第31話 音楽屋さんいわく

 俺とシエルドくんを呼び出した朔月さくげつさんは、腰まであった長い髪をばっさりと切り、ぱっつんだった前髪ともさよならしていた。


 ふふんと得意気な彼女を、はわわと指差す。

 首の後ろで揃えられた青色の髪と、これまで白い花の髪飾りが乗っていた箇所に施された編み込み。

 横に流れる前髪は脱ぱっつんさせられてあり、白かった衣服は黒系統に揃えられていた。

 金色の縁飾りと、フードのついたコートが、何となく魔術師っぽい。


 表情こそ朔月さんのままだが、かなり印象が変わった。シエルドくんが隣でぱちぱち手を叩く。


「似合ってるよ、朔月。ボブヘアっていうんだっけ?」

「そうでしょう? 自信作よ!」

「すっごく変わったね! かっこいいよ!」

「ふっふーん! ありがと!」


 朔月さんが、その場でくるりと回る。石畳に彼女のヒールがかつんとぶつかった。


 今日はいつもの第1都市ユークレースではなく、第5都市ルベライトに来ている。

 シエルドくんの提案で、ルベライトを観光しようという予定だ。


 るんるんと機嫌良さそうな朔月さんが、こちらだと先導する。

 お洒落な異国情緒溢れる街並みは、ログイン時間が早いにも関わらず、絶え間ない人通りを生んでいた。


「……あれ?」

「ユウ、どうかした?」


 ふと耳に届いた音に、きょろきょろと辺りを見回す。

 今、ハロさんのアコーディオンの音が聞こえた気がする。

 ぱっと気分が上向きに上がり、慌てて朔月さんの袖を引いた。


「朔月さん! 音楽屋さんの方に行ってもいい!?」

「えっ? いいけど……」


 驚いたように瞬いた朔月さんが、進行方向を変える。

 左折した街路の奥から聞こえるアコーディオンの音に、気がついたら走り出していた。


「ユウ、待って!」


 流れる人波を避けて、忙しなく辺りを見回す。見つけたネイビーの制服の青年に、気持ちが華やいだ。


 ハロさんの周りには、遠巻きに人だかりが出来ている。

 俺も人通りの邪魔にならなさそうな場所に立ち、ハロさんの演奏を見守った。

 流れるようなアコーディオンの音が、何となくお洒落な洋画を思い起こさせる。

 ユークレース以外で聞く初めてのハロさんの音楽に、ほふ、とため息が漏れた。やっとハロさんの他の曲が聞けた!


「ユウ」


 後ろから肩を叩かれ、慌てて振り返る。

 心配そうな顔をした美少年と、腰に手を当てるにゅー朔月さんに、置いてきて走ってしまったことを思い出した。……やっちゃった。


「あんた、急に走ってびっくりしたでしょう?」

「ご、ごめん……」

「あの人が、ユウのいってた音楽屋さん?」

「うん! ハロさんっていうんだ」


 小声でハロさんの紹介をし、えへへと笑みが零れる。

 俺はハロさんのファンだ。

 ハロさんの音楽の音源が欲しい。そして通学の間に聞きたい。家の中で流し続けたい。


 ふうん、と頷いたシエルドくんが、アコーディオン奏者へ視線を向ける。


 ハロさんの薄茶色の髪の隙間から、ぴんと伸びた長い耳。

 伏し目がちな目許は長い睫毛の影になり、不意にその瞳がこちらへ向けられた。驚きに瞠られたそれが、やわりと緩められる。

 階段を駆け上るような音色を奏で、ハロさんが和音を響かせた。わあああっ、拍手を贈る。


「こんにちは、ユウくん。ルベライトでははじめまして」

「ハロさんこんにちは! 演奏素敵でした!!」

「ありがとう、嬉しいよ」


 くすくす吐息を笑わせるハロさんの近くまで、小走りで駆け寄る。

 アコーディオンを抱える彼が、やんわりと微笑んだ。うっ、綺麗な顔が眩しい……!


