上げた。
*
絶え間なく流れる軽快な音楽。簡易的な椅子に座るひとりの人物に、ぱっと表情が晴れた。
(ハロさんだ!)
道行く人の邪魔にならないよう、演奏者の近くに寄る。
アコーディオンを弾いていた青年が、こちらを向いてやんわりと口角を持ち上げた。
街に流れるこの音楽、実はゲームのBGMではなく、彼等音楽屋さんたちが人力で奏でているものだった。職人さん、すごい。
ハロさん曰く、音楽屋さんのギルドでは、その街をイメージした曲を個々に作成して、演奏しに行くのだそう。
なのでハロさんが先ほどから奏でているこの音楽も、ハロさん作曲のものだ。心弾ませるそれに感嘆の声が上がる。
和音を響かせた彼が、優雅に一礼した。
「こんにちは、ユウくん。具合はもう平気?」
「こんにちは! もうばっちりです!」
ふんわり微笑んだハロさんの肩から、薄茶の髪が零れる。髪の隙間から長い耳が覗いた。
中性的で線の細い彼は、あさひなさんとはまた違った美人さんだ。
ネイビーの制服には金色の縁飾りがされてあり、鼓笛隊を連想させる。
ハロさんとの出会いは、俺がチュートリアルで撤退した、あの日まで遡る。
血だらけで街の真ん中に放り出された俺を救出してくれたのが、彼だ。
音楽屋さんの活動は曜日ごとに輪番を組んでいるらしく、お礼をしたくても恩人が見つからない。
楽器とネイビーの制服を手掛かりに、話しかけた他の音楽屋さんがハロさんのことを教えてくれた。
本人にも話が伝わったようで、ようやく次の日曜日にお礼することが出来た。
ハロさんは、そんなに気にしなくていいのに、と笑っていたが、あのまま助けてもらえず、放置されていたらと思うとぞっとする。深くお礼した。
「ハロさんの曲って、何だかこう……わくわくしますね!」
「ありがとう。ユウくんも弾いてみる?」
「俺、リコーダーしか吹けないんで……」
義務教育が教えてくれた楽器名を挙げると、優美な笑顔でハロさんがくすくす声を立てた。
リコーダーかあ。懐かしそうに呟かれる。
……恐らく俺は、こういう何気ない会話で、自分の年齢を公表しているのだろう。
大人の余裕を見せるハロさんが、目許を緩めた。
「ユウくんも、良かったら他の街にも行ってごらん? 違う曲も聞かせたいな」
「是非! ハロさんは、他の曜日は何処の街にいるんですか?」
「ふふふ、秘密。探してみて」
お茶目に片目を閉じたハロさんが、再び和音を響かせる。
ゆっくりと開閉する蛇腹が鍵盤と合わさり、踊るような音を奏でた。
微笑みを携えたハロさんの伏し目がちな睫毛が光を透かし、日曜日の街角が舞台へと様変わりする。
第1都市ユークレースは常光の街だが、日曜日のみ夕焼けが見られる。
日没のあと、夜ではなく再び昼の光へ戻ってしまうそれは、ひとときの赤い街並みとして有名だそうだ。
何でも、ユークレースの夕暮れの中告白すれば恋が成就するとか、願いが叶うとか、色々なおまじないまであるらしい。ハロさんが教えてくれた。
百物語より、こちらの噂の方が心温まる。
公演予定は教えてもらえなかったけど、あさひなさんやシエルドくんを誘って、色んな街を観光してみよう。
ハロさんに手を振り、ギルドの建物を目指して人混みを縫う。
あー、ハロさんの曲、通学時間に聴きたいなあ。
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