闘う理由 002

 そんなわけで、あたしは幹線道路を流してきた真っ赤な花柄のホバーカーをハックした。

 目立つけどまあいいか。

 ヒューゴ陣営もまさかこんな目立つ車で来るとは思ってないはず。

 ハックするときにあたしが苦戦しそうなプログラムもあったけど、脳内に居座った黄金の龍が睨むとあっという間に溶けてしまう。

 テトラが万が一の場合に備えて渡してくれていた偽造身分証を読み取らせると、ホバーカーは従順に走りだした。

 運転席に座るのはあたし。

 殿下は助手席で顔に治療用のパッチを当てて、キティーにぼこぼこにされた痕を治していらっしゃる。

 ぼこぼこにした方のキティーは後部座席で本物の地球ネコみたいに丸くなって寝ていた。

 キティーの寝息。

 キティーの寝顔。

 わお、やばい。

 普段だったら死にそうって言うところだけど、今は生きられそうって言わなきゃね。

 ところでこのホバー、後部座席用のカメラはついてるかしら。

 録画データ、ハックしとこ。

 幹線道路の先にニューマウナケアシティの高層ビル群がちらついている。

 自然との一体化をコンセプトに設計されたニューマウナケアは、建物から樹が生えているせいで妙に退廃的な感じがした。

 遠くからだと森に呑まれた廃墟みたいにも見えちゃうから。

 一番高いビルは空港だ。

 空港だけは樹を生やさず、夜の闇に赤い高度警告灯を光らせながら巨人めいて突っ立っている。

 ニューマウナケアは宇宙港じゃなくて、ニューハワイキ内の星内線しか飛んでいない。

 だからあたしたちがこの星を脱出してレイニーに行こうっていうなら、空港をふたつパスしなきゃいけないことになる。

 あたしは頭を抱えた。

 電子戦担当、あたしなんだもの。

 やることリストが長すぎてビビってる。

 それが本音。

「あのう、殿下」

「うん」

「キティーさんの遺伝子データですけど、ご入用ですよね」

「いただけるならありがたいです」

 対向車のヘッドライトが殿下のお顔をさっと横切る。

 相変わらず端然となされているけれど、あたしはそこに少しだけの悲しみを見て取っていた。

 あたしが、そう見たかっただけかもしれない。

 ヒューゴのせいで悲しみを奪われたと聞いてるから。

「殿下、お伺いしたいことがあるんですが」

「どうぞ」

「遺伝子検査を、何故なさろうと」

「それは、すべての謎を解く鍵になる可能性があったからです」

「キティーさんがクローンだったことで?」

「それだけでは無いんですよ。さて、この車のセキュリティーは信用できますか」

 少しお待ちを、と言ってあたしは慌ててセキュリティーと自分を再接続した。

 ドライビングは自動運転に任せ、ムーンジャガーのアバターを着て、ホバーカーの内側の世界へ潜っていく。

 恐ろしくなるくらい荒っぽいセキュリティーの海。

 あたしのアバターは何故か金色の毛皮にアップデートされていた。

 深海の砂浜をムーンジャガーになって駆ける。

 砂の中に隠れていたヒラメみたいな外部接続ポートを片っ端から前脚で叩き潰した。

 音声センサーがウツボに変じて逃げようとしたから跳び上がって噛み千切った。

 顎に骨を噛み砕く生々しい感覚が残る。

 飲み下すと苦い味がした。

 醤油でもあったらいいのに。

 獲物に牙を突き立てるたび、耳の奥の何処かでリチャードさんが高笑いしている気がした。

 喉を反らせて吠えるたび、見たことも無いレイニー星の森の中に心が繋がっている気がした。

 アドレナリンが、がつんがつんと脳髄をドラミングする。

 半魚人の姿をしたセキュリティー監視プログラムが徒党を組んで襲い掛かってきたので、リチャードさんの真似をして高笑いをしてみた。

 ムーンジャガーの体から金色のビームが放たれて、半魚人たちを次々に射止める。

 あたしの爪が閃くとサメが死に、咆哮でクジラが弾けた。

 凄まじい万能感に酔う。

 リチャードさんが見ていた世界はこんな風だったんだろうか。

 そしてセキュリティの海が死に絶えたとき、あたしはゆっくりと現実に浮上した。

「お待たせしました」

「大丈夫ですか?」

「え」

「うなされていました。悪夢を見た夜のように」

「そう、ですか?」

「滝のような汗ですよ。本当に大丈夫ですか」

 あたしは手で額の汗を拭ってハンカチを持ってないことに気付く。

 仕方なくズボンで拭いた。

「問題はないです。あの、先ほどのお話を続けてもよろしいですか」

「もちろん。遺伝子の話でしたね」

「はい」

 ちらりと運転席の時計を確認。

 没入してから一分しか経っていない。

 海底で一週間くらい戦っていた気がするけど、まあ没入するってそういうことだからね。

「ナレノハテという生き物のことを知っていますか」

「レイニー星のスラムに生息する、正体不明の、ヒトに似ているけど非知性体。で、よろしいでしょうか」

「そうです。これは僕が独自に掴んだデータなので、公表していないものすが」

 ニューマウナケアシティまで残り三分、の表示を殿下はちらりとご覧になったようだった。

 それから前に視線を戻して、

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