「そっちの子たちは、ユウくんのお友達かな?」

「はい、そうです!」

「……はじめまして」

「どうも……」


 穏やかに微笑むハロさんへ、シエルドくんと朔月さんがぺこりと頭を下げる。

 優雅に礼をしたハロさんが、雅やかな笑みを浮かべた。


「音楽屋のハロです。以後お見知りおきを」

「ハロさんかっこいい……っ」

「ユウくんは、詐欺に遭わないように気をつけてね」

「やっぱりみんなに思われてるんだ……」

「何で!?」


 ハロさんのびっくりな注意と、シエルドくんのため息に愕然とする。

 朔月さんまでうんうんと頷いているのだから、俺の傷心値が計り知れない。

 俺、まだ詐欺に遭ったことないんだけどな!?


 不意にハロさんが朔月さんに目を留め、緩く首を倒す。はたと瞬いた彼が、柔和な笑みを浮かべた。


「きみは、昨日コランダムで会った子かな?」

「え? 私?」

「うん。髪型が変わってるから、気付かなかったよ」


 にこにこと、ハロさんが笑みを見せる。

 朔月さんへ視線を向けると、彼女は顔色を悪くしていた。

 ふるふる首を横に振った彼女が、「行ってない」と空白の口で訴える。

 朔月さんの様子に、ハロさんが不思議そうに首を傾げた。


「……もしかして、人違いかな?」

「あーっ、その、……みたい、です」

「そっか。ごめんね」


 申し訳なさそうに眉尻を下げるハロさんに、良心が刺激される。

 顔を上げた朔月さんが、意を決したように質問を投げかけた。


「その、私のそっくりさん、何してましたか?」

「うん? そうだね。アコーディオンに興味があったみたいで、興味深そうに見ていたよ」

「言葉のオブラートに包まれた真実がこわい!!」


 朔月さんが、自身の腕を掻き抱くように腕を回す。ひい! 叫ぶ彼女は涙目だった。

 ハロさんが慌てたように手を広げる。


「大丈夫だよ。困ったことにはなっていないから」

「困ったこと!?」

「あ、でも。話しかけても、言葉が聞き取れなかったな……。あの子、何て言っていたのかな?」

「ハロさんっ、俺、ハロさんの曲、聞きたいです!」

「あっ、うん。そうだね。ありがとう、ユウくん」


 首を傾げたハロさんが悩み始めたので、慌てて演奏をお願いする。

 長い睫毛を瞬かせた彼が、ふわりと笑みを浮かべた。

 優雅に一礼した長身が、繊細な指先を鍵盤に添える。

 和音を響かせたアコーディオンが流れるような音楽を紡いだ。……うっとりしてしまう。


「……私、先戻るわ。……ちょっとエクレールさんに聞いてくる」

「わかった。またね、朔月」

「ばいばい、朔月さん」


 小声で別れを告げた朔月さんが、身軽に人混みへ姿を消す。


 ハロさんの演奏が終わった頃、拍手する俺へシエルドくんが、「ユウ、音楽すきなんだね」と聞いた。

 それに対して「音楽のことはさっぱりだけど、ハロさんの音楽がすき」と正直に答えた。




 *


 シエルドくんと別れて、第1都市ユークレースの運営へやってきた。

 平日である今日の待合には、益々人がいない。

 受付のお姉さんに名前を告げると、そのまま奥へと案内された。いいのかなあ……?


