第12話 くまが せいちょうしている

 翌日はメンテナンスが長引き、その次の日はバイト、更に次の日は母親に連れ出され、更にその翌日にバイトと、俺がゲームの世界へ戻って来れたのは、件の日から四日経ってのことだった。


 久しぶりの常光の街は相変わらず活気があって、あのあとどうなったのだろうと広告塔を眺める。

 該当箇所に流れる文字を目で追った。


(エラーは対処済み。お詫びに全プレイヤーにアイテム進呈)


 一瀬さん、寝てないんだろうなあ……。

 思い浮かべた、黒い髪から覗く隈を飼った目許。

 ……画面のこと、相談に行ってみよう。

 大通りではなく運営の方へ足を向け、硝子張りの建物を目指した。




 *


 受付にいたNPCのお姉さんに、一瀬さんがいるかどうかを尋ねる。

 ユーザー名を伝えるとお姉さんが通信を繋ぎ、座ってお待ちくださいと笑顔で待合の椅子を勧めた。

 広いソファでこじんまりと待っていると、白衣を着た、眠たそうな顔の男性が顔を出した。

 予想通り隈の深い顔で、無愛想に「よう」と挨拶する。立ち上がって頭を下げた。


「お久しぶりです、一瀬さん。寝てください」

「俺も布団で寝たい」


 やっぱり寝ていないらしい。一瀬さん、本当に大丈夫かな……?


