第3話 幼女の声が低い

「うちのマスターがすみません。ちょっとびっくり箱体質なんです」

「初めて聞きました、その体質」

「ははは! ひでぇな、あさひな」


 膝をバシッと叩きながら笑う仕草がおっさんくさい。ははーん、さてはこの幼女、中身おじさんだな?


 意図しないところで仮想と現実の大幅なずれの洗礼を受け、しょっぱい心地に陥る。

 俺の前にお茶を置いたあさひなさんが、困ったように微笑んだ。幼女の前にもお茶が置かれる。


「それで、初心者の坊主を拐かして、どうするつもりなんだ?」

「人聞きが悪いですよ、マスター。わたしは観光案内をしているだけです」


 銀色のお盆を片手に、腕を組んだあさひなさんが呆れたようにため息をつく。

 深い声で笑った幼女が、悪い悪いとお茶を煽った。

 何だろう、湯飲みのせいかな? 熱燗に見える。


「確かに、この時間は歩き回るのに向いてねぇな」

「サーバー拡張で、一気にユーザー増えましたからね。土日は特に混み合います」

「そうなんですか?」


 全く知らなかった。

 前情報を得てしまうと欲しい思いが加速してしまうため、出来るだけ触れず騒がず近付かずの体制に徹していた。

 おかげで予備知識ゼロのまま飛び込んでしまい、こうして初心者丸出しでガイドさんのお世話になっている。


 窓へ目を向けたあさひなさんと幼女へ疑問を投げかけると、彼等が微苦笑を浮かべた。


「メインストーリーを進めていない初心者さんは、この街以外が解放されていない状態ですから」

「他の街もいいところだぜ。ほらアレだ、……滝のとこ」

「それ、街じゃありませんよ」


 小さく笑みを零したあさひなさんが、こちらへ向き直る。

 あさひなさんの写真集出たら、買うわ。


「メインストーリーは、この画面から受けられます。8章まで進めると大体のものが解放されるので、お勧めですよ」

「わかりました。やってきます!」

「その前にジョブの設定ですね。ユウさんはどれを選ばれますか?」


 あさひなさんの白髪が、さらりと揺れる。むぐっ、俺の喉が詰まった。


「それがその、まだ決められなくって……」


 苦笑いを浮かべて頬を掻く。

 このゲームには様々な職業が存在する。

 剣や魔法を使うものは勿論、銃、斧、槍、弓、挙げると切りがない。


 更には一定条件を満たすと新しいジョブが解放されるらしい。

 自由度の高さが売りだそうだが、余り多過ぎると選ぶのに疲れてしまう。

 攻略サイトくらい見てくれば良かったかな……。あさひなさんを見上げた。


「あさひなさんのジョブは何ですか?」

「今は剣士ですね。ソロで動くのに便利ですよ」

「8章までは剣の方が楽かもな。解放後に転職するのもアリだぜ」

「なるほどー」


 にっと笑った幼女の助言に、ならばその手段で行こうと方針を固める。

 早速メニュー画面を開いた俺に、何か思い至ったのか、あさひなさんが手を叩いた。


 慣れた仕草で画面を立ち上げた彼が、手早く操作を済ませる。

 青い窓が閉じた頃には、一着の衣服と一振りの剣が握られていた。


「ユウさん、お下がりですが、よろしければお使いください」

「ええ!? わ、悪いですよ……!!」


 差し出された一式に、両手とともに首を横に振る。

 にこにこ笑顔のあさひなさんの後ろで、呆れ顔の幼女がニヒルな笑みを浮かべた。


「あー。すまんな、坊主。あさひなの悪い癖だ」

「どんな癖ですか!?」

「かわいい子に貢ぎたい症候群」

「そんな大病を患っていたとは……!!」


 ちょっと、いや、中々の衝撃だった。

 紳士的で誠実の塊っぽいあさひなさんが、悪い人の財布になってしまう……!


 断る俺の隣に、あさひなさんがうきうきと衣装一式を並べていく。

 ど、どうしよう! どうやってお断りしよう!?