「一瀬さん、こんにちは」

「よお」


 モニタから顔を離さずに、黒髪の青年が粗野に片手を上げる。

 彼の机に重ねられた紙コップが、何だか居た堪れない気持ちにさせる……。

 せっせとそれらを回収し、「お茶淹れてきますね」声をかけた。ちらりとこちらを向いた一瀬さんが、「わりぃな」呟く。


 給湯室には、平野さんが残したままらしいマグカップが置かれてあり、以前見たときよりも紙コップの残骸が増えていた。

 全てを片付けるつもりはなかったけれど、見ていられなかったので、とりあえず残骸と忘れ物だけは片付けた。

 一瀬さん、平野さん、いつもお疲れさまです……。


 紙コップを両手にひとつずつ持って、一瀬さんのところまで戻る。

 変わらずカタカタとキーボードを叩く姿に、しみじみと慰安の気持ちを抱いた。こつりと机にお茶を置く。


「お疲れさまです、一瀬さん」

「ああ、わりぃ。ありがとな」


 こちらを向いた一瀬さんが、人差し指と親指で目頭を揉んだ。

 ぐっと伸ばされた肩が関節の軋む音を立てる。

 目の下の隈まで濃いのだから、この人仮想空間なのにこんなお疲れで……。益々心配になった。


「今日はどうした?」

「その、……以前お話した、あかい町に行った女の子。あの子のそっくりさんが出るようになりました」

「……それはまた」


 ぐったりとため息をついた一瀬さんが、左手で頬杖をつく。紙コップを手に取った彼が、ちびちび中身を傾げた。


 彼に、朔月さんが体験した、そっくりさんとのファーストコンタクトの話をする。

 俺にとっても恐怖でしかないそれは気持ちの沈むもので、沈鬱なため息をついた。


「朔月さんは、そっくりさんが現れて以来、あかい町には行っていないみたいです。ただ、俺と音楽屋さんの人も、彼女のそっくりさんを見ていて……」

「ゲーム内に現れているのか」

「はい。朔月さんには、無課金の範囲内で見た目を変えてもらっているのですが、……青色の長い髪に、白い花の髪飾りをつけた、青い目の女の子です。白っぽい服を着ています」


 一瀬さんが起動させた透明の端末が、俺の声に合わせて波型の図形を描く。

 連なる音声記録を横目で見遣り、彼が足を組み替えた。


「なるほどな。そのそっくりさんとやらは、言葉は喋ったのか?」

「いいえ。俺のときは呼びかけても止まらなくて、路地に消えちゃって。音楽屋さんのときは、聞き取れない言葉を話していたそうです」

「ほお?」


 考え込むように腕を組んだ一瀬さんが、モニタを向く。

 白い明かりに照らされた彼の顔は、思案気だった。


「シエルドとかいう少年のいう通り、学習型だと考えるのが妥当だな。

 お前に付与されているプロテクト機能。そいつも実装前に破棄されたものだ。それから、朔月って嬢ちゃんが行った『あかい町』だが、原案となった絵コンテを見つけた。

 詰まるところ、こいつらは全て、着手されたが実装には至れず、消去されたデータたちということだ。何だってこんなに生き生きしているのかは知らんがな」


 遣る瀬なさの滲んだ彼の言葉に驚く。消去されたものって、消えるんじゃないの!?


「パソコンを例にするが、ゴミ箱に入れたデータを消去してもな、ある程度は復元出来るようにファイルが残されるんだ。

 これらを完全に消去するには、もう一段階操作がいる」

「そうなんですか……?」

「誤操作で必要なもん消したときの保険だ。お前の端末もそうだろうよ」


 一瀬さんがマウスを操作し、モニタに映ったひとつのファイルをゴミ箱へ入れる。

 消去したそれを復元する操作を一通り実演し、消されたはずのファイルが再び元の位置へと戻ってくるまでを目の当たりにした。

 唖然、鮮やかな手並みに瞬く。


 すごい、何をどう操作したのかさっぱりわからないけど、マニアックな情報だなあ……!!


「まさかゴミ箱にしてやられるとはな」

「それじゃあ、原因、わかったんですね!」

「ああ。新設サーバーには混じらないよう、平野にも指示してある。これではちゃめちゃなバグ騒動ともお別れだ」


 久しぶりに穏やかそうに口角を引き上げた一瀬さんに、嬉しさから前のめりになる。


 よかった! これで一瀬さんも平野さんも自宅で寝れるようになるし、朔月さんもそっくりさんに悩まなくて済む。

 俺も心安らかにゲーム出来る! やった!!


 わーい! 喜びを体現する俺の横で、橙色の画面が音を立てて立ち上がった。

 同時に、開いた扉からNPCのお姉さんが顔を出す。


「エラー報告13件。『ログアウト出来ません』」

『深刻なエラーが発生しました。深刻なエラーが発生しました。深刻なエラーが発生しました。深刻なエラーが発生しました。深刻なエラーが発生しました。深』

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