第5話 あっさり死にかけました

「ユウさん!!」


 自動開閉するスライド式の扉を無理矢理押しのけ、あさひなさんが駆け込む。

 焦った顔も美しいのか。本当罪深いな、この人。

 運営の治療部のお姉さんが、ほうとため息ついてるよ。


「お怪我をされたと聞きました。大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫です! 治してもらったので!」


 保健室にあるような丸椅子に座った俺の前で膝をつき、あさひなさんが心配そうにぺたぺたと俺の身体に触れる。

 全回復かけてもらったから大丈夫! 大分瀕死状態だったけど、すっかり元気になったから大丈夫!!


 あの後撤退した俺は、血だらけのまま街の真ん中に放り出され、崩れ落ちた体勢のまましばらく放心していたらしい。

 道行く親切な人が助けてくれた。


 レベル1の初心者が瀕死状態に陥ることなんて、滅多にない。

 呼びかけに対してもうわ言のように「おおきないぬ」としか答えない。

 これは緊急事態だと担ぎ込まれた先が、運営の窓口だった。

 まさかこんなに早くに運営のお世話になるなんて、思ってもみなかった。


 幸いなことに、俺はギルドに所属していたため、マスターへも連絡が入れられた。

 俺が治療を受けている間、別室でお話されているらしい。

 初日からご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません……!!


 あさひなさんが手を下ろし、深々と詰めた息を吐き出す。

 眉尻を下げた彼は、見ているこちらの方が心を痛める顔をしていた。


「ご無事でよかった……」

「ほんっとごめんなさい……!!」


 切なげに囁かれ、良心がぎりぎり音を立てる。

 大事になってしまってすみません! まさか気軽に受けたチュートリアルで、こんなことになるなんて思いもしなかったんです!


 泣きそうな心地で狼狽えていると、軽い音を立てた扉が開き、マスターと職員さんが顔を出した。


「ユウ、大丈夫か? 災難だったな」

「すみません、マスター……」


 片手を上げた見た目幼女が、中々におっさんくさい歩き方でこちらへ来る。

 何だか気の抜けるそれに、しみじみと生きている実感を抱いてしまった。

 腕を組んだマスターが、ふるふる首を横に振る。


「さっき運営とお前のデータを開示させてもらったんだが、なんつーか、バグらしい」

「はあ……」


 ネームプレートを下げた職員のお兄さんが、申し訳ございません、頭を下げる。

 正直上手く昇華出来ない事態に、慌てて左右に首を振った。


 確かにバグっぽかった。でも、何処からバグだったのだろう?

 地図のくだりは普通に思えた。

 困惑する俺に、職員さんが硝子の板のような端末を開く。


「本来あの場所にいるのは、ピヨピヨと呼ばれる小さな魔物でした」

「なにそれめっちゃかわいい。えっ、犬じゃないんですか?」

「……オルトロスと対抗する適正レベルは、60とされています」

「誰オルトロス」


 専門用語の飛び交う会話に、即座に根を上げる。

 立ち上がったあさひなさんは険しい顔をしており、職員さんに差し出された端末を一緒に覗き込んだ。

 映っていたのは俺が遭遇した双頭の大きな犬で、下部に『オルトロス』と表示されていた。

 あ、ふー……ん、縋る思いで職員さんを見上げる。


「……ちなみに、ピヨピヨは?」

「これです」

「うわっかわいい! ぬいぐるみ出たら買うわ! どうやったらこのモコモコがあの犬に進化するの? 明らかに種族違いませんか?」


 映し出された黄色いふわふわの一頭身に、俺が出会った犬との絶望的な差を思い知らされる。

 何これ? 正気度試されてるの?


「何故このようなことが?」


 硬い声であさひなさんが尋ねる。職員さんが静かに首を横に振った。


「わかりません。テストプレイは何度も行いました。ですが、これまでこのようなエラーは発見されなかったので」

「ユウが第一号か。そりゃすげぇなあ」

「笑い事ではありませんよ、マスター!」


 怒った声であさひなさんがマスターを睨みつける。

 両手を上げた幼女が、話を職員さんへ戻した。


「ですので、何が起こったのか聞き取りを行いたいのですが、お時間よろしいでしょうか?」

「あ、はい」


 流れるような問いかけに、頷くことしか出来ない。

 俺は楽しくゲームをやりたかっただけなのに、何でこんな面倒なことに巻き込まれてるんだろう?

