ユーラノート 001
僕は運命を信じない。
そういうと、横に座ったビジネスパートナーは低く笑った。
レイニー地方歴98年4月1日、16時28分。
ウララカバーガー二階のイートインスペースは、窓が大きいので不人気だ。
外の景色はいつも鉱成雨に染まっていて、その黄土色の世界を見ながら食べると気が塞ぐからというのがその理由。
それは僕の商談には好都合だった。
二階にいるのは僕と、僕に仕事をくれた旅行会社のチーフだけ。
「確かに美味しいな」
と、僕のビジネスパートナーは端正な顔をソースで汚しながら、この店の看板メニュー・ダブルチーズスペシャルをばくばく食べる。
ちょっと変わった人だな、と僕は思う。
辺境惑星で出世するには変わっていた方がいいのかもしれない。
僕はもらった名刺データを読み取って、脳内クラウドの<連絡帳・人物メモ>のサーヴィスに記録しておいた。
リチャード・ガンデ。
純粋血統の人間、男性、年齢不詳。
惑星ニューハワイキの観光会社<サニーデイズ>の辺境惑星ヴァカンス部門の主任。
身体機能の拡張状況はシークレットモードに設定されている。
ここは身体拡張に禁忌を設定した街ではないから、開示しなくても問題はない。
「ダブルチーズスペシャルだけは作り置きしないんですよ」
僕は店員の常套句を言った。
「それはいい」
リチャードさんが本当にそう思ってるのか思っていないのかわからない顔で同意した。
包み紙をくしゃくしゃに丸めたリチャードさんが手を出すと、ゴミ回収用に配置されているジャイアントハムスター型のクリーナーがそれを受け取って頬袋に詰め込んで、また暗がりに去っていく。
「あれ」
僕は驚いた。
ウララカバーガーの会長が代替わりしてから、オールドジャパニーズ的思想ではネズミは不衛生の象徴だとしてクリーナーを撤去したと聞いていた。
この類のコンパニオン・ロボットは飲食店では当たり前にいるものだけれど、ウララカバーガーでは彼らの<不在>が一種のサーヴィスみたいになっている。
どの世界にもどの次元にも自分以外の種族が苦手な人々はいて、そういう人たちのための癒し空間がウララカバーガーだ。
しかしそれにしてはリチャードさんの動きは自然だったな、と僕はどこか引っかかる。
このウララカバーガーにはクリーナーがいると確信していたみたいだった。
レイニーではウララカバーガーが全面的に撤去をしたのは一大ニュースだったけれど、観光情報なんかには載っていないのかも。
それに撤去したのはつい最近だったから、もしかしたら不精な店員が電源から抜き忘れていたのかもしれない。
僕は自問自答して一応納得した。
「さて、それでは始めようか」
とリチャードさん。
僕は彼の頬にソースがついたままなのに気づいて、ナプキンを手渡した。
リチャードさんは少しだけ面食らった顔をしてそれを受け取る。
「左の頬の…ああ、そこです。大丈夫です」
僕はリチャードさんからナプキンを受け取って通路に手を出したが、回収ネズミは走ってこなかった。
満腹なのだろうか?
まあいいや、と諦めて僕はソース付きのナプキンをカウンターの端っこにさりげなく置いた。
この種のコンパニオン・ロボットが気まぐれなのは良く知られた事実だし、それに回収反応をするにしては質量が小さかったのかもしれない。
「これが今回きみに渡せる原稿だ。ざっと三万単語ほどかな」
リチャードさんの革張りの鞄から紙束が出てきた。
疑似的なものではない、本物の紙。
その上に綴られた丸っこくて性急そうな文字。
ドクター・アムの直筆原稿だ。
僕はとても感動した。
「テーマはアルマナイマ星での言語研究手法について。<サニーデイズ・プレス>に載せたもののノーカット版になる。一応こちらも完成稿には目を通すつもりではいるけど、如何せん日本語が十分に理解できる人がいないからね。実質、きみを信用して渡すことになる」
「ありがとうございます。こんな貴重なものをいただけるとは正直思いませんでした」
「読者がつくといいけどなあ」
「訳したらみんな喜んで読みますよ。レイニーのコミュニティは日本語に飢えてるんです。それに、僕たちはドクター・アムの文化研究の方針とか、辺境軍への強気な姿勢を尊敬してますからね」
そう言いながらも、リチャードさんの爬虫類的な赤い瞳がぱちぱちと瞬きする様子を、僕は食い入るように観察していた。
「気になるかい?」
「いやあ凄いですね。生体コンタクトですか」
「特注でね」
リチャードさんが前髪をかき上げると、赤い瞳に光が入って、その異様だが美しいコンタクトが強調される。
よく見ると、瞳の周りに金色の斑点が散っていた。
どれだけ高価なものなのだろう、と強く興味を掻き立てられる。
僕が
「君は入れないのか」
「僕はただの黒い目の方がいいんですよ」
