第4話 第一章:チュートリアル

 あさひなさんと街を巡り、その後メインストーリーを受けることにした。


 メインストーリーはひとりでも攻略出来るらしい。

 チュートリアルも兼ねているそうで、仮想空間といえど生死が関わってくるため、運営は安全面から8章までの攻略を推奨しているらしい。

 教習所みたいだな。


 熟練者っぽいあさひなさんを拘束し続けるのも悪いと思い、一度解散することになった。

 あさひなさんは素材を集めに山へ行くとのことで、「中々落ちないんですよねー」と呟き、困ったような顔をしていた。


「今日は一日、ゲーム三昧なんです」

「何か、あさひなさんが言うと、意外な感じしますね」

「そうですか? これでも結構やり込んでいるんですよ?」


 吐息で笑ったあさひなさんが、ふんわり目許を細める。

 ……この美人さん、ストーカー被害とか大丈夫かな? 本人も貢ぎたがりだし、何だかちょっと心配になってきた。


「……俺、あさひなさんのこと守れるように、強くなってきます」

「突然どうしたんですか!?」


 驚いたように目を丸くしたあさひなさんが、あわあわと頬を染める。

 ……いや本当、がんばろう、俺。あさひなさんのこと守ろう。

 さっきちらっと見えた画面に、あさひなさんレベル82とか表示されてたけど。

 このゲーム、レベル上限いくつだっけ?

 この人、こんな見た目でガチプレイヤーなんだな。


 こほん、咳払いした優男が、笑顔を保つ。写真集作ったら絶対売れるわ。


「それでは、8章のお祝いさせてくださいね」

「あさひなさんも、かわいい子見つけたからって、身を滅ぼさないでくださいね」

「うっ、善処します……」


 ぱたぱたと手を振ったあさひなさんが身を翻し、青い光に包まれる。

 エフェクトが消えた頃には、そこに人がいた痕跡は見当たらず、何度となく思ったVRすげー、と感嘆した。


 俺も画面を呼び出し、メインストーリーの欄に触れる。

 足許からふわりと感じた風が頭上へ抜け、気がつけば牧歌的な景色の中にいた。

 電子音を上げて、橙色の画面が開く。


『 おはよう わたし の セカイ 』


 真ん中に現れた文字が、瞬きとともに消える。

 文字スピード速くない? 今の、余所見してたら絶対見逃してたよ?


 呆気に取られた俺を置いて、何事もなかったかのように文字が流れる。


『あなたは今、第一都市ユークレースを目指しています。地図とコンパスを確認してください』


 女性の音声とともに、今度は消えることなく表示されたままの文字に、慌てて青い画面を操作する。

 引っ張り出した地図とコンパスを窺うも、現在地がわからない。

 俺何処にいるの……。しゃがみ込みながら、橙色の画面に従った。


 ガイダンスは現在地の確認の仕方から、地図の拡大縮小、都市や主要箇所に触れれば詳細の表示をするなど、方向音痴に優しい説明をしてくれた。

 更には精神を預かるからか、遭難に備えてか、緊急連絡ボタンなるものが存在している。万が一のために覚えておこう。


 指示に従い、道なりに進んで行く。

 ふと、遠くに何やら黒い影が見えた。

 目をこらしてみると、どうやらそれには首がふたつあるらしい。

 全体的なシルエットは大型犬っぽいが、如何せん尺度がおかしい。


 自動販売機の高さは大体183センチだそうだ。

 それをあの犬の近くに置いてみよう。


 ……うん、確実に自動販売機を上回る。何なの、もののけの住人なの?


 ここまで揃えば初心者の俺でもわかる。ははーん、さてはあれが噂の魔物だな?

 橙色の画面が光り、音声が流れた。


『魔物が出現しました。討伐してください』

「待って待って待って。あれと戦うの? これ、生産系とか、戦闘したくないタイプの人とか、どうしてるの?」

『生産には魔物より採取された素材を用います』

「答えてくれるんだ!?」


 独り言に対して返答した機械的な音声に、驚き橙色の画面を凝視する。

『詳しくは、ヘルプ:ジョブの項目をご覧ください』と書かれていた。

 ついでに『戦闘の仕方』のマニュアルも開いていたが、そんなに大量の文字を読むの? 敵と直面した今ここで?

