カノア 003

 ロジャーとロコが心配そうな顔で傍らに立っている。

 あたしはせわしなく上下する胸を押さえながら、辛うじて言った。

「インプラント切って」

 無言でロジャーはログオフサインを入力。

 データの奔流が止まった。

 ロコがあたしの顔をぺたぺた触り、彼女なりの気遣いを見せてくれている。

「大きい人/痛い/頭?」

「もう大丈夫。ありがとう」

 服のポケットをごそごそ探り、ロコが正体不明のしなびた葉っぱを取り出して噛ませようとしたので、あたしは丁寧に辞退した。

 ロコは残念そうだったし、彼女たちの痛み止めかもしれないけど、うん、ごめん。

「それで何がわかった」

「殿下はお元気よ。ヘリの操縦者はあたし以上のハッカーかも。機体の状態があまり良くないからみんなを下げて。それから、それから、ねえ聞いて! 雨降り星のキティーが乗ってる! 本物よ!」

「カノア」

 ロジャーがとびっきり不機嫌な声で言う。

 あたしは身をすくめて、

「ごめん」

 何も言わずにロジャーはあたしに背中を向けて、今や着陸寸前のヘリに向かって歩き出した。

 やらかした。

「大きい人/痛い/頭/また/?」

 ロコがまた葉っぱを取り出して振り回したので、あたしは、

「痛くない。オーケー。しまっておいてよロコ」

 と言った。

 ヘリは泥水を巻き上げながら接地。

 柔らかい土の上で機体が傾き、あたしは滑った機体がロジャーたちを轢いてホロ・パックスに激突する姿を想像してドキッとしたが、何とかヘリは持ちこたえた。

 クリーム色の照明がついて、ヘリの周りが祭りのやぐらみたいに煌々と照らされる。

 雨と水たまりが幻想的でドラマチックな輝きを世界にまぶしていた。

 搭乗者用のドアが何回も内側から強く揺さぶられる。

 上手く開かないみたい。

 手を出していいものか<日本語解放戦線>のメンバーがこまねいているうちに、短い銃声が鳴って、外に向かってドアが倒れた。

 そこから銃を片手に持ったキティーがひらりと降りてきて、あたしはその格好良さにくらくらする。

 身のこなし、本当に没入現実映画ヴィジョンそのまんまなんだ!

