カノア 004

 ゾーイ・ユーラノート殿下にあたしたちが入れ込む理由は、その登場があまりにも鮮やかだったっていうのが大きい。

 殿下が表舞台に立ったのは、ピエロことドクター・ヒューゴを撃った事件。

 それまで殿下は血統をお隠しになってダウンタウンに住んでいらっしゃった。

 お屋敷は確かに立派で、<日本語解放戦線>随一のハッカー・テトラが殿下が殿下であることをお忘れにならないように付き合っていたけれど、基本的にはあたしたち庶民と同じ町に住んで、同じものを食べて(ウララカバーガー!)、同じ服を着て暮らしていた。

 だから殿下が一撃でピエロの額に穴を開けたときあたしたちは度肝を抜かれたし、『流星雨』のキティーのバディが殿下に寄せた人物造形になっているのは、レイニー星民の思慕と喝采の表れ。

 あたしたちはずっと、レイニー星を開拓した偉大な血統は途絶えてしまったものだと思っていた。

「どうぞ食べて下さい。ムーンジャガーさん」

 殿下があたしに敬語でいたずらっぽく言い、

「キティー。フォークを使って」

 横でナイフの先をカツに突き立てていたキティーを諫める。

 キティーはちらりとあたしの顔を見て、

「緊張すんな。ただの目細だ。ムーンジャガー」

 いやいや無茶言い過ぎでしょうよ。

 あなたの存在にも緊張するんだってば。

 あと、あたしはムーンジャガーって名前じゃないんだけど。

 どっからツッコんだらいい?

 誰か教えて?

 熱々のコーンスープがサーブされてきて、あたしはそのお盆を運んできた<日本語解放戦線>の料理長(もとはコンビニでフライを揚げてた)に助けを求める視線を送ったが、彼女はこちらを見ないふりしていた。

 料理長もド緊張してる。

 テーブルの上に、揺れたコーンスープが点と黄色い雨粒模様をつけた。

 あたし用でよかったよ。

 料理長の性格的に、殿下の前でやったら本気の切腹が始まりそう。

「あの、殿下、お呼びだったと伺いまして……」

「はい。疲れているのに申し訳ないですが」

 殿下の方が礼儀正しいのとか息苦しくて死にそうだとあたしは思う。

「あたしなんかがお役に立てますでしょうか」

「もちろん! リチャードさんは貴女の腕をとても褒めていましたよ」

「リチャードさん?」

「ああ、ヘリを操縦してきた――」

「――キザ金髪野郎だ」

 キティーの悪態で何かが弾けたように、殿下は無邪気にお笑いになる。

 あたしの背筋が緊張でぎゅんぎゅん伸びた。

「貴女の事は何とお呼びすればよろしいでしょう」

「えっ、あの、殿下、如何様にも……」

「めんどくせえな」

 カツをさくさくと切り分けながらキティーがぼやく。

「礼儀は大事だよ」

「話をまともに進めんのもレイギだ」

 あたしは、古典的な表現をかりるなら、鼻血をふきそうだった。

『流星雨』の続編を目の前で、リアルに見せられている感じ。

 しかもその作品はあたしにしか公開されないんだ。

「カノアさん。あるいはムーンジャガーさん?」

 殿下が首を傾げる。

「カノアで」

「ムーンジャガー」

 あたしとキティーがほとんど同時に言った。

 キティーはその綺麗な顔をにやっと歪ませて、

「そっちのが、秘密作戦してるって感じだろ」

 感情のキャパオーバーで気絶しそうなのを辛うじておさえる。

 

 何これ。

 それで、

「あっ、そっ、そうですね」

 すごく間抜けな相槌をあたしは打った。

「じゃあ決まりだ、あんたのコードネームはムーンジャガー」

「オレには似合わねえな、そのタンゴ」

 このやり取りを聞いたらロジャーが鬼のような形相で反対――おまえが親からもらった名前はカノアだろう!――するだろうなってことが、あたしは容易に想像できる。

 でもこうして、あたしはムーンジャガーとして、この夜、生まれ変わったんだ。

「貴女にお願いしたいのは、まさに道しるべなんです」

 殿下はあたしの顔を真っすぐに見る。

「ムーンジャガー、その名に相応しいことを」

 あたしに与えられた仕事は、スピード感と精密さを要求されるものだった。

 ふたりから、今までに起きた出来事を簡潔に聞き取ったあたしは、スコール雲に揺さぶられるヘリの中でも殿下が今後の作戦をお考えであったこと、そして闘争心を失くされていないことに、胸を突かれる。

 あたしたち全員が生き延びられるかは、あたしの腕にかかってた。

 キティーに会えて浮かれてる場合じゃない(浮かれるけど)。

 あの「リチャードさん」なる金髪ハッカーの助けがあった方がいいのではと思い、殿下にも進言したが、彼が<日本語解放戦線>のメンバーではないと聞かされたのでやめることにする。

 面白半分に他人の事情に首突っ込んで命がけのスリルを味わう奴は、ものすごい正義漢かものすごいサイコパスの二択だろうなって思ったから。

「あのヘンタイとは関わらない方がいいぜ」

 と、キティーはフォークを指揮棒みたいに振りながら、したり顔で頷いた。

 その姿を殿下が穏やかな微笑で眺めていらっしゃる。

「キティー」

「あ?」

「お兄ちゃんになったねえ」

「うっせえな、くそったれ目細!」

 ふふふ、と殿下が笑った。

 あたしはふたりのやり取りをいつまでも傍観していたかったけれど、早いこと動かないとピエロに先手を打たれちゃう。

 もう打たれてるかもしれないけど、遅ければ遅いほど取り返しがつかなくなる。

 あたしは殿下に、そしてキティーに、同じ卓につかせていただいた御礼を申し上げ、今や仮の宮殿みたいになったホロ・パックスを辞した。

 料理長のエメが真っ青な顔で(どうだった)と聞いたので、あたしは(全然、大丈夫だよ)と答える。

 エメがあたしの手に焼きたてのパンを握らせた。

 どんだけふたりに食べさせるつもりなんだろう。

 扉を内側からノックして開ける。

 開けしなに、

「御指示があったのか?」

 って聞いたロジャーの額に、

「守秘義務があるの」

 あたしはキスをして、自分のホロ・パックスへ高揚した気分で帰って行った。

 空は晴れて、砂糖をまぶしたみたいに星が散らばっている。

 遠い潮騒があたしの耳に心地よかった。

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