第32話 深刻なエラーが発生しました

「ユウ、遅いなあ……」


 くるりと一巡してしまった長針にため息をついた。

 運営に行くといったユウと別れたきり、あと30分もすれば、2時間目に突入してしまう。


 そんなに込み入った話があったのかな?

 ……あるなら相談してほしかったなあ。勝手に気分が降下してしまう。


「ユウのやつ、運営に寄ってんだよな? 個人面談でもやってんのか?」

「いくらなんでも長過ぎない?」

「誘拐でしょうか」

「あさひな、事案って顔しないで」


 芋けんぴを齧るマスターと、どことなく落ち着きのないあさひなに、別の意味でため息をついてしまう。

 ふたりとも、頼りになるのは頼りになるんだけど、ものすごく天然なんだよなあ。マスターなんて、空気読まないし。


 温くなったお茶を、テーブルに置いた。何となく憂鬱な気分になってしまう。


 ユウの用件って、朔月のことだと思っていたけど、彼、知り合い多いからなあ。

 運営の人とか、音楽屋とか、普通にしてたら知り合いになんてならないのに。

 この前も喫茶店のおじさんと仲良く喋ってたし。

 ……ユウの心の垣根って、跨いで通り越せそう。


「そういえば、あさひなもユウとたまたま知り合ったんだよね?」


 はたと思い当たった事象に、白皙の美青年を見上げる。

 窓から外を窺っていたあさひなが、柔和な笑みを浮かべた。


「はい。かわいい子がいるなーと眺めていたら、困っている様子だったので、声をかけました」

「それ、なんぱっていわねぇか?」

「あさひな、外でそれやっちゃだめだよ……?」

「やりませんよ……!!」


 頬を染めたあさひなが、苦渋の顔で言い切る。

 固く拳を作って震えている辺り、本当に言葉通りに守ってほしい。職質されちゃう。


 見た目幼女が首を傾げた。

 視覚情報はツーテイルの可憐な幼女が豪快に芋けんぴを食らっている光景なのだけど、聴覚情報が野太い声を届けるのだから、処理に困る。


「あさひな的によ、シエルドとユウ、どっちがより美少年なんだ?」

「系統が異なります。あなたはハムスターとウサギ、どっちがかわいいですかと問われて、優劣をつけられますか?」

「あさひな……例えがきもちわるい……」

「そんな!!」


 あさひなが悲しそうな顔をする。

 光に透ける白髪も白睫毛も儚く、消え行きそうな錯覚を抱くが、彼は結構図太いので大丈夫だと、ぼくは信じている。

 しかし悲壮な顔だ。無条件で罪悪感を刺激される。……得だな。その顔。


「……ユウと素材集めに行こうって、約束したんだけどな」


 また更に進んだ時計の針に、ため息をつく。

 芋けんぴを何本口に詰めているのだろう? ぼりぼり音を立てていたマスターが、ごくんと喉を鳴らした。

 ぱんっ! おっさんらしく膝が叩かれる。


「っし! ユウ迎えに行くぞ!」

「そうですね。誘拐でしたら即座に対応しないといけませんし」

「あさひな? どうしてそう私刑に走ろうとするの? 公的機関を活用して?」


 立ち上がった幼女の後ろに続く、にこやかなお兄さんが度々こわい。

 幼女は幼女で、「帰りにまんじゅう買おうぜ」と食べものの話しかしない。

 どうなってるんだろう、あの体内におさめられたブラックホール。


 ギルドの外へ出たところで、ぽん、音を立てた画面が運営からのお知らせを立ち上げた。

 ポップアップタイプは急用な場合が多い。

 緊急メンテだろうか?

