カノア 002

 <日本語解放戦線>の秘密基地にも同じ通信が入ったらしい。

 慌ただしくホロ・パックスからメンバーが駆け出してきて、ヘリポートにもなる円形の広場へ急行する。

 あたしもそちらへ足を向けることにした。

 死ぬときは一緒に死んでおきたい。

 この状況で着陸しようというのは例のテロリスト集団以外に考えられなかったし、許可を求めるのはグロテスクな遊びじゃないかとあたしは勘ぐった。

 それにあたしは、このチームでいちばんネットワークの世界に通じている。

「ロコ、逃げた方がいいわ」

「雷/逃げる/ない」

 雨と雷の間に、ローターの音が混じり始めた。

 単独みたいだけど<日本語解放戦線>を壊滅させるには武装ヘリ一機でじゅうぶんかも。

「逃げて」

 あたしは念押しして、走り出した。

 少数言語排斥派の仕業だったらレ・オロ語も標的になりうる。

 途中で、

【着陸許可を求める。ゾーイ・ユーラノートがここにいる】

 という音声が聞こえた。

 上手い、とあたしは歯噛みする。

 これであたしたちは秘蔵のロケットランチャーを撃てなくなった。

 計器をジャミングして地面にキスさせる作戦もパス。

 殿下の命を繋ぐ望みが髪の毛一本分でもあるうちは、ヘリの扉が開いてテロリストどもが完全に包囲展開したとしても無抵抗になっちゃうってこと。

 降下体制に入ったヘリが、黒雲を割って姿を現した。

 サーチライトに照らされてびしゃびしゃの広場が水鏡になる。

 あたしは、そのヘリの姿に違和感を覚えた。

 <日本語解放戦線>にとどめを刺しに来たというには、いささかヨレヨレに見える。

 お腹に抱えているはずのミサイルもなければ、機関銃は黒焦げ。

 あたしは広場を取り囲んだ<日本語解放戦線>のメンバーのひとりに近づいて、大声で言う。

「ロジャー、どうするの」

「どうするもこうするも着陸を待つしかない」

 つなぎ姿のロジャーは拳銃を右手にぶら下げて渋面を作った。

 殿下が降りて来るかもしれないのに銃を構えて待つなんて不敬はできない、ってロジャーの表情は物語っている。

 そういう一本気なところに、彼のリーダーシップの神髄があった。

 あたしも彼のそういう気性が好き。

 余談だけどね。

 あたしよりちょっとだけ小さくて、全身が筋肉で出来てるみたいなロジャーは、腕組みするとごっつい岩から削り出したって言っても大げさじゃないシルエットだ。

「こっちから探るのは?」

「落とさない程度にやるならな」

 あと不敬なことをしないならな、とロジャーは言外に語っている。

 何歩か後ろに下がって、ホロ・パックスの壁にもたれた。

 こうしないと、今からあたしが試みようとしていることの代償に、衝撃で倒れることがある。

 あたしは頭部インプラントの外部スイッチを入れて――つまり本気モードでヘリの操作中枢系に侵入を試みた。

 外部スイッチをひねれば遠隔ジャミング用の電波が相手に撃ち込まれる。

 インプラントに五感をあずけると、あたしの眼前に仮想現実VRが展開された。

 この仮想現実VRが描くのはネットワークを可視化した世界。

 テトラブランドのロゴマークが眼前に閃いたらゲームスタート。

 あたしは燃え盛る侵入阻止障壁グレートファイアウォールをひょいと飛び越えた。

 いつの間にかあたしの体はお気に入りのムーンジャガーのアバターに変身している。

 ムーンジャガーはレイニーの密林にいた勇敢な肉食獣で、桜宮殿下を大鉱山の鉱床に導いた、という。

 鉱成雨が降るまでは、彼らは密林の王として毎夜高らかに遠吠えしていたらしい。

 それもまた失われた言語のひとつ。

 ユーラノート殿下を救いに行くには最適なアバターだ。

 あたしの四本の脚がしなやかに駆動し、起動した侵入対策プログラムトルーパーを蹴り飛ばして、仮想現実VRの中心に輝くきらきらした光の渦に向かって矢のように進む。

 ひと呼吸ひと呼吸のうちに、あたしのインプラントにはこのヘリの内部の情報が流れ込んでいた。

 それに伴って、周囲の情報が再マッピングされる。

 ここまで一秒半。