「シエルドくん、今テスト期間中なので、つい」

「ははっ、ショタコン」

「美少年愛好家です」

「あさひなさん!? その顔で言っちゃダメだよ!?」

「あっ」


 慌てた様子で口許を押さえたあさひなさんが、茶目っ気のこもった笑みを浮かべる。

 今、星が煌いたエフェクト見えた気がした。きゅるりん、そんな効果音がしそうだ。

 しかし一度出てしまった言葉は取り消せない。

 そんなまさか、美人代表のあさひなさんに、そのような性癖があったとは……。


「大丈夫です。貢ぐだけなので、実害は与えません」

「それってあさひなさんのお財布直撃しない!? 大丈夫!? 俺よりあさひなさん大丈夫!?」

「この服、買ったはいいものの、わたしには可愛すぎますし、シエルドくんのイメージとも違うんですよねー」

「どうしよう、聞いてない! 初対面の人にそれは荷が重過ぎるよ!?」

「偉い、正論」

「あざっす!!」


 バリトンボイスに褒められ、泣きそうな心地でお礼を叫ぶ。

 ぴたりと動きを止めたあさひなさんが、物凄く落ち込んだ顔で服を下ろした。


「……すみませんでした。少し、はしゃぎ過ぎてしまいました」

「何でだろう、良心の呵責が」

「はっはっは」


 憂いを帯びた顔が、静かに長い睫毛を伏せる。そっと仕舞われた衣類一式と、あさひなさんから漂う悲壮な空気。

 ぎりぎり心臓にかかる罪悪感に、胸を押さえた。

 愉快気に笑っていた幼女が、立てた人差し指をくるりと回す。


「あれだ。坊主がこのギルドに加入すればいいんじゃねぇか?」

「それはありがたいですけど……! ですけど……!!」

「うち、脱退は自由な。特に規則はないが、窃盗だとかプレイヤーキルとか犯罪行為はご法度な。楽しく優しく助け合いをモットーにやってんぜ」

「プレイヤーキル……?」

「プレイヤーがプレイヤーを殺害することだ。名前が赤いやつには気をつけな」

「こわっ」


 けらら、笑みを浮かべた幼女が頭上を指差す。

 非表示にしていた名前を表示させると、『骨抜きチキン』と白い半透明の文字が現れた。

 隣を見れば、同じ色彩で『あさひな』と浮かんでいる。

 わかった。赤文字には気をつける。


「デスペナ……死亡者への罰則、代償もあるからな。掲示板とか見て、情報集めるこったな」

「殺された上に罰則かけられるなんて、浮かばれない……」

「一緒にいられたら守ることが出来るのですが……っ、すみません、出過ぎた真似を」

「大丈夫ですあさひなさん! 引いてない! 俺引いてないので!!」


 ソファから立ち上がり、しょんぼりと俯くあさひなさんの腕を揺する。

 はたと瞬いた青い瞳が、やんわり細められた。


「……ありがとうございます」

「ギルマスさん、俺ここのギルドに入ります」

「いいのか? 強制じゃねぇぜ? 山ほどあんだから、ゆっくり選びな」

「いやもう、あさひなさんが死にそうで」


 全体的に色が白いせいで、薄幸そうな美人のあさひなさんが今にも倒れそうな顔している。

 あの枯れ木はわたしなのです、とか言い出しそう。


 ここまで親切にしてもらって、この仕打ち……って、俺悪くないんだけど。

 とにかくあさひなさんに元気になってもらいたかった。


 それに何だかんだ、このギルドのマスターも良い人そうだし。

 他に頼れる人もいないし、もしも詐欺だとしても、運営の場所を教えてもらえたから、そのときはそこへ駆け込もう。


 死んでません、と顔を覆ったあさひなさんの隣で、幼女がにっかり笑う。

 軽快な音とともに画面を呼び出し、俺へ向けて差し出した。


「入会金なし、年会費なし、無料登録出来るぜ」

「お金かかるところ、あるんですか?」

「いんや。あったとしてもアングラだな」

「こわっ」


 青い画面には『ギルド:こたつむり』『マスター:骨抜きチキン』と書かれてあり、先ほど口頭で説明されたような内容が数行に渡って記されていた。

 いや、ネーミングセンス。さっきから思ってたけど、このマスター結構独特な方だな?


「他に聞きたいことはあるか?」

「えーっと、他にメンバーはいますか?」


 気になった疑問を上げる。

 今のところ、この部屋にいるのはマスターとあさひなさんだけのようだ。

 ああ、バリトンボイスが頷く。


「あさひなと、さっき名前の出たシエルド、あと貴重な見た目女子のメイがいる。そんだけだな」

「意外と少ないんですね」

「こたつはこじんまりしてるもんだろ?」


 快活な笑みを見せたマスターに、そんな理論なんだ。夏場名乗るの暑そう。との感想を抱く。

 他の質問を尋ねる見た目幼女へ、首を横に振った。

 あさひなさんが申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「……無理に入らなくて、いいんですよ……?」

「あさひなさんがいるところの方が、心強いので!」

「……ッ」


 一瞬瞳を潤ませたあさひなさんが、ふわりと微笑んだ。

 満開の花畑のエフェクトが見えた気がした。体感温度が麗らかな春の日差しのように感じた。

 ついでにフローラルないいにおいもした気がした。

 すげーな、VR……。


「じゃ、まあ、サイン頼むわ」

「あ、はい」


 触れた画面がポン、音を立て、自動的に名前とIDが登録される。

 すごい、ハイテクだ。

 現実もこのくらい便利になって欲しい。特にテストの答案用紙の名前部分。


 うし、バリトンボイスが画面を閉じ、改めてこちらへ手を差し出した。


「これからよろしくな、ユウ」

「こちらこそ、お世話になります」


 握った手のひらは小さくて柔らかく、見た目幼女が全力で感覚を狂わせにかかってきた。

 あさひなさんとも握手した。

 ふわっふわの微笑みは、俺が女の子だったら何度目かわからない恋に落ちてたと思う。

 本当罪深いな、この人……。


 あさひなさんお勧めの服については、「入社祝い」と押してきた彼に対して、俺が8章クリアしたときのお祝いにしてくださいと申し出た。

 渋々頷いたあさひなさんは、実は孫にお小遣いをあげたい世代だったりするのか?

 VRってわかんないな……。

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