 そもそも後半の質問に答えてくれなかった時点で、お察しだ。


 改めて魔物を注視する。タテガミがうねうねしており、禍々しい空気に戦慄した。

 ええっ、みんなこれを倒してるの? 初心者に荷が重くない?


 周りを抜けようかと道を逸れるも、流石はチュートリアル。見えない壁に阻まれている。

 渋々支給された剣を抜き、震える手で握った。実感を伴った鈍色の鏡面に、固唾を呑んだ自分の顔が映る。

 想像していたよりも構えた剣は軽かったが、それは補強された身体能力のおかげなのか、それとも物質が補正されているのかはわからなかった。


 ぐっと奥歯を噛み、地面を蹴る。

 現実のマラソンよりも速い速度で視界が流れ、魔物の姿が鮮明になった。

 双頭が咆哮を上げ、しなやかな脚が縮んで伸びる。

 嗅覚を刺激した獣臭さ。遥かに補正された動体視力が、こちらへ踊りかかる巨体を捉える。

 頭上へ振り下ろされた鋭い爪に、闇雲に剣を振った。当たったそれが、二重の悲鳴を上げる。

 遅れて嗅いだ鉄臭さ。初めて何かを刃物で攻撃した感覚に、思わず竦んだ。


 軽やかに地面に着地した魔物が、こちらへ突っ込み大口を開ける。

 並んだ鋭い牙が間近に迫り、恐怖心を抱いた。

 小さく悲鳴を漏らして剣を突き出すも、弾かれたそれが手元から擦り抜け地に落ちる。


 やばい、慌てて地面を蹴るも一足遅く、ふたつ目の頭がぱっくん、俺の腕に噛み付いた。


「――いッ」


 痛みに対して、どのような計算処理がされているのかわからない。

 けれども肉を破る感触も、呼吸を止められる激痛も生々しい。

 振り回された頭に放り投げられ、叩きつけられた身体が擦り切れる痛みを訴えた。

 どくどく脈打つ右腕を押さえ、引き攣る呼吸を飲み込む。

 痛みに霞んだ頭が、チュートリアル激し過ぎない? 苦情を述べた。


『生体反応が弱まっています。至急治療、または撤退してください』


 機械的な音声がぐらつく脳内に響く。

 視界の端で赤く明滅する自分の体力。チュートリアルで死ぬことって、あるんだ? これもペナルティつくのかな?


 引き攣った呼吸がさっきからおかしい。

 泣き声のような呼吸音を漏らす俺の前に、音もなく魔物が立ち塞がった。

 懸命にずり下がろうとするも、もがく踵は雑草を蹴るだけ。

 ふたつの頭が遠吠えを上げ、あんぐり、開かれた大口が我先にとこちらへ向けられる。

 だらりと垂れた舌はぼたぼたと唾液を垂らし、滴る生臭さに「あ、死ぬんだ」呆気なく悟った。


 せめて今より痛くない方がいい。震える身体で固く目を閉じる。

 後であさひなさんへの笑い話にしよう。強張った肺が空気を取り込む。

 ふと、空気に混じったにおいが違うことに気づいた。うっすら、薄目を開ける。


 討伐完了しました。

 討伐完了しました。

 討伐完了しました。

 討伐完了しました。

 討伐完了しました。

 討伐完了しました。

 討伐完了しました。

 討伐完了しました。

 』

「ひっ」


 突然けたたましく鳴り響いた機械音声に、びくりと肩が跳ねる。

 見回した周囲にあの犬の化け物はおらず、代わりに見慣れない何かが複数転がっていた。

 痛む腕を押さえながら立ち上がり、よろめく足でそれへと近付く。

 拾い上げたものは素材らしい。青い画面に、次々と取得したアイテム名が表示される。


「オルトロスの牙……?」


 そういえば、あの魔物の名前、何だっけ?

 そもそも何処に行ってしまったんだろう?

 倒した覚えなんてない。


 周囲を見回す。自分ひとりしかいない。

 画面を確認する。死亡回数はゼロのままだった。

 体力は……赤く明滅している。とっても痛い。


『生体反応が弱まっています。至急治療、またはクエストの撤退を行ってください』


 無機質な声が響く。呆然としたまま、撤退の項目を押した。

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