ユーラノート 002
さて、その日の僕とリチャードさんの賭けの勝敗はどうだったのか。
結果としては、引き分けだった。
僕は踏みつぶされなかったが、雨除けコートのすそと、明日の朝ゆっくりかじろうと思っていたテイクアウト用のブレックファースト・ツケモノステーキ・バーガーが潰された。
「レイニー警察です!」
という女性オペレーターの声が
「外骨格と現在地が重なっています。ご無事でしょうか」
「あー、僕は無傷です。ただ、動けません」
「ご安心ください。ただちに警察が向かいます。状況をお聞かせいただけますか」
「ええと」
僕の上では半壊したクモ型外骨格が傾いて煙を上げている。
頭越しに戦争が始まったような気分だった。
ミサイルを撃ち込まれた外骨格の下にいるって、それは何というダイ・ハードか。
僕のような脇役には不似合いだ。
いつこれは崩れてくるんだろうと僕はひやひやする。
「コートの裾を、クモが踏んでます」
「脱いで離れることはできますか」
「僕のオーロラなので」
なるほど、それは大変ですね、とオペレーターが言った。
心からの同情がこもっている。
ダウンタウンに降る鉱成雨をまともに浴びた場合、鉱疫という病気になる可能性があった。
具体的には皮膚の表面に鉱物結晶ができる。
結晶の根は血管に食い込むから、罹患した場合、血管を戻しながら切除するのに数週間から数か月の長期入院が必要になる。
もっと恐ろしいのは、そうやって皮膚にできた深紅の鉱物を他星に売りさばく商人がいるという話だ。
鉱疫患者がなかなかダウンタウンに戻ってこないのは、治療が難しいのではなくて、本当は密売のための苗床にされているのではないかという噂まで囁かれている。
だから、僕たちは外出時には必ず傘をさし、手袋をはめ、全身きっちりと雨除けコートを羽織る。
雨除けコートの襟にはオーロラと呼ばれる微小機器が備わっていて、空気の揺らぎを作り出し、顔面に雨が跳ねないようにガードしてくれる。
中には、皮膚そのものにオーロラ機構を取り付ける富裕層もいるということだが、あいにくと僕はその選択をするだけの経済的余裕がない。
「あっ」
外骨格の中で音がしたように思って、僕は上を仰ぎ、そして反射的に叫んだ。
ほとんど悲鳴だったはずだ。
下半球だけが辛うじて残っている外骨格の腹の上に誰かが立っている。
煙がひどくて顔は見えない。
やばい、と僕は思ったのだ。
かの変態大尉殿が生存していた場合、外骨格が落ちて圧死する危険性よりも先に、やけくそになった軍人に撃たれる危険性について考えなくてはならない。
しかもコートは踏まれている。
雨の中に素肌をさらして出るのも自殺行為だ。
さあどうする、僕。
「ミスター・ユーラノート?」
オペレーターが耳元で鋭く言った。
「緊急事態ですか」
「誰か生きてます。外骨格の中―――」
ダウンタウンにしては珍しく、はっきりとした雷が鳴った。
風がぶわっと吹き、僕は咄嗟に顔をかばう。
ただ、目だけは上を見ていた。
煙が流されて、外骨格の中に立っている人物の顔がはっきりする。
「ミスター?」
耳朶を打つオペレーターの声はどこか、遠宇宙あたりに行ってしまったようだった。
僕は、雨に打たれて立っているその人物を知っている。
つい最近、僕に銃を突きつけた顔。
―――命よりは安いだろ。
―――黙ってろよ。言葉がどうした。異星人だって撃ちゃあ死ぬ。
そう、僕に言った顔。
ぼうっと雨に打たれて立っている。
服は着ていない。
可哀想に、大尉に脱がされたのだろう、と僕は思った。
汚れた皮膚、骨の浮いた薄い体、雨に漂白された真っ白な髪。
今まで鉱疫にかからなかったのが奇跡みたいだ。
その体が脱力して、かしぐ。
マリオネットみたいに手足がよろよろと宙を掻いた。
「ああ」
僕の口から音が漏れる。
白い青年の体は外骨格の縁で少し引っかかって内側にスイングし、僕の上に降ってきた。
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