第14話 橙色検証ツアー

 一瀬さんが指定した場所は、リントヴルムの渓谷という絶壁に挟まれた川だった。

 相変わらず眠そうな彼は端末を早打ちしており、三度くらい声をかけて、ようやくこちらに気付いた。


「……よう。保護者連れ」

「すみません、無理を言いました……」

「構わねーよ。とりあえず全員のデータだけ参照させてもらうわ」


 指先で端末を叩いた仕草に合わせて、俺たちの足許を青い光が回る。

 ポン、軽い音を立てたそれが掻き消えた。


「運営技術部の一瀬だ」

「度々世話になるな、兄ちゃん。こいつらの預かり主の骨抜きチキンだ」

「シエルドです」

「あさひなといいます。失礼ですが、ユウさんの画面について、何かわかっていることはありますか?」


 各々の自己紹介のあと、険しい表情のあさひなさんが問い掛ける。

 首を横に振った一瀬さんが、端末を叩いた。


「いや、少年が初めてだ。

 仮説なんだが、少年は指摘されるまで、その画面は当然あるものと思っていたんだろう?

 もし他のプレイヤーに同じエラーが出ているとして、始めから備わっている画面を不審に思うか?」

「じゃあ、気付いてないってこと?」

「敵が出たら知らせてくれて、体力が減ったら警告してくれる。便利な機能としか思わんだろ」


 確かに、一瀬さんの言う通りだ。思い返せば、最初の頃はマニュアルまで開いてくれたし。

 ええっ、もしかして橙色の画面って、良い存在なの? 驚かせ上手だね!?


 行くぞ、促した一瀬さんに続き、川沿いに上流を目指す形で歩き出す。

 水量の多いそこは中々に流れが速く、落ちたら危険だと思わせた。

 ……現実の俺、泳ぐの下手だけど、仮想世界なら泳げるのかな……?


「お魚泳いでるね」

「え? あ、本当だ」


 隣を歩いていたシエルドくんが、俺の視線の先を見詰めて声をかける。

 慌てて澄んだ水面へ目を向けると、日差しを受けて時折鱗が輝いていた。


「……シエルドくん、泳げる?」

「え? ……背泳ぎなら辛うじて」

「背泳ぎの方が難しくないかな!?」

「だって、浮くだけだし」

「な、なるほど……?」


 どうやらシエルドくんも、水泳は得意でないらしい。

 ふたり揃って、川の近くから心持ち岩だらけの壁面へ寄った。

 唐突に開いた橙色の画面が、警告音を鳴らす。合わせて、何処からともなく地鳴りの音が聞こえた。


「ユウ! シエルド! そこから離れろ!!」


 珍しく焦った表情のマスターと、駆け出したあさひなさんが高く跳躍する。

 はたと気付いた頭上を覆う日陰。咄嗟にシエルドくんの前に出て、障壁を練り上げた。

 ガシャアンッ!! 硝子が砕けるような、けたたましい音が渓谷を跳ね回る。


「ユウ!?」

「だ、大丈夫、くらっとしただけ」


 障壁は一枚破られるごとに、代償として体力を差し引かれる。

 防ぎ切ることが出来れば体力は減少しないため、俺は早急にレベルを上げた方がいい。

 よろめいた身体をシエルドくんに支えられた。


 頭上から落ちて来たのは、大人が腕を回しても抱え切れないだろう、大きな岩だった。

 歪な丸い側面には六つの顔が蠢き、思わずぞっとしてしまう。

 錫杖を振るったマスターが、岩石を四散させる。遅れてあさひなさんが崖上から華麗に降り立ち、長剣を鞘へ戻した。


「根幹は叩きました」

「助かったぜ、あさひな。ユウ、シエルド、怪我ないか?」

「大丈夫です!」


 それぞれの無事を確認し、安堵の息をつく。一瀬さんは沢山の画面と端末を見比べ、難しそうな顔をしていた。

 先人たちへ、先ほどの恐怖心を掻き立てる見た目の魔物について、質問を投げかける。


「今の、何ですか……?」

「なんつったかな……、首狩り族?」

「シュワクだよ、マスター」

「あーっ、確かそんな感じだったな!」


 適当なバリトンボイスに、シエルドくんが訂正を入れる。

 もしかすると、マスターよりシエルドくんの方が博識なのかも知れない。

 耳慣れない名称に首を傾げる俺へ、シエルドくんが指先で宙に何かを描いた。

 黒いグローブに包まれた人差し指が、何かの漢字を形作る。


「首に、或いはって書くのが語源だろうって。馘って字になるんだけど」

「ふ、ふーん……?」

「シュワクは、自分が狩った獲物の首を集めているんです。なので、特に気をつけてくださいね」


 やんわりと微笑むあさひなさんの忠告に、降ってきた大岩に浮かんだ歪な顔面が脳裏を過ぎる。

 …………豊かな想像力が、自分の首を絞めた。

 青褪める心地で何度も頷く。こわい。その敵こわい。


「……少年、画面は出たか?」

「あっ、出ました! 警告音もしてました」

「今は?」

「ええっと、俺の減った体力を映してます」


 一瀬さんの質問に、やっぱりみんなに見えていないのだと実感する。

 けれども彼の好意的な助言のおかげで、当初よりも恐怖心は薄らいだ。

 今回も敵に対して警告音を鳴らしていたし。


「その音はどんな感じだ?」

「結構うるさい感じです。ビーッ! って」

「鳴るタイミングは? 敵が出る前か、後か」

「大体同じ……ですかね。さっきも地鳴りが聞こえ出したときに鳴りましたし」


 一度唸った一瀬さんが、考え込むように静止した。

 徐に再起し、素早く青い画面を連打する。恐ろしいタイピングの速度に、内心引いた。


「……敵を呼び寄せてる可能性は低いな」


 ぼそりと呟かれた言葉に、俺の心が死んだ。

 そうか、危険を知らせているのではなく、危険を呼び寄せている可能性もあるのか! 後者の場合、俺、疫病神になるけどね!?


