第34話 手土産はフラグ

 空が高い。時計塔の周りには雑多に人がいて、大変な混雑を見せていた。

 電光の掲示板をさらっと流し読みし、大通りの方へと脚を向ける。

 賑わう街路は楽しげで、はじめてあさひなさんに案内された日を思い出した。


 今日は曜日が違うから、ハロさんはいない。


 路地へ入って、煤けた階段に爪先を乗せる。軽快に階段を駆け上った。

 ……今日は洗濯が長引いちゃったから、ログインするのが遅れちゃった。

 ドアノブを掴んで、扉を開く。蝶番の音が軋んだ。


「こんにちはー」

「ユウさん、お待ちしていました」


 ひょこりと顔を覗かせ、ナチュラルホワイトな内装の室内を一望する。

 本棚の前にいたあさひなさんが、眩しいくらいに微笑んだ。写真集作る……。


 ソファに座って大口でたい焼きを頬張っていた見た目幼女が、口の周りにあんこをつけながら片手を上げた。

 もごもご、多分挨拶しているんだと思う。


「あ、ユウ。今日は遅かったね?」

「聞いて。色柄ものと白いの一緒に洗濯しちゃってさ……!」

「ユウの悩みが、所帯めいている……」


 アリスブルーの扉から現れたシエルドくんが、苦笑を浮かべる。

 彼は両手でマグカップを抱えており、珈琲のにおいをさせていた。


「あー、俺もたまにやるわ。新品の黒い服と白シャツとか」

「わかります! 何か赤茶色になるんですよね!」

「マスターも洗濯するんだね」

「マスターも服着るからな」

「……そうだね」


 ふふん、得意気に口角を上げるマスターへ、ソファに座ったシエルドくんが複雑そうな顔をする。

 言いたかった言葉はそれじゃない。彼の顔はそう物語っていた。


 柔和な笑顔で、あさひなさんがこちらへ窺う。傾いだ首に合わせて、白髪がさらりと揺れた。


「洗濯物は大丈夫でしたか?」

「いえ……、ごめんなさいします」

「そうですか……」


 苦笑いを向けると、残念そうな顔で相槌が打たれた。

 母さん、ごめん。ブラウスうっすいピンクになっちゃった……。



 今現在、とても平穏を享受している。

 ログアウト出来ないあの騒動から、しばらく経った。

 大型緊急メンテと呼ばれたそれは丸三日かかり、メンテ明けの土曜日は大変な混雑と騒ぎを見せたらしい。

 お詫びのナントカとかがいっぱい配布された。


 何でも、急遽これまで使用していた第5サーバーから、新設の第9サーバーへ移転したそうだ。

 大掛かりな引越し作業のため、益々メンテナンスが長引いたそうだ。


 正直、あの日一瀬さんと話していたあのあと、何が起こったのかよく覚えていない。

 プロテクト機能だという橙色の画面がずっとうるさくて、ひたすら耳を塞いでいた。


 こわくて、頭が痛くて、途中から目を開けるのもつらかったから、だいぶん意識が朦朧としていたと思う。

 気がついたら自室で泣きじゃくっていたのだから、驚いた。


 更には何でかそうたくんと電話していて、正気に戻ってから何度も彼に謝った。

 そのまま何でかごはんの話になって、今度の休みの日にそうたくんにお昼ごはんを作る約束をしたんだ。

 何を作ろうか尋ねても、「なんでもいい」と返されて困っている。その返答が一番困るんだよ、そうたくん……。


 第9サーバーに移ってからは、あの橙色の画面も見ていないし、朔月さくげつさんのそっくりさんも見かけない。

 イフリートが大量出荷することもなければ、突然おかしなスキルが舞い降りて、妙なことを仕出かすこともなくなった。


 すっごく平和だ。さよなら、スリリングな毎日! 平穏って素晴らしい!!



「邪魔するぜ」


 蝶番が音を立て、黒髪に白衣の青年を招き入れた。

 一瀬さんの片手にある茶封筒に、開放感に弾んでいた俺の心が急速にしぼんだのがわかった。

 あさひなさんが胡乱の目を向ける。


「せめてノックしてもらえませんか?」

「悪いな。急用だ」

「おう、一瀬じゃねぇか。どうした?」


 口許のあんこを拭った幼女の前までつかつかと進み、一瀬さんが角2サイズの茶封筒から何やら用紙を引き摺り出す。

 ぴん、音を立てたそれがマスターの前に翳された。幼女の小さな手が、それを受け取る。


「第5サーバーの調査に協力してもらいたい」

「報酬次第だなあ」

「またですか……?」


 げんなりと顔を顰めたあさひなさんが、俺を背に庇う。

 マスターとともに資料を読んだシエルドくんが、「あかい町、まだ見つからないんだ?」呟いた。

 その一言に俺の心は死んだ。朔月さんのそっくりさんを生み出した、あのいわくの土地だ!


 一瀬さんたちは、旧サーバーである第5サーバーに潜む、『 nil 』という存在を探している。

 話を聞く限り、俺やハロさんが出会った、朔月さんのそっくりさんのことらしい。

 読み方は、ニル、だそうだ。


『 nil 』は過去に破棄された自立修復プログラムらしく、損傷しても自力で修復出来てしまう機能がついているとのこと。

 何それ無敵……。いやだ、こわい……。


 元々損傷したプログラムを、自動で復旧させることを目的としたプログラムだったらしい。

 テストプレイで上手く作動しなかったから、破棄されたそうだが……すごく元気に闊歩しているね……?