 いや、それよりも、俺のせいでマスターとあさひなさんまで巻き込んでしまっている。

 申し訳なさから、二人に頭を下げた。


「おかしなことになってしまって、すみません……。後は何とかしときますので、お二人は戻ってもらって……」

「いいえ! ユウさんの一大事なので、わたしも立ち会います!」

「詳しく知っといた方が、何かと得だからな」


 断固として譲らない態度のあさひなさんと、へらりと笑う幼女に、目頭が熱くなる。

 初日から大変な目に遭ってるけど、心優しい人達に恵まれた……!


 職員さんに促され、別室へ移動する。

 会社でいうところの応接室だろうか? 示されるままグレーのソファに腰を下ろす。

 職員さんが首から提げた名札から名刺を取り出した。


「申し遅れました。技術部の一瀬と申します」

「えっと……ユウです」


 ぺこりと頭を下げ、名刺を受け取る。

 透明のカードには、社名と連絡先と一瀬さんの名前が記載されていた。

 一瀬さんの黒い髪が揺れる。


「早速ですが、お聞かせ願えますか」


 運ばれた湯飲みの水面を見詰めながら、クエスト開始時から地図の件、大きな犬との遭遇の内容を語っていく。

 あのとき、痛みで大分意識が朦朧としていたから、おかしな部分もあるだろう……いや、おかしなところしかないんだけど!


 何処に消えたの、あの大きな犬!? 消失マジック!?


「……で、落ちていた素材がこれらです」

「オルトロスの平均的なドロップアイテムですね」


 一瀬さんとマスターが顎に手を添え、机に広げたアイテムを見下ろす。

 終始険しい顔をしているあさひなさんが口を開いた。


「ナビゲーターの動作に異常はありませんか?」

「検知しましたが、異常は見当たりませんでした」

「その割りに、めっちゃくっちゃびびらせ効果働きましたけど……」


 突然鳴り響いたアナウンスの脅威を俺は忘れない。あれはトドメだったと思う。

 アイテムの検品を終えた一瀬さんが、静かにため息をついた。


「ご協力ありがとうございます。このことは本部に持ち帰り、早急に検討したいと思います」

「よろしくお願いします」


 何度下げたかわからない頭を下げ、いそいそと席を立つ。広げたままのアイテムに、一瀬さんがきょとんと瞬いた。


「……持って帰らないんですか?」

「いえ、……なんか、状況が状況なので、その、フェティッシュめいていて」

「……こちらでお預かりします」


 口許を引き攣らせた一瀬さんが、丁重な仕草でクリアケースにアイテムを詰めた。






 運営の支部を出ると、空は茜色を差していて、一日が終わることに絶望した。

 何度も謝る俺の頭をあさひなさんが撫で、マスターが思い出したように手を叩いた。


「今回の詫び金だってよ。あとこれ、お守り」

「お守り……?」

「課金アイテムなんだが、一回は死亡から守ってくれるアレだ。身に付けとけ」


 手のひらに落とされた、神社などでよく見かける小さな小袋に、こういういところは和風なんだと感慨を抱く。

 ポケットに突っ込んだそれに、あさひなさんが反応した。


「わたしも、何かお守りアイテム贈ります」

「いいですよ!?」

「だってこのままでは、ユウさんがゲームしてくれなくなってしまいます……。それは困ります……」


 寂しげに睫毛を伏せる美人が、斜陽に照らされる。

 俺が女の子なら間違いなく恋に落ちていたシチュエーションに、咳払いしてあさひなさんの袖を引っ張った。

 向けられた潤んだ瞳に、罪深い……励ますように笑みを浮かべる。


「このくらいでやめませんよ~! ゲーム代もったいないので!」

「ユウさん……」

「はははっ、程々にな?」


 俺の背中を叩いた幼女がにっかり笑い、あさひなさんが俺の手を掴んでふるふる俯く。

 ぱっと顔を上げた彼の顔には、決意が見て取れた。


「わかりました。今後はユウさんのクエストに、同行させていただきます!」

「待ってSP」

「そもそもあそこで別れたのがいけなかったんです! 以降、このような過ちは決して繰り返しません!」

「大丈夫! 大丈夫だよあさひなさん!! 過保護になりすぎてる!!」


 俺のつっこみを置いて、安らぎに満ちた微笑みを浮かべるあさひなさんが、「まずはお守りですねー」繋いだ手を引く。

 後ろに続くマスターが、呆れた顔で笑った。


「まあ、俺も支援してやる。困ったことがあったら、頼ってくれ」

「あざっす……」


 男前なマスターの言葉に、まずはあさひなさんの暴走をやんわりと止めたいとお願いしたが、あっさりと断られた。

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