 案内された場所は先日の応接室ではなく、機材の並ぶ作業場で、ここは関係者以外立ち入り禁止なんじゃないかな? 疑問に思った。

 無造作に隣の椅子を引いた一瀬さんが、そこに座るよう顎で指す。静々腰を下ろした。


「……一瀬さん、ここ、入っちゃダメな場所じゃないんですか?」

「あんまいくねーけど、これ終わらせねぇ限り休みねーから」

「寝て。一瀬さん、寝て!」


 タタタタタンッ、恐ろしい速度でタイピングを始めた一瀬さんが、生返事する。

 ……来る時期、間違えたかも知れない……。タタタタタタタタンッ、音が止まらない。


「……で? 何だ?」

「えっと、……この前のバグで、イフリートが出ました」

「……ああ、あれな。イフリート大量出荷だったみてぇだぜ。何処もかしこも燃え盛りやがって。キャンプファイヤーかよ。川原以外は駄目だって言ってるだろ」

「キャンプファイヤーの威力、激し過ぎません?」


 記憶に新しい、炎を照らす硝子片を思い浮かべる。

 シエルドくんのお気に入りの場所、元通りになるといいな。

 タタタタタタタタンッ、響く音に、意を決して、固く手を握ってから口を開いた。


「……橙色の画面って、ありますか?」

「……は? 橙? ここ、テーマカラーは青だぞ」


 目の前のモニタから一度も目を背けることなく、放たれた一瀬さんの言葉に傷心値が跳ね上がる。

 やっぱりどうしても泣きたくなる心地に、背凭れに頬を押し付けた。回る椅子がくるりと反転する。

 こちらを向いた一瀬さんが、ぎょっとしたように口許を引き攣らせた。


「どうしたよ、お前」


 困惑した様子の一瀬さんに、橙色の画面について話した。


 メインストーリーの一章から、橙色の画面は存在していたこと。

 始めに流れた文字が、『 おはよう わたし の セカイ 』だったこと。

 敵が現れると、気付いている気付いていないに関わらず、警告音を出すこと。

 生命管理と、撤退、戦闘終了のアナウンスをすること。

 気がついたらあって、気がついたらなくなっていること。

 他の人には、どれだけけたたましい音が出ていても、聞こえないこと。


 そしてあの、『みてるよ』


 度々恐怖心がぶり返して、声が震える。

 情けないとは思いつつ、説明を終えると一瀬さんは難しい顔で腕を組んでいた。

 彼の目付きの悪い顔が、こちらを向く。


「今、画面は?」

「出てません」

「なんかあれですねー、ほら、百物語?」


 唐突に降ってきた第三者の声に、ひっ、息を呑む。


 階段の上から降りてきたのは、マグカップの中身をくるくる掻き混ぜている女の人だった。

 緩く波打つ金髪と、ぽってりとしたルージュの引かれた唇。

 胸元が大胆に開いた服は目のやり場に困るもので、妙齢の彼女は一瀬さんと同じく白衣を纏っていた。

 首から下げられたネームプレートが照明を反射する。


「何がだ、平野」

「エスメラルダ~」

「こいつ、平野っていう俺の後輩。こんな見た目してっけど、中身22の男」

「ちょっとー! 運営のマドンナ目指してる俺への、営業妨害なんですけどー!」


 艶やかな太腿を晒し、平野さん? が一瀬さんに食ってかかる。

 ……与えられた情報は端的なものだったはずなのに、何故だろうか。平野さんが一瞬で、魅惑の美女からオネエキャラへと認識が変わってしまった。

 声もちゃんと女性のものなのに。

 マスターと違って顔に見合った声のはずなのに……。おかしいな……。


「で、何がだ、平野」

「エスメラルダ~。まあいいんですけどぉ」


 平野さんが優雅な仕草で脚を組む。

 大胆な胸元と相俟って、22歳の男性だとわかっていても、視覚情報が困ってしまう。そっと視線を俯けた。


「ほらぁ、最近エラー増えてるじゃないですかー。それで、おかしなこといっぱいなんでぇ、外の人たちが怪談作ってるんですよぉ」

「お前、絶対眠いだろ」

「俺、あと点滴二回残ってるんでぇ、先輩よりはマシですー」


 けらけら笑った平野さんが、掻き混ぜていたカップに口をつける。

 あっ。声を上げた彼女(仮定)が苦笑いを浮かべた。


「いっけなーい。これ、お客様用に作ってたのにぃー」

「何でココア。普通、茶だろ」

「あ。そっかー。ごめんねーきみー。作り直すねー」

「い、いえ、お構いなく……」


 立ち上がった平野さんが、再びくるくるカップを混ぜながら階段を上っていく。高いヒールがコツコツ音を立てた。


「怪談なあ……」

「……あの、点滴って、何ですか?」


 気になる用語が多過ぎる。

 情報量が、開示されたものの印象が強過ぎて、どれも気になってしまう。一瀬さんが眠そうに瞬いた。


「ああ、あれな。俺ら基本ここに引きこもってるから、本体が死なねぇように、点滴打つんだよ」

「企業戦士こわい……」

「毎回ってわけじゃねぇぞ? 勤務時間が超過しなければいい話だ。回数も決まってるしな」

「それでもこわい……」

「今回は緊急メンテがあったからな。あれさえなければ、俺も使い切らなかったはずなんだが……」


 今月って、まだ半分あるのに? 一瀬さん、ストック使い切ったの?

 大体自分の身体を本体と称している辺りから、既にこわい……。

 これも怪談のひとつじゃないかな……? 企業戦士こわい……。


「えっとー、一個目はぁー、『プレイヤーのいないキャラクターがいる』でぇー」


 のんびりとした口調で現れた平野さんは、再びカップをくるくる掻き混ぜていた。

 彼女がゆったり語る内容に、すっと体温が下がる。コツコツ、ヒールを鳴らして階段を下りてくる。


 率直に言おう。……俺はこわい話が苦手だ。


「二個目はー、『誰もいないマップ~』、三個目がー……先輩、俺、何で上行ったんでしょう?」

「客人用の茶」

「あー! そうだったー。階段上ってる途中で忘れちゃって~」

「お前の存在が百物語だろ」


 てへ! 笑った平野さんが、持っていたカップに口をつける。

 再び、お客様のだったのにと瞬き、俺へそのマグカップを手渡した。

 ……カップの縁にルージュついているんだけど、これって飲んだらセクハラにならない? でもあの人中身男の人……うん?


「平野、いたいけな少年にセクハラすんな」

「ごめんね~。ちょっと徹夜が響いてるみたい~」

「寝てください企業戦士」


 心配してくれて、ありがと~。にこにこ笑う平野さんが、俺の手から取ったココアに口をつけた。

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