 その『 nil 』が生まれた『あかい町』を調査したいそうで、何度も第5サーバーに干渉しているらしい。

 一瀬さんは度々口を滑らせて、「殲滅」とか「焼き討ち」とか言っているのでこわい。


「俺もさっさと焼き討……調査したいんだがな、どうも先方に嫌われちまったみたいでな」

「何仕出かしたの、一瀬さん……」

「ゴミ箱からの成り上がりのチート野郎のくせに、メンタル朧豆腐でな」

「何したの、一瀬さん!?」

「俺が行くと、怪奇現象さっぱり起きないんだわ」

「何したらそこまで嫌われるの!?」


 いやー、参ったな。ため息をつく一瀬さんへ、あさひなさんが冷めた目を向ける。

 温和な笑顔が印象的なだけあり、こういうときのあさひなさんは迫力がある……。美人の威力こわい……。


「協力でしたら任意ですよね。お断りさせていただきます。ユウさんをそう何度も危険に晒すことなど出来ません」

「あさひなさん……っ」


 断固としたあさひなさんの態度に、うるりと涙腺が緩んだ。

 俺が女の子だったら間違いなく恋に落ちていただろう、あさひなさんの凛々しい姿にきゅんとする。


 実はこの調査協力、既に何度か持ち込まれていたりする。

 なので俺は一瀬さんが茶封筒を持って現れたら、とっても警戒するようになった。

 一瀬さん単品だけならすきだ。お菓子の箱のときも警戒する。

 一瀬さんには手ぶらで現れてほしい。一瀬さんだけなら、手放しで喜べる。


 何故ここまで嫌がるようになってしまったのかについては、ちゃんと事情がある。


 不本意ながら、『 nil 』もこわがる人を驚かせる方が楽しいらしい。

 すっごく迷惑なことに、俺がいると異常事態に遭遇しやすい。

 考えたら、これまでのエラー騒動も、俺と朔月さんくらいしか、こわい体験をしていない。

 朔月さんが一番のレジェンドだと思っているけど……。彼女は所属ギルドが異なるので、協力をお願いに行けないんだ……。


 更に残念なことに、第9サーバーではさよならしているあのプロテクト機能の橙色の画面が、第5サーバーでは復活する。実質無敵だ。

 ダメージを食らったら痛いし苦しいけど、死ぬことはない。

 未だに警告音が心臓を震わせるけれど、俺にとっては諸刃の刃だけど! 第5サーバー内において、俺は死ぬことはない。


 そんな諸々の事情が重なり、検証と調査を確実のものとするため、俺の稼働率が高いんだ。つらい、泣きそう……。


 でも、一瀬さんも平野さんも困ってると聞いたら、ちょっとこわいくらい耐えようと思ってしまうんだ。

 それにほとんどいつもあさひなさんが同行してくれるし、あさひなさんが殲滅してくれるし、正直にいうと俺、本当に突っ立っているだけ……。

 こういう役立たずなところも、総じてつらい!!



 がさり、手許の茶封筒を鳴らした一瀬さんが、何かのカタログを引き抜く。

 警戒するあさひなさんへ無造作に差し出した彼が、口角を持ち上げた。


「ひとつまで」

「ッ!! 限定衣装一覧……!!」


 はっと表情を変えたあさひなさんが、慎重な手付きで冊子を受け取った。

 真剣そうな面持ちに、彼が陥落させられたことを悟る。

 ……あさひなさん、コスチュームコレクターだもんね……重課金プレイヤーだもんね……!


 静かに落とした肩を、シエルドくんに叩かれた。

 そっと首が横に振られる。彼の顔も諦め切ったものだった。

 ……うん。あさひなさんの悪癖だもんね。隙あらば、俺とシエルドくんを着せ替え人形にしようとするもんね……。


「……もう一声」

「ふたつまで」

「迷いますね……。この頃は暗黒時代にいたので、入手出来なかったものが多いんですよね。惜しいことをしましたッ。どうして再販してくれないのでしょう……!!」

「うちの売りは一期一会だからな」


 悔しげなあさひなさんに、ははん、笑う一瀬さんは皮肉気だった。

 俺は詳しくないが、どうやらこのゲーム、大変凝った衣装が販売されるも、そのほとんどが再販されないらしい。


 ぱたん、冊子を閉じたあさひなさんが、涼しい顔で咳払いする。その顔がマスターへ向けられた。


「お話を伺ってもよろしいでしょうか、マスター」

「報酬次第だからな。ユウがいいなら、いいんじゃねぇか?」


 マスターに、な? と問われて口篭る。

 縋るような眼差しのあさひなさんと、真摯な表情の一瀬さんに、喉の奥が苦しみの声を上げた。


「……こわくないですか?」

「わたしが必ずお守りいたします」

「別にこわいことは何もないぜ? ただ元々いた第5サーバーを歩くだけだ」

「誰もいない時点でこわいのにぃ……っ」


 しょんぼり肩を落とす。

「いいですよ……」搾り出した声に、あさひなさんの表情がぱああっと輝き、一瀬さんがあくどい笑顔で拳を突き上げた。ガッツポーズだ。


「ありがとうございます! ユウさん!!」

「うん……今回も足手纏いになります……」

「いや、お前がいるのといないのとでは、雲泥の差だからな! 助かる!」

「つらい……」

「怪奇現象にまで好かれるユウって、本当にすごいよね」

「とどめを刺さないで、シエルドくん……」


 両手で顔を覆ってぐすぐす泣く。

 強くなろう。もっとレベル上げて強くなろう。

 こわい耐性が上がるとは思えないけど、せめて足手纏いにならない程度には強くなろう……。

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