第13話 言えない五文字
一瀬さんから、橙色の画面の検証を行うため、仕事が片付き次第連絡を入れると告げられた。
大丈夫かな、企業戦士を酷使させて……。
連絡を待つ間、久しぶりに感じられるギルドまでの道のりを辿る。
煤けた階段を上り、開いた扉が蝶番の音を立てた。
「こんばん――……」
「ユウさん!!」
五文字の挨拶を言い切る前に、黒い衣服に視界を覆われる。
ぎゅうぎゅう抱き締められる身体に、状況が飲み込めないまま、ひたすらあわあわと狼狽えた。な、何事!?
これまで生きてきた中で、こんなに熱烈な抱擁をされたことなんてない。
母親を除いた、所謂ファーストハグだ。
動揺と混乱と、もう何か色々と心臓が飛び跳ねて苦しい……!
火照った頬を持て余し、酸欠状態から相手の背中を叩く。
僅かに生まれた隙間に息を継ぎ、肩に零れた髪に瞬いた。
光を弾く白髪はあさひなさんのもので、見上げた彼の目には涙の膜が張られていた。つ、罪深い……!!
「もう、お会い出来ないかと、思っていました……」
「わ、わあ! すみません! まだやめませんから!」
再び抱き竦められ、益々頬が火照る。
この美人、色々と凶器なんですけど……!!
おかしいな、相手はお兄さんのはずなのに、やたらめったら恥ずかしいぞ!?
「よお、ユウ。久しぶりだな」
「久しぶり。あさひなじゃないけど、ぼくも心配したよ」
「ご心配……っ、おかけ、しました……!」
苦しい体勢で、マスターとシエルドくんに挨拶する。
ふたりはこの様子に慣れっこなのか、止めることなくにこにこしていた。価値観の差かな!?
背中に回された腕が身体を掻き抱き、俺の踵が若干浮く。
背がしなる。しなるから、あさひなさん! 何だろう、この美人!
すごくいいにおいするし、触れる髪の毛くすぐったいし、見た目細身なのに!
何で全く拘束抜けられないのかな!? 身動ぎすら封鎖されるって、どういうこと!?
これがゴリゴリの前衛の本気かな!?
「……も、……くるし、」
「わ、わあっ! すみません、ユウさん!!」
俺の発したギブアップ宣言に、我に返ったあさひなさんが拘束を解く。
元に戻せた姿勢と、地に着いた踵。圧迫されていた呼吸が咳き込んだ。
げほごほする背を、耳まで真っ赤に染まったあさひなさんが擦る。
謝罪を繰り返す彼の後ろで、にやにや笑う幼女が口許でスルメを遊ばせていた。
「ついにユウも受けたな。あさひなの洗礼」
「げほっ、せ、洗礼?」
「や、やめてください、マスター!」
益々頬を染めたあさひなさんが、俺の耳を両手で塞ぎ出す。
そんなに聞かれては不味いものなんですか、あさひなさん!?
けたけた笑うマスターの向こうで、優雅にお茶を飲んでいたシエルドくんが、あっさりと口を開いた。
「……懐かしいなあ。ぼくもテスト期間で不在にしてたら、帰ってきたときにそれされた」
「シエルドくん……!?」
「ユウも、テストとかバイトとか、あらかじめわかってるものは伝えてた方がいいよ。あさひな、心配性だから」
「な、なるほど~?」
白い肌をこれ以上ないほど赤く染めたあさひなさんが、両手で顔を覆う。
解放された聴覚でシエルドくんの助言に相槌を打ち、そろそろと黒い衣服を引っ張った。
微かな声が頭上から零れる。
「すみません……。ユウさんの別れ際が別れ際だったので、わたし、気が気でなくて……」
「えっと、……その、すみません。こんなに気にかけてもらえて、……嬉しいです。ありがとうございます」
おずおずと手を下ろしたあさひなさんが、染まった頬のまま微笑んだ。
白い睫毛に絡んだ涙に光が透ける。ふわりと感じた陽光と光に満ちた花畑の幻覚が見えた。
俺が女の子だったら改めて恋に落ちていただろう。あさひなさんの相変わらずな罪深さを感じた。
「具合は、如何ですか……?」
「あーその、風邪とかじゃないんですよ。バイトとか用事が被って」
「いえ、その……、落ち込まれていたので」
言い難そうなあさひなさんの言葉に、事前に落ち込んでいた俺の心が再び沈む。
同時に脳裏を駆けた、平野さんの発した怪談話。
マスターとシエルドくんも気にかける中、苦笑を浮かべて頬を掻いた。
「ここへ来る前に、運営に寄ってきたので、一瀬さんと検証に行くことになりました」
「いちのせ? ……ああ、オルトロスんときの職員か」
マスターが顎に手を添え頷く。シエルドくんは確か会っていないはずなので、不思議そうな顔をしていた。
あさひなさんの表情が、すっと無になる。
「……黒髪の、背の高い方ですか?」
「多分その人です。何か……寝てない感じの」
「わたしも行きます」
「はい?」
見上げたあさひなさんの顔にはいつもの穏やかさがなく、何処か険を帯びていた。
初めて目の当たりにした表情に、ひくりと肩が竦む。
頬杖をついたシエルドくんが、やんわりとした笑みを浮かべた。
「ぼくも行っていい? 近くにいたのに気付かないの、不思議だし」
「俺も俺も~! 検証現場って滅多に立ち会えないだろ? みてみたーい」
「マスター、バリトンボイスでかわいこぶっても、コアなファンしか喜ばないよ?」
「ひでぇ」
おっさんくさく笑うマスターが、バシバシ背凭れを叩く。
揺れる金髪のツーテイルが、ちょっとした視覚の事故に感じられた。
続々と結成されつつある検証ツアーに、一瀬さんを思い浮かべて不安になる。
大所帯で押しかけたら、一瀬さん困らないかなあ……? 大丈夫かなあ……?
困惑に眉尻を下げる俺の手を、あさひなさんが取った。こちらを覗き込む顔は真摯で、思わず息を呑む。
「ユウさんの身にもしものことがあれば、わたしは悔やみ続けることでしょう」
「そんな大袈裟な……!」
「そしてその職員のことを、心の底から恨むことでしょう」
「同行者が出来たことを、一瀬さんに伝えたいと思います!」
据わった目のあさひなさんに、ころっと手のひらを返す。
彼をプレイヤーキラーにしないためにも、ここは穏便にお願いしよう!
かかってきた一瀬さんからの通信に件のことを伝えれば、眠そうな声で「ん」とだけ告げられた。
いいの? これは了承の言葉なの?
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