 文字を読解した瞬間、ざわりと悪寒を覚える。慌てて運営目掛けて走り出した。


【緊急メンテナンスのお知らせ】

 現在ゲームからログアウト出来ない現象を確認しています。

 本件につきまして、XX月XX日 XX:XXより、緊急メンテナンスを実施いたします。

 お客様に大変な混乱とご迷惑をおかけいたしますことを、深くお詫び申し上げます。

 』




 *


 普段閑散としている運営の待合には、人が雑多といた。

 口々に要求を述べるそれは喧騒で、うるさいそれは苦手だ。


 右往左往するNPCを捕まえ、ユウの居場所を聞く。

 別種類の質問だったからか、答えに窮していた女性型のNPCが、すんなりと彼のいる場所を教えてくれた。


 一度入ったことのある運営施設の内部へ、迷子の引き取りを盾に潜り込む。

 ぼくの強引な手段に珍しくマスターが表情を引き攣らせていたが、あさひなとともに速やかに侵入を果たした。

 短い廊下を走り、人のいない周囲を見回す。何かに反応したあさひなが、即座にひとつの部屋を開いた。


「ユウさん!!」

「ああくそ! 部外者立ち入り禁止だぞ……ってお前らか」


 モニタのたくさん並んだ部屋に、いちのせ、だったか、黒髪に白衣の青年がいた。

 中腰の彼は赤毛の少年の頭を抱えていて、そのぐったりとしている姿に血の気が引いた。

 ユウ!! 名前を呼んで駆け寄る。


「大きな声を出すな! プロテクト機能の警告音が喧しくて、頭が痛いんだと」

「どういうこと!? ユウ、大丈夫……?」

「……るさっ、ひっ、うるさ、ひっく」


 両手で耳を塞ぐユウは、しゃくり上げながら弱々しい声で「うるさい」と繰り返していた。

 一瀬さんに凭れる彼を、恐る恐る預かる。

 険しい顔であさひながユウの額を撫で、鋭い眼光を職員へ向けた。


「これは、どういうことですか?」

「質問の範囲が広過ぎる。優先順位をつけてくれ」

「ユウさんは、何故このような状態に?」

「詳しいことは俺にもわからん。プロテクト機能……橙色の画面が立ち上がったとかで、ずっと『深刻なエラーが発生しました』と警告しているらしい。

 ……かれこれ2時間、大音量を聞いている。1時間経った辺りで、こっちの声に反応しなくなった。何とかしてやりたいんだが、このざまだ」


 一瀬さんの言葉に、慌ててユウの様子を窺う。青褪めたそれは血色悪く、衰弱と呼ぶに相応しい様子だった。

 マスターが「俺、パチンコ屋ですら駄目だわ。ユウは偉いなあ」労わるように赤毛を撫でた。

 ユウの睫毛が幾度も涙を落とす。


「では、『このざま』について」


 攻撃的なあさひなは、あまり馴染みがない。

 底冷えするような声音は低く、キーを何度も叩く職員が苛立たしげに息をついた。


「最後の最後でこのバグだ。原因はわかっているが、仮想空間からはどうすることもできねぇ。

 救援を送ってるんだが、向こうからの応答がない。

 妨害されてんだろうな。……恐らくこのバグに反応して、こいつのプロテクト機能が癇癪を起こした」

「他に手立ては」

「やることはやってる。ひたすら救援を送ることだ」


 腰を伸ばした一瀬さんが、他の機械から操作する。

 舌打ちの混じるそれをはらはら見守り、うわ言を漏らしながら蹲るユウの背中を撫でた。


 試しにログアウトしてみようとするも、【 error 】の文字が赤字で表示されるだけだった。すっと体温が下がる。


「っ、平野、気付け!」

「パソコン使います! 通話は!?」

「もうやった! 離島の別荘状態だ!」

「誰ですか、断線したの!!」

「知るか!」

「なあ兄ちゃんや。このパソコン、ネットには通じてたか?」

「そこの端末使ってくれ!」


 あさひなとマスターがそれぞれ機器を触り、救援要請を送る。

 ぼくもなにかと思うけれど、ユウをひとりにすることも出来ない。

 嗚咽を漏らす彼を、懸命に宥める。