 いつの間にか空間はみっしりとパイプ――情報経路の詰まった小部屋になった。

 今のあたしは、どのパイプから下がったどのバルブを捻れば求めている情報につながるのか直感的に分かっている。

 こういうレトロな外見があたしは好き。

 あたしは、天井から毒花みたいに生えた緑色のバルブを前足で叩いた。

 きゅうと音を立ててバルブが回り、噴き出した蒸気と同じ粒子に分解されたあたしは、渦に乗って細い情報経路を手繰り、ヘリ内部のマッピングを完了。

 ここまで実質時間では三秒。

 引き延ばされたデジタル上の感覚では数分が過ぎているように感じる。

 あたしは丸裸にされたヘリの状態の悪さに驚いた。

 姿勢維持プログラムはエラーだらけ、でもそれを修正するプログラムが死んでいる。

 新たな定義空間ステージに辿り着くとムーンジャガーとしてのアバターを再構築した。

 あたしのアバターは運転用の単純なプログラムに尻尾を突っ込んで撹乱し着陸を引き延ばす一方、内向きのドライブレコーダー(乗務員がアホなことしないか監視する用)と眼球の神経を接続する。

 殿下が運転補助席に座っているのが見えた。

 まるで自分の頭がドライブレコーダー代わりに据え付けられてるみたい。

 わかるかぎり、殿下はお疲れのご様子だったけれど大怪我はしてらっしゃらないようだ。

 他の乗務員にも目を向ける。

 殿下は人質になっているのか、それとも救出されたのか?

 それを調べるのがあたしの役目。

 ぐるりと視線を回すともう片方の助手席に座っている男の顔が見える。

 あたしは、ムーンジャガーの頭を振りたてて吼えた。

 派手な音量のビープ音になって機体の内部に流れたと思う。

 興奮があたしのアバターをノイズ化している。

 だって、だって、そこにいるんだよ!

 この夏あたしたちレイニーの女の子も男の子も残さず虜にしちゃった私たちの本当の王子様、<雨降り星のキティー>が!

 うそでしょ、ちょっと!

 キティーが主演した『流星雨』はレイニーで興行収入歴代一位、汎銀河系全体でも夏季の没入現実映画ヴィジョンランキングで三位に入ってた。

 レイニーのフィルムメーカーの映画が汎銀河系のランキングに入るなんて十数年ぶりで、その時は<桜の大乱>のドキュメンタリーだったって言うんだから、エンタメ系フィクション映画では史上初。

 それで彼の名前には「雨降り星のレイニー」って冠がついたんだ。

 それくらいすごい映画の、主演男優がここにいる。

 あたしはこんなことしてる余裕はないのにと思いつつもズームアップした。

『流星雨』での彼の役回りは、彼の半生そのもの、スラムからのし上がった青年。

 目を閉じて椅子にもたれかかるキティーの姿は没入現実映画ヴィジョンそのままで、整形も特殊なメイクも薬品処理もしてないって映画監督が胸を張ったその肌のつやが見えるところまであたしは近づいて、

「ひあああああああああ!」

 あたしは、悲鳴なのか狂喜乱舞なのか自分にも分からない音波を生成する。

 寝てたはずのキティーがぱっちりと目を開けて、殺気の塊みたいな瞳であたしの顔を射止めたから。

 今のあたしは仮想的なデジタルノイズで、彼に感知できるはずなんてないのに。

 何て神秘的。

 これがスラム生まれの第六感!

 ってあたしが大興奮の絶頂に達したとき、アバター越しに鳥肌が立つ。

「小娘、楽しんだか?」

 どすん。

 その声と共に、あたしのアバターが粉々に砕け散った。

 眼球だけシャットダウンをまぬがれて宙ぶらりんな状態でカメラ映像をあたしの脳に送り続ける。

 視界はバウンドしつつ操縦席の男を捉えた。

 金髪、白い肌、整った顔、真っ赤な目。

 げげ、このヘリの中イケメンだらけじゃん、とあたしは感動する。

 ただし、その感動がピュアなまま持続したのは操縦席の男の姿が蛇のようなシルエットに変形し、あたしの眼球神経接続を美味しそうにコリコリと咀嚼するまでだったけど。

「げえっ!」

 と、むせかえりながらあたしは仮想現実から肉体のある現実へ引き戻された。

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