ふうん、とリチャードさんは、今度は本当に面白そうに僕を見る。
「なるほど、言語闘争の最中だものな」
「それほどでもありませんが――」
「ジャパニーズ・オリジンの黒か」
思わず僕の目が泳いだ。
リチャードさんは唇の端を少しだけ吊り上げる。
「別にシークレットでもないだろう。言語統一派と少数言語存続派が争うのは、なにもレイニーだけの話ではないから」
その時、微かに地面が揺れているのに僕は気づいた。
戦闘用外骨格の歩行音。
リチャードさんも気づいていて、カウンターに頬杖を突きながら外を眺めている。
「窓のそばから離れましょうか。あまり見ても楽しいものではないですから」
「いやこのまま。あれは蜘蛛型かな?」
「ええ。ポンコツですが、中身はもっとポンコツなので誰も止めないんです」
僕を含め、その時代遅れの外骨格に乗っているのが誰かというのを、この町の全員が知っていた。
もう稼働していない鉱山跡地がテロリストたちの―――つまり日本語原理主義者たちの根城になるといけないからという理由で派遣された、レイニー軍第十八地方軍の大尉。
僕たちダウンタウンの住民は、第十八地方軍と書いてオチコボレと読む。
テロリストたちがこんな通信環境も微妙な田舎で何をするというのだろう。
首都までも桜宮大鉱山までも距離がありすぎ、地球時代の地上戦ならいざしらず、鉄道の終着駅になるような街がテロリズムの温床になるなどとは本当は誰も考えていない。
軍の中でも下の下の兵士たちの居場所を作るためだけの閑職だ。
やる気を根こそぎ奪われた哀れな大尉は時折ダウンタウンにやってきて、スラム街で男の子をさらっては良からぬことをする。
つまり性的に。
ダウンタウンの住人たちは目をつぶっていた。
うちの子が標的にならないなら別にいいか、と。
ずだんずだん、という酔っ払いがけつまずいているような足音を立てながら、外骨格が近づいてくる。
今日はウララカバーガーの前の道を通る気でいるらしい。
「リチャードさん、ちょっと隠れましょう」
「何故」
「目を合わせると何をするかわからないのでね」
「文民統制の原則はどこへ行ったのやら」
戦闘用外骨格のコクピットの高さは、だいたいこのウララカバーガーの二階と同じくらい。
リチャードさんと僕は、カウンターの下に身を隠した。
妙にリチャードさんは面白そうである。
カウンターの壁の向こうで響く外骨格の歩行音を追うように首を巡らせる。
ニューハワイキは厳格なヴァカンス星で惑星軍が無いというから、こういう体験は初めてなのだろう。
レイニーもそうだったら良かったのに。
それから、リチャードさんは変なことを言い出した。
「君は運命というやつを信じるかい」
「僕は信じませんね。神はどこにもいません。でしょ? リチャードさんは信じるんですか」
リチャードさんはにやりと笑う。
僕の反問には答えず、こう言った。
「ひとつ賭けをしよう」
町のどこかでガラスの割れた音がする。
鉱性雨に負けないように分厚く作られたショーウィンドウを外骨格が蹴り破ると、町ごと爆破されたみたいな恐ろしい轟音になるのだ。
「君が今日、外骨格に轢かれるか轢かれないかで賭けよう」
そんな物騒なのは嫌です、と僕は言った。
ただでさえこのところ僕はついていないのである。
例えば先々週は友人宅に行った帰りに、スラムの住人から銃を突き付けて脅されるという経験をした。
まだ小さくて、確実な栄養失調だったその人間の顔を思い出すと、今でもぞっとする。
「なに、私は轢かれる方に賭けるさ。君が轢かれなかったら、つまり君が賭けに勝ったら、そうだな、もう一度、私に連絡をくれ。最優先で原稿の添削をしてあげるから」
なあんだ、と僕は言い、リチャードさんは愉快そうに笑った。
「今日の運命が明日の運命につながる」
リチャードさんの神秘的な言葉に押されるようにして、外骨格の足音が遠ざかる。
僕たちはカウンターの陰からよっこいしょと立ち上がった。
リチャードさんのすらりと伸びた手足に添う黒のクラシックなスーツには漢字で大きく<風神雷神>と刺繍されていた。
「大胆ですねえ」
と僕が言うと、
「レイニーに来たら日本語のものをと思ってね。いい言葉だろう。全能感がある」
やっぱり面白い人だな、と思った。
それからリチャードさんは、アルマナイマ星のお守りというのをひとつ僕にくれる。
すべすべとした灰褐色のもの。
「これは何でしょう?」
リチャードさんはにっこりと笑うと言った。
「龍の歯だ。引っこ抜いてきてやった。その黒い部分は虫歯」
またまた御冗談をと僕が言い、ふたりしてげらげら笑う。
僕はその<龍の歯>というお守りをポケットにしまった。
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