八十階 001

 このホテルはどこもかしこも磨き抜かれて、生身の従業員がたくさん働いている。

 やつらの制服にはシワがひとつもないみたいだ。

 それに玄関ホールからは風が入ってくる。

 光と風だ。

 レイニーじゃこんなの絶対にない。

 キャピタルシティの空気は、ジンコウロカされてるんだって聞いた。

 ここのは「テンネン」だろう。

 オレはカンドウしたが、あんまり顔に出さないようにした。

 前を歩くリチャードとかアララファルとかいうやつのことが気に食わないから。

 結局、どっちが名前なんだ?

 目細野郎が言うところの、

「エタイガシレナイ」

 という感じ。

 気を許すと殺される気がする。

 ひりひりしてやがるんだ。

 肌でわかる。

 あのつんつんした金髪が針になって俺を刺すかもしれない。

 そういう改造をしてるのがスラムにもいた。

 エレヴェーターが最上階に止まって、間抜けな音を立てる。

 オレはこの音が嫌いだ。

 目細野郎の家のレンジと同じ音がする。

 またこき使われそうなモウソウが頭の中に浮かぶ。

 くそくらえ。

「キティー」

「気やすく呼ぶな」

 金髪の先で、くっくっ、とリチャードだかアララファルだかいうのが笑った。

 確信する。

 オレはこいつが嫌いだ。

 生体認証でオートロックが解除される。

 音楽が鳴り始め、海に向かった窓が自動で開いた。

 リチャードだかアララファルだかいうのは、風に向かって目を細める。

 そうやってると、黙ってると、そこそこいいツラのようにも見えた。

 だがオレは嫌いだ。

 八十階はワンフロアがひとつの部屋になってる。

 このキザ金髪(名前を呼ぶのが面倒だ。いいだろ?)は自分の家みたいにここを使ってるらしかった。

 ホテルの部屋だってのに、セイカツカンがある。

 バカみたいな金持ちらしい。

 オレだってレイニーで少しは金持ちの方に入ったが、それでも、こんな部屋を貸し切りたいとは思わない。

「座って」

「嫌だ」

「座れ」

 キザ金髪は振り返って命令した。

 オレは睨みかえした。

 真っ赤な目がオレを見ている。

 <ナチュラルヒストリー>で見た、地球のトカゲの目に似ていた。

 少しだけ睨み合いをしてから、オレは椅子に座った。

 スラムで生きていくうえで大事なことのひとつに、退き際を知れ、というのがある。

 意地をはり通したやつから消えていく。

 オレは生きてきた。

「あんた、ゾーイのノートを持ってるだろ」

 キザ金髪は値踏みするようにオレを眺める。

 じっさい、値踏みしてたんだろう。

 オレはむっとしていた。

「よくもあの男は、血統の何たるかも知らぬような餓鬼を送ってきたものだ」

「何だって?」

 赤い目がかすかに細められた。

 冷蔵庫が勝手に開いて、コップが棚から宙に浮き、シェイカーがふたりぶんのジュースを調合し始める。

 こいつは本当に金持ちなのだ、とオレは思った。

 触らずに動かすタイプのモジュールをどれだけ仕込んでやがるのか。

 ホテルに個人的な生体コネクティングの許可を取るには金がかかる。

 それともレイニーが田舎で、この星がハッテンしてるからなのか?