 キティーはあたしたち<日本語解放戦線>の顔をぐるりと見まわしてから、ドアの方に振り向き、手を差し出す。

 その手を取って、ゾーイ・ユーラノート殿下が静かにヘリから降りてらっしゃった。

 ロジャーが慌てて傘を持っていく。

 あたしは我知らず目頭が熱くなり、自然と敬礼している。

 状況から考えて、あたしたち<日本語解放戦線>は殿下に頼られてるんだってわかるから。

 全力でお守りするしかないじゃん。

 エンジンが完全に沈黙して、ヘリの光の輪にもうひとりが加わった。

 操縦席の男。

 短いけど豪華な色合いの金髪が雨の中で輝いている。

 あいつ、あたしを食った。

 後で話を聞かなきゃいけない。

 あたしのプログラムをどんなふうに探知して、ぶっ壊したのか。

 テトラ仕込みのハッキングがバレたことなんてこれまで一度も無かったのに。

 ロジャーが先導して、こちらに歩き始めた。

 あたしは雨でメイクも服もぐしゃぐしゃなのを恨みながら立ち上がり、最敬礼。

 頭を下げて通過をお待ちしていると、ユーラノート殿下はあたしの前でぴたりと足を止め、

「お邪魔になります」

 と仰った。

 ロジャーが殿下の振る舞いに驚いて、震えた声で、

「こちらはカノア=タテヤマ、レイニー生まれで、チームのハッカーです」

 あたしは紹介されるなんて思わずにどぎまぎして、目線の先にある殿下の革靴をただ見ていることしかできない。

「カノアさん、顔を上げてください」

 殿下の声は優しく、しかしあたしは不敬をおかしたくなかったので、そのまま顔を伏せていた。

「どうか……殿下、お風邪を召されます」

 ロジャーが言ったが殿下はあたしの前に立ち止まったまま。

 すると、

「おい目細。困ってんだろ」

 あたしは脊髄反射で顔を上げてしまった。

 雨降り星のキティーが、雨に濡れても美しい顔で、あたしの目の前に立っている。

「ひえっ」

 と、あたしの喉から黄色くもない声が垂れ流された。

 コンマ一秒後には自分の口を押えていたけれど、せめてもうちょっと可愛い声は出ないものかと失望する。

 出てよ、頼むから。

 水も滴るいい男、というのはレイニーでは死語になった日本語だけど(鉱成雨が滴るのは不健康でしょ?)このスーパースターには良く似合った。

「キティー、よかったねえ」

「黙れ目細」

 ユーラノート殿下が優しく掲げた手――多分、頭をよしよしと撫でようとした手――をキティーが叩き落したので、ロジャーの顔が引きつる。

 ロジャーの気性を知ってるあたしはまずい展開だなと思い、

「殿下、どうかご安心してお休みください。あたしたちがお守りしますので」

 あたしは殿下の顔をちゃんと見て、そう申し上げた。

 ユーラノート殿下は優しく微笑まれて、

「ありがとう」

 と。

 その一言で、その場は丸く収まった。

 ロジャーはまだ憮然としている。

 多分ロジャーは『流星雨』に感動しなかったか、あるいは無関心だったのかも。

『流星雨』があまりにもメジャーで、あたしたちの世代では「観て当たり前」だったから、そんな人がいるってことをあたしは考えたことがなかった。

 映画監督が言うには、キティーは没入現実映画ヴィジョンと本当の現実リアルライフで性格の不一致が起きないように台本を書いたんだって。

『流星雨』において彼は美貌と暴力を武器にのし上がる存在で、その行為は<異端である悪>の象徴であると言う人もいたけれど、あたしはそう考えない。

 もし監督の言葉が本当なら、彼はぶっきらぼうで乱暴ですらあるけど、心の底には優しさが眠っているって信じる。

 そうでなければ殿下の横にいるはずがないから。

 彼らと<日本語解放戦線>のメンバーがぞろぞろ歩み去ると、あたしは本当にほっとした。

 と思いきや。

「雷(神)/!」

 あたしの背中に隠れていたロコが、わっと飛び出す。

 急なことだったのであたしはびっくりしてしまって、ロコが操縦席の金髪男にむしゃぶりついていったのを止められなかった。

 金髪男は予想外にも邪険にせず、そっとロコの肩に手を置いて、何事かを低い声で囁く。

 少数民族へのあからさまな差別意識はなさそう。

 あたしは一安心した。

 だけどその安心も、あたしの後ろの異様な光景に気付くまでのことだった。

 沢山のレ・オロ語が聞こえて振り返る。

 目を疑った。

 あたしの後ろに居並んでいたのが、このキャンプに住んでいるレ・オロの全員だったから。

 その全員が全員、節のある腕を頭の上で組んで祈りのポーズをとっている。

「どうして」

 あたしが言うと、ロコは大きな声で、屈託なく、

「雷(神)/来た/だから/!」

 汎銀河系共通語でそう答えた。

 金髪男の目線が不意に動き、あたしの顔で止まる。

「ムーンジャガー」

 その赤い瞳は緊張感を誘う。

 あたしは酸欠の金魚みたいに、肺から空気を絞りとられている気分になった。

「良い手腕だった」

 決して大きな声ではないのに良く通る声。

 詞的な言葉で言うなら、まるで雷と雨の音が彼の声を避けているみたい、ってところ。

 その背後では、風に流されて雨雲が切れ、月が顔を出した。

 この人は何者なのだろう。

 殿下のご友人というにも、キティーの役者仲間というにも、<日本語解放戦線>のメンバーだというのも雰囲気がそぐわない。

 どちらかと言えば冷ややかな商売をする敏腕ビジネスマンという感じがする。

 ロコが金髪男の手を引く。

 彼は疑問を呈することもなく、そのままレ・オロの一団に迎えられて、あたしたちのホロ・パックスとは別の方向へ歩いて行った。

 何者なんだろう。

 ロジャーにこのことをどう報告しようかと悩みながら歩き出す。

 彼は殿下の事で手一杯だろうと思ったから。

 <日本語解放戦線>のホロ・パックスに帰ると、メンバーたちの興奮が伝わってきた。

 いくつものホロ・パックスの薄い壁越しに潜め切れていない声が聞こえる。

 殿下がいらっしゃるのであろう最大のホロ・パックスの前ではロジャーが仁王立ちし、浮かれているメンバーが持ち場を離れてふらふらと覗きに来るのを追い返していた。

 そう。

 まだ全然、殿下の無事が保証されたわけじゃない。

 気を引き締めて行かなきゃ。

 ロジャーに手を振って自分のホロ・パックスに戻ろうと思ったら、

「カノア、お呼びだ」

「お呼び?」

 重々しく、ロジャーは頷く。

「殿下が、お呼びだ」

「何で」

「何でもだ。俺に聞くな」

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