「ユウさんの画面は、純粋に警告しているだけだと?」

「推測だ。その警告音が、誰に向けられたものかで話が変わる。魔物へ向けられてんなら、悪意。少年に向けられてんなら、善意だ」


 あさひなさんの質問に淡々と答えた一瀬さんが、画面をそのままに俺へと近付く。

 画面を出すよう指示され、言われた通り青い画面を展開させた。


「さっきスキャニングしただろ? 変なもんが見つかった」

「これ以上に変なのがあるんですか!?」


 とんとん、波紋を生む指先が、スキルの画面へ行き着く。

 スクロールした人差し指が、『しゅくふく』の項目を叩いた。


「誰だよこんなスキル組んだの。せめて漢字使えよ、丸文字のミルキーペンかよ」

「あー、あの色が変わるやつ!」

「マスター、多分それ、マーブルペンです」


 手を叩いて閃いた顔をする見た目幼女に、呆れ顔のあさひなさんが訂正を入れる。

 多分きっと文房具の話をしているのだろう。年齢格差にシエルドくんとともに首を傾げた。


 開かれた『しゅくふく』の個別画面が、大量の難読文字を並べる。

 視界いっぱいに広がった文字化けに、喉の奥で悲鳴が漏れた。

 咄嗟に縋った白衣の持ち主が、頭上で舌打ちして画面を睨みつける。


「エンコードミスんなよ! 誰だこんなミスしやがったやつ! 一週間トイレ掃除させるぞ!!」

「一瀬さんのおかげで恐怖心が薄まりました。ありがとうございます」


 苛々と画面を翳した一瀬さんが、文字化け集団を写し取る。

 持ち帰って解析すると言った彼の顔は、目付きの悪さと相俟って、更に人相が悪くなっていた。

 頭上から盛大な舌打ちの音がする。こわい。


「スキルは本来、習得したジョブに関連して増えていく。例えばそこの優男」

「……わたしですか」


 一瀬さんに手招かれたあさひなさんが、僅かに口許を引き攣らせてこちらへ近付く。

 開かれたスキル画面には、剣士、騎士、戦士、傭兵、剣闘士、聖騎士、剣聖……あさひなさんが、はちゃめちゃに強い理由がわかった気がする……。

 剣に纏わる様々な職業が軒を連ねていた。


 待って? これらのジョブの具体的な違いって、なに?


「このように経験したジョブが重なることによって、能力が継承されていく。

 例えばここに『魔術師』とか入れば、魔法も使える剣士が出来上がるわけだ」

「なるほど……シエルドくんみたいな」

「そうだね」

「改めて見ると、あさひな本当ゴリラだよなあ」

「怒りますよ、マスター」


 けらけら笑うマスターへ、あさひなさんがじと目を向ける。


 なるほど。今まで特に何も考えてなかったけれど、スキルとジョブは連動しているのか。

 あれ? じゃあ、さっきの『しゅくふく』って、おかしくないかな?

 そんなジョブに就いた覚えがないよ?


 改めて確認した、自分のスキル画面。

 触れた項目が、剣士:レベル13、ガーディアン:レベル34、それぞれに習得した技術が表示される。

 決して文字化けなどしていない。


 そして最後に『しゅくふく』の文字。


「あと、そこの少年もだ」

「……えっ」


 一瀬さんに声をかけられたシエルドくんが、薄い肩をひくりと跳ねさせる。

 自分のスキル画面を開いて確認していた彼まで、白衣のポケットに手を突っ込んだ一瀬さんが歩み寄った。

 覗き込んだ青い画面の異常を読み上げる。


「『ちゅうせん』……。だから漢字使えっての」

「この前確認したとき、こんなのなかったのに……」


 困惑したようにシエルドくんが一瀬さんを見上げる。無言で叩かれた画面が、小さく波打った。



『おめでとうございます!』



 たった一言記された言葉に、なんだこりゃ。一瀬さんが眉間に皺を寄せる。

 マスターたちもシエルドくんの画面を覗き込み、怪訝そうな顔をした。


「何が当たったんだろうな?」

「やめてマスター。こわいこといわないで」


 落ち込んだ顔でシエルドくんが抗議する。

 カラカラ笑ったマスターが、一瀬さんへ向き直った。


「これって、直るもんなのか?」

「一先ず持ち帰る。会議にかけて、犯人絶対吊るす」

「まあ俺個人としては、楽しく快適に安全にゲーム出来れば、それで充分なんだけどな?」

「ご不便をおかけし、誠に申し訳ございません」

「あー、わりぃ。謝罪が欲しかったわけじゃねぇんだ」


 90度に頭を下げた一瀬さんに対し、困ったような顔でマスターが頭を掻く。

 顔を上げた一瀬さんへ、幼女がバリトンボイスを響かせた。


「うちのもんが世話になってるしな。別にばらまいたりしねぇから、情報をもらえると助かる、ってな」

「……知り過ぎて消されるタイプですよね、マスター」

「うちには最強剣士サマがいるからな。平気だ」

「当てにしないでください……」


 明るく笑うマスターに、あさひなさんが肩を竦める。

 重たくため息をついた一瀬さんが、渋い声で了の返事をした。

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