 オレは嫌な気分だった。

 ゾーイに拾われたときに戻っちまったみたいで。

 あの時は何も知らなくて、全部が怖くて、オレはキチガイじみて怒ってた。

 空を飛ぶコップがオレの前に置かれた。

 完璧に調合されたオレンジジュース。

 本当はビーダマコークが良かった。

 でもあれはレイニーの外じゃ飲めないって知ってる。

 ゾーイがそう言っていたからだ。

 もうひとつのコップは、キザ金髪の手の中にすとんとおさまる。

 そっちは炭酸みたいだった。

「飲めばいい。話が長くなる」

 オレはオレンジジュースを見つめる。

 どこにも間違いのない、完璧な色。

 食いもんをくれるやつは信用するな、というのがオレの心に残っている。

 スラムのガキを殺しても罪にはとわれない。

 そうやって遊ぶヘンタイのことをオレはよく知っていた。

 うまそうな食いもんの中にヤクを入れて、人間がどう苦しむか調べて楽しむ。

 ヘンタイは金をくれるが、相手を選ぶ必要がある。

 悪いヘンタイの場合は殺した方が身のためだ。

 こいつは――。

「儂を殺したいと思っているな」

 突然、キザ金髪はそう言う。

 オレの肩がフカクにも跳ね上がった。

 ちょうどそのこと、こいつを殺したい今すぐに、とオレは思っていたからだ。

 もし腰にハミングバード86を吊ってたら、間違いなく反射的に撃っていただろう。

 キザ金髪には幸運なことに、オレはそれを空港に預けてた。

「殺したい。おまえは気に食わない。だけどゾーイの事を知ってる」

 完璧な形の薄いクチビルから、笑いがもれる。

 やっぱりオレの嫌いなタイプの笑い方だ。

「評価を変えよう。お前は面白い」

 オレの背筋に悪寒が走る。

 何でゾーイはこんなやつを信用した?

 悪寒がまとわりつくように肌を刺している。

「無知であるが故に恐れを知らぬ。人間とは皆そうか?」

 狂ってやがる、とオレは思った。

 さっきまでのクチョウと全然違うのは、今しゃべってるのがこいつの本性だからだろう。

 本能的にオレはこいつを恐れている。

「ならば道理も通るものだが」

 オレはコップを叩き壊した。

 鋭い破片をナイフみたいに胸の前に掲げる。

 キザ金髪の血管を切るくらいはできるはずだ。

 ナレノハテをそうやって殺したことはある。

 ゆっくりとキザ金髪が立ち上がった。

 微笑んでいる。

 オレは腰を低く保ったまま椅子から体を滑らせた。

 警報が鳴る。

 恐らく今、ホテルの警備員が事態に気付いた。

 だがこいつを殺す時間くらいはある。

 キザ金髪は馬鹿みたいに突っ立っていた。

 そいつの上背はオレよりかなり高い。

 肩の高さがオレの頭の高さ。

 くそったれなことに、スラムにいる間の栄養失調でオレの背は男にしちゃ小さいほうだから。

 助走が必要だ。

 オレは床を蹴る。

 首。

 狙うのはそこだけだ。

 ガン、と鋭い衝撃が、全体重をかけて振り抜いたオレの腕に走る。

 予想外の感覚に手が痺れてガラス片がすっぽ抜けた。

 辛うじてこけずに踏みとどまる。

 とっさに床に転がったガラス片を拾い上げようと探したが、透明なガラスは信じられないほど粉々に砕けていた。

「くそ」

 オレは出口の方に後ずさる。

 じきに警備員が来るだろう。

 そしたらこのイカレたヘンタイも抵抗できないはずだ。

 オレが生きていればの話だが。

 キザ金髪は何も言わず、首をさすっている。

 その首筋がちかちかと金色に光っていた。

 刃を通さないアーマーを使ってやがる。

 透明なやつは最高級の軍事用だ。

 何に金をかけてやがるんだか。

 腕が衝撃で熱を持って、その痛みで息が上がってた。

 やばい。

「無粋な想像をするな。これは儂だ」

 キザ金髪は手を振る。

 オレは身構えたが、ただ掃除用の単純作業ロボットが床を拭きに来ただけだった。

「座れ」

「警備員がパクリにくる」

「来ぬ。座れ」

 嫌々ながらオレは椅子に戻った。

 キザ金髪が瞬きすると、またオレンジジュースが出てくる。

 オレはためらったが、飲んだ。

 何事もなかったようにキザ金髪は炭酸に口をつける。

 こくこくと美味しそうに飲みながら、やっぱり目を細めていた。

 赤い光がコップに映っている。

「良い狙いだった」

 一息で炭酸を飲み干した後、キザ金髪はそう言った。

 オレは黙っている。

 ヘンタイを相手にするときは無口な方がいい。

「儂は、窮鼠猫を噛むということわざを知っている。お前は良い研究材料になるだろう」

 キザ金髪が指を鳴らすとオレの背後の壁がパズルみたいに組みかわって、そこから一冊の本が出てきた。

 オレはそれがゾーイのものだと一目でわかった。

 レイニーの家にいつも置いてあったのと同じ表紙。

 緑の地に、桜色の――それはゾーイの色だった――線が密やかに花の形を描いてる。

 目細が夜中にそれをずっと見ていたのをオレは知っている。

「読むがいい」

「お前にキョカされる筋合いはない。目細野郎のノートだ。あいつは」

 キザ金髪は静かに目を細めた。

「お前のモノじゃない」



×

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る