 声に反応しないと言われたけれど、何度も名前を呼んで、「大丈夫だよ」と繰り返した。


「……頼む、平野。気付いてくれ……ッ」

「他の職員は!?」

「新設サーバーの方に借り出されて、人手が足りねぇんだ! 他の支部の職員も、俺と似たような状態だ!」

「ぱぱっと片付けるぜ! 何せネコチャンがな。……毎朝6時半に起こしに来るネコチャンが……」

「マスター、こんなところで個人情報をぷち公開しないでください!」

「あー、パニック映画ってこんな感じだよなあ……」

「あなたはもっと真面目に取り組んでください!!」

「ひっ、……うるさ、も、ぐすっ、うるさい!!」

「ユウ!?」


 ユウの手が空中を叩く。ぼくの目には何もないように見えるそこを、何度もユウの手が叩いている。

 慌てて彼の手首を取るも、想像以上の力で振り払われた。心配した様子のあさひなが駆け寄る。


「ユウさんッ、大丈夫です。もう少しの辛抱ですから……」

「お。あったあった。『ログアウト出来ない』」

「マスターあなた、この非常時にネットサーフィンですか」


 暴れるユウを押さえ、抱き留めたあさひなが蔑んだ顔をする。

 タブレット端末に人差し指を当てる幼女が、不敵に口角を持ち上げた。一瀬さんが顔を上げる。


「いや、読み上げてくれ」

「昨日付け投稿の、いつものオカルト板だ。『ログアウト出来ず、一睡も出来ないまま朝を迎えた。朝になったらログアウト出来た』」

「時代先取りじゃねぇか。風評被害で訴えるぞ」


 職員の低い恫喝に、はたと瞬く。


 そうだ。ユウがぼくの学校に来たときも、朔月があかい町に行ったときも、イフリートの大量出荷も、いつも先に噂がある。

 ぼくたちは事象が起こってから調べて、必ず該当の噂に辿り着いていた。


 これまでの奇妙な出来事の中で、仲間はずれは『ユウの橙色の画面』だ。これだけ噂と関係していない。

 じゃあ、誰がその噂を再現しているんだろう?

 噂の投稿者は、どれも固体識別番号が違う。関連しているのはどれだろう?


「……きゅぅ……き、……きゅう……」

「ユウさん……?」


 微かに漏らされたユウの声に、あさひなが背を擦る。

 何かを辿ろうとしているユウの指先を、目で追った。きゅう、き、きゅう……あ。


「緊急ボタンって、どこに通じてるの!?」


 メインストーリーの初心者ガイダンスで、必ず最初に説明される緊急ボタン。

 ゲームに慣れ切った今、すっかり忘れ去っていた初歩の初歩。


 思わず立ち上がって画面を開く。スライドさせた先にある赤いボタンを迷わず押した。

 けたたましいサイレンの音が、ビーッ、鳴り響く。

 はっと顔を上げた一瀬さんが、同じように画面を滑らせた。


「外だ! よくやった!!」


 ばつんッ、遮断されたように全ての明かりが消え、ぼくの意識は覚醒した。

 慌てて見回した周囲は見慣れた自分の部屋で、しばらく呆然としてしまう。


 ふと時計を見れば、いつもログアウトする時刻よりも早かった。

 端末を手にし、画面をつける。僅かに震える手を懸命に操作させて、公式のアナウンスを探した。


【緊急メンテナンスのお知らせ】

 XX月XX日 XX:XXより、緊急メンテナンスを実施いたします。

 お客様に大変ご迷惑をおかけいたしますことを、深くお詫び申し上げます。

 』


「……ユウッ、」


 はたと思い出した姿に、慌てて連絡先を呼び出す。

 先ほどまでの騒然とした出来事がうそのような、静まり返った自室が落ち着かない。

 耳に当てた端末がコール音を鳴らし、何度も繰り返されたそれがぶつりと途切れた。


『っぐす、……しえるどくん……ッ』


 電波に乗ったユウの声は涙で歪んでいて、泣きじゃくる彼が落ち着くまで通話を続けた。

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